26.推測
私は思わず目をぎゅっとつぶった。ついでに息も止めてしまう。
「エリー」
どこまでも和らぐ声音で名を呼ばれ、私はおずおずと目を開けた。
労わるように頬、そして傷が残っている痕を撫でられる。
自身の治癒能力を促すために完全に治していないだけで、今は痛くはないし痕も残らないと聞いている。
それなのに、ルイは自分のことのように痛ましげに眉を寄せそっと触れてくる。
ゆっくりと時間をかけ辿られその指が半周したあたりで、私は我慢しきれず溜めていた空気とともにくわっと変な声が漏れ出た。
ぴくりと止まった手と、くすりと笑うルイの吐息が頬をかすめていく。
くわって何? 自分で自分が残念だ。女子としてどうよ?
だったら何がいいかとかもないのだけど、もういろいろ我慢の限界だと頬の火照りも含めて誤魔化すように口を開いた。
「えっと、話なのだけど」
「うん」
コホンッと咳をして切り出すと、ルイは私の首からするりと指を外した。その際に、同じように顎のラインを撫でられた気もしたけどきっと気のせいだ。
ルイにその流れのまま手を包み込むように握り込まれ、にっこりと笑顔で待ちの顔をされる。
何を聞いても離れないと、どこまでも私の不安を取り除こうとするかのようでいて、逃げるなよとも言われているようだ。
繋ぎ合わせた手から、互いの熱が伝わる。
「その、話というのは」
「ゆっくりでいいよ」
せっつかれるような、早くはっきりさせてしまいたいような気持ちが溢れる。
にこにこと笑みを浮かべるルイは、ここで愛おしそうに目を細めた。
──うっ、隠す気ないよね!?
さっきの今だ。さすがの私でもこの視線の意味くらいわかる。
アワアワしているのも嬉しそうに見られ、ほんわかしているのに押しが強い。
常に私の機微を察してフォローしてくれるルイなので、本気で困らすつもりはないのだろう。
告白も私の秘密を知っても動じない要素の一つだと、事前に教える意図もあったのかもしれない。
自惚れでなければ、それだけルイに想われているということだ。
──ああぁぁ、ここに来てたくさん考えることがありすぎる!
いいことも、悪いことも。
どこから考えればいいのかわからないくらい、十六歳を境に一気に押し寄せてきた。
私は一向に収まらない火照りを見られるのも恥ずかしくて、その一つの原因でもあるルイの胸に、ゴツンッと勢いよく額を預けた。
ちょっと八つ当たりじみてるけど、そっと預けるなんて可愛い真似はできない。
「ルイ……、やっぱりちょっと離れよ」
「ダメだよ。さっきも言ったよね? 今離れるのは僕の精神的に無理だから。そもそもどうしてそんなに離れたがるの?」
落ち着いて考えることも話すこともできそうにないと、精一杯訴えたつもりなのだけど軽やかに却下される。
「……だって、恥ずかしい」
本音が漏れた。もう、取り繕うこともできない。
ルイが話すたびにかかる吐息もどうにかしてほしい。だけど、自分から離れるのはなんだか寂しくて。
「………そう」
そうって何?
「えっと、離してくれる気は?」
「嫌だよ。それにエリーも本気で離れたがっているわけじゃないよね?」
ちらりと手のほうに視線を向けられて居たたまれない。そこ、スルーしてほしかった。
「えっと、ならこのまま?」
「そうだね。でも、少し話しにくいからこうしよう」
その言葉と同時に軽々と膝の上に置かれる。
どちらも正面を向いているので直接顔を見ることはなくなったけれど、密着度は上がった。
「ル、ルイ~~」
情けない声で抗議すると、そのままきゅっと後ろから腕を回される。
「これだとしっかりエリーを捕まえておくことができるしね。それに顔を合わせるのを恥ずかしそうにしていたし、そんなエリーを見てたら僕としてもちょっとね」
ちょっと、何?
見上げると、今までにないくらい困りながらも愛おしそうに目を細めたルイが私を見下ろしていた。
向けられる眼差しが、行動が、私を好きだと告げている。
転生を繰り返してきた、今の私に対して向けられる想い。それらが昨夜ぺりっと割れたところからじわりじわりと熱が帯びてくる。
この温もりを離したくないと思った。
向けられるものを大事に受け取ることはしたいし、それらに報いることをしていきたい。
それはルイに限らず、ずっと変わらないままエリザベス至上主義を貫き通してそばにいてくれたマリアにも言えることだ。
私は大きく息を吐き出し、回されたルイの手の上に自分の手を重ねた。
「私には転生の記憶があるの……」
私はそう切り出し、繰り返す転生の話をした。
シモンに問われた時は話すことでどんな影響を及ぼすかわからなかったので濁したけれど、昨夜で覚悟が決まった。
考えたところで向こうからやってくるなら、気持ちの赴くまま周囲とともに楽しく頑張っていきたい。
そして、話すならまず長く友人でいてくれた、待っていてくれたルイに。
どれも十七歳を超えられず、最初は十六歳も超えられなかったこと。
それにはマリアが関わっているらしいけど、直接の原因ではなくて毎回試行錯誤中であること。
十七歳の壁と思われる女性とは、大きな接触は今のところしていないということ。
ルイは静かに聞き私が語り終えてもしばらく考えるように黙っていた。
しばらくするとたくさん話して少し興奮状態にある私をなだめるように、温かく同情に満ちた声音が降りてきた。
「……繰り返す転生、か。エリー、大変だったね」
「そう、だね」
まず労わられ、よしよしと包み込むように軽く身体を揺すられ、私は目頭が熱くなった。
信じてもらえないかもと考えていたことなんて杞憂だとばかりに受け入れられ、ぶわっと気持ちが高揚する。心が喜びと安堵で満ち震えた。
赤ん坊をあやすようにゆらゆらと身体を揺すられて、落ち着いてきた頃にルイが話を続けた。
「何度も同じ時を戻ってもいつも進み方は違い、僕たちとも今回が初めてってことで合ってる?」
落ち着くのに必要な時間と、過去に引きずられすぎない絶妙な優しい間に、私たちが培ってきた確かなものを感じる。
「家族や使用人は当然一緒だけど、私が何をするかで出会う人は違ってきていたから、ルイたちのこともよく知らなかった」
「それはそれですごいね」
呆れを含む声に、自分でも把握できないすべての力が抜ける気がした。
余計なことを考えるのを放棄し、話したいように口を開く。
「だけど、最後はいつも一緒。衝撃はあるけど痛みを覚えていないのは救いと言えば救いなのだろうけど、何度も転生ってお得というよりはもう罰ゲームみたい」
「確かに人によってはやり直しはありがたいことかもしれないね」
「どうしてそうなのかはまだわからないし、マリア姉様のあの愛情をうまく受け止められたら十六歳は超えられるとはいえ毎回奮闘したわ。避けすぎたらさらに愛情深くなったし、受け取り過ぎてもこっちが身動きできなくなるし」
振り返れば、試行錯誤の長い道のりだ。
思い出して遠い目をしていると、ルイがとすっと顎を頭に置いてきた。
「僕自身が経験したわけではないし不思議ではあるけれど、ずっとエリーを見てきたこととマリア嬢の態度で妙に納得している自分がいるよ」
「本当?」
背後にいるルイを見上げると視線が絡み、思わず微笑むとルイも柔らかく笑う。
なんの淀みもなくルイが自分の話を聞いてくれていることが嬉しかった。
「うん。エリーがこんな嘘ついても仕方がないしね。僕は信じるよ。そうなるとこれからが問題になるんだね?」
「今まで十七歳は越えたことがないから」
「余生がどうとか言ってたのもそこに繋がってるんだね。ところで、この話を聞いてもどうして公の場を避けようとしてたのかわからないんだけど。僕たち王族も避けられてたよね?」
「それは、……私なりの理由と、さっきの話とは別に不確かだけど心配していることがあって」
ある程度呪縛のルールがわかってからは、マリアやソフィアの周囲のごたごたに巻き込まれないようにひっそり行動をしていたことを話す。
そしてこれは最後まで迷ったけれど、乙女ゲームの説明は難しいので日本人であった時の記憶のことは伏せることにした。
「今世で頭を打った時に王国に関わる事件で私は無関係でいられないお告げのようなものが降ってきて、転生を繰り返しているし無視できない情報のような気がして」
「確かに、エリーにとって繰り返す頭を打つという行為の時に思い出すものは気になるね」
私の頭打ちが説得力を持たせたようで、ルイが納得してくれた。
助かるけれど、ちょっと複雑だ。
「マリア姉様はある程度は仕方がないとして、もう一人の彼女と、誰がどこまで関わってくるのかはわかないからその周囲の目立つような男の人たちには関わらないほうがいいと考えていて。王子殿下はその筆頭だし、国なんてものに関わるのも不安で」
「…………なるほど」
「ごめんね。ルイが王族だとわかる前の話だから。それで、昨夜のことも含めて王国に関わる事件は本当にあるかもしれないと思って」
昨夜から考えていたのだけど、今までの転生ではヒロインやヒーローっぽい人たちに関わることを極力避けていたから、自分のステージが解放されていなかったのではないか。
これは小説の読みすぎであくまで想像なのだが、そういう展開というか設定? というのもありえなくはない。
だけど、今回の私はルイに出会っている。その前にシモンにも出会っていて、乙女ゲームのヒーローが誰かは知らないけれど王子が入っていないことはないだろう。
あくまで推測の域だけど、エリザベスがすべての王子に関わると物語が進むのではないだろうか。
クリアできない二人の主人公たちに付き合わされて、むしろクリアできないように設定されていて転生を繰り返していた。
友人がエリザベスと関わることでどうたらこうたらと言っていたから、避けるよりは積極的に関係を築くのが正解だったのかもしれない。
そう考えると辻褄が合う。あくまで設定としてだけど。
愛情深いマリアとうまく関係を築けたから、十六歳の呪縛からは解放された。ソフィアとのことはよくわからないけれど、彼女を避けるのではなく知る必要があるのかもしれない。
「昨夜のことだね」
「そう。相手は学園を狙っていたようだけど、私が知らず知らず邪魔をしていたようだし。それを認識されたからには逃げられないと思う」
口に出して話すと、ずぅーんと肩にのしかかる。
「とにかく、予言のようなものや昨夜のことも含め、エリーは危険に巻き込まれる可能性が高いということだね。ひとまず、学園の結界の強化し直しこれからも警戒は怠らない。彼らの使った魔法も今は誠意解明中だから」
「さすがだね。仕事が早い」
「力が集結している王都での出来事だ。みすみす逃すことはしない。テレゼア家も動いてそろそろ情報が集まってる頃じゃないかな」
「そうだね」
我が家はそういったことに特化しているから、後ほど詳細がわかることだろう。
「転生を繰り返していても、今目の前にいるエリーがとても大事だよ。それはきっと僕だけじゃない」
「…………っ」
頭上で響く声。包み込むように手を握られ、頭上に柔らかな感触が落とされる。
──えっ? もしかして? いやいや。
度重なるルイの言動にドキドキしながら、話が続きそうな気配がしたのでそのまま黙り込む。
くすりと笑ったルイは、指に力を込めた。
「様々な葛藤があったと思うしまだまだこれから大変だけど、今、こうして出会えて僕の腕の中にいることが何より尊い。エリーが諦めず頑張ってくれて嬉しいよ」
「尊いって、褒め殺し?」
「ふふっ。昔から木登りだとか探検だとか驚かされてばかりだよ。行動の意味と事情はわかったけれどエリーの本質はきっと変わらないのだろうから、そういった意味でもこれからも僕は少しも気が抜けないだろうね」
「今度は下げてる?」
結局黙ったまま聞いていられず合いの手を入れてしまうが、どれもこれも柔らかに笑って返される。
相変わらず力を込められた手だけは言葉や態度以上にルイの緊迫した心情を物語っているようで、私はこみ上げる思いを漏らさないように小さく唇をかんだ。
「突拍子もないことでもそれがエリーにとって憂いの原因になっているのなら、一緒に取り除く方法を考えたい。だから、信じる信じない以前の問題だよ。エリーがそういうなら、僕はエリーが望むように動く。エリーが大事だというのなら僕にとってもそれはとても何よりも優先させるべきことだからね」
「……ありがとう」
自分の今までの葛藤などあっという間に吹き飛ばし、可能な限り私に寄り添う形で接してくれるルイ。
ふぅと息を吐き出し、私は瞼を下ろした。
いまだにがっちり抱え込むように離されない温もりや、変わらぬ匂いの中に好意さえも感じるようになって頬が熱いけれどひどくリラックスした。
私のことをよく知る人物が、抱え込んでいた話をすんなりと信じてくれて、これからを一緒に考えてくれると当たり前のように言ってくれた。
そのことが今まで一人で奮闘してきた私にとって、どれだけ得難いものか。
まるでじわじわと冷めないお風呂に浸かっているかのように、ずっと温かいものに包まれている気分になる。
どこを向いても冷えきらない気持ちが、今まで以上に力を与えてくれる。
「ルイと出会えて本当に良かった」
「僕もだよ」
心からの言葉に、ふわっ、と心の底から嬉しそうに微笑まれて、不覚にもきゅぅんと胸が高鳴った。
無防備っていうか、取り繕わなくなったから直接当てられて、恋愛どころじゃないと思っていても反則級の笑顔は癒やしと神々しさのミックスで耐えられそうにない。
気持ちは向き合いたいけど、今はきちんとした判断ができそうにない。
ほどほどに頼みますよーと睨んでみたのだが、またにこにこっと笑顔が返ってきた。
わかってるのか、わかってないのか。……まあ、これはわかっててやっているんだろうなぁ。
柔らかな笑顔に騙されがちだが、ルイも結構強引だ。
こういうところは、完璧王子であるシモンと同じだ。化かしあいの最高峰にいる王族っぽい。そう考えると、サミュエルは随分まっすぐだ。
考えがそれたけど、これからは転生など気にしないで邁進していくだけだ。
頑張るぞーと鼓舞していると、緩やかな停車とともにルイがくすくすと笑った。
「エリー、着いたよ。どうやらマリア嬢がお待ちかねみたいだね」
ルイの視線の先を辿ると、カーテン越しにわかる見慣れたシルエット。
接近しすぎでは? 馬車の中にも伝わる存在感が半端ない。
これから心配をかけた家族と対峙だ。そして、本日は誕生日。
これからやることいっぱいだけど、今まで自由に見守ってきてくれた家族との時間も大事だ。特に姉様。
「エリー。出てらっしゃい」
うっそりと馬車の外から聞こえる声。
「ほーら。早く出てこないとどうなるかしら? そういえば、三年前の」
「マリア姉様!? 出ます。出ますから。ちょっとお待ち下さい」
「もう! 早くその可愛い顔を見せてちょうだい。ルイ殿下も着いたのですから、エリーを私に引き渡してくださいな」
「わかってます。開けてくださっても結構ですよ。ほら、エリー」
扉が開くと、仁王立ちのマリアがうふふっと笑って待っていた。
三年前のやらかしがもしかしてばれてるのかなっとちらりと見るが、ずっと目が笑ったままでわからない。
その上、五、四、三となぜかカウントダウンが始まる。
ルイがくすりと笑い先に降りると、手を差し出したのでそっとその手を掴む。
降りると、すぐさまルイと繋がっている手とは反対の腕をマリアに掴まれた。このまま屋敷の中まで行くらしい。
朝からいろいろ濃いけれど、まだ一日は始まったばかり。




