24.ルイの本音
時おりカタッとわずかな揺れを感じながら、私はそろりと横に座るルイを窺った。
馬車のカーテンは閉め切られ、活気あふれる街並みを見ることも構わず、対面に座るはずのルイがなぜか私の横にピタリとくっついている。
それでいて私を馬車の中へとエスコートしてからルイは、ずっとそっぽを向いて黙ったままだ。
戸惑いながらもしばらくはルイの動向を見守っていたが、本来我慢強くない私は黙っていられず話しかけた。
「ルイ、怒ってるの?」
「…………」
「ねえ、ルイってば」
機嫌が悪いことはなんとなく察していたが、さすがに無視はないだろうと私がぶすくれていると、ルイははぁっと溜め息を吐き、ゆっくりとこちらに向いた。
そのまま鼻先が触れるほどの近さまで、ぐいっとルイの顔が寄せられる。不安定な馬車では、少し揺れるだけでもあっさり触れてしまうほどの距離に私は顎を引く。
「ルイ?」
名を呼ぶ声にも戸惑いが色濃く出て、頼りないものとなった。
それに対してルイはもう一度溜め息をつき、近い距離なのでルイの吐息が顔を撫でていく。
──いったい、どうしちゃったの?
この近さだって自分たちにとってはそこまで気にすることもないものだ。
親しみの延長上のスキンシップは立場を考えるとわきまえないといけないことだけれど、それをするとルイがひどく悲しむので幼い頃からのこれらは今では慣れたものだった。
だけど、これはいつもと違う。
私は間近に降りてきた瞳を見上げた。
透き通る瞳はいつ見ても綺麗であり、新緑を思わせる色は見るものを和ませる。ルイの持つ空気と一緒で、見ているだけで気持ちがほっと緩む。
それでいて、意志の強い瞳は王族特有なのか人を従わせる魅力もあり、ルイに視線を捕らわれ強請られると否と言えない。
いつも見守るようにそばにいてくれた友人に意に沿わぬことをされたこともなく、本気で困るような感情をぶつけられたこともなかった。
向けられる視線はいつも穏やかで、私の行動に時たま呆れを見せても常に自分の味方でいてくれた。
なのに、今はうっすらと幕が張っているようで私の知るものとは違って見えて、落ち着かなくさせた。
すりっと意図的に鼻先を擦り付けられる。
覗き込むように視線を合わせられ、その瞳の奥にゆらゆらと揺れる何かが私を掴んで離さない。
ルイはもう一度すりっと鼻を合わせると、はぁっと私の首筋に顔を埋めた。その際に、左腕で腰をぐいっと引き寄せられる。
それと同時にカタッと大きく馬車が揺れ、さらに密着する形になったがそのまま力を緩められないまま抱きしめられた。
「怒ってるよ。だけど、エリーにではない。何の力にもなれない自分に対してだから」
顔を上げず密着したまま、ルイが首元で先ほどの質問の答えをくれる。
ぞわぞわと物理的にも心理的にもこそばゆくなりながら、私はゆっくりと目を瞑った。離れるな、拒むなと告げる腕の力に、泣き笑いのような苦笑が漏れる。
迷った末、自分からもゆっくりとルイの背に両手を回した。
筋力がつきだした背中にそっと触れると、ルイの肩がぴくりと揺れ、ぐりぐりと肩に額を押し付けてきたので、これで正解だったと力なく笑みを浮かべた。
「助けに来てくれたよ。昨夜も時間が許す限りそばにいてくれたって聞いてる。お礼を言いたかったの。ありがとう」
「……………」
ルイは無言のまま小さく首を振った。葛藤が伝わり、私の胸が熱くなる。
彼が動くたびに柔らかな髪がするすると優しく触れ動き、慣れたルイの匂いに包まれた。
その嗅ぎ慣れた匂いに、存在に、私の気持ちはいつも穏やかになれた。
今ではそればかりではなくなったけれど、それでもルイの存在は近づきたくないはずの王子だとわかってからも大きかった。
あの時も、出会ってからずっとそばにいてくれた。
気づけば、いて当たり前になっていた存在。
「ルイ。聞いて。来てくれて、本当に心強かった」
「……………………エリーがいなくなるのは耐えられない」
しばらくしてポツリと零したそれは、ルイの本音なのだろう。
昨夜のことを思い出したのか、心痛を表すようにルイの腕が震える。それでいて、少しも私を離そうとしない。
腹の奥底がぞわりと熱を押し上げ、私は泣きたくなった。
「心配かけて、ごめんなさい」
震えそうになる声をなんとか整えた謝罪に、ルイは首を振るだけで顔を上げる気配もない。
私は伝わりきらない思いにきゅっと唇を引き結び、ルイの頭に頬をすり寄せた。
すかさず両腕で抱きしめられ、ぐいっと胸が押し上げられ重なり合う。
余裕なく求められる仕草に何があっても変わらずルイは自分を見てくれているのだと安堵し、すぅっと息を吸い込み緩やかに吐き出す。
互いに鼓動が伝わることに恥ずかしさはあったが、今は言わなければいけないことがあった。
「ルイ。聞いてほしいことがあるの」
昨夜からずっと考えていたこと。密着することで伴う緊張とは違ったドキドキとともに口を開くと、ルイの肩がぴくりと反応する。
その振動を感じながら、ルイの気持ちを思うと眉根が自然と下がっていく。
──ずっと、ルイに甘えていたんだわ。
自分のことばかりで、本当の意味で周りを見れていなかった。
シモンと話し気づいたこと、ようやくこの世界を受け入れて、折り合いをつけて、まず思ったことはルイとのことだった。
何かあるだろうと感づきながらも言及せずにずっと私の変わった言動に付き合ってくれたルイに、このまま何も言わなないままでいたくなくなった。
今から考えると、時おり向けられる意味ありげな視線や言葉は隠された思いに溢れていた。
繰り返す転生をどうにかしたくて、その思いに囚われすぎて私は気づかなかった。
その間、気にしていただろうけれど、私の気持ちを尊重してそばにいてくれた。
一時は王族であるのに学園に入るのを延期してまで私のそばにいようとしてくれた人。
「……何?」
くぐもった声であったが、はっきりと意思が宿っていた。
回された腕の力が一瞬緩み、そろそろと顔を上げたので私も同様に顔を上げる。
視線と視線が間近で絡まる。
どれだけ近い距離なのだと笑みを漏らすと、釣られるようにルイも笑った。
「ルイが知りたいことと一緒だといいのだけど……」
「話してくれるの?」
「うん。その前に離れない?」
慣れたとはいえ、綺麗な顔が近くにあるのは少し緊張する。
日に日に男らしく成長するルイに性差を見せつけられると、距離も今までのように考えなしとはさすがにいかない。
ついこの間まで自分と体格はさほど変わりないと思っていた腕に、いとも簡単に抱き寄せられている現状では、様々なことに気づいた今となってはそんなことにさえドキドキする。
「嫌だ。どれだけ僕が心配したと思っているの? こうしてエリーを閉じ込めていないと自分でどうなるかわからない。頼むから、もう少しこのままで」
「……でも」
「お願い。もしここで離してしまうと、話している間にエリーがどこかに消えそうで嫌なんだ。知ってた? エリーが遠くを見るとき、そのまま手の届かないところに飛んで行ってしまいそうで、いつもどうやって繋いでおこうかって考えてたってこと」
「ルイ……」
私の頭をそっと撫で、ルイが切なげに訴える。
張り切ったマリアによって美しくセットされた髪型を崩さないための柔らかなタッチは、しっかり触られるよりも神経がそちらに向く。
「エリーが一生懸命だったから、エリーにとってとても大事なことだってわかっていたから黙っていたけれど、実際危険が及ぶようなことになるのなら無理やりにでも聞いておけばよかった。少なくとも可能性を視野に対策を練ることはできたはずだから」
「今回は完全に不可抗力だから」
趣味から派生したものだけれど、勝手に相手が絡んできただけであって私には防ぎようがない。
「僕がどれだけそばでエリーのことを見てきたと思うの? エリーのそういう引きを軽くみないほうがいい。それを今回のことで痛感した」
「うっ……」
「それにあれだけ取り乱して、不可抗力でもなんでも心配するのは当たり前だし、知らなくて後悔するようなことは嫌だ。エリーがつらい目に遭うのも、泣くようなことになるのも、それを近くで支えてあげられない状況を作るつもりはないよ。避けられるのなら、一緒に考えさせてほしい」
静かな声だった。次から次へと溢れ出る言葉に私はじっとルイを見つめた。
吐露される心情に、目頭が熱くなる。
真摯な眼差しが私を射抜く。
じわりじわりとルイの思いが心を満たし、私の眦からぽろりと一雫の涙がこぼれ落ちた。
「……ルイ」
これだけ思われていると知って、我慢させていたのだと知って、自分の罪深さが突き刺さる。
自分勝手なその雫を、ルイはそっと指の背で拭うと困ったように眉を寄せた。
「エリーを守りたい。心身ともにエリーがエリーらしくいれればいいと思っていたけれど、昨夜みたいなことがあるのなら……」
多少強引にでも踏み込みたいという気持ちがずっと止まらないんだと、懺悔するかのように小さな声が続いた。
大事な友人だと言いながら、どこかでゲームの世界だからという考えが、転生を繰り返すことでふわふわとし地に足が着いていなかったことが、ルイを知らず知らずに傷つけていたのだ。
ルイはずっと私を尊重してくれていたのに、それを壊してしまいたいと思わせるほどこんなにも悩ませていた。
彼の葛藤が、さっきの態度に繋がるのだろう。
「ルイならいいよ」
見守ってくれていたルイだからこそ、今の気持ちを知っていてほしい。
自分のことを、今までの行動の意味を、見てきてくれたルイだからこそ知ってほしい。
「エリーの意思を邪魔しても?」
「無理だったら無理だって言うし、大丈夫なら話すよ。お互いを尊重して意見を擦り合わせるのは大事なことだよね? 今までルイばっかりに我慢させてごめんね」
反省とともに気持ちを伝えると、ルイは寂しさと悔しさを織り交ぜた微笑を浮かべた。
いつもの穏やかな笑顔さえも作る余裕をなくさせてしまった事実に、胸がキリキリ痛む。
「なら、知りたい。エリーを失う可能性なんて考えたくない。どんな些細なことでも知っておきたい」
きっぱりとした意思を込めて告げられ、私は神妙に頷いた。
我慢させた分、自分が素直に話すだけでルイの不安が薄らぐなら私の不安は二の次だ。
私に抱えるものがあるとわかっていた上で、見守ってくれていたルイの感情を制御できなくさせたのは今回の事件が切っ掛けであるが、溜めに溜めたさせたのは今までの私の行動のせいだ。
一度吐き出した気持ちは収まりきらないのか、ルイの言葉は続く。
「本当に怖かった。エリーが知らないところで危険な目に遭っていたこと、あんなに怖がっていたのに最初からそばにいてあげられなかったこと。失うかもって思うだけで震えが止まらない」
「でも、助けにきてくれたわ」
「それでも、ジャックとエドガーたちが、そしてテレゼア家の者が来なければ、僕たちは知らないままだった」
「それは……」
仕方がないことだ。常に一緒にいるわけではないので、すべてを把握することは難しい。
だけど、そういうことを言いたいのではないのだろう。否定の言葉も、感謝の言葉も、ルイは望んでいない。
どうしようもなく胸が熱く苦しくなって、一瞬だけ泣きそうになったがぐっと表情を引き締めた。
「私はルイたちが駆けつけてきてくれた時、本当にほっとした。助けがくることは信じていたけれど、今回の相手はあまりにも未知だったから……」
その時の自分の気持ちは伝えなければと言葉を重ねていたが、ルイのつらそうな表情に私は言葉を切った。
「……今回のことでエリーがいない世界なんて考えられないと心底思い知った。出会ってからずっと放っておけなくて、一時も目を離したくないくらいエリーのことが気になるんだ」
「それは何するかわからないから?」
「それもある」
まっすぐ向けられる熱量に耐えきれなくて少し冗談を言うと、こくりと力強く頷かれた。
ルイが普段からどう思っているのかよーくわかったが、茶化す雰囲気でもないので神妙にルイの言葉を待つ。
「僕はエリーの心も身体も守りたい。そのために、どうか僕に君の大事な秘密を教えて。一緒に考えさせて」
改めて告げられた言葉に、ルイの意気込みを感じる。
「ルイ……」
「エリー、こっち見て」
いまだに額を合わせ視線は絡んだままで、吐息は話すたびに互いに触れる。
それなのにさらに見ろと告げるルイ。今日のルイはとことんいつもと違う。
でも、それはルイが本音を教えてくれているようで、さらに心に近づこうとする行為のように思えて、私はこんな時に不謹慎だけど嬉しくなってふにゃりと頬を緩めた。
「エリーったら。その顔反則」
「えっ?」
ふっとルイは目を細めると、腰に回していた腕を私の両頬へと移動させた。逃げる気はないが、逃げられないように固定される。
さっきと角度も近さも変わらないのに、自由を奪われると全神経が目の前のルイへと向かう。
どくん、と鼓動が鳴る。
頬が熱くなる。
──なんで、そんな顔で……。
私を見ているのか。
まだ、私は何も話していないのに、愛おしさを隠しもしない。まるで姉と同じようにその瞳は私だけを映していた。
「エリーを守るよ。ずっと好きだったんだ。まだ言わないでおこうと思ったけれど、エリーは言わないと気づきもしないからね。僕の気持ちがエリーを留めておくことの一つになるのなら、喜んで告げるよ」
「…………」
突然の告白に驚きで目を見開くと、私の反応を予期していたルイは穏やかに笑う。
ここで、私の大好きな笑顔。
「マリア嬢がどうしてあれだけ頻繁に騒ぐのか、ひっきりなしに愛を叫ぶのかと疑問に思っていたけれど、今回のことで少しばかりだけど彼女の気持ちがわかったよ。何よりもエリーが大事だから、伝えないとわからないから、何度でも告げるんだ。二番煎じだけれど、僕も知ってほしい。エリーが好き」
ふふっと、吹っ切れたように告げられ、すりっと長い指で頬を撫でられる。
知っている顔なのに、笑顔なのに、本音をぶつけたルイは清々しく切り替え余裕さえ見せる。全てを包み込むように微笑む男の顔に当てられて、異様に顔が熱くなった。
何か言わなければとはくはくと口を開閉させると、それさえも楽しむかのように頬を撫でられたまま見つめられる。
こくり、と喉を鳴らして、とても大事な気持ちをもらったのだと必死で受け止め考えて、私はやっとのことで気持ちをまとめあげた。
「……その、気持ちは嬉しいけれど、正直恋だとかわからないの。恋愛を意識する余裕がないというか」
「わかってる。もしかして、そういうのもエリーの秘密に繋がってる?」
あたふたとする私に反して、私のことを長年見ていたルイは落ち着いたものだ。
「……そうだと思う」
「急かすつもりはないよ。知っていてほしいだけ。忘れないでいてくれるなら、当分は今まで通りでいいと思ってるから」
「ルイ……」
ルイの瞳が、私の憂いだけを拾おうと覗き込んでくる。
「そんな顔しないで」
「ごめんなさい」
「だから、気にしないで。勝手に気持ちを告げたのは僕だからね。まずはエリーが危ない目に遭わないための話をしたい。エリーが関係ないと考えていても、関係することだってあるかもしれない。その可能性を考えるだけで苦しくなるよ」
自分の気持ちは二の次で、結局は私のために行動しようとするルイの姿に、気持ちを受け止めきれないのに、返せないのに、ひどく切なくなった。
だけど、どうしても気持ちが『恋愛』に向かない。
関係を大事にしたい。好きという気持ちはある。
それは両親や姉にだって、ペイズリーやライル、学園でできた友人、王子たちにだってある。それぞれ向けるものの種類が違うことだってわかっている。
でも、わかっているだけ。
やっぱり、転生を繰り返すことをどうにかしないとその先を考えられないのだろう。
十七歳を迎えたことのない私は、その先の、未来のビジョンがちっとも浮かばない。不器用な自分は、あっちもこっちもと気持ちを振り分けられないのだ。
申し訳ない気持ちはあるものの、こんな中途半端な自分には何も返せない。
私は結局ルイの言葉に甘えた。
「ありがとう。その、今すぐ気持ちに応えられなくて本当にごめんなさい。それでもルイにはこれからもそばにいてほしいと思ってる。話を聞いてくれますか?」
大事だからこそ、今までそばにいてくれたルイには聞いてほしい。知ってほしい。
そんな思いを込めた私の気持ちを正確に汲み取ってくれたルイは、ゆるりと微笑んだ。
ふっと目を細める仕草はいつものように穏やかで、それでいて今まで見せなかった男性的な色香が滲む。
私は圧倒された。
何せ、いまだに密着しながなのでもろに食らってしまった。
──これのどこが今まで通り!?!?
隠さなくなったルイは言葉通り私に急かすつもりはないだろうが、出したからにはこれからも隠すつもりはなさそうだ。
先行きが不安だ。やっぱり王子スペックすごすぎない?
大事な話をする前にルイの色香に惑わされないようにと、当初の決意とは若干違う気合を私は入れたのだった。




