22.前触れ
私が驚き固まっている間に、王子たちは機敏に動く。
私の状態を見て眉根を寄せながらもほっと息を吐き出し、即座に状況を判断した彼らの動きは見事だった。
「ルイ」
「わかってる」
「任せた」
シモンがルイの名を呼ぶとルイは言葉とともに頷き、サミュエルがルイの肩を叩く。
それを合図に一番早く動いたのが、大型動物に乗った双子のジャックとエドガー。
私を守るように駆けつけると、シモンとユーグとその護衛たちが、黒包帯男と対峙する。
サミュエルとルイが、転がったままのニコラとマリアへと駆け寄り、彼らの身体を起こした。
「お前、メーストレか。大丈夫か?」
「こっちは大丈夫。それよりもエリザベスちゃんのほう」
「ああ。後ろに下がってろ」
サミュエルはニコラの拘束を解くと、ちらっと私のほうを見てシモンたちに加勢すべく彼のほうへと行く。
「マリア嬢もご無事ですか?」
「ええ。私は大丈夫ですから、エリーをお願い」
「わかってます。ラングル、彼女をお願いします」
「わかりました」
「頼みましたよ」
ルイが近くにいたマリアを起こし袋から出し近くにいた護衛に指図すると、すぐに私のところに駆け寄ってきた。
「エリー。心配したよ」
ジャックとエドガーに袋から出してもらい、大きな動物たちに心配するように、ベロベロ、すりすりと懐かれていた私は、ルイにぎゅっと抱きしめられた。
『キュッ』
『リリン』
そんなルイに文句を言うように大きな動物は唸ったが、しぶしぶルイに場所を明け渡す。
その聞き覚えのある鳴き声にもしかしてと思ったが、それどころではない。
まるで手を離せば消えるのではないかと思うほどの力で抱きしめられ、その苦しさが『今』ここにいる証みたいでほっとする。
「ルイ……」
「エリー。気持ち悪いところとか痛いところはない?」
「ん、大丈夫」
「本当?」
「みんなが来てくれたから。心配かけて、ごめん」
ルイ、そしてジャックとエドガーに伝えると、彼らはふるふると首を振った。
「当たり前だよ」
「無事でよかった」
よくよく見ると、双子はスラックスにシャツ一枚と寝衣姿だ。
王城にいたはずの彼らがどうしてここにやってきたのか疑問であるが、慌てて駆けつけて来てくれたようだ。
「エリー」
涙目になって訴えてくる双子に同じく涙ぐみそうになっていると、ルイに呼ばれ今度は両頬に手を這わされる。
そっと触れられた手の冷たさに驚き、見上げた先のエメラルドの瞳に囚われる。
いつもの優しげな空気は一掃され、じっと私の瞳を覗き込んでいたかと思うと、コツンッと額を合わす。
ルイはすりっと一度左右に首を振り擦り付けるように動いて、はぁっと息を吐き出した。
「……生きた心地がしない」
小さな小さな呟きが、吐息とともに私にかかる。
抱きしめられたルイの腕は震えていて、空気に紛れるようなその呟きの温もりに、私はようやく心の鎧を解いた。
「ルイ……」
「うん」
「……こわかっ、た…」
「うん。よく頑張ったね」
その言葉が、胸に、落ちた。
「……んっ、こわかった」
「うん」
「こわっ……」
「エリー。もう大丈夫だよ」
「……っ」
自分でははっきり声を出したつもりであったが、その声は喉に張り付いたように擦れていた。身体は正直だ。
怖かったと繰り返す私に、瞳を覗き込み大丈夫だと優しく頷きぽんぽんっと背中を叩かれまた抱きしめられる。
いつの間にか自分より大きくなった手に優しくなだめられ、私は抑えようと思っていた涙が流れ、「ひくっ」っと声が出た。
自分でも制御できない感情に、くしゃっと顔を歪ませる。
ルイの、王子たちの姿を見て、助けを確信して、ガチガチに固めて守っていた殻がぺりっと剥がれてしまった。
今までの法則で頭を強く打たないと死なないとわかっていても、今世は違うことも多く絶対ではない。それに怖いものは怖いのだ。
圧倒的に不利な状況に体格差。そして未知の力。
マリアとともに私がさらわれた時に、すでにテレゼア家に伝わる独自の魔力操作で自分たちのピンチは伝えていた。
一人ではないことで心をもたせていたが、必ず助けがくることはわかっていても、本当はそれまで気が気でなかった。
まだ、完全に脱したわけではないけれど、拘束は解かれ、マリアもニコラも無事だ。
張り詰めていたものがじわじわと違うものに変わっていき、身体の強張りがなくなり今度は力が入らずくたりと全身をルイへ預けた。
「エリー!」
すかさずルイの力強い腕に抱かれる。先ほどよりさらに遠慮なくがっしり抱きしめられ、身体と身体がぴったりとくっつく。
ルイの優しく爽やかな香りが私を包み込み、トクトクトク、と自分よりも速いルイの心臓の音にほうっと息を吐き出した。
ルイの温もり、眼差し、ジャックとエドガーの心配そうな瞳。そして、大きな動物が私のそばを離れずそばにいる。
シモンとサミュエルは私たちに恐怖を与えた黒包帯男と対峙している。
登場時に心配そうな眼差しを見せたが、私から遠ざけるべく問題と対峙してくれていた。
マリアがずっとぴとっとくっついてくれたこと。変わらないままいてくれたこと。どれだけ心強かったか。
心配して探してくれたニコラを巻き込んでしまったが、それぞれが繋がりここにいる。
『ひとりではない』
守られている。心配してくれている人がいるだけで強くなれるようだ。
私は体重を預けたまま、そっとルイの背に手を回した。
「……ありがとう。もう大丈夫」
そう告げると、ルイはじっと探るように私の瞳を覗き込みながら、私の頬をそっと撫でる。
「…………絶対離れないで」
「うん」
それだけで私がどうしたいのか理解したルイが、諦めたようにふっと笑みを漏らした。
「離さないから」
「……うん」
息がかかるほどの近さと離さないとの言葉にドキッとしたのを、内心に隠して頷く。
「………では、その言葉通りにね」
もう一度、ふっと息を吐いたルイが、ぐいっと回した手に力を込めて立たせてくれた。
その際に、首や手首に視線をやり思いっきり眉を寄せたが何も言わずに黒包帯男から守るような立ち位置で、シモンたちとの状況が見えるように私を支える。
正直、一度弛緩した身体は力が入りにくく、それに気づいて何も言わずに手を差し伸べてくれるルイに感謝だ。
捕物は終わり、残るは中心の男二人。
細身の男の周囲にはいまだに黒い闇が沈殿し、男たちを警戒しながらこちら側の者が取り囲んでいた。
しん、と空気が張り詰めたなかシモンが怒気を含んだ声を発した。
「さて、あなたたちの目的はなんでしょうか?」
「さあ。予測はついてるんじゃないのかな?」
細身の男はひょいっと肩を竦め、面白そうに口端を上げて続けた。
完全に不利な状況だというのに、男に焦りは見えない。くっと楽しげに笑い、シモンを見据え言葉を続ける。
「まさか、あなたたちが総出で助けにくるとは思わなかった。王城にいるはずの双子王子に、その不思議な動物。最初はイレギュラーが多すぎて腹が立ったけれど、これはこれで有益な収穫だよ」
その言葉に誰かが小さく息を呑む音がしたが、それが誰かと認める前に、サミュエルの目がぐっと見開かれた。
「結界に影響を及ぼしたのはお前たちか?」
「…………はぁ。影響? あんなもの影響のうちに入らないだろう。それにしても、王立と名乗る機関の結界に不備が出るとは驚きだな」
「ふざけるなっ」
サミュエルが研いだ刃を突きつけるように男に向かって声を上げる。
男は深く、深く溜め息を一つ吐き出すと、小さく肩を竦めた。
サミュエルのセリフと男の小バカにした言い回しに、ようやく彼らが何をしたのか、したかったのか見えてきた私は血の気の戻らない顔をさらに白くした。
──こ、これって、国が絡んだ大捕物系? その前触れ?
十六歳手前なんだけど、もう???
私はルイに支えられながら、心を落ち着かせるように深く深呼吸した。
隣には、言葉通り離さないとばかりに私を支える腕を離さないルイがいる。たまに私を気遣うように視線が向けられるのにも気づいていた。
ルイの震えを思い出す。これ以上心配かけるようなことはすべきではない。
今考えるべきことは、男たちの目的。
あの、実みたいなモノで結界に綻びを入れようとし、私が半分ほど拾ってしまったから、少ししか影響を与えることができなかった。
結界の綻びとは不穏すぎる。
黒包帯男が言うように、結界が破られていたら学園だけの問題ではすまない。国の問題、防衛に関わってくる。
ランカスター国は世界の中で見てそこまで国土は広くなく、二つ隣には軍事国家のガザンビラ帝国という大国がある。
虎視眈々と軍事金となる土地の侵攻を狙っている帝国が、国力豊かなこの国に攻めてこないのは、この国の魔力保有者の多さによるところも大きい。
つまり、簡単に狙えないほど魔力があるということは強みである。そのため、国をあげて人材の育成を行っている機関がこの学園なのだ。
「ふざけるな、ね。こっちはとても真面目なんだけど」
「へえ。真面目ねぇ。いいです。その真面目なものとやらは後でしっかり話を聞くことにします。あなたたち以外はすでに捕獲していますから」
淡々とシモンの声がひどく冷たく響いた。
ドアの前に立っていた男も拘束され、外ではもう物音はしない。残りは細身の男と大きい男のみ。
「そうなんだ? さすが権力を持つ者はやることが早い」
それに対して、細身の男は煽るように酷薄に唇を緩める。
私はじっと男を見つめた。
違和感ばりばりの掠れた声も、その漆黒の瞳を前にしたら大して気にならない。
見れば見るほど、その眸は空虚のようにぽっかりと無が広がっている。吸い込まれたら最後、永久に彷徨い迷う闇に放り込まれそうだ。
そこに、男の大胆な行動に、何があるのか。
私は眉根を寄せた。
わかることは、男はこの国というもの自体に不満を持っていること。うっかり軽率な言動をしたことによって垣間見てしまったが、あれが男の本音なのだろう。
対峙していて思ったが、身分がある者を男は憎んでいる。身分でいったらこの国の象徴である王族なんて最たるものだ。
男の言葉にシモンよりユーグがぴくりと反応したが、シモンがゆっくりと手を上げてそれを制した。
「それで、このまま大人しく捕まってくれる気はあるのでしょうか? 騎士たちに無駄な労力をかけさせたくないんですけどね」
「無駄かどうかはやってみないとわからないと思うけどね」
くすくすと黒包帯男が笑う。
その余裕ある態度に、私は不安になる。大きい黒包帯男も焦った様子もなく細身の男より半歩後ろに立っている。
本来なら、上の者を守るように動くはずが下がっているのに引っかかる。
しかも、あれだけ話していたのに一言も今は言葉を発しない。何か算段があるのだろうか。
「大人しく捕まっておけ」
サミュエルが、持っていた剣を予備動作なしで一閃した。だが、それさえもするりと一歩下がり男たちはかわす。
それを合図に彼らの護衛たちが一斉に獲りにかかるが、男の右手が無造作にひるがえった。
ころりと小さな音を確認する間もなく、周囲をさらに闇が包み込んでいく。
物体は確認できなかったが、実みたいなモノを投げたのだろう。いったいいくつストックしているのか。
「残念。今日は分が悪いので撤退」
男はちっとも残念そうではなく、すっと流すように私を見た。
もやもやと男の周囲の闇が濃くなっていく。
仕組みもよくわからないが私にその効果を消すことができるのなら、男はその効果を増長させられるのかもしれない。
そこで私ははっとした。
慌てて駆けつけようとしたが、それをルイに止められる。
「エリー。じっとしてて」
「……でも」
このままではよくない。彼の力に対抗できるの私が出るほうが、彼を止める確率が上がるはずだ。
そう思ってルイを見上げるが、腰に回されていた手は私の手を掴みぎゅっと拘束され、左右に首を振られただけだ。
そのやり取りを見ていた男が、不気味な影を伸ばし目の形だけで笑う。
「そう。君は大人しくしていてね。ここでこれ以上のことをしようとは思ってないから」
「逃げる気ですか?」
場を荒らすだけ荒らして撤退宣言する相手に、私は咄嗟に言葉をぶつけた。
そこで男は暗い愉悦に唇を歪める。
「エリザベス・テレゼア。必ずまた会うことだろう」
「…………っ」
漆黒の瞳が逃さないぞと私を射抜く。
二度と会いたくないが、力が対抗するものとして互いに認識してしまった以上、相手が企みを止めない限り避けては通れないのだろう。
公爵家の娘としてのエリザベス。王子たちの友人としてのエリザベス。光保持者の可能性があるエリザベス。そして、ゲームの強制力とやら。
わかりやすい自分の立ち位置と男の視線の鋭さに、私の肌がぞくりと粟立った。
腰に回されていたルイの腕の力が強くなり、すぐさま男から私を完全に隠すように前に立つ。
ちょっと痛いくらいの手の強さに身じろごうとして、寸でのところでやめた。
後ろから見るルイの背中は静かに怒っていた。少しでも私が動くこと、相手に顔を見せることは許さないと縫い止められる。
ルイの顔は見えないが、その普段は見せない余裕のなさと鋭い空気に目眩がした。
常にない低い声で、ルイが言い放つ。
「次はない」
「ははっ。穏やかで有名な第三王子にしてはひどい顔だな」
「彼女を傷つけておいて、逃すと思うか?」
「ははっ。思うも何もあんたたちは何もできないからね。ほんとに、そろそろ退出しないとこっちもやばいからおしゃべりはおしまいだ」
「ちっ」
サミュエルがあからさまな舌打ち、男たちに向けて火を放つ。
「もう! ここまで届かないとしても熱いからやめてほしいな」
「熱が届くなら、そのうち届くだろ」
「はっ。そうかもしれないけど、今は無理だね」
「やってみないとなんでもわからないだろ?」
「ま、そうだけど。やすやすと待ついわれもない」
「そりゃそうだっ!」
話しながら、サミュエルはぶつぶつと口の中で詠唱を唱え、次々と繰り出していくが闇の前ではその火は届かない。
「待てっ!」
秀麗な顔を険しくたシモンが水の攻撃を放ち、サミュエルが剣に炎を纏わせ斬りかかる。
だが、その攻撃は空を切り、男たちには当たらない。ゆらゆらと実態がゆらめき、掠めることさえできない。
護衛たちが魔法を放ったようだが、それもすべて吸い込まれるように消えていく。
空間に吸い込まれるように、二人が徐々に消えていく。
闇ってそういうこともできるの? 原理がわからない。
それに、ここにきて魔法が幅を利かせてるんですけど……。
生活の補助的じゃなかったっけ? 闇だから特別? もしエリザベスが光保持者設定だったら、対抗するのは私?
少なくとも、相手は私をそういうふうに認識した。
『どのルートもヒロイン、ヒーローたちが彼女を気にかける言葉が出てくるの。しかも、王子は出てくるけど誰とも結ばれないし。そんなのあり得ない。だから、王子ルートは彼女なんだよ。しかも、国も絡んだ大捕物とか美味しいイベントもりだくさんあるはず。二人の主人公も見かけによらずなかなかしぶとくて面白かったけど、さらなるそれはもう神すぎてキュンキュンものだよ』
日本人で高校生だった時の友人の言葉がこだまする。ここで友人の言う彼女とは私のこと。
あ、ありえない。
さっきもちらっと考えたことだけど、国も絡むイベントってこういうこと?
えっ? さっきの苦しかったし、前哨戦って感じで何か始まったようだけど、対峙する側は何も楽しくない。
これのどこにキュンの要素が? 神すぎてっていうのがゲーマーではなかったからわからない。
ああ~、勘弁して。
今世を気持ち的に受け入れたら、速攻イベント発生とか困る。
乙女ゲーム的にはイベントなんだけど、こっちとしては深刻なわけで……。
「エリー!」
ぎゅっと腰に回るルイの腕に支えられたまま、私は目眩を感じふらりと意識を飛ばした。




