side双子王子 恐怖の夜 前編
時は少しだけ遡る。
エリザベスたちが監禁されているその頃、王城では異変が起きていた。
月夜が冴え冴えと美しい。
その姿を写し取った湖に映る光は幻想的で、それは音など無粋だと思うほどの、しん、と静かな夜だった。
朝から講師による勉強に、魔法や剣術の練習。その後は全力で身体を使って弟と遊びまわったジャックはいつものようにぐっすりと睡眠を貪っていた。
これでエリザベスに会える日はさらに絶好調。彼女といると時間が経つのがあっという間で、いろんなことが新鮮で楽しい。
残念ながらここ数日会えていないが、兄に連れてくるように催促しているのでそろそろ会えるはずだと、その日が楽しみだなと寝台に入って数分後、小さな寝息が聞こえ出した。
スゥーピィー スゥーピィー
心身ともに健康的な日々。時間になったら眠くなって、いつもの起床時間まで起きることは滅多にない。
活動的な双子は起きているときも天使のような容姿に振る舞いだが、寝ていればさらに天使度がアップ。
金の髪はさらさらで、瞳が閉じられ薄く開いた口はあどけない。眠ると幼さが残る輪郭が際立ち、そこにいるだけで見る者に微笑を浮かばせる。
それは隣の部屋で眠るエドガーも同じだ。
上を向いて眠るジャックとは違い、エドガーは少し丸まって小さく寝息を立てていた。そして、たまにごそごそと寝る方向を変える。
昼間は兄のほうがよく動くが、夜はエドガーのほうが動く。
容姿も言動も好みもそっくりであるが、すべては同じではない。
そっくりな双子を見分けるのはごく近しいものだけだが、年齡を積み重ねるごとに少しずつ差異はでてきた。それでも、とっても仲が良いのは変わらない。
その日はシモンの双子の兄弟、ジャックとエドガーにとって、いつもと変わらない日であった。
だけど、この先決して忘れられない日となった。
まず、兄のジャックのほうであるが、ふと夜中に目が覚めた。
目を開けるとまだ周囲が暗いことに首を傾げ、自分でも珍しいなと思いながらなんとなく下腹に水分が溜まっていることに気づいた。
エドガーが止めるのも聞かないで、寝る前に調子に乗ってジュースを飲みトイレに行きたくなって目が覚めてしまった。次からは気をつけよう。
目が覚めて下腹を意識したからには出したくなったので、面倒くさいが行っておくかとジャックは寝台から足を下ろした。
ぽてぽてぽてと覚めきらない身体を動かし、数歩足を進めたところで違和感を覚えて立ち止まる。
「…………?」
なんとなく肌寒く感じて、腕をさする。
そういえば、一人で寝るようになってから夜中に目が覚めるのは数えるほどだと気づき、途端になんだか怖くなってきた。
シーンと静まり、人の気配がしない夜中。
正確には夜勤の護衛はいるのだが、緊急事態ではないと姿は見せないし訓練された彼らは物音一つ立てない。
いるとわかっていても、いるかいないかわからない気配のなさにジャックは心細くなった。
だけど、そんなことでいちいちビビる自分というのも許せなくて、気にしないぞとまた歩き出そうとしたその時、ふと違和感の正体に気づいた。
「あれ? こんなに暗かったっけ?」
窓から多少は外の光が入り込むはずなのに、部屋にうっすらとついている常夜灯の光だけしか感じられない。
だからか、と納得しかけて立ち止まる。
「えっ? やっぱりおかしい?」
なんで? と思考が動き出し慌てて窓へと視線をやり、ジャックは、「ぎゃぁぁぁぁー」と声を上げた。
「えっ、何? なになに?」
窓にはべったりの綿? ん? 暗くてよくわからないが白っぽいものが一面広がっている。
それが、ジャックが声を上げたことで激しく動きだしたのだ。
ガタ、ガタガタガタガタガタガタ
少し遠くで、コツ、コツコツコツコツコツコツという音まで聞こえてくる。
それは次第に窓を割ってやろうとばかりに、ガツガツガツッと叩きつけるような動きになった。
ありえない。防御魔法で攻撃に強いはずなのに振動するなんて。
ガタガタ、コツコツ。ガツガツ。
夜中に得体の知れない音は恐怖でしかない。
ましてや、ジャックの隣にはいつもいる双子の相方はいないのだ。
日々頑張れるのも、いたずらを楽しめるのもエドガーがいるから、安心できる相棒がいるから堂々としていられる。
ジャックは一気に心細くなった。
「えっ、何? なんなんだ?」
声を出さないと冷静でいられない。
ジャックが見ている前で、綿みたいなのが少し離れたと思えば、バシンバシンと体当たりするかのように打ち付けてきた。
「うわぁぁー」
明らかな意思を持った動きに、いつでも魔法を発動できるように右手は構えた。
ジャックの魔法属性は土。壁を作って万が一の時には防御くらいにはなるはずだ。
部屋には、そのために上質な土を運び入れている。日々の鍛錬のためでもあり、こういう時のためでもある。
緊張したなか、それはまた離れたかと思うと、ムギュゥっと大きな肉球が窓にへばりつきミシミシッと窓にヒビを入れた。
「うわっ。ちょ、本当なんなんだ!?」
一歩後退り、怖いもの見たさでそこから視線を外すことができない。
ぽにょんとしたピンク色の形は動物の肉球みたいだったが、いかんせん大きすぎる。その先に見えたぐいんと伸びた爪は鋭い。
肉球がぐにゅうっと力一杯窓を押し、ミシミシと音をたて亀裂が入ると早かった。
それを認めたと同時に亀裂はあっという間に広がり、バリンッととうとうガラスが割れる。
大きなそれはやっぱり生き物だった。
ぐりんと金の瞳がジャックを認めるとぐいぐいっと頭を入れ、こっちに来ようとしている。
「はっ? ちょ、こっち来るな」
王都、しかも王城でこんな生き物を見たことがない。
明らかに気配が違う。汚し難い高貴な気配をまとい、月の光に照らされた毛並みはきらきらと光っている。
ついでに割れたガラスもきらきら光っているが、どれも細かく散って獣は怪我した様子もなかった。
そこでジャックはふと思った。これは、もしかして噂に聞く聖獣だろうかと。
聖獣がいるとされてはいるが己の周囲で見たと聞いたことはないし、もし森に生息していたとしても、彼らは人と交わるのを好まないとされている。
自由を愛し、人とは別次元のもの。
目の前にある生き物はあきらかにジャックに用事があるのだと、金の目玉はジャックをロックオンしていた。
その巨体をどうやって窓から入れるんだと獣のすることを見守っていると、頭さえ入れてしまえば猫みたいに器用にするりと入ってくる。
あっけにとられて呆然としているジャックと視線が合うと、ぴょんっと躍動して飛びかかってきた。
「うわっ!」
「ジャック殿下!?」
驚き魔法を発動させることも忘れて顔を両手で庇うと、異変を感じた護衛たちが部屋へと入ってきた。
シュッと剣を抜く音がして、自分を守るように取り囲む。
「この生き物は?」
「殿下、大丈夫ですか?」
「下がっていてください」
口々に言いながら、警戒して獣を睨みすえ剣を向ける。すると、
『キュウゥ』
その巨体に似合わない可愛らしい鳴き声が聞こえ、ジャックは慌てて彼らを制止した。
「やめろ」
護衛は攻撃するのをやめたが、庇うよういジャックの前に立つことはやめない。
その背に守られながら、ジャックは目の前の人一人軽々と乗せられるくらい大きな生き物を見た。
「もしかして、キュウ?」
そう問うと、ジャックの知っているキュウとは程遠い生き物はそうだと長い尻尾を振った。
「おまっ、尻尾なんてあったんだ? みんな、大丈夫。森の生物だ」
『キュッ』
周囲の護衛をなだめ、一歩前に出る。危ないですのでと止められたが、手を上げて制止しさらに近寄った。
獣は攻撃してくる様子もなく、こてりと首を傾げる。
キュウはハムスターみたいに丸っこくて尻尾もぴこっとついていただけなのに、今目の前にいるのは明らかに白虎。どこをどうしたらそんな変化になるのか。
ハムスター系だと思っていたのがネコ科? もしかして太りすぎだった? いや、そんなレベルではない。
手に乗るほどの大きさだったのが、人をも乗せるほどの巨体になるとは、生命の神秘と片付けるにはおかしいことが起こっている。
共通項はもふもふと色だけ。
そこで、ふとジャックは最後に会ったエリザベスの言葉を思い出した。
キュウとは固体名ではなくて生物名だということを知ったエリザベスは、なら名前をつけなくてはと張り切っていた。
彼らはすっかりエリザベスに懐いているので、森に顔を出すと必ず自らやってくる。
もしかするとこれもエリザベスの仕業かもしれない。
伝承によると、主人を見つけた聖獣に主人が名をつけると神力が増して成長するらしい。
あくまでも推測であるが、エリザベスが絡んでいるとなるとあり得ない話ではないなとどこか納得している自分がいた。
目の前の獣に敵意は感じないし、キュウかと聞いたら『わかってくれたっ』と嬉しそうに尻尾を振られてはほだされる。
「キュウなら、どうしてこんな夜中にそんな登場の仕方なんだ?」
窓割るとか、急な変化とか。こっちは心臓止まるかと思うくらいビビった。
尋ねると、ペシッとばかりにキュウが大きな右手を床に置いた。
「????」
ペシペシペシ、と何度も前足を上げて床を打ち付ける。
お手じゃないよな。まっすぐにこっちを見て、ペシペシと何かを訴えているようなのだが、前足を上げ下げするたびに風が舞う。
──意味がわからないんだけど?
大きい図体のわりに、やることが可愛い。キュウだとわかると、余計に可愛い。何、その大きな手を打ち付ける仕草。
可愛いだけでやっぱり意味がわからないなと、ジャックは首を傾げると、目の前の獣はタシタシペシペシと手と尻尾を激しく打ち鳴らした。
「何?」
ペシペシペシペシ
タシタシタシ
『キュゥ、キュウ』
可愛い鳴き声を出すと窓を見て、またペシペシペシ、タシタシタシと床を打ち付けた。
*
同時刻、エドガーは隣の部屋からジャックの叫び声が聞こえて目が覚めた。
それと同時に、コツ、コツコツコツコツコツコツという音が自分の部屋の窓から聞こえ、一気に目が冴えた。
目を凝らし窓のほうを見ると、暗い中、尖った何かが窓を割る勢いでコツコツコツと鳴らし、ときおりこちらの様子を窺おうと丸い目ん玉がこっちを覗き込む。
「動物? 鳥?」
それにしては全体像が見えないのはどういうことだ。
あの尖ったものが嘴だとしたら、体の大きさを考えるとやばすぎだろう。
コツコツコツコツ、コツコツコツコツ
地味に同じところを突いていて、窓を割ろうとしているのだろうか。あっ、ひびが入った。
そもそも、王城の結界に危害を加えられるほどの力。
単純に大きさだけでなく、その存在自体に特別な力があるはずだ。
ちょっと(名誉のために)ビビっていたジャックとは違い、エドガーのほうはわりかた冷静に物事を見ていた。
普段から思ったら即実行の双子の兄について回るため、面白いと思った提案には乗るがそのあと慎重に吟味しフォローするのはエドガーのほうだった。
ジャックは決めて行動するまでは早くそれも終えたら満足してしまうため、その分考える癖がエドガーには付いている。
「エドガー殿下、こちらにも物音が。大丈夫でしょうか?」
「うん。今のところはだけど。ジャックのほうも何かあったようだね」
「はい。えっと、こちらは」
「うん。大きな生き物だよね。鳥、かな? なんとなく、危害は加えられないとは思うのだけど、どう思う?」
護衛たちが数人やってきて、エドガーを守る陣形を組みながら窓辺を見る。
「……割って入られるのも時間の問題のようですね。もう少し下がっていてくださいますか?」
「うん。ジャックのほうは大丈夫かな?」
「そちらも数人ついておりますので、必ずお守りいたします。現状はこちらのことが解決次第、確認いたします」
「うん。で、もうあれは破られるよね。あっ!」
目の前でコツコツと突いていた嘴が、ゴツッという音を立てて窓に突き刺さったまではいいものの、どうやら抜けなくなったらしい。
バサバサバサッと激しく羽を動かす音がする。
「………………」
「………………」
「……あれって」
「どうやら、抜けないようですね」
すっごい必死でバサバサしてる。足でゲシゲシ窓を蹴っている。
それでもずぼって刺さったまま抜けず、エドガーのほうに向かって突き出ていた。
「………………」
「………………」
「…………ちょっと」
「間抜けですね……」
夜中の侵入者のあまりな現状に、護衛とともに哀れんでしまう。
なおも一生懸命脱出しようとしていたが、自分の力ではどうにもできないと悟ると、しまいにはキュルルルルッとした瞳でこっちを見てくる。黒に星が瞬くような光が散らばった夜空みたいな瞳だ。
「………………」
「………………」
「……助けを求めてる?」
「そうみたいですね……」
「なら、助けてみる?」
「殿下はここでお待ちください。我々でやりますから」
「わかった」
護衛たちが警戒しながら嘴のガラス部分を割ってやると、解放されたそれがバサバサと羽ばたき中に入ってきた。
「うわっ」
「殿下」
あまりの早業に慌てた護衛の言葉を尻目に、目の前に止まったそれは行儀よくエドガーの手前で止まる。
『リンリン』
可愛く鳴くと、危害は加えないよと羽を折りたたんだ。鈍臭いけど頭はいいらしい。
「もしかして、リンリン?」
『リン』
そうだというように、小さな返事が返ってくる。
「リンリンなんだ。とても大きくなって……」
つい最近まで手乗りサイズだったんだけどな。大きくなるのレベルの常識が付いていかない。
頭には立派なトサカみたいな羽と、尻尾のほうにも綺麗な羽が流れるようについている。こういう鳥の絵を見たことがある。伝説だと語られている不死鳥みたいだ。
よくエリザベスの肩に乗って、どこに行くにもエリザベスがいるとついて回っていたリンリンもちょこっと頭に光の当たり具合で色が変わって見える綺麗な羽がついていた。
いきなり立派になりすぎて、鳴き声を聴かなかったらわからなかった。
「それで、こんな夜中にどうしたの? もしかして、ジャックのほうに行ったのはキュウ?」
尋ねると、こくんと頷くように頭を下げる。
なるほど。危害は加えられないようだけど、それぞれを見つけた自分たちのところに来たということは何か意味があるのだろう。
「じゃ」
これはいろいろ質問して何か要望あるのか聞かねばと口を開いたその時、リンリンは前に一歩近寄ってきて油断していたエドガーをツンツンとつつきだした。
そこに、隣からジャックが駆け込んでくる。
「エドガー。すっごいおかしなことになってる。助けて」
「わかってる! えっ? それがキュウ?」
地味な痛さに涙目になりながら、侵入者に目を見開く。
こちらも想像以上の成長具合だ。成長というよりは個体が違うと言われるほうが納得する。
「そうそう。尻尾とかおかしいよね? キュウって言われても、はっ? って感じだよね。もう僕一人では処理仕切れない」
「まあ、信じられない変化だね。大きさもだけど」
ジャックが慌てるのもわかる。
「そうなんだよ。そっちはもしかしてリンリン?」
「そう。こっちもえらく大きくなったみたいで」
「へぇー」
「というか、なんで、うわっ。ちょっ、痛いって」
白虎に追いかけられたジャックが助けを求めるようにエドガーを見ながら話しかけてくるが、こちらはこちらでつつかれだしたところだ。
後ろの白虎。あれがキュウ? と似ても似つかなにキュウの姿を思い浮かべながら、迫り来る彼らの気迫に押され思わずエドガーはジャックたちから逃げる。
すると、ツンツンとリンリンが追いかけてくる。
「うぎゃぁぁぁー、こっちくるなー」
「はぁ? なんで追いかけてくるの? 痛い、痛い痛い」
テシテシテシテシ
ツンツンツンツン
しばらく部屋で追いかけっこをしていたが、追いかけてはくるがツンツンとテシテシ以外の危害は加えないようなので、二人は視線を合わせ意を決してその場に停止した。
すでに地味な被害は受けているが、危害ではないはずだ。そう信じて向き合う。
「もう、怖いからやめて。話があるなら聞くから」
「そうだよ。痛いしやめて。何か言いたいことがあるんだろう?」
そう告げると、キュウは逃げるなと二人に尻尾を巻きつけて、リンリンが後ろを向いてふりふりとお尻を振りだした。
「…………」
「…………」
今度は尻ダンス。
何がしたいのかと怪訝な表情をしていると、護衛の一人がもしかしてと口を開いた。
「その尾の色を見ろということですか?」
護衛たちは侵入者が伝説の聖獣の可能性もあるとみて、行く末を見守っていた。
大きな生き物は殿下を慕ってやってきたようだと判断したので、警戒を解かないままおかしな行動の連続に戸惑っていたが、ふと、リンリンの尻尾の綺麗な色味に思い立った。
「もしかしてエリザベス?」
「えっ? そういえば、瞳の色と一緒だ」
美しい紫の瞳と同じ、尾の先はエリザベスと同じ色味をまとっていた。
二人がそれに気づくと、リンリンは正解とばかりにきゅっとお尻を上げて見せた。そして、ばさっと羽を広げると、乗れと足を折った。
その横で、キュウも伏せするように背中を見せる。
「もしかして、エリザベスに何かあった?」
「そうなの?」
尋ねると、『キュウ』『リン』と二匹は鳴く。
そもそも、二匹はエリザベスがいる時以外姿を見せない。そんな彼らが彼女がいないのに姿を現したことが答えではないか。
そこまで考えると二人の決断は早かった。
「エドガー」
「ジャック」
「「行こう」」
そうやって、二人は二匹に連れられるまま学園へと向かうと、兄のシモン、ルイ、サミュエルたちと合流して、拉致されたエリザベスのもとに駆けつけた。




