20.実の実態
布袋の中で背筋を正すと、ぴったりとくっついたマリアがこくりと息を呑んだので、安心させるように私は小さく微笑んだ。
先程までの姉の言動もヒヤヒヤしたけどなんとなく目的はわかっている。姉が時間稼ぎをした分、今度は私が頑張る番だ。
「で、趣味だったか、その拾った実の話だが」
「いろいろ作るのは楽しいんですよ。それでその実に何か問題が?」
「問題があるからこうなっているとわかってるだろう?」
「まあ、そうですが……。なかなか、手荒ですね」
自分だけでなく、マリアもそしてニコラも巻き込んでしまっている。
幽霊であるアンは……、あれ? いない。まあ、勝手についてきたから勝手に帰ったのか。気まぐれな幽霊だ。
自分で言うのもなんだが、公爵家の子女であるエリザベス・テレゼアの価値は低くない。
テレゼア公爵家は、この国に生まれたら子供のころに読む絵本で語られるくらい有名で、そんな相手にケンカを売るのはリスクがかなりある。
計画性がないというか、もしくはそれを上回るほど確かめずにはいられない重要なことがあるのか。
あるいは……、何かあっても簡単に捕まらない自信があるのか。
──……まあ、『実みたいなモノ』で学園に何か仕掛けようとしていた時点で危険は承知の上なのだろう。
拉致監禁までして、何もないままでは済まされない。巻き込まれた時点で、今まで通りとはいかないことは私もわかっている。
これがゲームの強制力だったとしても、起こっていることは事実。ぶつかったのなら全力で最善を尽くすだけだ。
「こちらも事情があるんでね。とりあえず、その実はどこにやった?」
「どこって、拾ったものはほぼ自室にあります」
「……部屋か。…………変わったことは?」
「……? 特にないですけど」
「ない、だと? どういうことだ……」
そこで男は壁の男へと視線をやり、移動するとぼそぼそと二人は話しだした。
何かが起こることが前提だった『実みたいなモノ』、いったい何を仕込んでいたのか。
妙な不安に眉をしかめながら彼らを見ていると、軽く頷いた男が私のところに戻ってきて、上から疑惑の眼差しでじろじろと観察しだした。
見下ろされると、改めて体勢や体格の不利を意識し緊張する。
相手が急に暴力を振るってきたら、手が使えない今は魔法発動もうまくいかないしどうすることもできない。
それに、高度な魔法か仕掛けが施されているのかさっきから魔力がうまく循環できない。つまり手が使えても魔法が使えない可能性が高い。
かなり状況的に不利なため、少しでも多くの情報収集と時間稼ぎが必要だ。
「えっと、それを一度よく見せてもらえますか? もしかしたら思っているものと違うかもしれませんし」
「ああ。勘違いだったら困るしな。これが現物だ。よーく見てちゃんと確かめろ。これはあんたのためでもあるんだ」
私のため、ねえ。
これはしらばくれるのはあまりよくないかと、目の前に持ってこられたものをじっと見つめる。ついでに、角度を変えてもらい様々な方向から確認した。
うん。やっぱりこれだ。『実みたいなモノ』で合っていた。
「どうだ?」
「思っているもので合っていたらすり潰しましたけど?」
「すり潰す?」
「はい。まず、初めて見るものでしたのでなんの効能があるのか調べるのに切り刻んだり、ごりごりぃっとすり潰ぶしたり」
気になったら、それが何かを知るためにはまず刻むでしょ?
しかもいくつもサンプルがあるのなら、ためらわないよね? と心の中で付け加えておく。
私がいくつ拾ったかとかどこまで把握されているのか、母数に対してどれくらいの割合で私が引き当てたのかはわからないが、彼らにとって問題となる数だったのだろう。
嘘をついて壁際にいる男を刺激したくないので、やったことは素直に話しておこうとにこっと笑みを浮かべた。
「全部か?」
「日々いろいろ拾うのですべてを把握しているわけではありませんが、概ね試しました」
「何を試した?」
「そうですね。あとは煮込んだり、練ったり乾燥させたりです。なので、その実みたいなモノの名前を知らなくても、ほかの植物と変わらないということは知っています。さすがに食べることはまだしてないので、活用法を全部試したわけではないのですが」
さすがに正体不明のものを口に入れようとは思えなかった。
「はっ? 食べる?」
「毒性チェックはしましたのでお腹を壊すことはないとはわかっているのですが、食すことはさすがに怖くてしてないです。なので、あなたたちの目的が私にはわかりません」
私は眉尻を下げ、困った表情を作った。
姉が好戦的だった分、愁傷な態度をとっておくべきだろう。あまり刺激するのはよろしくない。
実際、どれだけ調べてもわからないから、師匠に確認することになった。
その師匠もわからないというからユーグにも話を持っていったのだし、いくつか何もせずに置いてある。そこは言わないけれど。
「それで? その実をあれこれしたのなら何か感じなかったか?」
「別に。先ほども言いましたけど、名前がわからないだけで中身空洞だったので、あれこれ調べた結果は植物っぽい何かとしか」
「はっ? 空洞?」
そこで男は壁際の男へと視線をやった。くいっと顎を上げ、目の前の男に小さく頷く。
同じように頷いた男が、声音を落として私を半眼できつく見据えた。
「空洞っていうのがわからないな。こっちはあんたが拾ったということはわかってるんだ。だけど空洞? ちょっと思っているのと合っているかどうかもう一度これをよく見てみろ」
「……はあ」
空洞という言葉にここまで反応するとは思わなかった。
やっぱり、何かが成長した形跡と関係するのだろうか。
「……先ほどの話はこれを思い浮かべての話でしたが」
「確かか?」
「ええ、そうですね。名前がわからないというのは、やっぱり気にはなりますから印象に残っています。本来は目の前にあるもののように空洞ではなく中に何かが入っていたのでしょうか?」
あの空洞の中に何を仕込んでいたのか。
「これは中身が入っている。この形のまま中が空洞というのは理解できない」
「と言われましても。私も調べれば調べるほど、興味深く不思議な実みたいなモノだなと思っていたので。逆に何なのか教えてほしいくらいです」
「実みたいなモノ?」
「だって、先ほどから実だとおしゃっていますがそれは単純に植物だとは言い切れないモノです。だから食べてみることもしなかったわけで」
男は持っていた実を掲げて、親指と人差し指でくるくると回しながら観察する。
「どっからどう見ても植物だろう」
「まあ、見た目はそうなんですが。中がですね。種があったにしては形が一定ではなかったですし、割れ目もないまま種が落ちて成長したにしてはツルツルでしたし。植物と言い切るにはやっぱり変なんですよね」
師匠もそう言っていたから断言できる。
だが、この男は本当に実だと思っているようで、つまりそれはどういうことだろうか。
こうして拉致までして確かめたかったことと、黒包帯の男たちの目的は何なのか?
「そろそろ拉致された理由を教えてもらえませんか? もちろんその実が主題なのはわかるんですけど、さっきから話していてもさっぱりわからないです。核心部分を隠したままやり取りをしても、建設的ではないようです」
なかなか核心に触れないまま言及されても、こちらはすべてを正直に話はしていないが嘘はついてないのでこれ以上答えようがない。
中に何かがあったのは相手の反応から確かなようだが、私が拾って確認したものは空洞だったのは事実だ。
すべて見たわけではないけれど、ユーグに渡したものも師匠に渡したものもそうだったのだから、処置していないものも空洞だと思っていた。
互いにわからないまま、ぼやかしたまま話をしては先に進むはずがない。
それに誰がどのような役割だとか、裏設定だとかゲームの世界を知らないが、何かのイベントなのだとしたら学園の危機に関わるようなことでよくないことが計画されている可能性は大きい。
ユーグを巻き込んでおいて本当によかった。
今回の規模がどれくらいのものかわからないけれど、もし私たちに何かあったら結びつけてくれるはずだ。
「なら、ここで検証してみようか」
未来が暗いばかりではないことを考えて気持ちを鼓舞していると、今まで黙っていた壁際に立っていた男が闇を震わせるような声を出した。
引き寄せられるように視線をやって、憎悪を含む視線にぞわぞわとは肌が粟立った。
得体の知れない目的も不明な相手を前に拘束された状態であること。
それらが一気に不安となって押し寄せる。
「……検証ですか?」
「ああ。俺たちはなぜこのようなことになったのかがわからない。こうなるはずではなかった。なら、調べるしかないだろう」
コツ、コツ、と石畳に響く靴音。
徐々に近づく男は細身でそこまで大きくないのに、妙な威圧感があった。
私がぶるりと身体を震わせると、大丈夫だというようにマリアがすりすりと頬をくっつけてきた。
一人ではないというのは、本当に心強い。
そっと息を吐き出して、マリアの体温を感じながら逸らしたくなるのを我慢して男を見た。
男はその実をさっきまで私たちの相手をしていた男から取り上げると、ぎゅっと握りしめてバリバリと音を立てて潰した。
パラパラパラ、と崩れ落ちた実が零れ落ちる。
握っただけで潰れるようなものではないと知っている私は、ぎょっとその男を見た。
細身に見えて黒のローブの中は筋肉質なのだろうか。
男が手を広げる。
何が始まるのかと視線を集中させると、手のひらの上からモヤモヤとした禍々しい黒い物体が出現した。
咄嗟にマリアに身体を寄せる。
恐ろしいのに視線が外せず、私はぐっと眉間に皺を寄せた。
「へえ」
男の小さなささやき。
それが合図かのようにモヤがすごい勢いで吹き出し、闇が濃くなった。
男の手のひらのを中心に、この部屋が黒く覆われたように見えた。
灯された灯りはそのままなのに、それが認知できないほどの闇。しゅるしゅると崩れた実から這い出て沈殿させるように満たしていく。
良くないものだ──、と直感的に私は感じた。
コツ、コツと男が靴音を鳴らしながらさらにこちらに近づいてくる。
転がされた自分の顔の目の前、わずか数センチというところでその足が止まる。そのままぐいっと私を袋ごと持ち上げると、視線を強引に合わせられた。
この闇と同じような漆黒の瞳。
この世界で珍しいその瞳の色に憎悪をたっぷり塗り込めながら、男は酷薄に唇を緩めた。
ぞわりと、全身が総毛立つ。
瞳と唇だけが、男を表す。それだけで、男が異質なものだということを雄弁に語る。
強引に持ち上げられ、身体が軋む。引きずられた足が痛い。
思いっきり擦ったため、きっと赤くなっているだろう。何より、首元を絞められたように掴まれているため息がつまる。
マリアがわぁわぁ言っているが、苦しくてそれどころではなくなった。
「こほっ…」
空気を求めるように吸おうとするが、その前に大きく息を出すように咳が出た。
男はぐいっと顔を近づけると、おかしくて、腹立たしくてしかたがないと歪な嗤いを浮かべた。
陰った瞳は私を見ているようで見ていない。でも、確かに憎悪は向けられている。
視線を合わせるだけで、おかしくなりそうだった。
何かが崩されそうな予感に、私は耐え切れなくなって視線をそっと逸らした。
「これに何をした?」
「……っ、だから、…ごほっ、…いつものように割ったり、…くっ、砕いたり、煮たり」
息がつまるなか、なんとか先ほどの説明と同じことを繰り返す。
それしか言えない。知らない。
「だが、今見ただろう? 感じたのだろう? まず、これに触って何かするとこうなるはずなんだが」
「…………」
その言葉に、私は男の手の中でしゅるしゅると闇を放出するそれを眺める。
意思をもって男の周囲をするすると動いているように見える。
──……気持ち悪い。
悪寒に身体が震える。
見ているだけで、近くにあると思うだけで、それらを普通に触っていられる相手の存在自体が気持ち悪かった。
ぐぅっと眉根を寄せて、男の周辺の闇に目を凝らす。
すると、ぴりりと、男の殺気が闇と同化して大きくなった。
「ひぁっ」
ずっと肌の上を得体の知れない何かが這いずり回っている感覚に、堪らず悲鳴が上がった。
薄布一枚隔てて、なめくじだとかそういったものがにゅるにゅると存在の跡を残しながら動いているようなそれは不快で仕方がない。
黒光りしているかのような鋭さを持って、私のすべてを見透かそうと男はじっと見てくる。
闇に囚われ男しか見えない。
互いの奥へとずぶずぶと沈んでいくかと思われたが、突如、ばんっと大きな扉が目の前で閉じたように何も感じなくなった。
「…………」
「…………」
私はぱちぱちと瞬きをして、さっきの感覚を思い出しぞっとした。
自分の意思ではない何か。共鳴? 確かに相手から何かを感じ取った気がするが、今はもうその何かは微塵も思い出せない。
それは相手もそうだったのか。
「もしかして──……」
ぼそぼそと告げられた内容に目を見開く。
自分だけに聞こえるように言われた言葉。
あまりのことに言葉を失っていると、相手は言うだけ言って答えを求めていなかったのか勝手に納得したのか、「だとしたら」とぶつぶつと独り言を言いだした。
そして、はっ、と私を見つめ、手の平のものを私へと近づけてきた。
ぞわぞわした感覚に目を瞑りそれに耐えると、しばらくして心底忌々しいと憎悪たっぷりの声をぶつけられる。
「お前が犯人か」
え? と目を開けると、怒りのあまりにぶるぶる震えた男に睨みつけられ、もう一度、今度は周囲に聞こえるように同じことを言い放つ。
「犯人はお前だ」
――は、はぁぁぁ~?
私はぽかんと口を開けた。




