16.始まりは
シモンの語る話に抜けていた記憶を補充し懐かしく思っていたが、最期の言葉に私は頭を抱えた。
──これはダメだ。一番ダメなやつだ。
転生のことだけでなく王子たちに関わりたくないとか、本人を目の前にして言っちゃってるし……。
しかも、それを言い放った後、ドドドドドッと馬がこちらに向かってくる音に慌てて二人してその場を後にしたのだ。
互いに抜け出してきた身だ。
テレゼア家の家臣は普段の行動から推測して場所を探し当てるのも時間の問題であったし、普段から模範的な行動をする第一王子がいないとなれば、シモンのほうは一騒動だ。
聡明な王子はそのことを理解していたので、名残惜しげながらも丁寧な謝罪とともに颯爽と去っていった。
──いや、衝撃だ。すっごく後味悪い最期なんですけど……。
私は深々と溜め息を吐き出した。
ダメだ。ダメダメだ。王子が嫌だと捨て台詞で終わるなんて、意味深すぎる。失礼にもほどがある。
「夢であってほしかった……」
「残念ながら夢ではないね」
「そう、ですよねぇ」
願望をぽつりと呟くと、冷静な指摘が入る。
過去に戻って、ペシンと自分の頭を張っ叩きたい。
ひっそり、こっそりと言いながら、散々ルイに語りながら、ルイに出会う前に王子に出会って仕出かしていた事実はかなりへこむ。
――そりゃ、あの笑顔になるわっ!
むしろ、笑顔と態度は紳士的ですらあって尊敬に価する。
学園でのシモンの微妙な視線や距離は自分が原因だった。話ぶりでは、当時に私の正体は推測済みであったようだし……。
絶対、私なら悶々としていた。反対なら気になって気になって、態度に出てしまう自信がある。
そろそろと視線を上げると、ふふっとシモンは穏やかな笑みを浮かべてこちらを見ている。
「その、シモン様。今まで黙っていたのに今日はどうして話そうと?」
「そうだね。この状況だからかな。出会った時に似ているよね」
「馬とほとりですか?」
川と湖の違いはあるが、確かに似ている。
互いに緩やかな時間を欲して、ここまでやってきたことも。
シモンは愛馬を置いてきた方向を穏やかに見つめ頷くと、いつにも増して澄んだ瞳で私を見つめた。
「エリザベスはあの頃と変わっていなかった。常にまっすぐで、でも労わることもできて。そして息を抜くことを知っていながらも、どこか一生懸命で。だから、転生とはどういう意味か、王子と関わりたくないとの言葉の真意をずっと考えていた。この機会に全部話してみるのもいいかと思って」
聡明そうな水色の瞳がなんの曇りなくこちらを見ている。
見つめ合っていると全てを見透かされそうで、私はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「………投げ出しっぱなしで申し訳ありません」
やっぱり謝罪だ。謝罪。
怒ってはいないどころか朗らかに受けとめてくれてはいるが、失礼極まりないことをしでかしている。
私はすかざす正座すると、土下座の勢いで頭を下げようとした。だが、それは横から伸びてきた手によって止められる。
「エリザベス。やめようか。当時、最後まで迷っていたエリザベスに私が聞きだしたようなものだからね。こちらは名乗りもしなかったから気にしなくていいよ」
慈悲深い言葉に、罪悪感でちくちくする胸を私はそっと押さえた。
頬にシモンの少し冷たい指がかかり、ゆっくりと上を向かされる。
「ですが」
王族への暴言。子供だからって許されるものではない。
シモンは長い指が何度か頬を往復させながら少し考えるように私を覗き込んだあと、ふと何かを思い出すように微笑んだ。
「──子供のころの話だからね。当時も今も怒っていないし、話が中断されてしまったのも間が悪かったとしか言いようがないしね」
「シ、シモン様」
なんて優しいの!? 少し苦手に感じていた理由がわかった今は、ただただ敬う相手となった。
差し込む光がシモンを照らし、まるで神が降臨したかのような神々しさ。天使から神に昇格だ。
「数々のご無礼、本当にすみませんでした」
私は姿勢を正し、座ったままであるが深々と謝罪と感謝の意を込めて頭を下げた。
自分のやらかしっぷりに反省だ。
「ふっ。だから、気にしてないよ。うーん、そうだね。悪いと思っているなら、シモンと呼んでくれたら嬉しい」
その申し出に、私はぎょっと目を見開いた。
「シモン様もですか?」
「最近、サミュエルも敬称なしに呼んでいたように記憶しているけど。も、ということはそういうやり取りがあったということだね。なら、私も彼らと同じように呼んで。エリザベス、いや、エリーとは仲良くなりたいんだ」
さも当たり前とばかりに優雅に告げるシモンを前に、私は苦笑する。
普通はない。王子を敬称なしに呼ぶとかありえない。
でも、ルイもサミュエルも、そしてシモンまでもが自分にそれを求める。意外と王子たちは対等な友人という立場の者を欲しているのかもしれない。
それに謝罪を受け止める代わりと言われれば、否と言いにくい。
しかも仲良くなりたいと言われて、ユーグは目くじらを立てるかもしれないけれど、そう思われる事実は嬉しくて拒みたくない気持ちが勝る。
「では、シモンと」
ドキマキしながら名を呼ぶと、シモンが嬉しそうに唇を緩めた。
「当時と似た場所で『天使くん』ではなくて、本当の名を呼んでもらえるのはいいね。改めて、これからよろしくね。エリー」
相変わらずの優雅さのなかに蕩けるような甘さも含まれた眼差しに見つけられ、私は顔を隠したくなった。
破壊力がすごい! 顔が整い過ぎているからか、言動が常に落ち着いているからか、そんな人にいつもと違った表情を見せられ緊張する。
「よろしくお願いします」
するりと頬にかかった髪とともに耳にかけられ頬を優しく撫でられ、かぁっと頬が熱くなる。
――くっ、ひゃわぁぁ~。シモンってこうだったの? なんか甘いんですけど。
さっきから心臓が痛い。
微妙に距離があった人と急にこんなやり取りは慣れなさすぎて、ドキドキする。
視線をそわそわ彷徨わせると、シモンは「ぷっ」と肩の力が抜けたように笑った。
「エリーといると本当に退屈しないね。見ているだけで元気が出るよ」
彼が動くたびに金の髪はさらさらと揺れ、私を覗く瞳には笑いで滲んだ涙の幕が張っている。
「喜んでいいのか微妙です」
当時のようにするすると髪を触られながら笑われ、私は小さく頬を膨らませた。
「ふふっ。その癖も。エリーはあの頃と変わらないからつい絡みたくなるね」
つんと横から頬を突かれ、またくすりと笑われる。
小さな頃から何か耐え難かったり拗ねたりすると、頬が膨らむ癖を指摘され、私は慌てて引っ込めた。
「シモンさ、あっ、えっと、シモンは思ったよりも気さくというか。変わってはいませんが、学園でのイメージがありすぎてついていけない、といいますか」
「そう? なら、今はエリーの前だからかな。あの日のことも話したし、エリーの前では変に勘繰らなくてもいいかなって」
「ああ~、心中お察しします」
周囲のあれやこれや第一王子ならではの悩み、幼い頃はそういったことをプレッシャーに感じていたようだし大変ですねと告げると、シモンは疲れたように肩を落とした。
「そこじゃないのだけど」
「えっ?」
「……それで話を続けてもいい?」
「そうですね。続き……」
ふっと息をついたシモンに話を戻され、私は背筋を伸ばした。
そわそわと甘く優しい空気が流れているが、過去に自分が放った言葉について釈明できていないのでまだ解決はしていない。
言い訳になるけれど、あの日は季節の変わり目のためか、自分で気がついていなかったが私の体調は本調子ではなかった。
その上、シモンと別れた後、迎えにきた家臣を丸め込み調子こいて移動した先で、冷たい川にぼちゃり落ちて芯から冷えてしまった私は高熱を出し、そのまま三日ほど寝付くこととなった。
そのため記憶があやふやになって、天使くんと呼んだ相手とのことは夢だと思い込んだ。
治ってからは、姉のべったり攻撃に始まり、母の小言、父の無言の圧。姉や母はいつも通りであったが、父のそれは堪えた夢の審議なんてしている場合ではなかった。
しばらくは反省と家族の厳しい目を前に大人しくしていたが、それも長くは続かなかった。じっとするのは苦痛なのだ。
だけど、動こうとすると姉にはすぐに居所がばれて捕まり、罰とばかりに可愛い衣装に着せ替えられ愛でられる。
そんな日々に耐え切れず考えた末、夏に向けて野菜を育てることにした。
母には渋られたが、敷地内ならいいだろうと周囲を巻き込みなんとか説得。そこから野菜を育てることにはまって、その夏の収穫の時にルイと出会ったのだ。
そこまで考えて、んっ? と首を傾げ、私はくわっと目を見開いた。
「あっ! あぁ~」
──んぁぁ~~、始まりはシモン王子だったのね……。
なんとも言えない疲れと驚きに口をぱっかり開ける私に、さすがのシモンも戸惑いの声を上げる。
「どうしたの?」
「あっ、その、ちょっと驚いて」
へにゃりと眉尻を下げて、私は苦笑した。
そうだよ。そうだよお~。大変なことに気づいた。
一人だったら、オーマイゴッドと叫んでいた。というか、今すごく叫びたい!
時系列と関係性を簡略すると、シモンとの出会いがあったから畑を作ることになって、そこでルイと出会った。
ルイのことがあったから、サミュエルに追いかけられ、王立学園へ入学することが決定した。
……──うわっ。
私は絶句した。
そんな前から関わりがあったなんて、予想つくわけないじゃない。
芋ずる式に王子が釣れてるし……。当然、シモンと親しくなると、弟の双子との接点もできるということで。
あれっ、こんなところにツルが!? どんな美味しいものがあるのかと軽い気持ちで引っ張ったら、サラサラ髪を被った外国人風の芋が、ヘイ、ヨー! とめっちゃフレンドリーに勝手に出てきたって感じだ。
とにかく、今は過去の自分が告げた言葉についてだ。
当時七歳だった私と、現在十五歳の私が転生について話すのでは訳が違う。話すべきか、話すならどこまで話すのか、それとも誤魔化すのか。
悩んでいると、シモンがすっと立ち上がり自分の前に膝をつき間近で覗きこんできた。
思慮深い瞳を吸い込まれるように、私は見つめ返す。
「私はエリーの力になりたい。未来を変えたいんだよね? それなら、一人よりも二人のほうが変わる可能性が増える。それに、話すことで気にかけていることが改善される可能性だってある」
「改善の可能性……」
それはとても魅力的な言葉だった。
「確率の話だけどね。そのためにはある程度事情を知っている者がいてもいいはずだ。もちろん、無理に話す必要はないよ。でも、話してくれるなら私は信じるし、エリーが秘密だというなら誰にも言わないと誓う」
真摯な瞳が私を射抜き、そっと私の両手を握り込んだ。
美しいサファイアの瞳には真摯な気持ちが宿り、指が震えそうになった。
理知的な思考を持った王子が、すべてを受け止めようと私の言葉を待っている。
私は一度目を閉じ、すぅっと息を吸い込み大きく吐き出した。
ゆっくりと瞼を上げ、注がれる視線を受け止める。
「――その、当時の発言ですが、姉様の溺愛からどうやったら逃れられるかというか、私も大好きだし仲良くはしたいのですが重いのでどうしたらいいかと思ってで」
私は迷った末、言葉を濁した。
話してしまったら楽になるかもと思わないでもなかったけれど、それに対しての影響がどうでるか分からなかった。
幸い、転生を繰り返すといっても具体的な話をしたわけではない。
王子に関わりたくないというのも、本人を前にして失礼ではあるがただのぼやきで終わっている。
なので、どこでも構ってこようとする姉のせいで周囲が常に賑やかすぎて、姉だけでも手一杯なので身分の高い人と関わりを持つのは疲れるだろうなと思ってだと説明したら、シモンは苦笑した。
姉の溺愛がこんなところで役に立った。実際に繰り返す転生に姉は関わっているので、切実な思いもある。
「個人的に嫌われていないのならそういうことにしておこうか。嫌われていないよね?」
「もちろんです!」
聡明なシモンのことだから私が濁したのを気づいていると思うけれど、深く追求しないでくれた。
こくこくと頷くと、シモンは私の手を掴み覗き込むように顔を近づけ、ふわっと破顔した。
「エリーとこうして話せるようになって嬉しいよ。あと、ユーグと行動をともにしていることだけど無茶はしないように」
「はい。判断がはっきりすればお話する案件なので大丈夫です」
「エリーの活動的なところは変わっていないとうよりは増しているようだから、早めに頼ってほしいところだけど。協力できることがあれば隠さず話すと約束してくれる?」
「はい! ありがとうございます」
基本は自分で動くべきだとの考えは変わらないけれど、申し出てくれた事実は非常に嬉しい。
思わぬ繋がりを知り、過去の自分の発言のせいで焦る羽目になったけれど、心から味方でいてくれようとしてくれる友人が増えて気持ちが軽くなる。
抑えきれず頬が緩み笑っていると、シモンが呆れたような眼差しで私を見た。
「本当にわかってる? 葉っぱレディの報告を受けた時は、笑いを堪えるのが大変だったから心配だよ」
ふふっと堪えきれないとばかりに笑うシモンを前に、私は居心地悪く視線を下げた。
いったいどのように報告されているのだろうか。
「つ、筒抜けなんですね」
「ユーグは私の友人であり側近で護衛も兼ねているから、基本の報告は受けるよ。事細かに知っているわけではないけどね」
私が手がけている商売のことを含め、何を言って何を言わないかはユーグの判断に任せている。
なので、話がシモンに伝わっていても構わないが、『葉っぱレディ』の件はできたら内緒にしてほしかった。
「あれは後々のことを考えたためで。私はひっそりがモットーなので無茶もしないので安心してください」
「ひっそりねぇ。……あれで、ですよね。それができないからこうなっている気もするけど」
あれでとは失礼なっ! とは思うけれど、仕出かしが判明した今は強く言えない。
誤魔化すように笑みを浮かべると、シモンはふっと息をつき目を細めた。
「未来を、何かを変えたいのならば、私がいることを忘れないで。力になるから」
掴んだ手を一度きゅっと握りやっと離してくれたと思ったら、伸ばされた指が頬をかすめる。
ヒヤリとした感触に背筋を震わせると、シモンは笑顔のまま、こめかみから流れる髪を一房とるとそのまま唇に引き寄せた。
シモンは見せつけるかのように私の髪に唇を落とすと、にっこりと覗き込むように私を見る。
「シモ、ン…」
「心配事があるなら守るから。もしもの時は頼って」
くるくると私の髪を絡め、微笑むシモンからますます視線を外すことができない。
心配の色をのせ優しさが漂う表情に、胸がきゅっと絞られる。
「……はい」
首を縦に振ると、シモンが眩しそうに目を眇めた。
美しく隔離された場所で二人きり。空気は澄み、自然美が自分たちを囲む。
神判を待っているような厳かな気持ちと、未知なる期待と不安が入り混じりなんとも落ち着かない気分になる。
「ますますエリーのことから目が離せなくなったよ」
慈しむように目を細め笑いながら呟かれ、吐息さえ意識する近い距離とその笑顔に鼓動がやたらと跳ね上がる。
それからは何事もなかったかのように座り直し、今までの時間を埋めるよう日が沈むまでたくさん語り合った。




