15.記憶と夢
ぼんやりとその場に佇み、私は目の前の美しい王子を見つめた。
金の髪が天上から降りてきたかのように輝きを放ち、シモンの周囲が祝福の加護があるかのように白く光っている。
この場でそんなことを考えるくらい現実味がなく、私はどどどっと押し寄せる心臓の音を意識した。
――てんせい、てん生、転せい、転生、……えっ、えっ、ええぇぇぇぇ???
意味がわからない。単語はわかるけど、思考が拒否する。
まさかの発言。相手は第一王子。ピコン、ピコンと警報が鳴り響く。
──ちょっと待って。これってどういうこと? えっ、本当にどういうこと?
ぐわんぐわんと脳が揺らされるかのような混乱のなか、シモンが観察するように私を見つめゆるりと微笑んだ。
瞬きを忘れ固まる私に、そっと繋がれた手に力が加わる。
「エリザベス?」
大丈夫かと覗き込まれ、その透き通った青の双眸からは心配だけが浮かんでいる。からかっているわけでもない真摯な瞳がそこにあった。
ぐるぐると思考が何周もして、やっと言葉の内容を理解し目を見開く。
「た、」
「た?」
「ターーアイムー」
「…………」
ちょっとタンマだ。本当に待って!! 予想外のことに、誰に言うでもなくタイムを申し出る。
私は空を振り仰いだ。だらだらと冷や汗が背中を伝う。
──あ、あの雲。天使の羽みたい。それが降りてきて、シモンにくっついても驚かないわっ。はははっ。
ああ、いけない。現実逃避しかけたがそれどころではない。
ふぅっと息を吐き持てる記憶を何度もさらった。
たまにシモンを見つめ考えてみるが、転生のことなど話した記憶はない。ましてや、誰も信じてくれないと思っていたし話そうとも思ったこともない、はず。
だけど、シモンの話では私が彼に話したようだ。
──なら、いったいいつ?
「その、それはどういう意味ですか?」
まさかと思うけど、乙女ゲームがとか言っていないよね? それこそ頭おかしいヤツってなるし……。誤魔化しが効くかどうかも、話を聞いてみないとわからない。
鏡のような湖を見ながら、私はおずおずと尋ねた。
そこは重要ポイントだとドギマギと返答を待っていると、シモンは目をすぅっと細めた。
その表情に鼓動をはねさせながら、そわそわと相手の反応を待つ。
「どういう意味って?」
「えっと、転生とかずっととか」
そもそも、なぜ私はシモンに話したのか。
よりにもよって、完璧王子相手では対策を立てようにも立てられない。
エスコートのため手は握られ瞳はずっと私を捉えたまま、シモンの形の良い唇がゆっくりと開かれる。
「そのままの意味だけど。エリザベスが言ったんだよ。転生を繰り返していたらいつかは未来は変わるのかなって」
「未来……」
「エリザベスは覚えていないようだけど、私はあの日のことをしっかり覚えているよ」
はっきり告げられた言葉に、頭を抱えたくなった。
記憶力のあるシモンがそう断言するのならそうなのだろう。
私は記憶がすっからかんであるが、どっちがポカするかといえば自分のほうだと情けないが思う。
――何やってるの? 私!
あの日とはどの日のことなのか。
しかも、転生や未来の不安までシモンに語ってしまっていたようだ。
それをシモンは真摯に受け止めてくれており、二人きりだからと切り出してくれた。
それは彼の優しさと懐の深さを知らされるものであり、何を考えているかわからない相手ではあるがここで逃げて誤魔化すことは不誠実だ。
私はこくりと唾を飲み込もうとして、乾いてしまって何もできないまま喉を上下に動かした。
それでも、その動作が潤滑剤になったかのように、ようやく言葉とシモンと向き合う勇気を得た。
空気を変えるかのように、さあぁぁっと涼やかな風が私たちを包み込む。
空から降り注ぐ太陽の熱が、ふわりふわりと落ちてきて最後に優しく肌を撫でるように身体を温める。
緩やかに紋様を施すように、最後に肌がチリッと感じたと同時にチカッと脳内で優しく光った。
「あっ……」
漏れ出る言葉をそのまま薄く唇を開き、私はまじまじと美しい青の双眸を見つめた。
この湖のように、そして、天高くどこまでも広がる空のような綺麗な青。聡明で崇高なその色を、どこかで苦手だと思っていた相手。
ずっと、その見透かすような瞳に得体が知れず距離を感じていた。
だけど、違うことに気づいた。
ただ、忘れていただけ。
そう。忘れていたんだ。夢だと思って、それっきり。その相手がずっとその時のことを大事に覚えてくれているなんて知らずに。
パチパチと目を瞬き、確認しようと両手を彼の頬にやろうとして、片手が繋がれていることを思い出す。
「あっ、すみません」
「……いや」
「えっと、これは、その」
「落ち着いて」
「ううぅぅ~。ちょっと失礼します」
違う。違う。
王子の頬に手をやること自体ダメなんだってばと思いながらも、もっと確認したい衝動のまま自ら距離を詰めて仰ぎ見た。
輝くような容姿に、生まれながらの高貴さ。
優雅で洗練された身のこなしと意思のこもった声音は、自然と人を従わせるものがあった。それは誰にでも持てるものではない。
「天使、くん……」
自分から出る厨二病的な発言。
それに気づき、私の頬ははかぁぁぁっと熱くなった。
何が、天使くんだ。彼の弟双子を天使のようだと言っていても、それは比喩であり宗教で語られる天使だと実際思っているわけではない。
なのに、同級生の王子に向かって天使発言。もろもろ、ちょー恥ずい。
「あっ、これは、えっと……」
焦って言い訳を考えていると、シモンはじっとこっちを観察しまるで花が綻ぶかのように笑った。
あのシモンがである。作為など何も感じない、自然な笑顔を見せられ私は口を閉ざす。
常に大人びた相手の、そのあまりにも見慣れぬ年相応の笑顔を前に、私の体温がぶわぶわと上昇する。
──なっ、何その笑顔!?
やっぱり、天使じゃん。
じゃんとか、実際使ったことないのに出ちゃうくらい動揺する。
「その、天使くん?」
やっぱり自分の発言はイタイなと思いながらも、それしか確認しようがなかった。
目の前の人がこの国の第一王子であるシモン・ランカスターであることは十分理解している。
本当、自分で言っていて恥ずかしいったらなかったが、今の笑顔はまさに天使。さすがあの双子の兄。
そして、その笑顔を見て私は確信した。
記憶にある、正確には夢だと思っていた天使様は目の前の王子であると。
おずおずと反応をうかがうように確認した私を見たシモンが、視線を和らげて悪戯っぽく聞いてくる。
「思い出した?」
「はい。思い出したというか、夢だと思っていたといいますか。あの後熱を出したので記憶が曖昧で」
「そうだったんだね。熱で夢だと思っていたのか……。忘れられたのか、そのことに敢えて触れないようにしているのかと思ってたから、理由がわかって安心したよ」
そこで嬉しそうに笑む姿に目を奪われる。
「……すみません。それと重ね重ね申し訳ないのですがそういった理由で記憶のすり合わせというか、まずそこからお願いしたいのですが」
「ふふっ。ならそうしようか。ほら、そこがお勧めスポットだよ。そこでゆっくりと話そう」
すらりとした身体から伸びたシモンの手が前方を指し、私は釣られるように視線を投じた。
「うわぁっ」
一瞬で目を奪われ、思わず感嘆の声が漏れる。
木々を抜けてあらわれたそこには、ぽっかりと空間ができていた。
周囲を木々が覆い、そこだけ隔離されたような場所。
木々の合間から漏れいる木漏れ日が、カーテンレースのように柔らかく周囲を照らす。まるでここだけが違う世界、妖精が暮らしているような柔らかな光に包まれていた。
横倒しになった木の上にシモンは上着を引くと、私に座るように促す。
「どうぞ」
王子の上着~、と内心ビクつきながらも礼を告げて腰掛けると、その横にシモンも座った。
その際に、ふわりと甘く爽やかな匂いが漂う。
距離の近さ、これから話すことを考えると、トクトクと心臓と速まる。
ちらりと横を盗み見ると、穏やかな表情をしたシモンがこちらを見ていた。
話を急かすつもりはないようでなので、私はぐっと足を前に出して上を仰ぎゆっくりと目を閉じた。
鳥のさえずりや木々の葉がこすれ合う音が優しく耳を撫でる。
それらを十分に堪能し、大きく深呼吸をして私はシモンのほうへと身体の角度を少し変えた。
──なるようにしかならないか。
シモンも同じように目をつぶっていたようで、私の動きを察し静かに瞼を上げた。聡明な瞳が私を射抜く。
その双眸に捕らえられながら私は切り出した。
「あの日話したこと、シモン様はどう考えていらっしゃいますか?」
シモンが首を傾げると、金の髪が陽に透けて白く輝きさらさらと流れる。
「実際のところ半信半疑ではあったのだけど子どもだったし、秘密は魅力的だったよね。だから信じたいと思っていたかな」
「秘密。そうでした」
シモンの声音はずいぶんと穏やかで、懐かしむように私を見つめる瞳と視線が重なり、話す内容は緊張を強いられるものなのにほわっと心が軽くなる。
今までどこか距離を置いてしまっていたのは、ずっと試されるような、推し量るような、見透かすような瞳を向けられていたからだと気づく。
シモンも私が何を考えているのかわからなかったからなのだと思うと、本当に申し訳ないことをした。
そして、徐々に当時のことを思い出してきた。
お互いに普段は曝け出さないここだけの秘密として、まさしく天使のように神々しい少年がぽつぽつと語るやりきれない思いの吐露を聞き、私も話しても大丈夫だろうと転生について触れた気がする。
──ホント、どうかしてたわっ!
そうは思うけれど、何度も転生を繰り返し抱えきれないものがあったのも事実。
誰か、たとえ一人でも、自分のやっていることは無駄ではないと肯定してくれるだけで随分違うものだ。
あまりにも美しい造形美。しかも、七歳、いや第一王子は春生まれだからその時は八歳か、といえばまだまだ幼く、それはもう可愛らしい男の子であった。
現実味を帯びないシチュエーションと、そして風邪のひき始めで熱があったこと。そのすべてが判断を鈍らせ、ぽろりと思いの丈を彼に話した。
そういったことをすっかり夢だと思っていたわけだけどと、すっと伸びてきたシモンの手を見つめた。
その手が、私の頬にかかったピンクの髪をとり耳にそっとかける。
優しい手つきに、同じようにされたあの日のことが鮮明に思い出された。




