14.美しい湖畔と第一王子
上空を雲がゆうらりゆうらりと流れていく。
春に萌え出た緑。上を向くと、青葉が空を彩るように広がっていた。
あらかじめ話を通しておいた学園内にある厩舎に出向き、馬一頭借りて私は広野を駆け抜け学園一美しいと言われる湖に向かっていた。
パッカ、パッカとリズムよく駆け回る蹄の音。そのたびに土埃が舞う。
今日の相棒は白の毛並みのジョニーより一回り小さいが茶色でたてがみが黒の立派な雄馬で、名はハーツ。
馬のリズムに合わせていつもより視界が開けて見える景色は、今だけを感じることができ爽快感があった。
「うわぁ。今日は一段と綺麗ね」
天気にも恵まれ見事な景観に思わず声が出る。
底抜けに美しい湖。透明度抜群で周囲の木々が映り込み、どこからどこまでが湖なのかわからない。
「本当に別世界みたい。あなたもそう思うよね」
私に同意を示すように尾を一振りしたハーツに、ふふっと笑みを浮かべる。
降りてロープを木にかけハーツの横腹あたりを優しく撫でていると、サァッと風が吹き葉が擦れささやきあった。
心地よい風と新緑の匂いを堪能すべく目をつぶる。さわさわと木々が会話をするかのような音が、耳に優しく届く。
それからゆっくりと目を開けると、そこで見知った姿を見つけて目を見開いた。
「シモン、殿下?」
湖畔に佇む人物。きらきらと輝く湖の前に立つその姿は、まるでおとぎ話に出てくるような王子様。
実際に身分は王子で、私自身が現実ではない世界に迷い込んだような錯覚を思わせるくらい、周辺が輝いて見えた。
集中しているのかじっと湖畔を眺める姿は、凛としているのにどこか憂いを帯びた姿にも見え、いつ見ても泰然としているシモンの姿と異なる。
──それでも、どんな時も美しい……。
我知らず感嘆する。
王位継承が確実ではないとはいえ、一番近い人物。人となり、能力とともに申し分なく、ほかの王子たちも認めている。
このランカスター国は貴族内で多少の派閥はあるが王族内では王位継承に対してドロドロしたものはなく、どの王子も研鑽しながら相手を認め慢心することがない。
「それって、本当にすごいことだよね」
上が荒れると国も荒れる。
妬み、嫉み、そういったものがないわけではないだろうが、大きな問題となっていないことは平和だということだ。
シモンの双子の弟たちは、兄を尊敬して常にきらきらした眼差しを向けているし、シモンの周囲にまとわりつく姿は本当に天使。
金の髪をふわっふわっさせてダブル攻撃されると、シモンの表情もついつい緩むようだ。
初めて会ってから私にも妙に懐いてくれている双子を思い出すだけで、ふにゅっと頬を緩む。
「ああぁぁぁ~、可愛いんだよね」
耐えきれず独り言を漏らす。
思い出すだけで、ふふふっと笑みを浮かべる姿は怪しいので、声に出して気持ちを収める。
美形率の高いこの世界。その上で可愛さをもつものはほっこりする。
姉から異常なほどの愛を注がれ、嬉しいけれど過剰摂取しすぎてその分注ぎたくなるのか、バランスを取るためか、昔から可愛いものが私は好きだ。
あれから会いに行くたびに、双子は構ってと甘えてくる。
主人に会えて尻尾をちぎれんばかりに振り喜ぶ子犬みたいに駆け寄り、頬にちゅっとキスをされる。
初めはびっくりしたが、双子たちも場所を選んでいるようだし、天使からの祝福のキスだと受け止めることにした。
それだけ懐いてくれていると思うと、どうしても邪険にできない。さすが天使。さすがダブルだ。
ただし、たまに不意を突かれることも多々あるので、ハンカチは必須だ。
──やっぱり、可愛いものには弱いのよねぇ。
癒やしというやつだ。
三人の王子たちは複雑そうに注意するが、天使が聞く耳持たず華麗にスルー。ちょっと小悪魔的なところも愛らしい。
それに、キュウとリンリンという変わった生物が私が足を運ぶと必ず近くにくるので、王城に行く足取りも軽くなった。
あれだけ王族と関わりたくないと思っていたのに、我ながら現金だ。
二匹の生物とともに、いつも帰る際に双子にきゅっと服の端を摘まれ「すぐに会いに来てね。絶対だよ」と請われては、もちろんと頷いてしまうのは仕方がない。
何度も念を押されて約束をすれば反故にはできず、ルイたちとともに頻繁に出向き今に至る。
そんなこんなで、シモンとも学園外でも関わることも増えた。
実際話してみるとちょっとした冗談も口にし話しやすい人ではあるが、いまだ距離を掴めていなかった。
王位継承の決め手は伝えられていないが、王子全員と知り合いそれぞれの考え方を知る機会を得た私から見て、シモンが一番王子らしいと思う。
他者に甘えず己を律し、常に公正であろうという姿勢を崩すことはない。
ルイやサミュエルはたまに年相応の顔を見せ親しみやすさがあるに対し、シモンは全体的に隙がない。
だからか、距離を感じ緊張してしまう。
だが、一人で佇む姿を見ては考えてしまう。
シモンにはシモンにしかわからないものを抱えているのかもしれないと。
周囲からのわかりやすい期待。そういったものを平然と受け止めているように見えるが、心の中は実際違うのかもしれないと。
あくまでも、私の勝手な推測だ。
自分の物差しと相手の物差しも違うので決めつけるべきではないが、平然としていると思っていることこそ決めつけなのではないだろうか。
ルイだって、友人歴が長い私に見せる姿と周囲に見せる姿は違う。
優しいのは変わらないけれど、周囲に見せる姿が明らかに王子モードでその違いは明白だった。
私に見せる姿は自然体なのだと思えるその態度と、私のそばにあろうとしてくれる姿勢にほだされてここまで仲良くなった。
こんな自分にずっと付き合ってくれるルイが好きで、友人として大事にしたい気持ちは年々強くなった。
「生きてるんだよね」
ゲームの世界や転生だとか、ふと思うことは多々ある。
だけど、この世界は現実でそれぞれがそれぞれの思いを抱えて生きている。それは周りも自分も一緒なのだ。
今世で王子たちと関わるようになって、それをひしひしと感じるようになった。
視線の先には第一王子。
美しき湖畔の前に佇み、爽やかな風が周囲を包み込む。湖から妖精でも現れるかのような光り輝く視界。
──やっぱりキラッキラッだけど。
金の髪は柔らかそうに優しく靡き、眩いくらいのヒーロー感。
主役級の存在感を放つ人物を前に、私は苦笑した。
声をかけて邪魔をしてしまっては悪いかとも考えたが、自分たちの関係では逆に声をかけないほうが不敬だろう。
何より、このまま何もせずに離れるということができそうにない。
意を決した私はこくりと小さく息を呑むと、一歩王子のほうへと足を踏み出し声をかけた。
「シモン様」
名を呼ぶと、馬に寄りかかるように立っていたシモンが振り返った。数秒視線が絡み、透き通るような青の瞳がすっと細められる。
私が近くまで寄ると、さっと上から下まで私の装いを確認し、シモンはにっこりと微笑んだ。
「こんにちは。エリザベス。こんなところで出逢うなんて奇遇ですね。ここには一人ですか?」
「はい。今日は気持ちのよい天気ですから。久しぶりに乗馬をしたくなりました」
そう答えると、ああ、と私の後方にいるハーツを見て頷いた。
「あなたもですか。私もです」
「シモン様もですか?」
そう尋ねてはみたが、意外でもなんでもないかもしれない。
王子の立場では、私より常に護衛や監視、注目を浴びて一人の時間はままならないだろう。
私自身も誰かが周囲にいる時間を苦痛だとは思わないまでも、ふと、一人になりたい時がある。それが完璧王子にもあると知れると親近感が湧く。
「一人の時間も大事です。乗馬といえば、ジョニーだと思っていたのですがいいんですか? 白馬の王子でしたっけ」
「ええ。もちろんジョニーにも会いたいですが、そんなにしょっちゅうベントンソン先生の手を煩わせるわけにもいきませんし。あそこにいるハーツも紳士な馬でとても心地よい走りをします。シモン様の馬も立派ですね」
灰色の馬。白でもなく、黒でもない。混ざり合った色のはずなのにそれはとても綺麗であった。王子たちの馬はすでに決まっており、王立学園で王族の馬として世話をされている。
私が乗ってきたハーツも、ある一定の者しか乗ることは許されないが、個人のものではない。あくまで、王立学園所有の馬である。だが、王子たちの馬は王子たちだけに許された唯一の馬だ。
「ありがとう。乗馬を始めた時からのパートナーだから、褒められると私も嬉しいよ。ところで、エリザベスのこれからの予定が特に決まっていなければ、よければ一緒に散歩でもしませんか?」
「ええ。……っ、ええ?」
貴族子女よろしく流れではんなりと頷いたが、まさか同行に誘われるとは思わず目を見開いた。
一人の時間を過ごしたくてここにいるのであれば、挨拶が終われば私はすみやかに撤退しようと考えていたので、まさかの申し出に軽くパニックになった。
「ダメかな? ずっと、二人で話をしたいと思っていたのだけど」
「わ、私とですか?」
シモンとはこの一年で距離は縮まってはいても、それルイたちを含めての話であり、個人的にはさほどである。
信頼しているし、知り合う前のようにきらきらを避けたいなんて思うことはなくなったが、いまだに真意を掴めない第一王子相手の申し出にどのように反応していいのか戸惑う。
「そんなに驚かなくても。同じ一人になりたい者同士ならちょうどいいかと思いまして。それにエリザベスとは二人きりでゆっくりと話す機会はなかったですし」
「確かにそうですが……」
戸惑いを隠せずちらりと様子をうかがうと、いつにも増してきらきらの眩しい笑顔が返ってくる。
それからシモンお勧めのスポットへとエスコートされ、しばらくして歩みを止めたシモンが私を見下ろした。
「エリザベス、君にずっと聞きたいことがあったんだ。──転生を繰り返しているとは本当?」
シモンの青く透き通る瞳にじっと見つめられながらの問いかけに、私は一瞬にして頭が真っ白になった。




