11.噂
「やっほぉ~。エリザベスちゃん。今日も相変わらずかわいいねぇ」
花の香りに誘われた蝶のように、ふらりと現れる青年。蜜を気ままに吸い、お礼とばかりに吐き出される言葉に、私はついと眉根を寄せた。
口元に運んだカップを置くこともせず、ちらりと視線をやってふぅっと溜め息をつく。
「はぁ。ニコラ。今日の用件はなんですか?」
「もちろん、エリザベスちゃんに会いにぃ」
チャラっ!
私はじと目になる。
「違いますよね?」
「本当なのに。グスンッ。信じてくれなくて悲しいなぁ」
「それで?」
ついでに目元に手をやり泣き真似をする青年に、私は苦笑を浮かべた。
相変わらずチャラッチャラで、明るい密偵を売りにしているニコラ・メーストレ。
当初は敬称とともに呼んでいたが、もうすっかりつける気がなくなってしまった。
視線が合うとニコラの細い垂れ目がさらに細くなり、にへっと口元を引いた。
いつも何を考えてるのだろうか。
いや、きっと何も考えていまい。少なくとも出会い頭に言われる言葉は何の意味もない。
挨拶のように女性を褒め、口説くのはいつものこと。
口から生まれ出たような相手なので、いちいちそれを真に受けることはない。
彼に対してはそんな労力は無駄だ。
それくらいニコラは口が軽くて何よりおだて上手。
定期的に一緒にいる女性が変わっている。取っ替え引っ替えというほどでもないのだろうが、常に彼の横には女性がいる。
糸目だがその口が功を奏するのか、糸目だがよくよく見ると良い体格しているからか、糸目だが情報通で女性に優しいからか、振られる頻度は多いが女性を切らしたことはないそうだ。
やっぱり垂れ目がいいのだろうか?
軟派な態度も垂れ目で許される的な。垂れ目免罪符?
なんだ、垂れ目免罪符って。
ちょっと情けなさもあって母性本能くすぐられて許すことが増えるのか、何かしてあげたいと思わせ、ニコラは相手の懐に入るのが上手く情報を引き出すのもうまい。
モテ要素というのはいろいろあるのだなと、ニコラを見ていてしみじみ思う。
「相変わらずツレないんだから。そういうところもいいのだけどね」
「はいはい。そういうのはいいので、話はなんですか?」
「本当にツレないねぇ」
「そうさせているのはニコラでは?」
軽すぎて、真面目に受け取るだけ疲れるのだから仕方がない。
「まあ、そうかもねぇ。信じてくれなかったけどエリザベスちゃんに会いたかったのは本当だよ。こんな美しくて可愛くて楽しい人ほかにはいないからね。それと、ちょっと確認をしにね」
「確認ですか?」
「うん。そう。サミュエル殿下とランデブーしてたって本当?」
「……!? …っん…ん、ゴホゴホゴホッ」
肩を竦めニマニマと人の悪い笑みを浮かべ聞かれ、エリザベスはどうせ大したことではないだろうと飲んでいた紅茶を噴き出しそうになった。
はしたないが、苦肉の策で頬を膨らませ一気に飲み込む。
ぐわっと喉が開き流れ込んだ紅茶が変なところに入って苦しい。少し冷めてて本当に良かった。
今は女性たちとティータイム中。
噴き出してドレスやらその辺を汚すなんて失態は犯せない。危なかった。
「エリザベスちゃん、大丈夫?」
「……っ!! ちょ、…まって。んっ、ぅん」
にへらっと笑いながら覗き込んでくる相手に、涙目になりながら手を前にして制する。
ほんとタイム~。喉の違和感もだが、言葉の違和感についていけない。
急になんだ?
ランデブーってあれよね? 逢い引きってことだ。
それをサミュエルと?
──いやいや、ないだろう。
ようやく落ち着いた私は、表情を作り直しニコラと向き合う。
「急になんですか?」
「いやぁ~。今の彼女がそう話していたのを聞いてね~。可愛いエリザベスちゃんのそんな噂は一大事だと、直接話を聞かなければと思ってやってきたよっ!!」
相手も相手だしね、と同時に華麗にウインク。
細めの垂れ目だからかろうじて小さくパチンって感じだが、チャラさは伝わる。どうしてもチャラチャラしていないといけないようだ。
「チャラ病……、あっ」
その姿を見ていて、思わず本音がポロリ。
「ええぇぇ~!? これって俺の病だったのお? まじですか。チャラさ込みで優しくて気が利くところも好きとか、私だけにしてって言われることはあるけど。でも、病っていいなぁ。うん。病。治るかもしれないし、治らないかもしれない。そう。俺はこうしないといられないからね。これからチャラ病だからって言おう。それにしても、よっく見てくれてるね~。エリザベスちゃんの愛を感じるぅ」
「そんなものに感じないでください」
両手を広げてさあおいでとばかりの態度に、冷たい視線をやったが次第に憐れみに変わる。
さすがに失言だったかと思って口を閉じたのだが、そこでニコラが一人喜び何やら一人納得した。
ちょっと悪かったなと反省したのに、にこにこと笑うニコラを見て逆に不憫に思えてくる。
誰が見てもそうだろうとは思うが、失言を喜ぶ神経は逆に大丈夫だろうか?
いやはや、女子になら何言われてもいいとか?
やっぱりこれはニコラの性質、病みたいなものだ。
そもそも、ニコラは王子たちといるときはあまり接触してこない。
女子ばかりといるときに嬉々としてやってくるのだ。女たらしのチャラいニコラらしい。
その時に付き合っている彼女がいてもいなくても、女性なら誰にでも賛辞を贈るだけ贈りふらりといなくなる。
本人は特に深い意味がなくても、それを本気にする女性は意外と多い。
褒められて嫌な気分にはならないだろう。
ニコラの言葉はタンポポの綿毛のようで、人任せ風任せで勝手にくっついて気まぐれに芽吹いたそれを刈り取る。それが彼の恋愛スタンス。
それが、この一年で姉のマリアのこともあり彼と関わることが多く見てきた私個人の感想だ。
とにかく、彼自身も人間関係もふわふわしている。
適当なようで器用だなと呆れと感心を持って見ていたら、涼やかな声とともに人影がニコラとの間に割って入った。
「メーストレ様。エリザベス様に気安く話しかけないでくださいますか? エリザベス様、大丈夫ですか?」
きっ、とニコラを睨みつけ、続いて私に心配そうな眼差しを向ける女性は、ドリアーヌ・ノヴァック公爵令嬢。
水球事件以降すっかり懐かれており、ニコラが現れると私に近づかせまいと盾になるように立ちはだかる。
「ええ、大丈夫です」
「エリザベス様。涙が……、これをどうぞ」
「ありがとう。サラ」
頼もしいドリアーヌににっこりと笑みを浮かべると、もう一人のクラスメイトがハンカチを差し出してきた。
ハンカチの持ち主は、サラ・モンタルティ男爵令嬢。
白のレースをあしらっただけのそれは、控えめなサラらしいものだ。
「エリザベス様を苦しめるなんて」
「そうですよ。メーストレ様はもう少し自重なさってください」
不満を隠しもせず告げるオリビアとミア。
二人とも婚約者がいて、あちこちの女性と遊んでいるニコラの印象は良くないようだ。
「先日また振られたって聞きましたけど、もう彼女ができたんですね」
「本当ですよ。なのに、毎回毎回エリザベス様に付きまとって」
ほかにも数名クラスメイトがいて、私を擁護する言葉が飛び交う。
二人を含め良い友人関係を築かせてもらっており、少なくとも彼女たちは王子たちに媚びることがないので、気兼ねなく関われる令嬢ばかりだ。
自重するニコラの想像はできないが、ニコラには姉への情報操作をお願いしているためそれなりに仲良くする必要があった。
理由は公にできないのでクラスメイトたちには言えないが、一方的にニコラが付きまとっているわけではない。
いわば、ニコラのこれも仕事みたいなものだ。
なのに、そんなふうに言われてもにこにことニコラは笑みを浮かべている。どうやら本人は何も弁解する気はないらしい。
ちらりと彼を見ると笑みを返され、私は嘆息した。
ニコラのチャラい掛け合いは本当に挨拶なのだ。
そして、彼なりのコミュニケーションの一環で、本人に深い意図はない。きっと話を引き出しやすくするための手段の一つくらいだろう。
そして、今も情報という精査をしに来ていることを私は理解している。
仕方がないので、ニコラが弁明しないなら自分が誤解を解くしかないのだろうと、私は口を開いた。
「皆さま。言い過ぎです。ニコラにはニコラの良さがあるのですから、女性問題は当人同士の問題であって何も知らない私たちが言及するべきではありません。それに彼に口説かれたこともないので、これはただの会話です。みなさんもそんなに彼を責めないでください。さっきだって、私が驚いて勝手にむせただけですから」
いや、本当、吐き出さなくてよかった。
この調子だと、もし吐き出していたらニコラはもっと責められていたことだろう。
「もう。エリザベス様は優しすぎます」
「そういうのではないですよ」
「いいえ。エリザベス様は本当に素晴らしいです!」
ドリアーヌを筆頭にきらきらとした瞳でエリザベスを見る令嬢たち。
うっ、その眼差しが眩しい。
本当、どうしてここまで崇めてくれるようになったのか。
嫌われているよりはいいのだろうと、深く考えることをだいぶ前に止めているためわからない。
特に彼女たち対して何かしたつもりもないのだが、気づけば彼女たちの眼差しがこうだった。
身分が上だとか(同じ公爵家でもテレゼア家は四大貴族の一つ)、王子たちと友人だとか、そういった意味合いとは別のものを感じる。
もろもろこうなった出来事はいくつか浮かぶ。
その内の一つは、合同授業の時にやたらとふざけて授業の邪魔をする他クラスの男子生徒に腹が立って、風魔法でズボンのホックを取ってみたことだ。
そこまでするつもりはなかったのだけど、見事にズボンがずり下がり、ハートのパンツを曝け出したのにはびっくりした。
ちょっと外れたら動きにくいだろうくらいの気持ちだったのに、不運としか言いようがない。
その男子生徒は、授業内容に紛れて女生徒のスカートを風で浮かそうとしていた。
あっちこっちでキャァーという声が上がり、原因が誰か気づいた私の出来心。女性の気持ちを知ればいいと、下には下事情と思ってのことだ。
それがいけなかった。
すごく小さな声で詠唱を唱えたつもりだったが、すぐに私がやったのがバレてルイたちに怒られた。
『エリーてば。あんなことできる人物は限られているでしょう? 言ってくれたら手伝ったのに』
『ふふっ。それでバレないと思っているところがエリザベスだよね。やっぱり、その魔法を唱える時の声は耳に入りやすいから、しかも、『ホッホッホ~ク』てそのままだったし。どれだけ小さくても声を拾ってしまうよね』
『あんなもの見る価値もないから見るな』
『もっとほかにやりようがなかったのですか?』
と、ルイ、シモン、サミュエル、ユーグの順に何を怒られているのかわからない説教をくらった。
しかも、しっかり詠唱も聞き取られていた。恥ずかしい。
それに腹が立っていたとはいえ、男性のズボンのホックを外すって恥ずかしい行為であった。
だが、脱がす気はなかったからギリセーフということにしておこう。
脱げてしまったことは不可抗力です。パンツの柄まで責任は持てない。
ついでに、ルイたちに注意されているところを見られてしまったので誰がやったか知られ、女生徒は困っていたからスカッとしたと喜ばれた。
なかにはいまだに定まらない魔法を使う時の掛け声に、『詠唱の言葉、一緒に考えさせてください』なんて一緒に頭をひねろうとしてくれる女生徒も現れた。
それでいろいろ出てくるのだが、まだしっくりくるのは見つけられていなかった。
とまあ、なんとなくの出来事は予想つくのだが、ここまで崇め好かれる要因はわからないままだ。
聖女化した姉ではあるまいし、あくまでこちらは身近な人たちが有名なのでちょっと目立つだけの公爵家次女である。
だが、そういうことがあるたびに、私を見る視線がきらきらするのは気のせいではなかった。
さすがの私もここまで態度に出されるとわかる。
だが、今はそのことではない。
「皆さん。ありがとうございます。ニコラの話に戻っても?」
「ええ。そうでしたね。サミュエル殿下とデートの『噂』ということでしたね」
「そうです。ニコラ、私には話が見えないのですが? どうしてそのような噂が?」
ずっと嬉しそうにこちらのやり取りを聞いていたニコラは、「慕われてるねぇ」とニマニマした後、校舎の裏側を指差した。
「数日前に二人っきりで夕日を見ながら語らっていたのを見た者がいるようですよ?」
「夕日? ……ああ、もしかして鍛錬の練習を見に行った日でしょうか? 最後少しだけ二人で話すことはありましたが、噂になるようなことはしていませんが?」
そもそも、あの時はほかの人たちが帰った後は自分たちだけであったはずだし、見える範囲に人はいなかった。
いったい誰がそのような噂を?
「まあ、そんなところだろうとは思ってましたよ。相手はサミュエル殿下ですもんね。これがルイ殿下やシモン殿下なら、真実はともかくもっと勘違いされて盛り上がっていそうですが。逆に言えば、女性に対して奥手なサミュエル殿下が相手というのが、今密やかに噂になっている原因とも言えますね」
その評価は喜んでいいのかどうなのか。どの王子も微妙だと思う。
「そうですか」
「意味わかってますか?」
「わかってますよ。密やかにということでしょう?」
密やかにというのが、逆に真実味を帯びてくるのだろう。
大々的に噂になっていないから否定しに回るわけにもいかないし、かといって王子の醜聞を放置してもいいのかどうか。
語らっていたことが醜聞なのかどうかも判断しにくいが、少なくともニコラが確認が必要だと思った内容だということだ。
「それもそうですが、ほかにも理由がありますよ」
「理由ですか?」
「エリザベスちゃん、もしかして学園の七不思議を知らないのですか?」
「何個かは聞いたことありますけど。今回のこれに関わるようなものは知らないですね」
鍛錬場で語らうことが七不思議? そんなの聞いたことがない。
「これもそうですよ。七不思議といっても、結局何個あるのか知らないですけどね。俺が聞いただけで十個以上ありますよ。もともとあったものから増えたものまでどこまで信憑性があるのかは疑問だけど、カウントされている事実は事実ですからね」
「ええ。確かに私の知っているもので、かなり方向性が違うものもありますね」
ニコラの言うように、七不思議は人によってカウントされている内容が違う。
その上、冗談のようなものまである。
「そうそう。それで今回のは恋愛ホラー系です」
「恋愛ホラー?」
大体、うすら怖いと思うものが七不思議なのだけど、ホラーと言ってしまっていいのか。
しかも恋愛? どんな話なのかと促すと、ニコラは意気揚々と口を開いた。
「それはですね、夕日を見ながら正解の場所で告白すると二人は末長く結ばれるというものです。場所は闘技場であったり、屋上であったりと語る人によって場所は変わるけど、夕日というアイテムは変わらない。そして怖いところが、この噂の中の一つが外れでその場所で告白すると永遠に結ばれることはないのだそうですよぉ」
「一種の度胸試しみたいになっているのですね」
そういう怖さか。
思っていたものと違うけど、確かにホラーだ。
「本人がそれを実行するしないはともかく、夕日を前にそういう雰囲気のカップルを見ると自然と周囲は盛り上がる」
「だから、私とサミュエル殿下の噂が立っているのですね。そもそもその七不思議はあってもなくても、結局変わらないですよね? むしろ恋する気持ちを後押ししているのかな」
告白するなら、成功するように願掛けして噂の一つを選ぶ。選ぶからには頑張る。
付き合っても添い遂げるなんて誰もわからない。貴族社会では許嫁がいる者もいるし、状況によっては相手を選べない立場の者もいる。
今だけは。
そう夢を見ての七不思議に乗っかっているところもあるのだろう。
なかなか七不思議も奥深く、集団心理も働いてあれこれ不思議として語られるのだろう。
「ふ~ん。エリザベスちゃんって本当面白いよね」
「どういう意味ですか?」
「バランスがかな。敏いはずなのに、鈍いところかな。そういうところがきっといいのだろうけどねぇ。この際だから、知っている七不思議を教えようか?」
「そうですね。面白そうではありますが」
ニコラは情報通だ。きっといろいろ知っていることだろう。
そこで私は周囲に視線をやった。
話題としてありだとは思うが、彼女たちがどう思うか。
「私はエリザベス様が知りたいなら聞いてみたいです」
「そうですね。知っておいて損はないとは思いますし」
「不用意に近づかなくてもいいように知っておきたいです」
「……聞いてしまうと気になってしまいますが、皆さん知っているのに知らないのもどうかと思うので教えていただけるなら」
「そうですよね」
「ええ。私も全部は知りませんし……」
躊躇いはあるようだが、皆気にはなるようだ。
「なら、教えていただきましょうか?」
実みたいなモノのこともあるし。
もしかしたらそれらしい話が出てくるかもしれないしと、私はゆったりと笑みを浮かべてニコラに席に座るように告げた。




