7.イース薬屋店
ユーグ・ノッジと約束の週末。
学校から寮は徒歩可能な距離なので困らないが、学園の敷地内といえども広大な敷地の中での移動は大抵が馬車を使わないと非常に不便なため現在馬車で移動中だ。
からりと晴れた空がぐうぅんと伸び広がり、手に届きそうなほど近く感じる。
窓から流れる景色も活気に満ち心持ち浮き足立ちそうになるが、一緒にいる相手を思い自重する。
──ユーグはどこまで理解を示してくれるのかしら?
結果がどうあれすることは変わらないが、理解してくれるか否かで気持ちの持ちようは変わってくる。
それに学園の実みたいなモノのこともあり、あってほしくないけどフラグイベントの可能性を思うと協力体制を取るためにある程度信頼を得ておきたい。
すべてを知ってもらいたいわけではないが、多少なりともわかってくれる人がいるだけで今後の動き方も違ってくる。
そうは思ってはいても事が終わるまでは杞憂案件なので、馬車に揺られながら考えすぎないように窓の外の景色を眺めた。
若者、しかも目の肥えた子息、令嬢の気をひくためにディスプレイを凝らした店が立ち並び、装飾品を扱う店には休日を利用して買い物をしている学生たち、カフェテリアにも人が多い。
そんな中、看板のみのこじんまりとした佇まいの店の前でゆっくりと馬車が止まる。
その店は客寄せするためディスプレイに凝ることもなく遮光カーテンも引かれており、外から見える店内はとても薄暗かった。
『イース薬屋店』
王立学園領地に出店するには審査基準がものすごく高く、出店したら出店したで競争率も激しい場所。そんな激戦区で商売する気を感じさせない微妙な雰囲気。かろうじて用途がわかるそれ。
そもそも、学園内には保健室、それとは別に総合病院もあるので個人で調達する必要はあまりない。だから、訪れる者も少ない、というか限られていた。
「ノッジ様。ここです」
「……なんていうか、怪しいところですね」
「そうですかね? 質素な感じで私は好きですけど。あっ、遮光カーテンがあると店内わかりにくいですものね。ですが、それは薬剤を扱うからなので、管理は行き届いていますので物や質の保証はします」
「そうですか」
無表情で店を見直し静かに相槌を打ち、私へと向き直ったユーグの表情からは何も読み取れなかった。
相変わらずの塩対応であるが、付き合ってくれるだけマシなのだろう。
なにせ、女性嫌いのユーグである。そんな彼がお付きもいるとはいえ、二人で行動なんて苦痛以外の何ものでもないはずだ。
これも進歩というべきか。
目的はあれど多少なりとも私と行動してもいいとの表れ。そう思っておこうと、私は馬車から降りた。
ふむふむと勝手に相手の心境に納得する理由を見出し、さあこれからだと意気込む私の横で、ユーグは小さく息を吐き出した。
私はユーグの反応を横目に店の前に立つ。
休み期間は帰省していたので、ここに来るのは一か月以上空いている。
カランカラン、とドアを開けると同時に呼び鈴が響き、ひんやりとした室内の空気が肌にまとわりつく。
想像通りに店内は薄暗かったが、掃除は行き届き清潔であることがわかる。だが、初見の人はそれよりも所狭しと陳列されたものの量に圧倒されるだろう。
すでにその光景に見慣れた私は、さっと視線を走らせて目的の人物を見つけると親しげに名を呼んだ。
「こんにちは~。ライル。久しぶりですね」
こちらを背に棚の奥でごそごそと屈んでいた男性は、私の声にすかさず反応すると立ち上がり振り返った。
私の姿を確認すると、にこにこと満面の笑みを浮かべる。
「リズ嬢。ご無沙汰しております。その方がおっしゃっていた方ですね。これまたルイ殿下とは違った男前な方で、リズ嬢の周囲は美形の宝庫ですね。さあ、お顔を見せてくださいな。どれどれ、顔色は良好。少し目の下に睡眠不足が見られますが概ね合格ですね。それに美しさに磨きがかかっておられるようで、この先がますます楽しみでございます」
そして矢継ぎ早、顔をぐいっと寄せて私の健康チェックをするライル。
年齢は二十五歳で、赤茶の髪に頬にはそばかすが散り絶えず笑顔を浮かべ愛嬌の良さが前面に出ている。
会うたびに勝手に私の健康状態を診断し、調子の悪い時は大げさに休ませようとする。
その口はよく回り、口を動かしながらもさっさっと視線をずらしながらしっかり目の前のものの状態を把握するライルの観察眼は侮れない。
そして、いつも過剰に褒めることを忘れない彼の言葉は、もう職業病なのだろうと軽く流すことにも慣れた。
「ありがとうございます。しばらく来られなくてごめんなさいね。ライルは元気にしてました?」
「はい。リズ嬢の姿を拝めないのは寂しかったですが、私はまだ会えるほうなので贅沢を言っていられません。連絡がないのは元気な便りとバンバン売りさばいておりましたよ」
「それはよかったです」
エリザベスという名に愛称はいろいろある。
身内や親しいルイなどはエリーと呼ぶが、ライルのようにリズと呼ぶ人もいる。
仲の良い商人たちにそう呼ばれることが多い。テレゼア領地内や公の場ではエリザベス様と呼ばれているが、普段はリズと愛称だ。
ここでは身分というよりはビジネスパートナーなのでいちいち畏まっていたら話が進みにくいということと、自分のことを大っぴらにしたくないと話し合った結果だ。
「商売のほうは順調そうですね」
「リズ嬢のおかげで大繁盛です。前回の新作薬草バンドですが、もうすぐ在庫がなくなる勢いですよ」
新作薬草バンドとは、アンミツ草からヒントを得た私が開発した貼り付けるだけで怪我の治りを早くするものだ。
私の魔力が込められているため、薬草の成分が促され本来以上の効果を発揮し、なかなか役立つ代物となった。
「そうなんですか? ほかのものより少し単価が高いのでこんなに早くなくなるとは思いませんでした」
「噂が噂を呼んで、今現在予約制として付加価値が付いてますよ。リズ嬢がどれだけ持ってきてくださるかわからないですし」
「言ってくださったらよかったのに」
「リズ嬢は学生さんですから、学業が本分なのでくれぐれも催促はするなと上から言われております。あくまでリズ嬢のお助けをということですので。むしろ、こんなに儲けさせてもらって計算が楽しくて楽しくて」
そう言うと、さっきまで持っていなかったのにいつの間にか出したそろばんを弾くライル。
ぐふふふぅとそろばんを頬ですりすりして、パチンと小気味よい音を鳴らす。
ライルはそろばんを手に持った時が一番生き生きしている。
「そろちゃんの調子も絶好調ぉ~」
ライルがまたぐふふふぅっと笑うと、横に立っていたユーグが「そろちゃん?」と若干引いたように疑問を呈した。
「ノッジ様。『そろちゃん』はライルの相棒です。くれぐれもその存在を大事に受け止めてあげてください」
話が拗れる前にすかさず真顔で告げると、関わっては駄目だと思ったのか口元をひくっと引いてユーグは言葉なく頷いた。
──やっぱり、びっくりするよね。
私は感覚が麻痺しつつあるが、ライルのこの行動は少しばかりおかしい。いや、はっきり言って知らない人から見たら怪しい人満載だ。
しかも、これはごくごく一部。ライルの琴線に触れ爆発すると生きジゴ……、ゴホン。ええっと大変なことになる。
そんな大惨事は避けたいので予防線を張った私の物言いに、聡明なユーグはなんとなく察してくれたようだ。
話の流れからもわかるように、ライルのそろばんの名は『そろちゃん』である。
安直な名前であるが、愛着を持っていることは十分に伝わり、それをバカにしようものならたちまち『そろちゃん』は武器になり頭に大きなたんこぶを作ることになる。
愛着があるのに武器としても使うって矛盾していると思うかもしれないが、一時も離れないことが相棒なのであってその使い方はライル次第。
本人曰く、愛があるから武器にもなるらしい。
その意図を深く考えてはいけない。意味がわからないので理解しようとしたほうが負けだ。
ちなみに、『そろちゃん』は鉄製です。うん。もう何も言うまい。
とにかく、ライルと『そろちゃん』は一心同体。そして、『そろちゃん』を持つライルは最強だ。
──元気そうで何より……。
初めて彼と会った時はその姿にものすごくドン引きしたけれど、最近では彼がそろばんを持ち出すと頼もしささえ感じるのだから時というものはすごい。
実際、彼の商売に準じた計算は信頼できる。だから、彼に任せているのだ。
「エリザベス嬢。あ、あれは……」
ユーグの戸惑う声に現実に戻ってきた私の目の前では、どこでスイッチが入ったのかパチン、パチンと高速で計算し出したライルがいる。
もう手元が見えないほどの速さで動いている。人の動きの範囲を超えている。あのギラついた目は人の目ではない。人外だ。
私はああっと納得する。
初見ではさぞかし衝撃がすごいことだろう。誰もが通る道に同じように反応したユーグに逆に安心する。
「ノッジ様。前も話したことがあると思いますが、世の中広いのです。知らないほうがいいこともあると思います。存在だけ受け入れてくださったらそれで」
「……わかりました」
いつも冷静なユーグが若干口端を嫌そうに引いたのを見て懐かしささえ感じたが、本来の目的に戻そうと人間離れした技を惜しげもなく披露するライルに話しかけた。
「ライル。もっと素敵な計算があるのでそろそろこちらに戻ってきてください。今日は薬草バンドの改良版も持ってきました。効果は前回のものより長持ちすると思います」
「ぐふふふふぅ。……っ、ん? リズ嬢今なんと?」
そこで己の世界に入っていたライルの手がピタリと止まり、にかっと笑みを浮かべた。
期待に満ちた眼差しに、私は苦笑する。
「バンドの改良版を持ってきましたよ。それといろいろ。それを鑑定して計算してくださいな」
「きたこれ~!! やっふー。そろちゃん大活躍ぅ」
「落ち着いてくださいね」
「あっ、つい興奮してしまいました。失礼しました。ではさっそく」
早く落ち着けと私が視線で運び込まれた箱を示していると、瞬間移動のようにライルはそちらに飛んで行った。
そろちゃんを手に持った時のライルはテンションが上がりすぎて困ったものだ。
迅速な動きに感心していいのか呆れていいのか迷う暇もなく、箱を開けたライルが一つひとつ丁寧にものを確認し、高速そろばん打ちをしていたかと思うとしゅるっとそろちゃんをどこかに仕舞った。
──えっ、どこに? しゅるってどういう音?
ユーグに言い聞かせるように気にしないことだと助言したが、ついつい目の前で起こると考えそうになる。
考えたら負けなので、私は軽く首を振るとにっこりと笑みを浮かべた。
「どうですか?」
「どれもこれも申し分ないです。順調にリズ嬢の魔法の精度が上がっていますね。さすがリズ嬢です。可愛いし美人だし、何より私たちに潤いをくれる我らの商売神様。さてさて、まずこの改良版薬草バンドですが、大体どれくらい効果は持続しますか?」
「予想では前回のものより二倍弱というところです。また、そちらで検証を」
かなり試行錯誤し改良した成果を、私はえっへんと披露する。
「わかりました。テストした後になりますが、市場に出る時の金額は五倍になるかと思います」
「そんなに?」
「先ほど申しましたが、売れに売れておりますのでそれくらいしないと商品を切らすのが早くなってしまいます。それにそれだけの価値がある商品ですからね」
その言葉に私はふよっと頬を緩めた。素直に嬉しい言葉だった。
商品価値が上がるということは、ライルの商売人としての腕はもちろんのことだが、それだけ出してもいいと購入者に思われる物が提供できているということになる。
私の持つ水、風、緑の中で、癒やしの効果がある緑の魔力が上昇していることを示している。
この力は今までの転生の中であまり向上しなかったので、努力が報われ実益に結びついている成果に、ついにやっとしてしまう。
「そうですか。比較的簡単に作れるといっても、材料も時間も限られていますしライルにお任せします。細かなことはまた決まったら連絡をお願いします。あと、ご覧になった通りほかもいろいろ試作してみましたのでそちらの検証もよろしくお願いします。説明はいつものように紙に書いておりますので」
紙を差し出しながら説明すると、ライルはとんと胸を叩いた。
「わかりました。しっかり稼ぎますので安心してください」
「ええ。頼りにしております」
「お任せください」
「コホンッ」
視線を合わせ同時ににんまりと笑い合っていると、そこであからさまなユーグの咳払いに、二人同時に振り返る。
「エリザベス嬢。これはどういうことですか?」
その声とともにひどく冷たい空気が横から流れ出す。
視線の高い場所からいつも以上に何を考えているのかわからない冷えた視線を向けられ、私は小さく息を呑んだ。
──少し、調子に乗りすぎたかも……。
置いてきぼりを食らい、いろいろ衝撃が去ったのであろうユーグの冷ややかな空気にしまったと背筋が伸びる。
ここにきて怒涛のような流れに、訳もわからない状態のままにいるのが耐えられなくなったのだろう。
反省しながら私はうかがうようにユーグのほうに向き直った。
あれこれ丁寧に説明するよりは、何をしているか見てもらったほうが早いと思ってついてきてもらったけれど、やっぱり補足は必要であったようだ。
「すみません。すべてを見てもらってから説明をと思っていたのですが、説明いたします。彼はライルと言って私の作った薬の販売を手伝ってくださっている商人さんです」
「イース商品担当のライルです。どうぞお見知り置きを」
ライルが大袈裟に腕を折ってお辞儀をしたのを見守り、私は今更ながら紹介する。
「ライル。彼はノッジ様で第一王子殿下が信頼されているご友人です」
「ユーグ・ノッジです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。ノッジ様にお会いできて光栄です」
「ありがとうございます。ところで、イースとは最近よく耳にする名前ですね」
ユーグのその言葉にライルは嬉しそうに頷いた。そろちゃんもその手にないので、受け答えも比較的大人しくなる。
そこで思い出したように、「すみません。立たせたままでした」と店の奥にあるテーブルに案内しそこに腰掛けた。
飲み物をそれぞれの前に置くと、タイムラグなどなかったかのように話し出す。
「どうぞ。イース商品についてでしたね。イースはリズ嬢、ああっとエリザベス様の頭文字のEと語尾のthからとりました。つまり、リズ嬢の作るものをこちらで商品として扱わせてもらってます」
「へえ、ものですか」
「はい。リズ嬢の作ったものです」
いやいや、どこに引っかかってるの? もしかして、これで薬だけでないことがバレた?
ふははっ。私は知りませんよ~。
なんでライルはわざわざ含みを持たせて言うのかな?
ユーグもなんでそんなちょっとしたことに引っかかってしまうのか。
この話は今はしませんよ?
なぜって、私が恥ずかしいからです。ルイも知らないはずだ。少なくとも私から仄めかすことはしていない。
思わせぶりも嫌なので簡単に言うとちょっと発明というか、人によってはくだらないものが商品になっている。
これっぽっちも売るなんて概念もなく作ったものであったが、それがライルのお眼鏡に叶い、マニアに密かに人気なのだそうだ。
商売とはわからないものだが、そっちの話はまた機会があったらって感じだし、あまり知られたくないのでライルがにっこり笑うのに合わせて知らぬ顔で私もにっこり笑った。
「そうですか」
その言葉とともにユーグはちらりと私を見て、冷ややかな笑みを浮かべた。
その姿は、冷ややかささえなければ完璧な微笑とともに有無を言わせないシモンと重なる。
やっぱり、近くにいると似るところが出てくるのだろうか。
それになんとなく違和感を覚えながらも、それよりもそんなユーグの笑みとともに、ライルがものすごく真っ当に綺麗に笑みを浮かべたことのほうが気になった。
商売人らしく丁寧な笑顔はいいことだ。
だけど、今は客としてではないのでその行為が不自然に映る。少なくとも、愛想とは別の作った笑みを浮かべるのを真正面で見ることは稀であり、その笑顔に不安になる。
一瞬、捉えるように鋭い眼差しでユーグを見たような気がしたが、私がじっと見るとにっこりといつものように柔らかにこちらを見たので気のせいだったようだ。
それでも、先ほどより空気が重いような気がして、知らず知らずのうちに私は長く息を吐き出した。




