4.歩み寄り
中庭の木々に隠れる一角。
私は人目を気にして動いていたので、必然的にユーグと二人きりになった。
アッシュグレーの瞳が不審さを隠さず私を見下ろしてくる。
不意打ちに戸惑う私をよそに、ひどく落ち着いた声で挨拶を返し冷ややかに私を観察していたユーグの視線が、私の両手に止まった。
すっと目が細められ、口がほぉっと感心したというよりは呆れたように開く。
どくっと胸が嫌な音を立て妙に焦る。
そもそも、この人も相当な美形だ。ただ、他者を寄せ付けないオーラが際立ち、おいそれと人を近寄らせないからその美貌云々以前なだけで、王子たちに負けず劣らず秀麗な顔立ち。
その瞳と髪は透明感と大人っぽさが混ざり合い、その彼の徹底したスタンスと相まって禁欲的に仕上がっている。
そんな彼がほぉっと意味ありげに自分に向けて口だけ開くとか、怖さと貴重さで胸が高鳴るのも仕方ない。
だけど、それは一瞬のことですぐさま不安のほうが増していく。
それと同時に、その手に持つものに重みを増した気がして、私はそっとそれらを見た。
袋の中にはいっぱいの薬草や木の実、その上に先ほどの変装グッズなる葉っぱ仮面がちらりと顔を出している。
やばっ。
警告音が頭で鳴り響き、私は慌ててぐいっと押し入れた。
そのままそれらを不自然にならないようユーグから隠すように後ろにやり、気づかれていないよねとそっと視線を向けさっと血の気が引いた。
――う、ぎゃあぁぁぁぁ~。
何てことでしょう。
その口元は綺麗な弧を描き、普段の彼から考えられないほど整いすぎる笑みを浮かべてこちらを見ていた。
滅多に見せない笑顔はどうやら怒った時に出るようで、ちょいちょいその姿を見たことのある私は肝を冷やす。
誤魔化しさえ許されない空気に、こくりと喉を鳴らした。
「………………」
「………………あ、のっ」
見透かすような視線を向けられるだけで言葉はない。拷問だ。長い沈黙に耐え切れず、私は言葉を発した。
それを待っていたかのように、ユーグが冷然と一瞥するとふっとこれ見よがしに息を吐き出した。
それにびくりと肩を揺らすと、小さく肩を竦めたユーグが話し出す。
「さて、後輩ができることに緊張するなどとおしゃっていたご令嬢が、そんなに物を持ってどこに行っていたのでしょうね? そろそろ私めにもご同行をお許しいただけますでしょうか?」
「いえ、そんな大層な。ちょっと散歩に」
なるべく平静を装えるように笑顔を心がけるが、頬が引きつる。
「ですから、その散歩に一度お付き合いさせていただきたいと申しているのですよ」
「はっ、ははっ」
「一緒についていくことを請うているのです。お付き合いを許していただけますか?」
有無を言わせぬ笑顔。笑顔貼り付けているだけマシだろ的なそれに、私はそろそろと視線を逸らした。
──お、オワッタ……。
言葉だけだとデートのお誘いみたいだが、ユーグのこれは決してラブな誘いではない。
私に対しては少し態度が軟化しているものの女性嫌いは健在だし、王子たちの友人と認めていても基本私のことを面倒だと思っていることは知っている。
彼が崇める第一王子のシモンが私に絡むから、ユーグも話すというだけだ。
このお誘いという脅迫は、何度かやらかした現場を見られているからというのも大きい。
その時のことを王子たちには話さないでと口止めし、令嬢らしく大人しくしていろというお説教も受けていてのこのタイミング。
どうやら両手いっぱいの荷物は怪しい認定されてしまったようで、正直、葉っぱレディなんてアホなことしてきた自覚はあるしで、へにゃっと口元を歪めた。
それがいけなかったようだ。
一歩、ユーグは近づくと逃さないぞとわずかに腰をかがめて視線を合わせてきた。
この青年にしては近い距離。
そうはいっても、腕を伸ばせば触れられるくらいの距離であるが二人きり、いつもと違うというだけで悪いことをしている気分になった。
「返事を聞いているのですが」
「……そうする必要性はないかと」
たかだかそこらの子女の散歩に、シモンの側近であるユーグを付き合わせるなんて滅相もありませんと視線で訴えてみるが、一度瞬きして見据えられるだけであっけなく却下される。
「いえ。エリザベス嬢のその不思議な行動をそろそろどうにかしないと、殿下たちにまで迷惑をかけてしまいます。エリザベス嬢自身が、あなたの姉であるマリア嬢とは違った方向で信者を集めつつあるのに自覚はないのでしょうか?」
ああ、いろいろ思い当たるところがありすぎて困る。それに、違った方向っていうのは褒め言葉ではないことはわかる。
さっきのソフィアの眼差しを思い出し、少し不安にもなって眉尻を下げた。
「ご自覚があるようで」
「……少しだけ」
「少し、ねぇ。学年も上がり良い機会です。是非とも、私にその少しを見せていただきましょう。言っておきますが拒否権はありませんからね」
「………………はい」
ユーグには、足を出して木に登ろうとしていたところや、面倒くさくて二階の窓から紐をたらし飛び降りたところなど、貴族子女にあるまじき危うい行動ばかりを見られており、訝しがられているのだ。
普段は気をつけているし、少しばかり緊急だったり面倒くさくなったりしても周囲に気を配ってから行動しているはずなのに、タイミングが悪くそんなところを見られてしまっていた。
十割中五割といったところか。結構な頻度だ。
ユーグはシモンへ向けられるセンサー以外で、私の行動(奇異行動なんて言いたくない)へのセンサーでも付いているのではと思うほどの遭遇率だ。
こちらも嬉しくないが、そんなものを見せられてユーグも嬉しくないだろう。
だが、見てしまった以上、王子の友人である私を少しでも令嬢らしく行動させようと思っているようだ。
──うーん。どうしようかな。
別に何がなんでも隠さなければならないわけではない。
ユーグが言うように、公爵家の子女として好ましくない行動だということを多少は自覚しているので、こそっとしたいだけである。
じっとしていられない性分でもあるので、それらの行動を控えることはできても止める気はない。
ユーグは見たことについて、約束を守ってくれているのか王子たちに言いつけてはいないようだ。
別に王子たちに話してくれても構わないのだけど、主にルイとかすっごく心配されそうだし、忙しく身分のある彼らにそんなことで煩わせるのも申し訳ない。だから、ユーグもすべて報告しないのだろうと思う。
いっそのこと、私はこういうものだとわかってもらうほうが早いのかもしれないとさえ思えてきた。
聞きたいこともあったし、下手に隠すよりはもはや要望になるのだけど、話しておいたほうが今後のためにも良いかもしれない。
ユーグとの距離を考え直すのもいい機会だ。
ユーグは王子のためにどうしても私の行動を把握し正したいようだし、私は行動をしたい。
なら、私のことを知ってもらった上で王子たちへの情報提供はお任せするほうが、自分の行動による周囲への影響力という点で考える負担は減る。
それくらい、王子たちには関心を向けられていることは気づいている。
この一年友人として大事にそして楽しい時間を共有してきた自負はあるので、彼らの中の自分の存在を軽んじてはいない。
私もこの一年で、王子の未来に幸あれと願うくらい彼らの人柄を好ましく思っていた。
だからこそ、王子という立場で律しながら頑張っている彼らに、自分の勝手な行動で負荷はかけたくはなかった。
だけど、私にも譲れないものがあるので動くことはやめない。やめられない。
そこで、緩衝材としてユーグ。
これはいい考えかもしれないと、私はふっと笑みを浮かべた。
それを見たユーグはぴくり眉を跳ね上げた。
聡いユーグのことだ。何か予感めいたものを感じたのかもしれないけれど、今更逃がさないぞと私は口を開いた。
「ノッジ様。ご説明すればよろしいのですね?」
「そうですね。是非」
よし。言質を取った。しっかり巻き込まれてもらおう。
「わかりました。これから話すことに対して絶対他言無用というわけではないですが、基本黙っていただけるという方向でお願いできますか?」
「ええ。ですが、ある程度はルイ様も知っておられるのでしょう?」
「そうですね。ですが、知らないこともあると思うので、やはり基本は黙っていただける方向だと助かります。それほど大した行動はしていないと思うのですが、ルイはとても心配性ですのであまり心配をかけたくないんです」
実際のところどこまで把握しているのかはわからないけれど、ルイに聞かれない限りは話さないでおいたほうがいいだろうなというあれやこれやがある。
「なるほど。こちらとしては、あなたがしでかす前に行動パターンを知れることがまず大事かと思っての判断ですのでそれで構いません」
「私の行動パターン?」
「殿下たちの友人として、粗相をしないようにですよ」
「ああ、そうですよね」
ぶれないユーグである。逆にそこが安心するなと、私は時間を指定する。
まずは、このスカートの下のモノと手に持っているモノをなんとかしなければならない。
「なら、一時間後。応接室を押さえますのでそこに来ていただけますでしょうか? どの部屋かは使いを出します。それに、私自身もお聞きしてたいことがありますので」
「わかりました。では、一時間後に」
「はい」
元気よく返事をすると、じとりと睨まれる。
「逃げないでくださいね」
「……逃げません」
それはこちらのセリフですよ。
話を聞いたら逃げられませんからね。離しませんからね!
「信用なりません。エリザベス嬢の不審な行動を見るたびに、意味不明な説明で何度はぐらかされてきたと思いますか? そろそろあなたの行動に肝を冷やすのは不愉快ですので、この機に徹底的に暴かせていただきますよ」
「暴くだなんて。ただ、ちょっと散歩が好きで趣味があるだけですよ」
「散歩と趣味ですか。一時間後が楽しみです」
そこでユーグが愉快そうににやっと笑った。
不愉快といいながらのその表情に私は目を見張る。だが、すぐに何事もなかったかのようにいつもの冷淡な表情に戻ると踵を返し去って行った。




