23.ハンカチの準備は万端です
爽やかな風に乗って、花の香りが届く。
手入れされた庭園の上空には青空が広がり、ここだけ別の空間ができあがるようだ。
目の前では、眩しいほどの美形が談笑している。王族としての考え方も知り、私は思いがけず和やかな一日を過ごしていた。
五人の王子とユーグ、そしてここが王城であることを考えると、おとぎ話の国に紛れ込んだような錯覚を覚える。
──現実味が乏しいのよね。
ルイやマリアにうっかり者と言われるのも、なまじ日本人だった時の人格形成が残り、したことはないけれど知っていると言った中途半端にここが乙女ゲームの世界なのだと記憶があるせいかもしれない。
真面目に取り組んでいるつもりでも、つい夢想してしまうというか。本好きにはいろいろ想像させる要素がてんこ盛りで探究心も尽きないというか……。
そう自分に言い訳をしつつ、まろやかに舌の上を通っていく紅茶を堪能した。
あれほど遠ざけたかった王族に囲まれて優雅にお茶をしているなんて、つい最近までは考えられなかったことだ。
人生何が起こるかわからないとはいえ、わからないことだらけすぎる。何より、今世は今までと違いすぎてこの先どう進んでいくのかわからない。
まだ、ソフィアにも出会っていないのだ。果たして自分は無事十六歳、十七歳を迎え、その先を生きることができるのだろうか。もう、頭に何かぶつかってというのはなんとしてでも避けたい。
一通りそれぞれの魔法を見せ合い、王子たちはどうかはわからないけれど私的にはいろいろ勉強になった。
組み合わせ方や出し方、さすが王族なだけあって十分ある知識と魔法で様々なことを見せてくれた。
今までの知識をフル活用して、屋敷に戻ったらしてみたいこともできた。
それを思うと、私は表情が緩むのを感じた。けれど、漂うバラの香りにここがどこだか思い出し、いけないわっとごまかすように紅茶に口をつけた。
──ふぅっ、少し気が緩んでるかもしれない。天使がいるからってダメダメっ!
王子たちが言っていた魔力の相性は、私でも良いのだろうなと感じるものはあった。
ほかがわからないから明確な判断ではないけれど、互いの魔力を邪魔せず発揮できたのはそういうことなのだろう。周囲の反応からもまずまずといったところであった。
この時は無事任務終了的な感じで、特にしでかすこともなく事が済んで安心していた。このことがこの先にどう影響するかなんて、私の常識では考えられないことであった。
そもそも、ゲームの内容を知らないのだから思いつきもしない。
ルイと友人である以上、まったく関わらないということは無理なことだ。
それに続き、サミュエル、シモンと縁ができてしまったし、双子との縁は放し難し。
私の取るべき行動は、もうほぼ決まっていた。公爵令嬢という立場上、ここまでくると円満な関係を築くべきなのだろう。
だから、自分の印象が悪いほうにいかなければまあいいかと思うようにした。
ちょっとできる令嬢の位置が以外と難しいが、とにかく変なことに巻き込まれないようにすればいいのだ。
周囲の状況は変わっても、結局は同じこと。することは一緒。
必要以上に目立たず出しゃばらず、大人しくいくことが基本である。
王子たちには、ひっそり友人ポジ、ひっそり公爵令嬢ポジを目指す。ひっそり存在してそれがいい方向に思ってもらえたら私的にはいい。
それは今のところ順調ではないだろうかと、すぐさまこの状況を受け入れて前向きな思考を持った自分をよしよしと褒めた。柔軟さは身についていると自画自賛。
わりかた現実的な思考をもって、のほほーんとそんなことを考え白鳥の形をしたシュークリームをひとかじりした時だった。
初老の男性が自分たちのもとへとやってきて礼をすると、シモンの耳元でこそっと何かを伝えた。話を聞き終えたシモンは、ルイとサミュエルに目配せをすると立ち上がる。
「私たちは少し席を外させていただきますが、かまわないでしょうか?」
私はこくんと頷いた。何か問題が起こったのか、三王子の空気がわずかにぴりっと緊張した。
「私なら大丈夫ですので」
「こちらからお誘いしておいて、すみません」
「お気になさらないでください。有意義な時間でしたし一通りのことが終わったと思うので、私はここで帰らせてもらいます」
そう告げるとそこで困ったようにルイが眉を寄せ、そこでちらりとサミュエルとシモンを見た。
──んっ? 何か問題が?
「エリー。少しだけだから待っててもらえない?」
「でも、急用でしょう?」
「急用というか、まあすぐに終わると思うから」
ルイがそういうと、シモンが眉尻を下げて申し訳なさそうに告げる。
「そうですね。そんなに時間はかからないかと思いますので、待っていただけたら」
「えっ、でも」
「ああ。そんなに時間はかからないだろうから待っとけよ」
言い淀む私に、サミュエルがじっと推し量るように見つめながら告げる。
いや、三王子そろってそんな真剣にならずとも。私がいてもいなくても変わらないというか、なのに待てというのね。
私は、少し引っかかるなとまじまじと用を言いに来た老人を見た。
ぴんと張った背筋、優しげに見えるシワの数だけ様々なことを見てきたのだろう。
限られた人しか入れない秘密の庭園、その場所に来た老人が一言告げるだけで王子が動く。その泰然自若な態度に、周りの人間の信頼度がうかがえる。
現に私の視線に気づいているであろう老人は、静かに瞬きを返すだけで視線を離した。
あくまで、王子に用があるといった態度にそれ以上詮索しにくくなる。
「どうせ同じところに帰るんだから、みんなで一緒に帰ろう。せっかくだからもっと庭園を案内したいし、待っていてくれると嬉しいな」
「ルイがそこまで言うなら考えないでもないですが。でも、公務とかでしたら待っているほうが邪魔になるんじゃ……」
最後にふわっと安心させるようにルイに微笑みながら言われると、思考がぐらつく。
ここに来た当初の目的はやり終えているので忙しいのなら帰るべきなのだろうけれど、その彼らがそこまで言うのなら素直に待っているべきか。
タイミングとかが少し気になるが、私の関与すべきことではないのだろう。
そこでシモンが素敵な案を申し出てくれた。
「いえ。少しだけ確認することができただけですので。まだまだこの庭園の素晴らしいところを見ていただきたいので、私たちが席を外す間はジャックとエドガーがこの庭を案内します。二人とも、エリザベス嬢のエスコートをできるね?」
双子にエスコート~。うふふっ、それはなんて魅力的な提案だろうか。
この可愛さを独り占めしてもいいのぉっと、私はわずかに頬を紅潮させた。
天使な双子が同時に私を見てにこりと笑みを浮かべると、兄に向けて大きく頷いた。
「はい。兄さんたちは安心してくれていいよ」
「もちろんです。ユーグもそっちについて行くの?」
「そうだね。彼も、かな」
シモンがわずかにユーグに視線をやって頷くと、双子は同時にふ~んと顔見合わせ、にこっと笑みを浮かべた。
「わかった。僕たちに任せて~。エリザベス嬢が気に入るような素敵な場所を案内するよ」
「そうだね。僕たちのとっておきの場所を案内しよう」
にこにこと告げる双子をシモンが考えるように見ていたが、最後に柔らかく微笑んだ。
「くれぐれも無茶はしないように」
「はーい」
「はい」
そこでシモンの言葉に、ジャックとエドガーは元気良く返事した。任されて嬉しいとばかりに兄を見る。
二人にとって、兄は偉大なのだろう。きらきらした眼差しの中には尊敬の念がありありと浮かび、それを向けられるシモンが微笑すると、双子はまた嬉しそうに笑った。
──癒やしだ。癒やし~。めっちゃ絵になる美兄弟。
ほぉっと感動しながらほわほわそれを眺めていたら、ルイがちらりと私へと視線をやる。
ぽんっと肩に手を置いて、くれぐれもとばかりに言い聞かせるように顔を覗き込んできた。
「エリーもだよ」
「えっ、私も?」
「そうだよ。僕たちが戻ってくるまでできるだけ大人しくしてね」
「もちろん、大人しくしているわ」
満面の笑みで任せてと告げると、はあっとルイは眉を寄せた。
「すごく心配だよ」
「大丈夫よ。ここは屋敷ではないから、無茶しようがないじゃない? 今日だって特に何もしていないでしょう? ルイは心配しすぎよ」
「だったらいいけど」
「ルイったら心配性なんだから」
案内してくれるだけだし、何も起こりようがない。愛くるしい彼らを堪能する時間に、どうやって問題が起こりうるというのか。
そこで私ははっとする。
──もしかして鼻血を出さないか心配してるのかしら?
それはあり得るかもしれない。だって、これだけ可愛いだもの。しかもダブル。鼻の結界が破れないとは言い切れない。
私の可愛いもの好きを知っているルイだからこその心配を思い当たり、私はどんと胸を張った。
「ハンカチの準備は万端です!」
「ハンカチ?」
「ええ。ハンカチです。だから安心して」
「……意味がわからない」
あれっ? 違ったようだ。首をこてんと傾けて考えるが、これ以上は思いつかない。
私は安心させるようと笑顔を浮かべた。ついでに、ほらっと自身の名前が刺繍されたハンカチも掲げてみせる。
「ちゃんとあるでしょう?」
「なぜ、ハンカチなんだ?」
サミュエルが意味がわからないと口を挟んできたので、私は高々と告げた。
「いざという時のためです」
「いや、意味がわからないが」
「サミュエル、こういう時のエリーを理解するのは難しいよ。大丈夫なんだね?」
「はい。安心して用事を済ませてきてね」
「……わかった」
ルイが諦めの溜め息をついている横で、サミュエルは何か言いたそうに見てくるが、何も問題はないですよと涼しげに微笑む。すると、はあっとサミュエルも溜め息をついた。
ちょっと失礼な態度であるが、王子に失礼なことはしないわっと双子を見つめると、双子たちも愛くるしい眼差しで私を見つめてきた。
それからジャックとエドガーが同時に膝をおり、すっと手を差し出してくる。パチパチと瞬きをして彼らを見ると、「手を」と言われた。
うっきゃぁぁぁ、ハンカチ足りるかしら? 天使にそんなことをされ、胸のど真ん中をズッキュンと打たれて倒れそうだ。
──可愛すぎて、ぐりぐりした~い。
欲望を抑えてそっと手を乗せると、エドガーが上目遣いで可愛いことを告げる。
「エリザベス嬢、楽しみですね」
「ええ。とても楽しみです」
天使が願うならば、どんなところでも喜んでお供します。私はルンルン気分で笑みを浮かべた。
「じゃあ、さっそく行こう。兄さんたちもまた後で」
ジャックが手を握り、ぐいぐいと私を引っ張る。
特別なところとやらに早く案内したいようだ。そんな急かす様子にさえ、むふふである。
──両手に花ならぬ、両手に天使。なんて贅沢な状態なのっ!
最後までルイは心配そうに見ていたが、私はご満悦な笑みをもって返しておいた。ちゃんと、年下王子を見守りますよと瞳で訴えておく。
王子たちを見送りながら見送られ、双子たちに連れてこられた場所は森の手前であった。
木々が覆い、葉から木漏れ日が落ちてくる。鳥の鳴き声があちこちに聞こえ、川のせせらぎも少し離れた向こう側で聞こえた。
そこで、双子は従者やメイドに少し離れた場所に待機するように命じた。
「何かあれば呼ぶから」
「来慣れたところですし、少し自由にさせていただけたら嬉しいです」
天使な双子に言われては彼らも逆らえないのか、ぎりぎり許せる範囲で距離を持って見守ってくれることになった。
続いて、双子は何ともきらきらと楽しそうな瞳で私を見つめてくる。
「あの、仲良くなりたいので、エリザベスとお呼びしてもいいでしょうか?」
「本当はルイのようにエリーと呼びたいのですが、まだ出会ったばかりでずうずうしいし、エリザベスと呼びたいです。僕たちのこともジャックとエドガーと呼び捨ててくれてもかまいません」
「う、……」
眩しい。はわぁっと息が荒くなりそうになり、慌てて口を押さえる。すると、心配げに左右から顔を覗き込まれた。
「どうしたのですか? ダメでしょうか?」
うるうると見つめられ、エリザベスは邪を振り払うように首を振り慌てて肯定する。さすがに出会ってすぐに王子を呼び捨てにするのは無理だが、呼ばれる分には問題ない。
「もちろん大丈夫です! 好きなように呼んでください」
「そう。嬉しいな。これで僕たちは友達だね。エリザベス、あちらのほうに川があるのでそこまで行きませんか?」
「えっ、でも私たちだけで危なくありませんか?」
大事な王子たちに何かあってはいけない。万が一取り返しのつかないことでも起こったら大変だ。
その心配とは反対に、双子は好奇心旺盛であった。
「大丈夫ですよ。彼らもプロです。一定の距離は離れないと思いますので、何かあればすぐ駆けつけてくれます」
「それでしたら、行ってみたいです」
「とっても綺麗な水が流れて、珍しい生き物がたくさんいるんですよ?」
「素敵ですね。とても興味があります。ぜひ、案内してくださると嬉しいです」
本心からそう告げた。なにせ、私は山小屋を建てるくらい、自然と戯れるのは好きなのだ。使える薬草や変わった植物、その付近の生態系を知るのは生きることに置いて大事である。
詰まないために吸収できるものはしてできることを増やしておこうの精神は、転生を繰り返す中で変わらない。
私も好奇心に勝てず彼らに同意して、ワクワクと期待に満ちた眼差しを向けた。
それに対して、双子が目を見張り、ふ、と大人びた笑いをした。
「楽しくなりそう。ね、エドガー」
「そうだね。ジャック。終わる頃には面白いことになるだろうね」
そこで双子は顔を見合わせ、くすくすと笑う。
「エリザベス、行こう」
「エリザベス、参りましょう」
同時に振り返ると今までで一番楽しそうな笑みを浮かべた天使に、私はうきうきしながらついて行く。
案内された場所はきらきらと川面が輝き、私は下まで見通せる透き通った水に吸い込まれるように見入っていた。
「綺麗ですね」
ときおり、魚がスイッ、スイッと石の影から出てまた石の影に入って隠れた。川の流れる音と調和するように、あちこちで鳥がさえずる。
手を伸ばし触ってみると、その水のひんやりした冷たさは気持ち良い。心まで洗い流してくれるような清らかな気分だ。
川を渡るとその向こうは深い緑が続く。
荒らされず保護されたそこには、きっと変わった動物や植物を見ることができるに違いない。
──とっても、とおっても気になる!
テレゼア家領地と形状も違うので生物形態も同じではないはずだ。
ましてや王家領地。絶対、何かしらの出会いがあるに違いない。新種の薬草とかもふもふの可愛い生き物とか見つけてみたい。
じぃぃぃっと未練がましく深々とした緑を凝らすように見つめながらも、さすがにそこまで勝手はできないだろうと諦めてまた川面を眺める。
チャプンッとかき回すように手を動かすと、慌てたように魚が泳いでいった。
それにくすりと笑みを浮かべながら、気持ちがいいなとどこまでも続くように見える川の先へと視線をやる。
ここは秘密の庭園。この広大さはもうすでに庭園の域を出ていて、そのエリアにあるのかまた違うエリアに来ているのかさえもわからない。
広々とした敷地内に私は完全にリラックスモードで、美しい景色を堪能した。




