sideルイ ジョニー
瞬きを忘れ固まったルイが戸惑いを乗せて尋ねると、それに気づいていないエリザベスは嬉しそうに微笑んだ。
そのジョニーという男を思い出したのか、心なしかうきうきと目を輝かせている。ころころと表情が変わるところは普段なら好ましく見えるのに、今回ばかりは面白くない。
「白馬の王子様よ!」
ルイの内心をよそに、それはそれは堂々と言い切ったエリザベスの言葉が脳内に木霊する。
──白馬、の王子様? 物語か何かかな?
エリザベスのことだしとは思うけれど、この国の本物の王子三人を目の前にして、白馬の王子様と頬を紅潮させて言い切られると複雑だ。
「すごく久しぶりに会えるのよ」
ふふふふっと笑みを浮かべ、心はその白馬の王子とやらへ行っているらしい。
聞いてもいないことまで伝えられて、気になるけれど語られるともやもやする。
全てを知らなければと思っているわけでもないが、ルイも知らない親しいらしい新たな男の名の登場に、気持ちはどんどん沈んでいく。誰なのか気になって問い詰めたくなる。
――ジョニーとは誰?
ショックに落ち込むルイを前にして、エリザベスはほくほくと白馬の王子自慢をする。
「彼以上の頼もしい背中はないわぁ」
絶賛をしてはいるが、エリザベスのことだから恋愛感情からくるものではないはずだと、妙な信頼もあった。
今までの彼女を信じ、気を取り直したルイは、内心の不安を押し殺して穏やかな声でゆっくりとエリザベスに問いかけた。
「エリー。ジョニーって誰かな? 初めて聞くけど」
「うん。すっごく素敵なの」
きらきらと顔を輝かせるエリザベス。随分彼のことが気に入っているのが伝わってきて、正直面白くない。
「……だから、誰?」
「ルイには話したことがなかったかしら」
意図的に内緒にしていたわけではなかったことがわかり、ルイはひとまず安心だと安堵の息をついた。
「聞いてないよ。よく出入りしている商人?」
「彼は違うわ。あっ、そういえば、トウモロコシがこのところ高騰している噂を聞いたから一度その辺のことも彼と話してみたいわ」
「トウモロコシね。原料問題で何かあるかもしれないね。僕も彼には是非聞きたいことがあるから、その時は一緒にいいかな?」
「ええ。もちろんよ」
エリザベスと話をしていると、このように脱線することも多くそれさえも楽しく感じることのほうが多い。けれど、この時ばかりはルイもジョニーのことが気になって、それどころではなかった。
エリザベスが絶賛する男の正体を確認せずにはいられない。
「……で、ジョニーって?」
尋ねると、ああっとまたほわほわっと口元を緩めるエリザベスに、笑みだけをかたどっている表情はそのままにルイの気持ちはすぅっと冷えていく。
エリザベスはルイに楽しい気持ちをもたらしてくれるが、それと同時にもどかしい気持ちを抱えることはよくあった。
今も、吐き出したいほどでもないけれど、ささくれだった気持ちが胸の中で渦巻く。
対してエリザベスは、後ろめたさなど何もない晴れやかな顔で語る。
「ジョニーはベントソン先生の愛馬です。毛並みもツヤツヤ、品もよく、力強い走り。ああ、会えると思うと早く会いに行きたいわ」
「馬……」
思考がついて行かず、ぽつりと単語を繰り返すことしかできない。
「そうよ。でも、ただの馬ではありません。あの身のこなし、しなやかさ、何よりジェントルマン。あんな素敵な白馬はいないわ」
「馬、なの?」
白馬だから、白馬の王子様。なるほど……。
「そう。早く彼に会いたいわ」
「彼は馬なんだね」
ものすごく肩透かしをくらった。
さっきまでのささくれだった気持ちは何だったのかと思うほど、すこんと抜け落ちてすっからかんになった気分だ。
②
「もう、さっきからっ! 馬といってもただの馬ではないの。ジョニーは特別よ。ジョニーに出会って乗馬に目覚めたんだもの。優しく紳士なジョニーはいつも私をエスコートしてくれるのよ」
呆然と単語を繰り返していると、エリザベスはジョニーの良さを力説する。すごい惚れようだ。
「馬、ねえ。もしかしてエリーに乗馬を教えたのはベントソン先生?」
「ええ、そうよ。父の友人で何度か領地にお邪魔した時に教えてくださったの」
「ふーん」
そこでルイが考えるように顎に手をやって、恨めさがわずかでも伝わったらいいとちらりとエリザベスに視線を投げた。
冷たい空気と表情で魔の住人だと恐れられているベントソンであるが、そんな相手と実は交流があるなんて知らなかった。
テレゼア公爵の交流関係を考えればわかることなのだが、先ほどはそんな事情など知らずに連れて行かれて心配していた。今ばかりは、ほこほこと笑みを浮かべているその柔らかなほっぺを引っ張りたい気分だ。
そこでやっとルイの気持ちが下がっていることに気づいたエリザベスは、心配するように首を傾げる。
「ルイ、どうしたの?」
エリザベスにとって自分は気にかける存在なのだとわかるそれだけで、ルイの気持ちはわずかに上昇する。
我ながら単純だと思いながら、ルイは耳の横に垂れたエリザベスのピンクゴールドの髪に指を絡めた。
「そんな話は聞いたことはなかったけど?」
「そうだったかしら? ジョニーの話をしてなかったなんて不思議だわ」
不思議なのか。
魔力を隠そうとしていたように意図的でなければ、うっかり話さなかっただけ、タイミングがなかっただけなのだろう。
ルイは小さく口の端を上げた。くるくるとエリザベスの髪を絡め取り、耳横にかけて顔を近づけて覗き込む。
「そう。なら、僕もそれだけエリーが絶賛する白馬の王子様に会ってみたいな」
「もちろんよ! ベントソン先生が了承してくださるなら、ジョニーに会ってほしいわ。あの白く輝く毛並みに見合った気品、本当に素敵なのよ」
大絶賛にルイは心の底から笑みを浮かべると、そこで横で静かに話を聞いていたシモンが口を開いた。
なぜか眉間がわずかに寄っており、いつにないシモンの表情にルイはおやっと目を見張る。
「エリザベス嬢は乗馬をよくされるのですか?」
「たしなむ程度ですが」
「たしなむねぇ……」
シモンの質問に謙遜するエリザベスに、ルイはつい突っ込むように復唱をしてしまった。
あれをたしなむとするなら語弊があると思うが、エリザベスの場合は謙遜しているというよりは実際そう思っている節があるので、今のところ深く追求することはしない。
したところで、というのもある。案の定、エリザベスはとても無垢な眼差しで言い切った。
「はい。たしなみ程度です」
「そうですか。魔力といい、エリザベス嬢の今後が楽しみです」
「……何もないので捨て置いてください」
「…………えっ?」
捨て置くとはなんだと、流れが汲み取れずシモンが目を凝らす。エリザベスのこのような言動に慣れていなければ、シモンの反応はもっともだ。
ああ、と苦笑とも微笑ともとれる笑みを浮かべながらルイは見守っていると、「はい」と胸を張るエリザベス。
「言葉のままです。私はひっそりいるなくらいで気にかけないでもらえるとありがたいです」
これは絶対王族に向かって放たれる言葉ではない。
自惚れでもなく、性別に限らず、内心どうであれ大抵が王族に良い姿を見てもらおうとするものだ。特に女性は色眼鏡もかかり、小さな頃からその手の自分たちへのアプローチは本人もそうだが彼らに近い大人たちからも多かった。
──ひっそり、ねぇ。
エリザベスのスローガンは、ひっそり目立たず。
今日のことでもはやそれは無理だろうとは思うが、誰に対してもそれを言い張る度胸というかまっすぐな姿は眩しくて、そして少し寂しく感じ、透き通った緑の瞳を揺らした。




