20.王子のことは諦めました
シモンの今まで見たことのない柔らかなその表情と小さな笑いに、私は目を見張った。
シモンは何を考えているのかわからず近寄りがたく、笑顔を浮かべていてもどことなく青の瞳とともに冷静な印象が強く、その完璧さゆえに気後れしていた。
ルイやサミュエルと接点を持ってしまった今では、せめてシモンだけでも距離を置こうと考えていた。詰まないためにもあるが、気負いもあった。
シモンもルイと仲が良いからといって、私に親しげに話しかけることもしなかった。
だけど、席は隣であるし、存在感は人一倍の王子は何を考えているのかどこかで気になっていた。
胸の一番奥にずっと居座っていた息苦しく重たい感情というほどでもないけれど、私なりの気遣いと気後れがあった。
今はシモンに名を呼ばれたユーグが軽く頭を振ってシモンと視線を合わせている。しばらくすると、大きく息を吐き出し端から見ていても肩の力が抜けたのがわかる。
身分だけで従っているわけではない信頼関係がそこにはあった。
それからユーグはちらりと私に視線をやるとふぅっと息を吐き出して、睨むでもなくそっと視線を外した。
うーん。よくわからないけど仲が良いに越したことはないし、睨むのを止めてくれるのならそれでいい。
この一か月で見たユーグ・ノッジは、私がというよりは女性全般を嫌っているようだった。
サミュエルは女性の相手が面倒なのと慣れてないからたまに私が褒めると照れたりしているが、ユーグは明らかに敵を見るような冷たさが含まれている。
だから、睨まれても嫌われていても、個人というよりは性別なのだろうとあまり気にしていなかったのだけど、シモンと話すたびに睨まれていては気分は良くないので、態度が軟化してくれるのはありがたい。
本来ならば王族と距離を取りたいところであるが、ルイと仲良くなった時点である程度避けられないのはなんとなくわかっていた。
今日はシモンに普通に話しかけられて、このように相手を大事に思いやる姿を見て軽くなったように感じる。
現在、詰まないように奮闘中であるが、実際何があるのかわからないので常に気を張っていられない。
ひっそり目立たずは前提だが、今回みたいに警戒していても自分の思うように進まないこともあるので、ある程度はやりたいようにするほうが有意義だとは思う。
もし王子イベントとやらがあって、それに巻き込まれるならば魔力操作を上げておくのも手であるし、毎度毎度頭に飛んでくる物を防御できるようになれるなら、魔法の上達は有効である。
ならば、この国の至宝である王族の魔力や実際の使い方を近くで観察できる位置というのは、こうなってしまった以上しっかり堪能するほうが良いのではないだろうか。
私ははんなり笑顔に紛らわせ、うんうんと一人納得させた。
仕出かしたことは、なかったことにというか記憶を薄めて前向きに次へと向かうのが私なのである。
「エリー。ころころ表情変わりすぎ」
「えっ? そんなにわかりやすい? ちょっと嫌だなぁって思ってたけど、魔法を見せるだけでなく見ることができるならいろいろプラスかなって考え直していたところ」
「嫌だなぁって、正直だね。まあ、今は納得してるのならいいけど」
「あっ」
ルイだけならまだしも、シモンやサミュエル、そしてユーグもいるのだ。
ひとつの思考に捕らわれるとほかのことが疎かになり、そのまま思ったことを口にしてしまった。
あれだけ気をつけなければと思って行動してきたのに、今日はさすがにいろいろあったためか疲れて気持ちが緩んでしまっている。
そっとほかの王子たちを見るが、彼らは何も気にしていないような表情でこちらを見ていた。セーフ。
ほっと息をつくと、そこでルイがふふっと笑った。
嘲笑するようなものではないけれど、見守るような生ぬるい笑いに私はぷくりと頬を膨らませた。
「何?」
「別に。エリーが乗り気になって良かったよ」
別にという際にこてんと首を傾げ、その辺の女性よりも可愛らしい顔で笑う姿は格好いいのに幼い時の可愛らしいルイを思い出させて和む。
でも、エメラルドの瞳はじぃっと真意を測るように私を捉えていた。
そうすると、可愛さがなりを潜めて、男であることを意識させられる。その眼差しに居心地の悪さを覚え、私はゆっくりと瞬きをした。
──ルイってたまにドキッとさせるというか。心臓に悪いのよね。
年々男らしさが勝っていて、今でも十分であるが数年経てばさらに文句いいようのない美形になるだろう。
柔らかなのに意志の強さを感じる眼差しは頼りになるものだ。
そう思っているのにたまにじっと見られると、どうしようもなくそわそわすることがあった。
一度、視線を外し改めて合わせると、ルイはいつものようにふわふわっと綿菓子のように甘く微笑んだ。
──やっぱりルイは癒やしだ。
透き通るような緑の瞳は美しく、新緑の空気を吸っているようなすがすがしい気持ちになる。
王子たちと絡むのも、知っているルイがいるからこそ気持ちがまだマシというのは大きい。私はルイの存在のありがたみを噛み締めた。
「俺も楽しみだ。初めて出会った時は少し混乱もしていたから、この目でしっかりと確認してみたい」
「……ですから、過剰な期待をされるのものでも」
サミュエルの燃えるような赤の双眸が期待をあらわにまっすぐ私を見つめてくる。
あまりにも曇りない眼差しに、私は複雑な気持ちで笑みを浮かべた。
追いかけっこというスポーツ(?)を通し、その後互いに歩み寄ったためか、サミュエルは学園に入ってからあの衝撃的な出会いからは考えられないほど友好的である。
双眸同様まっすぐな気質は好ましいが、異性であっても一度懐に入れたらどこまでも曇りなく接してこられるので、この一か月、私は距離を取ろうと思うまでもなく釣られるように距離を縮めてしまっていた。
信頼を寄せられると、突き放せない。
「過剰ではないと思うが? 俺が見たあれこれと今日の出来事。それだけでも興味深いことだ。それに、魔力合わせが初見であれだけスムーズだったことを思うと、これから互いに能力を知っていて損はないと思う」
あれこれという言い方は気になるけれど、魔力合わせとは親和力が高ければ高いほど様々な魔法が使える可能性も出てくる。
持っていない魔力も馴染んで使える幅も増えることもある。あくまで、自分の持っている属性に少しおまけみたいな程度であるが、なんでも使い方次第。
何が起こるかわからないので、魔法は多く器用に有効的に使えるようにしておきたい。
フラグを避けると同時に、それも生きる可能性を増すのではないだろうかと、今までできるだけ関わらずと避けてきただけであったが、ルイが王子と知ってそれから一緒に過ごすうちに考えるようになったことだ。
「それもそうですね」
「ああ。実践ってなったときは協力することも出てくるからな」
サミュエルは気が早いが先のことを告げると、シモンがゆるりと笑みを浮かべ同調する。
「ルイとサミュエルと相性がいいとなると、私とも相性がいい可能性もあるから楽しみです。同じ水属性同士でどこまでのことができるのか興味があります」
「水属性同士」
確かに、私もシモンも魔力が高いのでその上親和力が高ければどんな魔法が使えるのか、単純に好奇心がくすぐられる。
可能性というものが目の前にあると、つい手を伸ばしてみたくなるのは人の性だろうか。
「サミュエルとシモンの言う通りだよ。エリーには話してなかったけれど僕たち王族の能力を邪魔せず協調することは、簡単ではないとされているからね。合わせられるということ自体、高い能力の証拠なんだよ」
「ええぇ!? 前のときルイは言わなかったじゃない」
そこ。先に教えてほしいポイントですけど。
「うん。だから言ってなかったねって言ったでしょう?」
「ええっ~。それせこい。後出しされて負けた気分よ」
なんか釈然としない。
「なんで負けた気分になるの?」
「だって、言われてたら今日のこともうちょっと考えたのにぃぃ。そしたら、もうちょっとひっそりとできたはず」
知っていたら、己の魔力についてもうちょっと自覚が持てていた、はず。
少なくとも、見せ方を変えられていたはずだ。
「そう言われてもね。知っていたとしてもエリーは気持ちが乗ったら突っ走るから結局は同じような気もするけど」
「いいえ。これは絶対後出しよ」
「なら、それでもいいけど。後出しでも結果が出たってことだよね。もう観念すればいいのに」
ルイの言葉に、私はあからさまにむぅぅっと頬を膨らませた。
大人びたり幼くなったり、印象がころころ変わる。ルイがくすりと笑うと、ぽんっと私の頭を優しく撫でた。
「エリーも公爵令嬢ならわかるよね? これはいわば、王族、そして高い身分、そして魔力を持った者の義務みたいなものだよ。魔力があるだけで出来ることの幅が違うのだから、この国を守るために貢献していくことはとても大事だ」
「わかってるけど……」
ルイの続けざまの説明にも、私はうーんと首を捻りどこか納得のいかないと視線を向けた。
けれども、私の反応も予測済みなのか強引にルイが話を持っていく。
「まあ、僕としてはさっきも言ったけどエリーと一緒にいれるなら別に何をしてもいいのだけどね。いつにする? 今週末?」
「えっ、もう決めるの?」
戸惑いを隠せない私に、ルイはにこにこと笑みを浮かべる。笑顔で押し切るつもりらしい。
「そうだよ。せっかくこうして人目も気にせず話せるのに今決めないでどうするの。それで週末は?」
「週末? ……あっ、今週末はダメなのよ」
「先週までは予定入ってなかったよね?」
つい最近、ルイと予定の話をしていたばかりだ。
明確に約束はしていないが、互いに予定が入らなければ一緒にくらいのノリだった。
「うん。でも、ジョニーに会いにいくって決めたから今週末は都合が悪いわ」
「……ジョニーって、誰?」
柔らかな笑みを浮かべていたルイが瞬きを忘れたかのように固まり、確認するために出した声は掠れていた。




