19.チャラい密偵
「あっ、どうも密偵でーす」
その日の放課後、指定された部屋へとルイとサミュエルと一緒に出向くと、シモンと側近であるユーグに対面するように背を向けて座っていた男が、顔だけこちらに向けてひらひらと手を上げた。
――チャラすぎ。何、この緩い感じ。
予想外というかあまりのことに私は目を見開き、その態度に口をあんぐり開けた。
この国の王子たちを前にしても、その軽さはある意味度胸がある。私は挨拶もそこそこ、思わず苦言を呈した。
「どうも。――って軽くないですか?」
「ええ~、バレたものは仕方ないですし。殿下に嘘はつけないですよ。まあ、立ち話もなんなんで」
「あなたが言うことではないですよ」
そこでユーグが嫌そうに眉を跳ね上げ、ぴしゃりと言い放つ。
それに対しても青年は軽く肩を竦めてみせるだけで、まったく詫びれた態度ではなかった。
「すみませーん。どうも畏まった場は苦手でして。でも、話があるからこの場を設けたんですよね。なら、さっさと話しちゃいしょー」
「だから、あなたはっ! ふぅ。まあ、そうですね。とにかく、お座りになられたらどうでしょうか?」
アッシュグレイの温度のない視線を私に向けると、ユーグが席を立ち私に座るように促した。
シモンの横に座り、その反対側にルイとサミュエルが腰を下ろす。
ユーグに何かした覚えはないが好かれていないのがわかる態度に苦笑しながら、シモンと横並びになるよう青年と対面する位置に座る。
わかっていたけれど、この面子で話し合いなのね、と半ば諦めの境地で青年を見据えた。
すると、前に座る青年の細く垂れ目の奥の瞳が面白そうに揺らめく。
肩まである赤茶の髪を無造作にくくっており、シャツのボタンは上まで閉めることなく、雰囲気からして硬いイメージとは真逆の人だ。
確か、年齢は二歳上だと記憶している。そこからくる余裕なのか、こちらが優位であるはずなのにこの状況でさえも冷静に分析されているような気がした。
「ええっと、同じクラスのニコラ・メーストレ様ですよね」
「うん。ニコラでいいよ」
伯爵家と身分は下だが、仲も良くない男性を気安く呼び捨てで呼ぶ気はない。
「では、ニコラ様。どうして姉の密偵を?」
「ええー。マリア嬢が美しいからに決まってるじゃない」
「チャラい。軽いです」
私が軽蔑するように視線を向けると、ニコラはにへらと口を緩めて笑う。
「それが俺の持ち味だしね。明るい密偵っていいわねって、マリア嬢も喜んでくださってるし」
「……姉様…………」
絶句する私に、ニコラは続ける。
「しっかし、こんなにすぐにわかるとは思わなかったなぁ。あっ、エリザベスちゃんの髪型可愛いね。すごく似合ってるよー」
「気安く呼ばないでいただけますか?」
軽すぎるし、王子たちがいる前でこの態度。ヒヤヒヤする。
「ええー。エリザベスちゃんって感じだし」
「チャラすぎです。髪型は、まあ、ありがとうございます」
「この一か月見てたけど、エリザベスちゃん隠し球たくさんある感じだったんだよねー。それで今日のでしょ? とても興奮したよ。最初はなぜマリア嬢がこんなに気にかけるのかわからなかったけど、これかっと思わず飛んで報告しに行ったから。あっ、それがいけなかったのかな」
隠し球ってなんだ? そんな大それたものは持っていないし、ひっそりしていただけだ。
そんな状態でまさか姉様の息がかかった人物が、密偵よろしく観察しているなんて考えもしなかった。しかもその密偵がこんなに軽いなんて。
「よく喋りますね……。はぁ。話を戻しますが、こうして対象である私に知られましたが、明るい密偵さんはこれからどうします?」
「まあ、バレたって報告するしかないよね」
「ということは、まだ話していないのですね?」
「うん。そんな暇を与えてもらえなかったからね」
面白そうにシモンとユーグを眺めたニコラのその言葉に、私はほっと息を吐く。
王子たちは、教室での私の言葉の意図をしっかり理解してくれていたようだ。
ちらりとシモンに視線をやると、涼しげな顔でにこりと微笑まれた。距離間は近くなった気はするが、相変わらず考えが読めない人である。
「シモン殿下たちのほうが上手ということですね」
「ええー、これでも大真面目に密偵していたんだけどなぁ」
「大真面目に密偵って……。密偵ってこんなに軽いものですか?」
軽い。彼と話せば話すほど軽いという感想しか浮かばない。
「まあ、俺の場合は悪いことしていたわけではないですし。マリア嬢の憂いを払うために、妹であるエリザベスちゃんに何か変化があれば報告するだけなんで。そんな悪いことではないでしょう?」
「確かにそうですが、プライバシーの問題というものがあります」
だけ、それが大いに問題なのだ。
やましいことがあるわけではないが、常に身内にその日に何をしていたと知られるのはどうだろうか。
それはつまり、誰と話していたとか、あるいはちょっとした失敗談を知られて、あの姉に構われる要素を増やすということ。
それは駄目だ。まったくもって少しも落ち着かない。
「ええー。でも、マリア嬢はすっごく心配されていたし、男としてあんな美人に頼られるともうダメだよねぇ」
「本当にニコラ様は軽いですね。マリア姉様に手を出さないでくださいね」
「大丈夫、大丈夫。マリア嬢は観賞用だから。どちらかというとエリザベスちゃんのほうが俺は好みかなー」
そこで黙って横で話を聞いていたルイが、にこりと穏やかに微笑みながら口を開いた。
だけどその表情とは反対に、その双眸には非難の色を隠しもせず冷たくニコラを見据える。
「あなたは口から生まれてきたようですね」
「ああ、よく言われます。それでよく女性に振られるんですよねー」
ルイの穏やかな声の嫌味(?)にも軽く肩を竦め、ニコラはへらっと笑いあっさりとスルーする。
わかっていてなのか、わからなくてのその態度なのか。
それにしても、やっぱり軽い。
「エリー。まともに相手しても仕方がなさそうですけど、彼とまだ話したい?」
「うん。心配ではあるけど、交渉はしてみたいと思います」
「おっ、何かな? エリザベスちゃんの言うことなら内容によっては聞いてもいいよー」
こうして会話をしていると、すごく軽いが頭が悪いわけではないことがわかる。細められる目は笑ってはいるが、その奥にあるそれはこちらの反応を含めて値踏みをしているようだった。
私がそう思うのは、商人たちとよく話すからなのかもしれない。
顧客に取り入ろうと笑顔を浮かべながらも、利になる相手かを見極める隙のなさが似ている。しっかりと自分たちの関係を把握し、自分のキャラも理解して立ち回っているように思えた。
「なら、姉様に私にバレたことは告げずに、このまま密偵でいてください」
「えっ、いいのぉ?」
おやっと細い目を精一杯開いたニコラに、私はこくりと頷く。
「はい。姉様のことなので、ニコラ様がダメになればまた違う人に頼むと思います。そうなることは避けたいことなので、誰が密偵であるかわかり、なおかつ情報をニコラ様がコントロールしてくださるほうが助かります」
「あまり現状と変わらないのでは?」
面白そうに目を細め、にまりとニコラが笑う。想像通りの反応に、私は神妙に見えるように頷いた。
「そうですね。それでいいんです。ちょっとというのが私にとっては随分と違うので」
「そうなんだ?」
「はい。ニコラ様もお気づきのように、姉様が私のことをとても心配してくださるのは嬉しいのですが、その、ちょっと、大分、シスコン気味でして。情報が絶たれたらどう出るかわからないですし、ある程度姉様の状態を見て話してくださったら。そういう操作や状態を探るのはニコラ様は向いていると思いましたので」
私の言葉を聞いて、横にいるルイが不機嫌そうに溜め息をついた。納得はしていないけどねとばかりの視線を向けられ、私は困ったように笑うしかできない。
ルイも心配してくれているが、姉の癖のあるシスコン具合を知っているので、最終的には私の考えに同意してくれたのだろう。
しかし、今度はサミュエルが納得いかないと声を上げる。
「エリザベス嬢。この男を信用するのか?」
「いえ。信用というか、適任だろうと思いまして。ルイならわかってくれると思いますが、姉様の私に対する愛情は少し異常ですので。この形が一番だろうと考えました」
「そこまでなのか?」
サミュエルの言葉に、そうなのよと私は力強く頷く。
――これまでどれほどその愛情と心のバランスを保つのに苦労してきたかっ!
何より十六歳の呪縛問題。愛の呪縛はがっしり絡みつき動きにくいものだ。
あれこれ思い浮かべると気持ちが高ぶってしまう。かっと目を見開いて、私は力説する。
「そこまでなんです。どうしてそこまで愛でてくださるのかと私自身ですら疑問に思うことなので周囲もわからないと思いますが、超がつくほど大事にされてます」
「お、おう」
「私も姉様が好きですが、それはそれ。これはこれというところでして。ここで彼を逃してしまうとまた一からですし、私も窮屈というか……」
そこで、サミュエルが私の剣幕に驚いたようにのけぞっているのに気づき、徐々に言葉尻が小さくなる。
ここは屋敷じゃないから落ち着くのよと自分に言い聞かせ、こほんっと咳をすると続けた。
「というわけで、阻止すればするほど過激になると思われるシスコン対策は、多少の妥協が必要なので、それが彼です」
そこで私は、ニコラに向き直り彼の茶の双眸を見つめた。
ここが勝負! と、少しでも彼の変化を見逃したくなくて、ぎゅわっと目に力を入れた。
「姉様にバレたことが伝わる前に対象者を知れたことも良かったです。情報を流すことが変わらなければ、別にニコラ様としては失敗でもなんでもないですよね?」
「まあ、確かにそうだけど。マリア嬢を騙しているみたいで嫌だなぁ」
嫌だと言いながら、ニコラのその瞳は面白そうに私を見ている。これはあともう一押しというところか。
「そうですか? 嘘をつくわけではないですし、少しこちらの思惑を汲んでくださいと申しているだけです。それにこれからこういうやり取りもあるだろうと、仲良くなったタイミングも作ってと思うのです。そうすれば、情報の提供も多くなりますし質的には上がるし姉様も喜んでくださると思います」
「よくわからないけど、俺は楽しそうなら別にそれでもいいよー」
ほんと、軽いな。軽くて信用はならないが、もし彼が裏切ったところでまた一からになる程度なので深く考えないことにする。
その程度が私にとって問題なだけで、ほかには迷惑をかけなければ心労的にはまだマシだ。
「よろしくお願いします。私も姉様を騙したいわけではなく、どうしても私の動向が気になるのであれば、落ち着く範囲で知っていただくほうがいいと思います。ただ、今日みたいなことにすぐに駆けつけてこられたら目立ってしまいますので、それは困ります。なので、ニコラ様にはタイミングや、話す内容を厳選していただきたいと思っております」
それができますかと見つめると、ニコラはにへらと笑っていた表情を引っ込め不躾に私を見た。
絡まり合う視線に、先に反応をしたのは相手のほうだった。ニコラがにっと笑ってパンと膝を打つ。
「面白そうだしやるよ。こっちとしてはマリア嬢に喜んでもらえるかつ、エリザベスちゃんとも仲良くなれるんだから乗らないわけにはいかない」
「そうですか。交渉成立ですね」
「何かいろいろスルーされてる気がする」
糸目がこちらを見てくるが、私は華麗にスルーだ。話がまとまるなら彼のチャラい言葉はどうでもいい。
「ニコラ様のそれは少し慣れました。私としては姉様に変なちょっかいをかけないのであればいいです」
「あれっ? 俺と交渉したのはそういう意味も含めてってこと?」
姉には信用されているようなのでわきまえていそうだけど、そのチャラさは心配なので釘はさしておきたいところ。
「どうでしょうね。これからほどよくお願いしますね」
「ほどよくね」
「はい。ほどよくです」
私はにこやかな表情ではぐらかしふふふっと笑むと、ニコラはまじまじと細かった目を広げて私を見つめた。
「そ…」
何か言いかけたが、ルイによって中断される。立ち上がると、ニコラを立つように促す。
「はい。話は終わったよね。もう帰ってもいいですよ」
「えっ?」
「そうだ。もう用事はないな。帰ればいい」
サミュエルもそれに続き、ぐいっと腕を掴み立たせた。
「ええっ。もうちょっと話してみたい」
「何を言ってるんですか。さっさと話をと言ったのはメンストーレですが?」
「そうだね。ここまでご足労をありがとう」
最後の仕上げとばかりにユーグとシモンがにっこりと笑みを浮かべ追い立て、全員に退室モードを出されニコラは不満げに扉のほうへと向かう。
シモンつきの護衛の者が、すかさず扉を開ける。
──おお、連携プレイが鮮やかだ。さすがのチャラニコラもなすすべなし。
少し爽快な気分でそれを見送り、最後にこちらを見たのでバイバイと手を振った。
その姿が見えなくなると、ルイが小さく嘆息し忠告するように口を開いた。エメラルドの双眸には心配の色が浮かび上がる。
「エリー。あまり相手をしなくていいからね。あと、彼と話すときは僕も一緒だから」
「ええっ? そこまでしなくても大丈夫そうですけど。口だけって感じだし」
「今のところはね。でも、油断はしないで」
「うん。ありがとう。あと、サミュエル様も」
横でルイの言葉に合わせてうんうんと頷いているサミュエルにも礼を述べると、「おう」と小さく言ってそっぽを向いた。
相変わらず、面と向かって褒めると照れるらしい。
「お茶を用意するので、座ってください」
そこでシモンに呼ばれ、もう一度全員が席に着く。
私はシモンとユーグに向き直り、改めて礼を述べた。この件に関して、世話になりっぱなしである。
「ありがとうございます。これで少しだけ息をつくことができます」
「私たちは大したことはしていない。なかなか面白いものを見せてもらったとは思ったけど」
「面白いというか。すっごく緩い人でしたね。もう少し落ち着いている人だと思っていたのですが、まさかあんな感じだとは思ってもいませんでした」
同じクラスでもろくに話したことがなかったので、見た目通りのようなそれ以上のような、なかなか興味深い相手だった。
「そういう意味ではないのですが……」
「どこかずれてますよね」
「そこがエリーのいいところだから」
シモンとユーグの言葉に、ルイがにっこりと誇らしげに告げる。
褒められた気がしないのだけどとじとっと睨むと、ルイが小さな声で「本当は僕だけが知っていれば良いんだけど、そう簡単にはいかないね」とぼそっと呟いた。
「何か言った?」
「ううん。なんでもない」
ルイが何か言ったような気がするが本人が何もないと言うのならと、問い詰めても今は話さないだろう。
それよりもと、出された紅茶とクッキーを頬張る。
ここが避けたかった王子たちが集まる敵地であるけれど、そんなことどうでもよくなるくらい、怒濤の出来事と密偵問題が収束したことに私は一気に気が抜けたのだった。




