17.まだ終わりません
「エリー。大丈夫だった?」
姉にあらゆる生気を吸われたような気分でげっそりして教室に戻ると、すぐに私に気づいたルイが駆け寄ってきた。
疲れ切った私はこくりと頷くにとどめ、ルイに手を取られ促されるようにちょこんと席についた。
シモンとユーグの関心がいつもより向けられているきがするけれど、実際、囲むように私のそばにいるのだけど、くったりしながらわずかに微笑を浮かべるだけで精一杯。
クラスメイトの関心が向けられているのも感じる。
その内の一人と目が合ってちょっと放っておいてほしいなと力なく笑うと、伝わったのかどうか数名がほぅっと息をついてそれぞれの会話へと戻った。
なんて、気の利くクラス。魔力レベルも高いと察し能力も高いのかと、意外と最高クラスも悪くないとクラスメイトにほっこりものだ。
感謝しながらも、友人と向き合う。エメラルドの瞳でひたと私を捉え、心配そうに覗き込んでくるルイ。
──ああ、癒やしだぁ。
柔らかな空気に爽やかな香り。ルイが近くにいるだけですごく和む。これよ、これっ! この格好いいのに可愛さを兼ね備えた美貌。
何より、優しい存在感。過度な愛情に当てられまくった私は、友情の癒やしに少しばかり気分が上昇する。ほわほわっと縋るようにルイを見つめた。
「ものすごく疲れてるね。もしかして怒られた?」
「ううん。ある程度の成り行きは見ておられたそうなので大丈夫。それよりも、マリア姉様が……」
気遣うように問いかけられ、私はふにゅうと目尻を下げた。
言葉にすると、がっくしとばかりにあちこちが緩みだす。説教はされなかった。だけど、本当に疲れた。
私の言葉と様子に、ルイは、ああ、となんとも言えない表情で神妙に頷いた。
的確に私の心情を汲んでくれる友がいるだけで、すごく救われる。
「それでそんな感じなんだね」
私の髪に視線をとめ、くすっと笑う。その先に、手を伸ばしつぃと私の髪を指に引っかけて梳き流した。
わかってくれるのは嬉しいけれど笑われてぷくぅっと頬を膨らませると、ルイは髪に手をやっていた手をそのまま頬へと滑らせぷにっと押してきた。
「ルイ」
「すごく納得したよ。マリア嬢らしいというか、エリーも大変だね」
そんな二人のやり取りをそばで見ていたサミュエルが、ルイの言葉に頭を捻りながら質問を投げかけてくる。どうやらずっと気になっていたようだ。
「教師に呼ばれたのに、なぜさっきと髪型が変わってるんだ?」
「やっぱり変わってますか? ずっといじられていたのでされるがままというか、諦めたというか。マリア姉様だし変なことにはなっていないと思うのだけど」
指で編み込みされた場所や飾りを探るように触りながら、私はふぅっと息を吐き出す。
「似合ってるよ」
「ありがとう。でも、自分ではどうなっているのかわからないのよね」
すかさず褒めてくれるルイの言葉ににっこりと礼を述べながら、ずどぉんと気落ちする。
久しぶりに姉好みにアレンジされた髪型に、思い出したあれやこれ。姉の愛は重すぎて、やっぱり今生も試行錯誤だ。
「どうしたの?」
どんな時でも機微を察してくれるルイの心配そうな声に、私はちらりと彼を上目遣いで見上げた。
うーん、どうしようかと周囲を見回しながら考える。だけど、また笑われるかもしれないが聞いてもほしい。結局迷って私は口を開いた。
「どうやら密偵がいるらしいのよ」
「……密偵?」
「なんだそれ?」
「…………」
この教室にいるのだと思うとあまり大きな声も出せないので、私はちょいちょいっと手で寄るような仕草をして、四人がわずかにこちらに身体を寄せたのを確認すると小声で告げた。
こそこそと告げる私に合わせて、言葉を返すルイとサミュエルの声も小さくなる。
シモンは考えるように顎に手を当てた。ユーグはただそこにいるだけで、特にリアクションはない。
それぞれの反応を目に留めながら、むっすぅと私は頬を膨らませた。
密偵と言えば弱みを握るためだとか、先を越されないために放つものだ。そんな物騒なものを向けるってどういうことだろうか。
疲れのためか、怒りのためか、ほかもろもろのためか、瞳が潤んでいくのがわかる。
やっぱり妹に密偵っておかしい! と不満がこみ上げてきて私は力説する。
「ほんと、意味がわからないよね。普通、妹に密偵つけるものなのかしら? 世の姉妹ってこんなものなのかしら。何度もそう問いかけていつも儚く散る花びらのごとくよ」
「エリー。ちょっと落ち着いて」
「あっ、ごめん。とにかく、姉の信望者が多分このクラスにいるのよね。私に何かあれば馬のように早く報告がいくことになっているらしいの」
「ああ~、そういう密偵ねぇ。彼女ならありえるね」
「そうなのよねぇ。あれは本気の顔だったから」
ルイと二人してはははっと乾いた笑いを浮かべていると、話が呑み込めないサミュエルがそもそもの疑問を呈する。
「エリザベス嬢の姉君はどうしてそこまで?」
「姉は、……シスコンなんです」
率直な質問に、私は小さな声でぽそりと告げた。
自分が愛でられる対象なのだと自意識過剰な発言は恥ずかしい。だけど、その一言に尽きた。
美しくとも、聖女化していようとも、私にとってのマリアはシスコン以外の何者でもない。
そして、学園に入って落ち着いたかと思われたそれらは、ちっとも変わってなかったことを再確認した今日。
思い出してははぁぁーと溜め息をつく私の代わりに、ルイが説明をしてくれる。
「溺愛がやばいからね。テレゼア公爵家の娘について噂ぐらいはサミュエルも聞いたことあるでしょ?」
「ああ。確か、テレゼア公爵家の長女はとても美しくて、慈愛に満ちた表情で妹を愛でているというやつか」
「それも大概だと思うけど、実際はそんな可愛らしいものじゃないから」
その後、私に聞こえないようにルイはこそっとほかの三人に言い添えた。
すると、サミュエルが目を見開き、シモンの表情がすんとなり、あのユーグが眉を上げる。代表して、サミュエルが尋ねる。
「どうやって?」
「それが彼女の怖いところだよねー」
ルイが困ったように首を傾げながらふふふっと笑う。
一体、何を言ったのか。知りたいような知りたくないような。
そこで、何やら勝手に納得したサミュエルが私を見た。
「なるほどな。さすがテレゼア公爵家といったところか。ところで、あの魔力は何だ? さっきも言ったが、テレゼア公爵家の娘について長女の話はたまに聞いていたが、その長女が愛でる大人しい次女としか話は聞いていない。どちらかといえば、平凡な妹でも大切にする長女の美談として語られていると思っていたが」
「そうだよね。外向けはそれで合ってるんじゃないかな?」
私も噂はそのように認識しているとうんうんと頷くと、ルイが一度私に視線を投じるとふっと息をついた。
ルイの呆れたような労るような視線に、私は複雑な気持ちになる。
「だが、実際はこうだ」
「こうだとは失礼だからね」
「悪い」
サミュエルも失礼ではあるけど、そう言い切られるようなことをルイは一体何を言ったのか。
「答えは簡単だよ。エリー自身が目立ちたくなかっただけであって、それも込みで彼女の周囲がそうあることを望んだ結果だよね」
「意味がわからないな」
「まあ、そうだよねぇ」
そこでルイが嬉しそうにふふふっと笑う。
ルイ、楽しそうだね。ほんと、何を言ったの?
「エリーの魅力をそう簡単に語られてもね。魔力に関してはサミュエルも気づいていると思うけど、相当なものだよ?」
「あそこまでだと思わなかった。あれは風と水の応用か?」
「エリーならではだよね。今まであまり見せてくれなかったから、これからそういうのもたくさん見られると思うと楽しみだよ」
何やらルイの機嫌が良い。そして微妙な話題に私は遠い目をした。今日はいろいろあって思考が定まらないしついていけない。
そんな私にサミュエルが話しかけてくる。
「あれはどうやった?」
「あれとは?」
ぱちぱちと瞬きを繰り返しサミュエルを見ると、なぜか満足そうに笑うサミュエルがいた。
彼も彼で楽しそうだけれど、先ほどの会話にどこにおもしろいことあったのだろうか。こっちはかなり大変なのだけど。
「宙に水を浮かせるやつ」
「風で包み込むようなイメージでやってます。溜めた水をそこから出さないように受ける感じです」
サミュエルには協力してもらったし、教室で披露したので今更隠す気はないので素直に答えると、ふーんとサミュエルが頷きながら質問を続ける。
「そんなこともできるのか。そういえば字を書こうとしていたな」
「それもその応用です」
「ふーん。それにしてもいつ鍛錬した?」
「まあ、いろいろ時間がありましたもので……」
そこで私は苦笑する。転生を繰り返し何年も鍛錬する時間があったなんて信じてもらえない。
笑ってごまかせとばかりににっこりと笑みを浮かべると、サミュエルがうっと口を閉ざした。
よくわらかないけれど、あまり突っ込んでほしくない時は笑顔を浮かべると大抵黙ってくれる。
セコ技を使っているようで申し訳ないが、こちらも死活問題なので使えるものは使わせてもらおう。
そう内心にまっとしていると、新たな火種がやってきた。
「私も興味がある」
そこで普段なら滅多にこちらの話に入ってこない隣席のシモン王子が声を上げた。それから、私を見つめにっこりと微笑む。
金糸の髪といいこの王子は全てがきらきらしている。
「エリザベス嬢。このたびは大変でしたね」
「いえ。巻き込んでしまい申し訳ありませんでした」
完璧王子に声かけられたととても驚きながら、さすがに今日はお世話になっているので気持ち的にも邪険にできない。
しっかり目を見て謝ると、彼の腹心であるユーグはそのことが気に食わないとばかりにじろりと睨むような視線を私に向けた。
完璧王子に彼を敬愛する友。こちらもなかなか個性的な組み合わせだ。
まあ、他人事だし、関係ないしと、私は話しかけられたので答えを返したのみ。自分に関係ない人の思惑まで気にしていられない。
そんなこちらの心境など知らない第一王子は、その美貌に笑みを刻むととても穏やかな声で告げた。
「いえ。大変興味深いものでした。なのでいろいろ詳しく聞きたいですね」
興味と言いながらその顔は涼しげだ。理知的な瞳は物事を見透かすだけで、自分の感情を一切見せないのだ。
──う〜ん。やっぱり、わかりにくい王子だ。
シモンと何度か話したことがあるとはいえ、それは授業の範囲内でプライベートのことなどはまったくない。
すごく緊張するなと私はわずかに身構えた。




