16.溺愛がすぎます
しばらく私の菫色の瞳と、マリアの琥珀色の瞳が絡み合う。
一歩も譲らないぞと視線を逸らさずにいると、マリアは拗ねたように唇を尖らせた。
「だってぇぇ、エリーってばまったく会いに来てくれないし、何も報告してくれないんですもの。私はとても心配しているのにぃぃ。最初の週末はルイと買い物に行ったんですってね。私もエリーと出掛けて、たくさんエリーに似合うお洋服を買いたいわ。放っておいたら地味な服ばかり選ぼうとするから、私がエリーに似合う服を決めて週末デートをしたいの」
堰を切ったように溢れ出てくる苦情に、私は手で顔を覆い隠し、深々と溜め息をついた。
「マリア姉様が選んでくれる服はいつも可愛らしいのですが、私は地味で動きやすい服のほうが落ち着くんですけどね。それよりも、そんな密偵みたいなこと誰かにさせていることのほうが問題ですよ」
姉に論点をすり替えようというつもりは微塵もなく、あれもマリアの本音だとわかっている。わかっているからこそたちが悪い。
「えぇぇ、ちょっと心配だと呟いたら相手の方から志願してくださったのよ。私から頼んだことではないもの」
「志願……」
「そうよ。善意ある方がこの学園にはたくさんいますからね」
そのセリフ、我が姉ながら心配だ。変なやからに騙されていないだろうか。
「マリア姉様、人を信じる心はいいですが、誰彼構わず信用されるのはどうかと思います。姉様の美貌に惹きつけられて、にっこり笑顔の下で何を考えているかわからないんですよ? 姉様も年頃なのですからそろそろしっかりしてもらわないといけません」
「エリーったら、心配してくれているのね」
「当たり前です」
超がつくほどのシスコンだが、大事な家族なのだ。幸せになってもらいたい。
「すごく嬉しいわ。でも、エリー、よく考えてみて。エリーの様子が少しでもわかるような情報が回ってきたら私は落ち着くの。なら、そのほうがいいと思わない? でないと、毎日エリーに会いに行ってしまいそうなんですもの」
「だから、それは姉様の問題であって、他人を巻き込むのはどうかと思います」
そこは自分でコントロールするすべを見つけてほしいと切に願う。
「だったら、エリーがもうちょっと相手してくれてもいいじゃない。心配しているのに学園で見かけても素通りするだけで話もしてくれないなんて、心がひょうひょうと吹雪いているの。毎夜アルバムを見て思い出を振り返り慰める日々はもう嫌だわ」
「たまに帰ってきた時はたくさんお話しした記憶がありますが?」
アルバムについてはスルーしておく。
そのくらいは許容しておかないと、どのようにシスコンが爆発するのかわからないのだ、この姉は。
「あれっぽちよ。ミミズの目玉くらい。あれっ、ミミズって目玉ありましたっけ? とにかくあるようなないような、そんなちょびっとよ。それにすぐにエリーはどこかに行ってしまうもの。メイドのペイズリーのほうがエリーといる時間が長いわ」
「それは当然です」
それはそうだろうときっぱり告げると、マリアは色香がこぼれ落ちるくらいにうっとりと眦を緩めた。
ぴしりと告げる姿もいいわぁ、と私の身体を舐め回すように眺める。
姉でなかったら変態だ。速攻、その目を水鉄砲で打っているところだ。
こういうところが、転生を繰り返して姉のグレードアップを感じさせるところだ。
打てば響くではなく、打てば柳のようにしんなりと受け止めいいように解釈するようになった姉の反応が、回を重ねることに変態じみてきた。
ふふふっと笑いながら嬉しそうに文句を告げるものだから、私は結局それを聞くことになる。
何をどう反応しても、最後はぐったりするほど愛でられ終わるのだ。
「もう。エリーったらつれないんだから。そんなところも好きですけど。この二年間、エリーと会う時間が減って寂しくて、その分どれほど私がエリーが学園に来るのを楽しみにしていたかわかりますか? 思ったより早くうっかり披露のエリーは可愛いかったですけどね」
「うっかりって。マリア姉様は私が学園に行くことを確信しておられたのですか?」
聞き捨てならない言葉に私がかっと目を見開くと、マリアはふわふわっと聖女のように満ち足りた笑みを浮かべた。
「もちろんよ。どれだけ近くでエリーを見てきたと思うの? 一生懸命魔力を隠す姿も可愛くって見守っていたけれど、学園に入ってからはその姿もなかなか見れなくてもどかしい日々だったわ」
「ああー、そうなんですか……」
ショックだ。
魔力に関しては上手くごまかせていると思っていたが、姉にはもろバレだったようだ。
ルイもだけど、この調子だったら家族全員、もしくは使用人にもばれている可能性がある。
──うわぁ、穴があったら入りたい。
ひとり、ふはふはとバレていないと思い込んでほくそ笑んでいた過去を埋めてしまいたい。
恥ずかしすぎた。恥ずかしさと衝撃に赤くなったり青くなったりしている私を横目に、マリアの熱弁は続いた。
「学園で出会うたびにマリア姉様~って駆け寄ってくる可愛いエリーの姿を目にする日を夢見ていたのに、全てスルーするのだから。今日だってこうして心配しているのに、エリーったらつれないわ」
しくしくと悲しそうに眉を下げて艶っぽく溜め息をつくマリアに、私は動揺する。
それほど心配されていたこともだけど、そんな期待をされて一体どうしたらいいのだろうか。
もちろん、学園で聖女化した姉に駆け寄るという選択肢はない。
考えるまでもなく目立つ。目立ちすぎる。
クラスで目立ってしまったけれど、幸いまだクラス内なのでセーフだろう。
むしろ、これから学園で過ごすことを考えたら、早々バレたほうがこれからやりやすいと考えを改める。
姉やルイに言わせると私はうっかりが過ぎるらしいので、今回は相手に絡まれたからではあるが早いか遅いかの違いと思うことにした。
けれども、大所帯の学園で目立つ行為は絶対に避ける必要がある。
これは前提条件なので、姉の要望は叶えてあげられない。だけど、このように押しかけられることを考えると、このまま放置もよくないのだろう。
また何かしら姉のシスコンが爆発しないとも限らないので、ある程度姉を満たさないといけない。
まだ十四歳、姉の呪縛から逃れたと確信できるのは十六歳。十六歳の誕生日が来るまでまだ一年以上ある。気を抜いては駄目なのだ。
さて、どうしようかと考えていると、マリアは悲しげな表情から一変、私の手を握ってふんがぁっと欲望を言い放った。
「私は自慢の妹をみんなの前で見せびらかしたいんです!!」
──……勘弁して。
連れ回して見せびらかしたい場所やしたいことをあれこれ語るマリアの話に、私の気は重くなる。
普段お淑やかなのに、妹のこととなると目色が変わり熱弁がすぎるのは困りものだ。
重くのしかかる姉の愛に、はぁぁぁぁぁ~と長い息を吐き出すと、そこで紅茶を飲み終えたらしいベントソンがすっと瞼をわずかに伏せた。
とうとう本題に入ると、私はぎくしゃくと背筋を伸ばした。何を言われるのだろうかと気が気じゃない。
学園生活始まって初めての呼び出し。しかも、仕出かした自覚はある。
実は姉の相手をしながらも、いつベントソンが口を開くのかとそわそわしていた。
「マリアは相変わらずですね」
「ベントソン先生はすぐにエリーと会えるんですもの。ずるいですわ」
「ずるいと言われてもね。クラスではとても大人しく、エリザベスはすごく素っ気ないよ」
「エリーは恥ずかしがり屋さんですから」
違う。違う。と思いながらも、そう思ってくれているならありがたいと話を合わせて頷いておいた。
ベントソンは姉の言葉を面白がるようにゆっくりと瞬きをして、口元を歪めた。
全体的に冷たい雰囲気をまとうベントソンは、そうするだけでまるで極悪非道の親玉に見える。
「大人しくあろうと必死なエリザベスは可愛かったけど」
そこで、薄い唇をふっとあげる。大人の色気をまとった危険な男の出来上がりだ。
──おぉっと。相変わらず、心臓に悪い顔だ。
切れ長の色素の薄い茶色の瞳、高い鼻梁、薄い唇とどれも形は整っているが、本人がそういった表情しかしないため冷たい印象しか与えない。
何度見ても見慣れないなと、ドキドキと高鳴る心臓を意識しながら続く言葉を待った。
「今日のエリザベスは見事だったよ」
淡々と告げる声は冷酷に聞こえる。青い血が流れているのではと噂をされる彼だが、実際は表情筋があまり動かないというだけだ。
感情が表に出にくいだけであることを知っている私は、顔に騙されず言葉を咀嚼しようとじっとその口元だけを見つめた。
──これは言葉通り褒められているのか、もしくは遠回しにやりすぎたと怒られているのか?
昔からわかりにくい人であったが、新たな関係のせいで余計にその感情が見えないなと、相手をしてとばかりにくっついてくる姉にされるがまま考え込む。
結局わからなかったので、眉尻を下げてどういう意味かと問いかけた。
「つまり、それはどういうことでしょうか?」
「レックスに報告ができることが楽しみだ」
レックスとは父のことである。
「だから、つまりどういうことでしょうか?」
「そのままの意味だけど」
――わからない。ちっともわからない。
むぅぅっと唇と尖らせると、すかさず姉がその唇を摘んでくる。
これも思考がまとまらない原因だ。ちらりと姉に視線をやると、瞳を輝かせて私の言葉を待つ。
「マリア姉様」
「なぁに?」
嬉々とした表情にげんなりする。
陶器のような肌を紅潮させ興奮している姿さえ美しく、ものすごく輝いていた。きっと、姉の信者もどきはこの姿に卒倒するだろう。
「ちょっと、大人しくしてもらえますか?」
「む~りぃ~。エリーがいてなぜ触れてはいけないの? 久しぶりなのに、とっても久しぶりなのに、触ってはいけないなんてそれは潤いが足りなすぎて干からびてしまうわ。そうすると、きっと魔力も下がってエリーの望む素敵な姉様ではいられないのよぉぉ」
それはないだろう。絶対ない。
「だからいつも大袈裟です。私がそばにいなくても、十分マリア姉様は素敵じゃないですか」
「違うわ。エリーがこの世に生まれて私の手を掴んだときから、エリーは私の源なのよ。エリーがいなければ、私は砂漠の砂粒のひとつ。風が吹くだけであっという間に埋もれてしまうわ」
ふんすっと息は荒いのに儚げに見えるのは、やはりその美貌のせいか。
ごねる姉の原動力とこの独特なごね方は、毎度のことながらわからない。ただ、妹というだけでここまで溺愛するものなのか。
ありがたいし嬉しいけれども、度合いというものをそろそろ知ってほしいなと身内として思う。
マリアも十六歳、そろそろ婚約の話など本格化する時期であり、妹ばかりにかまけていないで姉に素敵な恋人でも見つかればと思う。
結局、姉に思考が持っていかれて、本来話し合うはずのベントソンとは話し合えていない。申し訳なく思うのだけど、特に先生は何も言うことはなかった。
そろそろここに来て一時間が経つ。このままではすっきりしないと、結局どうしたいんだと私から話を切り出した。
「ここに呼び出されたのはお説教なのでは?」
「悪いことをしたのですか?」
「いえ。最後にベントソン先生に水をかけたこと以外は、悪いことをしたとは思っていません」
「そうでしょう? 少し前から様子は見ていましたし、周囲の反応からもわかります。あとでそれぞれ事情は聞きますが、まあ問題ないでしょう」
その言葉にかなり気が楽になる。ほっと息をつくと、ふと純粋な疑問がよぎる。
「でしたら、なぜここに?」
自習にしてまでだ。
わかっているなら、休み時間などに個人ではなくて関係者の話し合いで済むのではないのか。
「もちろん。こうしてゆっくり話をするためですよ」
「えっ、おじさまでも冗談を?」
思わず、今の立場を忘れて突っ込んでしまった。
それに対してベントソンはすごく仏頂面で、ふむと頷く。
──だ~か~ら~、わかりにくいのよその表情。
冷酷に見える先生、もといベントソンおじさまの秘密を知る私は、つい、今の状況も忘れてにまっとしてしまう。
すると、ベントソンがひどく真面目な顔で告げた。
「今日で魔力も披露したことだし変な勘ぐりは減るだろうから、これからはもう少し話せるな」
「えっ」
最後に、にやっと笑みまで作ってみせる。
その表情は怖がらせたいのかってほど、血の通わない面として絶品だ。
「今までは大人しくしたいエリザベスに合わせていたが、別にもう構わないだろう。レックスにもくれぐれもよろしくと言われているからな」
「やはり父にもこのことを……」
「ああ、もちろん。最初に言っただろう。ただし、すごく喜ぶだろうな。私も思い出すよ、レックスの学生のころを」
ふっと思い出し笑いをしているのだろうが、若干引きつった笑みは笑っているように見えない。むしろ怖い。
「それは、あまりいい気がしません」
久しぶりに会うと凶悪なその表情に驚きはするけれど、すぐに慣れる。心臓に悪いが、慣れると愛嬌があるように見えてくる。不思議だ。
今も表情よりも話の内容だと、むすっと私は顔をしかめた。だって、氷の外相と呼ばれている父に似ていると言われて素直に喜べまい。
「今週末は我が領地に来るといい。もちろんマリアも」
「当然ですわ」
「決定ですか?」
「ジョニーも待っているぞ」
ジョニーと言われ、私の気持ちはぐらついた。
週末に学園の先生と懇意にしているところをもし知られたらと思ったが、彼の名前を出されては久しぶりに会いたい気持ちが募る。
あの凛々しい姿、もう一度目にできると思うと完全に傾く。
「ベントソン先生はずるいです」
そう拗ねたように告げると、愉快そうに喉奥で笑いをかみ殺しすっと目を細めた。
だから、それね。楽しいなら、もっと楽しそうにしてくれないと。危うく呪われてるのって疑いそうになるのですけど……。
そんなことを思いながらも、特に怒られることもなく父に報告すること以外は問題なさそうでほっとした。
もう、姉のことは諦めた。
──それにしても、すっごく疲れた……。
ピンチと言うほどのことが起こったわけではなかったけれど、余計な気力を根こそぎ持っていかれた気がする私であった。




