sideドリアーヌ どこが平凡なのよ
ドリアーヌは何がなんだかわからないまま、目の前の光景に驚きを隠せなかった。
大人しいと思っていたエリザベス令嬢は、とんでもなくヤバいお嬢様であったようだ。今更気づいても遅い。
学園に入学する前までの彼女の情報は、テレゼア外相の娘、美貌のマリア・テレゼアの妹といったついでのように語られていた。
実際、会ったことのある友人は口を揃えて、可愛いけど大人しい普通の娘と言っていた。王立学園入学も怪しいのではないかとの声もちらほら。
だから、くみしやすいと思って彼女の立ち位置に自分が成り代わろうと近づいたのに、王子たちはまったく自分に見向きもせず、学力テストもままならずでむしゃくしゃしていた。
身分と美貌でチヤホヤされるはずだった学園生活。せっかく三王子と一緒なのだから、自分が一番彼らと近い位置にいなければならなかったのに……。
──魔力がこんなに高いなんて聞いてないわよっ!
ドリアーヌ・ノヴァックにとって最大の過ちは、エリザベス・テレゼアを侮ったこと。その一言につきた。
脅しのように球体水が上下し、一度は降りかかるかと目をつぶったドリアーヌは、いつになっても落ちてこないそれにそろそろと目を開けた。
そして、どうなの? と自分を見てくるエリザベスの菫色の瞳も、ただただ純粋にこの魔力はどうなのかしら? と思っているようであった。
そこには一片たりとも驕りはなく、純粋に証明して納得してもらうのだという気概だけが伝わってくる。
挙げ句の果てには、これでは足りないのかと聞き、うーむと真剣に悩みだした。
ドリアーヌは化け物でも見るような気持ちで見た。
――足りないって、十分足りてるわよっ!
うまく声が出せないほど、こっちは驚いているのだ。
ドリアーヌの今の魔力だと、時間をかけてせいぜいオレンジくらいの容量の水を集めるくらいが精一杯だ。短時間でしかもあの量はあり得ない。
空気中の水分を集めるのは高度魔法。実際にある水を動かす、流れを変えるというのが水魔法の基本である。
だから、実際にドリアーヌがしたことと言えば、サラの教科書をばらまいた後、花瓶に入っていた水を替える振りをして濡らしたのだ。
狭量だと自分でもわかっていたけれど、学力テストの結果を見て、身分も低い田舎の男爵令嬢に腹が立ったのだ。だけど、その現場をユーグ・ノッジに見られたことから、現在に至る。
教科書の状態を見たエリザベスはあっさりと水属性だからと言ってくれたが、属性だからというだけでそんな簡単にできるものではない。明らかにレベルが違いすぎる。
もう、全てがバカらしく感じてくるほどの圧倒的な差に、ドリアーヌはただただそこに立つだけで精一杯であった。
――これのどこが平凡なのよ?
ちょっと噛み付けばへし折れる存在だと思っていたが、こんなしっぺ返しがあるなんて考えもしなかった。
この一か月大人しくて普通で、彼女の取り柄といえば、彼女の家柄と王子たちと仲が良いことだけだと思っていたら、トンデモないのが出てきた。
ドリアーヌは、ちらりとエリザベスの後ろにいるクラスメイトに視線をやった。
ルイ王子は楽しそうな満足そうな笑みを浮かべているし、サミュエル王子は驚きながらも納得だとばかりの顔、それ以外はもう目がこれでもかってぐらい見開いている。
──ほら、周囲も見てごらんなさいよ。びっくりしすぎて言葉もないじゃない。
ドリアーヌは、自分だけが驚いているのではないことに少しだけ安堵した。
それと同時に、それにしても、と思う。
――これだけのことをしておいてそんなことも思いもつかないなんて、ちょっと抜けてるのかしらこのテレゼア家次女は!?
すごいことを見せられているのに、周囲の様子に気づかず真剣に悩む姿はどこか残念にも映る。
だけど、何も解決はしていない。
「……本当にこのクラスのレベルは高いんですね。困りました。現在の授業の進行では、この段階だと予測していたのですが」
目の前では、真逆なことを言いながら真剣な姿で悩むエリザエベスの姿があって、彼女がどうでるのかわからないからだ。
どちらにしろ、ドリアーヌの結末はエリザベス次第。
「文字でも書いたらいいのかしら? でも、どこに?」
どきどきと固唾を呑んで待っていたら、ずっと眉を寄せて悩んでいた彼女が出した答えがそれだった。
――それ、高等技術よね? 水属性あるからってそんなことできる人は限られてるわよ!
緊張しながらも、突っ込みどころ満載の相手にドリアーヌはもうくたくただった。
もう、どうでもいいから終わらせてほしい。
「エリザベス様、もう結構です」
降伏です!
自分がいかに愚かだったかわかった。能ある鷹は爪を隠すのね。
「えっ? それでもダメってこと?」
「違います。エリザベス様が十分な魔力保持者であることはわかりました」
友人のために怒り、規格外の魔力を見せられて対抗意識はさっぱりなくなった。
ここで駄々をこねるつもりもない。これ以上楯突くつもりはない。
「本当に? またいつか足りないとか、いちゃもんつけたりしませんか?」
「もちろんです。身に染みましたから」
「ならいいのですけど」
うーんとこてりと首を傾げると、ピンクゴールドの髪がさらさらと零れ落ちる。
今まで見下していた相手であったから気にしていなかったが、柔らかに輝く優しい色の髪は光を浴び、水球を通して届く光の反射で美しい。
ドリアーヌへの怒りというよりは、己の疑問があって迷っているとばかりに納得いっていないようにまたくるくると球体水を頭上で回すものだから、ドリアーヌの心臓は縮み上がる。
「では、これを片付けてしまっても?」
ドリアーヌがぶんぶんと頭を上下に振って肯定すると、「そうですか」とどこか残念そうにエリザベスは呟いた。
ちらりと球体水に視線をやった後に、ドリアーヌを見て考えるようににこっと笑みを浮かべ首を捻る。
──いやぁぁ、何を考えているのっ!?
いつも大人しいから反抗されないだろうと罪をなすりつけようとしておいて、降参したけでは駄目だったのだろう。
サラ・モンタルティにしたことを誠心誠意謝っていないから、彼女は笑いながら怒っているのかもしれない。
普段は主張しないのに、今はとても意志が宿った菫色の瞳はきらきらと不思議な色合いで輝き、それが輝いて見えるほど不可侵のものを見ているようで恐ろしくなる。
そんな彼女が規格外の魔力を見せながらにこっと笑うと、変な勘ぐりをしてしまう。
今後次第と落とし所はできたが、自分がしたことは自分で一番わかっていた。まずいところを見られて、思わずなすりつけてしまったが相手が悪すぎた。
笑顔が怖い。笑顔だからこそ怖いぃぃ~、とドリアーヌの目頭は熱くなる。
得体の知れない恐怖が支配する。ぷるぷると震えだす身体が止められない。
それ以上に、初めて自らのこの先を心配した。
怒らせてはならない人を怒らせた。
恥だとかそんなことよりも、彼女を怒らせたままでこの先過ごせていけるのかと考えてしまうほどの、怖いという気持ちがこみ上げた。
王子たちに取り入り、この先華やぎと安泰をなんて考えていたことはすっかりと引っ込んでしまう。
恐怖に頭のてっぺんからつま先までくまなく侵食されたその時、エリザベスの美貌に気づいてから妙に艶っぽく見える口角がにぃっと上がっていった。
エリザベスのその笑顔がトドメだった。
大事に大事に育てられたノヴァック公爵家の一人娘、ドリアーヌ。
早くから開花した魔力もあって期待され甘やかされもてはやされ育ってきた彼女には、この状態は限界であった。
生まれてから学園に入るまで、自分の望む通りにやってきたドリアーヌには未知の出来事であった。
「すみません。モンタルティ嬢にしたことは全部私の考えたこと、うっ、です。うぅ、ひっくぅ。う、嘘を言って、え、え、エリザベス様に罪をなすりつけようとしたことを謝ります。ごめんなさ~い、ぃひっく。今は本当に悪かったと思っています。モンタルティ嬢もエリザベス様にも。うぅ、だから、許してくださっぃ」
恥もプライドも捨てて、ドリアーヌは涙を流しながら謝った。




