sideサミュエル 逃げる令嬢
半年ほど前の雲ひとつない晴れやかな日。
爽やかな風が吹き、気持ちのよい日差しとは反対に、サミュエルは憤っていた。従兄弟のルイが王立学園の入学の延期を言い出したからだ。
王族に生まれたからには、恩恵と責務がある。王になるには、魔力、実力、人柄、様々なものが加味されて決まる。
はっきりとした基準は知らされていないが、選ばれたならふさわしくあろうと努力するだけであるし、ほかの者がふさわしいと決まればサポートするつもりだ。
サミュエルはできることをしていくのみで、その上で能力や人格を認めている従兄弟とは同じように励んでいくものだと思っていた。
年齢が同じだからこそ同じ条件で、それぞれの力を出した結果であってほしいのだ。だから、そんな色恋なのかまでは知らないが、一時の感情で入学を遅らせてルイが自分たちより遅れをとることが許せなかった。
何度も話し合い説明を受けても納得のいかなかったサミュエルは、ルイが数年前からテレゼア家の屋敷に通っていることを突き止め、直接その原因を見てやろうと屋敷へと向かった。
テレゼア家屋敷に裏口に到着するとすぐに、門の内側で長い紐をずりずりと引きずりながら歩いている同年代くらいの令嬢を見つけた。
地味な色味の服装ではあるが、その服装から使用人ではなく貴族の令嬢だということはわかった。けれど、その出で立ちから公爵令嬢だとは思わなかった。
そのピンクの頭には小鳥、背中には猫がへばりついており、一瞬、何に遭遇したのかわからず見つめてしまった。
門の外で不躾な視線を向ける男に対し、パチパチと長い睫毛が瞬き、その奥の菫色の瞳が不審げに揺れたのを見てサミュエルは慌てて声をかけた。
「テレゼア公爵家の者にお目通しを願いたいのだが可能だろうか」
「……どのようなご用件でしょうか?」
約束も取り付けずにやってきたので、どこの誰かはわからないが屋敷内にいて自由を許されているということは、それなりに付き合いのある令嬢であろうと目星をつける。
「ここにルイ・ランカスターが通っていると聞いて来たのですが」
「ルイ……、ランカスター? とは王族の方でしょうか? あなたはどなた様でしょうか?」
さらに不信感を募らせた彼女が、警戒心をあらわに尋ねてくる。
「失礼いたしました。私はサミュエル・ランカスターと言います。彼の従兄弟ですが、彼がどうやらこの屋敷の女性に誑かされていると聞いてきたもので、一度お会いしてお話しさせていただけないかと思ってやってきました」
「少しお待ちください。屋敷の外で話すようなことではありませんので」
身分証明となる王族のバッジを見せるとその対応だったのだが、後から息を切らしながらやってきたメイドに、令嬢はなぜか不服そうに開けるように指示をする。
扉の中は緑豊かな庭が広がり、彼女にくっついていた小鳥と猫はそちらに逃げるように去っていった。
それを残念そうに見送り、紐を申し訳なさそうにメイドに渡した令嬢は、ふぅっと大きく息を吐き出すように胸を上下させると、挑むようにサミュエルを見た。
「…………先ほどのお話ですが、そのようなお話は聞いたことがありません。人違い、場所違いではないでしょうか?」
「彼がここに通っているのは証拠が上がっています。その彼がそのご令嬢のために時間を割いていると言っているので、是非ともテレゼア公爵令嬢に会わせていただきたい」
「ですから、勘違いです。姉様はそのようなことはしておりません」
むっとして挑むように見上げてくる双眸に、サミュエルは獲物を見つけたと目を凝らし再度姿をその姿を捉える。
「姉様というと、マリア嬢ですか。では、あなたが妹のエリザベス嬢だろうか?」
「そうですが?」
「へぇぇ」
ルイを誑かす悪女にすぐに出会えるとはラッキーだ。だけど、考えていたイメージとは違い、しげしげとその姿を眺めた。
すると、きっ、と大きな瞳で睨まれる。身長差があるせいでまったく怖くもない睨みに、サミュエルはふっと口元に笑みを刻んだ。
社交界ではテレゼア家令嬢というと美貌の姉の噂で持ちきりで、妹の話は何かのついでにしか語られない。今回のことで調べるにあたって、妹は平凡、大人しいとの声ばかり。
しかし、ルイは『同じ年の令嬢』と言っていたので、姉ではなく妹のほうなのだ。
噂を聞けば聞くほど、なぜルイがその令嬢にご執心なのかわからなかったので、直接話すしかないと思ってやってきたのだが、サミュエルのどの想像とも違った令嬢の反応に検分するように彼女を見下ろした。
すると、媚びも恐れもないまっすぐな眼差しで、つんつんと嫌そうに告げられる。
「王子殿下とはいえ、女性に不躾な視線は失礼だと思います。そして、マリア姉様に濡れ衣はやめていただけますか?」
「俺が用事があるのはエリザベス・テレゼア嬢のほうだ」
目的の人物だとわかって、サミュエルも対人向けの話し方をやめ言い切ってやる。
「……えっ? 私ですか?」
「ここで会ったら話が早い。あなたは王立学園への入学を拒否しているらしいな?」
「拒否も何も、魔力が基準を満たすほどありませんから」
平然と否定されたが、王族であるサミュエルには嘘を言っているとわかる。そのバケの皮をはいでやろうと、サミュエルは冷たく言い放った。
「嘘はいけないな。そんな見え透いた嘘でルイを困らすのはやめてもらおう」
「ですから、意味がわからない言いがかりはやめてください」
どこまでも白を切るつもりらしい。
「なら力ずくで勝負するしかないな」
「……何をするつもりですか?」
戸惑ったようにそわっと視線を彷徨わせる姿に、サミュエルはやはり何かあるのだろうと強気に出る。
「魔力を測る方法があるのを知らないのか?」
「測る方法?」
「そうだ。試してみるか?」
「……けっ、結構です!!」
ひどく驚くエリザベスを捕まえようと手を伸ばした矢先、横から突風が吹く。その勢いに目をつぶった一瞬の間に、駆け出す足音。
穏やかな気候にいきなりの突風はおかしい。明らかに人為的なものだ。
いい度胸じゃないかとちっと舌打つと、サミュエルはエリザベスの後を追った。
メイドが、「お待ちくださいっ!」と焦り驚いた声を出したが、構わず駆け出す。普段、稽古で鍛えているサミュエルから実力勝負で逃れようとする相手に多少ムキになる。
他人の敷地であることは気になったが、すぐに捕まえ話し合いに持ち込めば問題ないだろうと思った。
だけど、意に反してなかなか捕まえることができなない。
エリザベスの敷地内ということもあり、驚愕するほど彼女は隠れるのがうまかった。そして、隠れ方が普通の令嬢ではなかった。
まず最初に姿を見失いどこにいるのかと目を凝らせば、木に登ろうとしているところを見つけ「は?」と大きく口を開ける事態になるほど驚いた。
見つけたことに気づかれてまた見失ったと思ったら、今度は池に飛び込もうとしていたので、慌てて「おい」と思わず声をかけたらまた逃げられた。
背の高い草花の間に入って行ったと思えば、なぜか土の上に寝転んでいたりと、彼女との追いかけっこは予想がつかないことばかりで難航した。
「入学しろよ」
「嫌です。無理です」
「それだけの魔力があってなぜ拒否する?」
「魔力? なんのことですか?」
走りながら会話をするが、話し合いはまとまらない。
とにかく、エリザベスは足が速く、どこで隠れようとするのかがわからないので、広範囲に視野を広げ追いかけなければならなかった。
あと一歩で捕まえられるというところで足元に水たまりが出現し、そういうのを何度か繰り返されることで、彼女の魔法によるものであることなどすぐに検討がついた。
風であったり、さっきまでなかった水たまりを出現させたりと不自然すぎた。
魔力を改めて測らずともすでに彼女自身があれこれしでかし、王立学園に入学できる基準を満たしていることを教えてくれる。
ふざけているのか、大真面目なのかわからない。彼女の行動は理解不能で、サミュエルの知る種類の異性とは明らかに違った。
スカートを躊躇なくなく捲し上げ、いつの間にか裸足になっていて、追いかけるサミュエルの息も荒くなる。
そもそも、尋ねただけでなぜ逃げられているのかもわからない。サミュエルもなぜこんなに必死になって追っているのかわからなくなってきた。
相手の逃走姿も逃げる先も、サミュエルの常識としてありえないものばかりだ。
ここには話し合いに来たつもりで、見極めるつもりで、それだけのはずだった。
──一体どうなってるんだ?
屋敷内に逃げたのでそのまま後を追いかける。
さすが、由緒あるテレゼア家使用人。令嬢の姿をまあっと見送っていたが、追いかける自分の姿を見てどよめき出したが、落ち着きながら各所に伝達しているようだった。
目の前で軽やかに動く細い足、ひらひら舞うスカートの裾、ピンクの髪を視界に捉える。
その彼女の前は行き止まり。もう終わりだと、壁際にやっと追い詰め後ろから肩に手を置き振り向かせると、大きな瞳が驚きに見開かれた。
「さあ、観念しろっ!」
そう告げると、溢れんばかりに目を見開きぶんぶんと首を振る。
ピンクゴールド長い髪がそのたびに揺れる。
「お許しください」
「何をだ?」
何を許せというのか。ルイを誑かしたことか。魔力を偽ることか。
妙な追いかけっこに展開し、何か見失いつつあるが、彼女に魔力があることは証明された。同じ年なら入学すればいい話だ。
令嬢の人格は置いておいて、そうすればルイも慣例を破ることなく学園に入学するだろう。
「どうか」
「ダメだ」
懇願するように見つめられたが、サミュエルに迷いはない。
サミュエルが彼女を見据えると、暗めの緑のドレスをぎゅっと悔しそうに掴んだ。
よくわからない。誰もが王立学園に入ることを望むのに、公爵家次女は入りたくないようだ。そういえば、結局ルイとはどのような関係なのか。
これはゆっくりと話し合わなければと見ていると、そこで公爵令嬢の身体はふっと力が抜けたように後ろに傾いでいった。
豪快な倒れ方に伸ばした手は間に合わず、大きな音を立てて廊下に頭を打ち付ける。
「エリーっ!?」
いつの間に来ていたのかルイもそこにいて、心配そうに彼女のそばへと駆け寄った。
彼女の無事を確認したあと、ものすごく睨まれ怒られ説明を求められた。
「馬車を見かけて急いできてみたら、ご令嬢を追いかけ回すなんてどうかしている」
「先に風ぶつけてきてその隙に逃げたのはあっちだ」
相手の人となりを確かめて話し合えたらそれで良かったのだ。追いかけ回すことになるなんて、考えもしなかったサミュエルである。
「何かしたんでしょう?」
「魔力を測ろうと言っただけだが?」
「それは逃げるだろうね」
ふっと苦笑するルイに、むっとサミュエルは言い返す。
「さっぱり意味がわからないが、とにかく彼女の魔力は王立学園に入学に値する。あれだけのものを見せられて魔力が基準値もないなんていうのは通じない」
「まあ、そうだよね。うっかりすると思ってたけど、そのうっかりが早かっただけだと思えば。でもね、僕はやっぱり怒っているよ。エリーの生足をずっと見ていたなんて」
ルイの冷ややかな眼差しに眉をしかめ、ついでに脳内にエリザベスの足がどんっと蘇る。
「なまっ」
「そう。追いかけ回していたってことは、その姿を見ていたんでしょう?」
生足のことに触れられた後で、追いかけ回してと言われると変態みたいである。
サミュエルは恥ずかしさとともに、不名誉を挽回させたく力強く否定した。
「不可抗力だ。それに、たまに見失ったりとずっと見てたわけではないし。そもそも、あの時はそれどころではなく……」
「あの時は? なら今は?」
「…………」
問われて、サミュエルは自分よりも細く、たまにきわどいところまでめくれ上がったスカートの中を思い出し、顔を赤くした。
「サミュエル!」
ルイが怒りを込めた低い声で咎めたが、それどころではない。
──ああっ、おい。よく考えたら、俺はずっと令嬢の生足追いかけてたのか?
サミュエルは真っ赤な顔で、またその時の足と自分相手に逃げ切る令嬢らしからぬ行動力に、自覚がないまま口元を緩めた。
横でルイが何か言っているが、それで思考がいっぱいになった。怒ったルイに引きずられるように屋敷を後にしても、どこか飽和状態だった。
謝りに行っても面会を拒否されて、エリザベスのあれこれを思い出し、また悩む日々。
ルイが入学することは決まったが、気づけばあの日のやり取り、エリザベスの行動、そしてよくわからない言動を思い浮かべては溜め息が出る。
そして、最後に生足を思い出して顔を赤くする。
そんな悶々とした日々が過ぎ、ようやく入学の日。
すっきりしない日々とはおさらばだとエリザベスを捕まえ、勘違いで追いかけ回し生足を見てしまったことへの謝罪と許しを得て、互いに話を水に流すという話になった。
ただ、その時の対応があの日見たエリザベス嬢とは随分違うことに驚いたが、ようやく落ち着くことが出来た。
さすがに今はエリザベスがルイを誑かしたわけではなく、ルイの意思で関わっていたということはサミュエルもわかっていた。
それと同時に、自分も興味を引かれていることを自覚し、王子として切磋琢磨する以外に面白そうな存在にサミュエルは知らず知らずに口角を上げた。




