sideサミュエル 引きこもりとは
何があったのかわからず、クラスが一瞬唖然とした。
サミュエルもテレゼア公爵家の次女が噂通り大人しいタイプではないことを理解していたつもりであったが、目と耳を疑った。
「よいせぇ~」
エリザベスの艶やかな唇から紡がれる言葉。
言葉? えっ、掛け声?
品が良く見事な裁きを見せた公爵令嬢から出たそれに、微苦笑を浮かべるルイ以外が、あれ、気のせいか? と上を見て、もう一度彼女へと視線を戻した。
息の合った二度見だ。
彼らほどの反応はないが、さすがのシモンも驚いたようでわずかに目を見開き、サミュエルと視線を合わせるとそれとなく肩を竦めた。
誰よりも聡いシモンのことだから、今回の騒動もうまく治めてくれるだろうが、さすがにエリザベスの行動には予測が追いつかずついていけていないようだ。
テレゼア公爵姉妹は、姉のアリスが非常に美人で話題をさらっているが、妹のエリザベスも可愛らしい顔立ちをしている。
姉妹とわかる髪色や顔立ち、そして涼やかに笑うところは変わらないのに、健康的な白い肌にくりんとした菫色の瞳は好奇心を隠さずくるくると感情を表しているエリザベスのほうがサミュエルは好ましいと思っていた。
それは本来のエリザベスの姿が、結構活発であることを知っているからなのかもしれない。
それでもだ。さすがに魔法詠唱のときに『よいせ』はないだろうと思う。
サミュエルは、自分の耳を疑うことは初めてだとまじまじとエリザベスを見つめた。
エリザベスは両手を前に手のひらを上に向けながら、また女性らしく高めの声を上げた。
「よいせ~っ」
やはり、言っている。
普段の大人しくそこそこ綺麗だった印象は一変して、先ほどの威勢が良く凛々しく美しくあった彼女の口から、確かによいせぇって聞こえる。
幻聴か? 幻聴って思いたい、と主にほかのクラスメイトの男子は思いながら彼女から視線が外せない、とばかりにガン見していた。
女子たちはぽかんとエリザベスを見ており、瞬きを繰り返しながらエリザベスと空中へと視線を何度も往復させる。
サミュエルも、それなりに彼女の特異さを理解していたつもりだったがまだまだ認識が甘かったと視線が釘付けだった。
掛け声もそうだが、目の前のものが信じられない。
あっという間に溜まった水が浮いている。
なぜ、浮いているのか?
水魔法であれば、空気中の水を集めたということは理解できるがそれはあまりにも短時間で作るには多い量であり、普通なら重力で下に落ちていくのにとどまっているのだ。
酒樽くらいの量だろうか。
現状に驚きながらこの後どうするのかと、そわそわと期待のようなものを胸にしながらじっと見つめた。
衝撃から抜け出せない周囲の反応のなさにどう勘違いしたのか、エリザベスはこのレベルでは納得してもらえないのかと、うーんと首を捻り出した。
「領地に引きこもっていましたので、基準がわからないのですがどうしましょうか」
困ったと言いながらも、どこかその双眸は楽しげに揺らめきながら笑うエリザベス。
いつもの大人しめな淑女微笑なのに、さっきの掛け声を聞いたからか、それともその好奇心を隠せない双眸からか、もう一般的なご令嬢の枠に当てはめることはできない。
「くっ」
サミュエルはこんな可笑しな令嬢がいるのかと笑いが漏れた。
周囲はまだ衝撃に感情がついて行っていないようだが、サミュエルは一度体験済みだ。
学園ではあの公爵家での出来事が嘘だったのではと思うほどとても大人しく、ルイとともに話す機会がなければほかの者同様大人しい令嬢だと思っていただろう。
公の場には必要最低限しか出てこず、すっと隠れてしまうので周囲はなんとなく顔を知っている程度で、彼女の実態を知るものは少ない。
自分よりもその衝撃はいかにである。
それにしても――。
「あの詠唱はどうかと思うが」
「ね。エリーのそばはまったく飽きないよ」
サミュエルがぼそりと呟くと、ルイがくすくすと笑う。
その表情はとても晴れやかで、エリザベスを見つめるエメラルドの瞳は愛おしげに細められた。
――飽きない、か。
確かになと、サミュエルはエリザベスとの出会いの日を思い出した。




