11.危うく悪役令嬢
「これはエリザベス様に言われて。本当は嫌だったのですがそうしないと私が……」
しくしくと隣席の第一王子に言い寄るように泣きながら告げるドリアーヌを前にして、私は密かに興奮していた。
──来たわよ。来たっ!
なに、その王道セリフ。
ここ最近、ずっと回りくどさを感じていたので、わかりやすくえん罪を着せられようとしていることに少し興奮する。
今まで身内に許されていたことに甘えて、同年代との交流を避けていた。
そのため、学園に入ったからにはこれも勉強だと、周囲に合わせておしとやかに話を合わせてきた。
その中で頻繁に話しかけてくるのがこのドリアーヌであり、彼女とのやり取りに、話せば話すほどなんとも言えない面倒さを感じるようになっていたところだった。
自分のことでなければ、なんてわかりやすい言動なんだと盛大ににやにやしていたことだろう。
はてさて、困った。言葉で先に植え付けられた後の無実の証明というのは、なかなか難しい。
何より、自分の犯したらしい罪を知らない。
その端くれのヒントでももらえないかなと、私はじっと真意を測るようにドリアーヌを見つめた。
面倒くさい日々を思い返しながらドリアーヌを眺めていると、異変に気づいたルイがすかさず私のもとへと駆けつけてくる。
「エリー、どうしたの?」
当たり前のように、横にぴったりとくっつくようにルイが立つ。何も言わないが、サミュエルも私のそばに寄ってくる。心強い味方だ。
「ええ。何やら私がしでかしたらしいわ」
「らしいって」
頬に苦笑を浮かべながら軽い口調で告げると、ルイの表情が苦々しいものになる。
心優しいルイは私が傷ついたのではないかと気にかけてくれているようで、私は心配いらないよと小さな笑みをこぼした。
肩を竦めたいところだけど、ここは大人しい令嬢らしく小首を傾げるだけにする。
「そうとしか。今、それを聞いているところなの」
笑いに余裕を感じ取ってくれたのか、苦々しかったルイの表情が今度は呆れに変わる。
「ふーん。無茶はしないでね」
「もちろん」
私は力強く頷いた。こんなところで躓いていられない。
ルイから視線を戻すと、ドリアーヌを牽制も込めて眇めた目で見据えた。
今まで特に反論しなかったからと言って、御しやすいと思われるのはしゃくである。
「ドリアーヌ様、ご説明いただけないと謝罪も弁明もできないのですが」
「謝罪って。思ってもいないことを言われても今更ですわ。私、今までどれほどの思いで……」
揚げ足を取られた言葉が返ってきて、私は嘆息する。
その間、ドリアーヌの視線は度々様子をうかがうようにシモンへと向けられている。当の王子はというと、どちらの立場にも立つ様子はなく静観するようだ。
その表情は見守っているとも突き放しているとも取れ、一切何を思い考えているかが見えない。さすが、完璧王子。
思った反応を得られなかったドリアーヌは、次に私の味方をするように立つルイをうるうると見つめた。
はいはい。どこまでもわかりやすいのをありがとう。
そう心の中で呆れ返りながら、私は無言を貫いた。
「殿下たちと仲が良いことで脅すように命令されて、とても怖くて。やりたくないって言ったんですけど、そうしないとクラスにいられなくすると言われて仕方なく」
「エリ」
ルイが何か言おうとしてくれたが左手を上げて制し、私は話が見えないともう一度問いかけた。
「ですから、何を?」
「しらばくれないでください。あれ、ですわ」
「あれ?」
あれじゃわからない。
首を傾げていると、ドリアーヌは自分に酔っているのか、悲劇のヒロインよろしく言葉を続ける。
「申し訳ない気持ちでいっぱいだったのですが、同じ公爵家の娘として比較される対象ですからクラス替えになってしまったらと思うと恐ろしくて」
「へえ」
いつの間にそんなことに?
自分のことを語られているが、当然身に覚えはない。逆にぽろぽろと出る設定に呆れとも感心とも言えない相槌を打つ。
それが気に入らなかったのか、ぎっ、と睨みつけられ、それからドリアーヌは涙を拭う仕草を見せる。
「でも、この際だから言わせてもらいますわ。みんな知っていますから。エリザベス様はルイ殿下と仲が良いからこのクラスに配属されたのであって、本当のエリザベス様の魔力は平凡だって」
なかなか、あざといな。もう何度そう思ったことか。
そして、私のことを王子と仲が良いだけの平均的な並の令嬢だと思っていたようだ。
まあ、私は半ば引きこもり令嬢だったし?
周囲がきらきらしすぎて、話題になることはまれであったし、マリア姉様のおまけ程度だったので、誰も私のことを知らなかっただろうし深く知りたいと思わなかっただろう。
だけど、ここでは聞き捨てならない言葉に、私はすぅっと目を細めた。
平凡人生大歓迎なのだけど、あいにくルイは不正をするような人ではない。むしろ、その発言は王子を侮辱していることになると気づかないのだろうか。
「そうなんですね? それで私は何をしたのでしょう?」
腹が立つが話が進まないので再度今回の問題点を問うと、泣きながらドリアーヌが指差した先には、同じクラスのサラ・モンタルティ男爵令嬢がひどく困った顔で立っていた。
彼女の前にはずぶ濡れになった教科書がばらまかれている。
部屋の端であったので気づかなかったが、あれが私の指令で仕方がなくしたことらしい。
サラは、先日行われた学力テストでクラスでも上位に位置していた。
最高クラスに身分の低い者がいて、その上自分より成績がいいことが気に食わなかったからいじめていたというところだろうか。
そして、タイミングよく私が現れたからなすりつけておこうという。なんと、浅はかな行為。
「そうですか。その件に関して話し合いが必要なことはわかりましたが、一度ここを離れさせていただきますね」
私はふっと息を吐くと、しくしくと作り泣きをしているドリアーヌをシモンに任せて、サラのもとへと歩き出した。
私が目の前に立ち、びくっと身体をビクつかせた令嬢の顔色は青い。もしかしたら、今回だけではなく今までにもこういったことがあったのかもしれない。
モンタルティ男爵家のお家事情は知らないが、持ち物は随分使い古した感があった。
貴族だからと言って、潤っている家ばかりではないのだ。きっと、精一杯の支度と大きな希望で彼女を家族が学園に送り出したのだろう。
「モンタルティ嬢。大丈夫ですか?」
「……い、あ、はい」
気力がないと言ったように返事をした令嬢に、私は眉を下げる。
気持ちも折られているようで、生気を感じられない。それくらい、彼女にとってはショックな出来事だということだ。
「先ほどの話では私が命じたことになっているようです。ですが、まったく身に覚えのないこと」
「…………」
「さて、無実証明ってどうすればいいのかしら? モンタルティ嬢は現場を見られたのでしょうか?」
「私ではなく、ドリアーヌ様が濡らしているところをノッジ様が……」
ユーグ・ノッジ。彼はシモンの側近で親しき友人であり腹心。
年齢は一歳上。シモン王子を守るために、一年ずらして入学したという筋金入りのシモン派の青年だ。
その彼に見られて手っ取り早く取り入るために、ドリアーヌは次に入室した私に罪を被せ、シモンに泣きついたようだ。
ようやく状況を理解した。
今ではクラス全員が部屋に戻ってきており、ことの成り行きを見守っている。
「まあ、そうなんですか。確か、ドリアーヌ様は水属性でしたよね。さて、実行犯は確実で、その実行犯に計画犯が別にいると言われても本当のところは証明しようがありませんね。どうしましょうか?」
首をひねりながら、サラを見つめる。彼女はずっと俯き加減で視線はうろうろとさせ落ち着かない様子である。
階級意識は根強くて簡単な話ではないが、最高クラスに在籍している自負をもっと持っていいところなのに、彼女はとても謙虚なようだ。
入学当初もおどおどした様子が目に付いたし、この性格もドリアーヌの行動を増長させた原因で、ターゲットとなったのだろう。
サラの視線はドリアーヌではなく、私でもなく、ずぶ濡れになってしまった教科書に度々注がれる。
私の身分ならすぐに買い換えてしまえるものでも、彼女の家ではそうはいかないのだろう。
サラはここに本気で勉強しに来たのだ。それを満たされもしない勝手な自尊心のために、ドリアーヌは汚した。つくづく自分勝手な行動に腹が立ってくる。
「真犯人を明らかにする前に、このままでは勉強に差し支えがでます。取り敢えず、早く乾かすほうがいいと思いますのでそれらを私に預からせてもらってもいいでしょうか? 悪いようにはしません」
「……はい」
怖がらせないよう姉のマリアを説得するときに使う、必殺はんなり笑顔を向けると、うろうろとしていた視線はそこでピタリと止まりこくんと頷いた。
注目を浴びるなか、そして公爵令嬢の告げることには逆らえないだろうなと思ったが、その瞳は警戒の色が見えなかったので、私はまたにっこり笑った。
「ありがとう。サラ嬢」
そこで、下の名前を親しみを込めて呼んでみる。
謙虚だけど、一人で耐えてきた彼女はきっと強い。知ってしまったからには、少しでも憂いを取り除いてあげたい。
私の立場ではそれができるのだから、しない選択肢はない。当たり前のことだ。
「ルイ、手伝ってくれる?」
移動する際も自分についてきたルイを振り返ると、気難しげに眉を寄せていたルイは鷹揚に頷き、考え込んでいた様子からふわっと笑みを浮かべた。
「わかった。乾かすんだね」
「俺も手伝おう」
近くにいたサミュエルも当然のように手を差し伸べてくる。本当、いい友人たちだ。
「ありがとうございます。ルイと私で風を出すので、少しだけ暖かくしていただけたら乾きも早いかと思います」
「わかった」
一人でしようと思えばできないこともないが、逆の立場だったらやきもきすると思うので、心配してくれている友人を巻き込むことにする。
三人で力を合わせたらあっという間だった。
そして、最後に仕上げに緑魔法。すっと教科書に手を当て、本来持っている素材の力を借りてシワを伸ばす。
緑魔法って本当に不思議だ。治癒や回復は人だけにとどまらず、物にまで通用するとか万能すぎる。
「いいできじゃないかしら」
「すごい。ありがとうございます。本当にありがとうございます!」
嬉しそうに教科書を抱えるサラのこげ茶色の髪は肩下でふわふわし、同じ色の瞳もくりくりして可愛い。普段のおどおどした姿もそうだけど嬉しそうに笑う姿は、まるで小動物みたいな愛らしさだ。
こんなにも謙虚で頑張っていて可愛い笑顔を向けられて、よしよしと抱きしめてあげたい。
可愛らしいものや人が好きな私は、唇の端をふるっと緩めた。
私の心の中で起きていることを見透かしたルイが、こほん、と咳をしたので、慌てて表情を引き締め取り澄ます。
「いえ。しでかした張本人かもしれないのに、預けてくださりありがとうございます」
「そんなっ」
「エリーのわけないじゃない」
「そうだな」
当然のように言ってくれる二人の王子に、私はふふふっと笑う。
「二人とも信じてくれてありがとうございます。では、さっさと決着をつけにいきましょうか。二人とも、口を出さないくださいね」
今、やる気に満ちているので止めないでほしいと、口の端を上げてニンマリと笑顔でお願いする。
「エリーが決着というと、先が少し不安なのだけど」
「俺もだ。あの日のことを思い出すな」
ルイが不思議な微笑を浮かべながらぽそりと言ったことに、サミュエルもうーんと考えるように眉を寄せた。
「大丈夫です。そんな無茶はしません。ここがどこかはわかっていますから」
そんな二人の様子を気にすることなく、問題なしだと明瞭な声で告げる私に、ルイとサミュエルが同時に見合い肩を竦める。
「やっぱり不安しかない」
「だな」
「なぜです? 潔白の表し方はまだわかっていませんが、ここまでお膳立てされて逃亡なんて嫌だもの。公爵家の名が泣くわ」
武士の名がとばかりに、私は好戦的に言い切った。
「お膳立てなの?」
「ええ。それに私ちょっと怒ってます。サラ嬢の教科書が元通りに戻ってもされたことは彼女の心に残ってしまいます。その憂いを払うためにも、ことの次第をはっきりさせるべきです」
それにこんな可愛いサラを虐めたと思われるのは不服だ。どちらかというと愛でたいのに~、とぷぅっと小さく唇を突き出した。
「気持ちはわかるし、僕もエリーの潔白を証明したいけど。うーん。エリーが意気込むと、ね」
何やら怒りの矛先が変わってきているようなと嫌な予感がするなと言いながら、ルイは困ったように私を見る。
「大丈夫。何も心配いらないから。それにさっきの発言はルイを侮辱したも同然だったわ。先ほどの言葉はそう思っておられる方がほかにもいるということ。それはルイの友人として見過ごせないわ。この際、王子であるルイは不正なんて働いていないと証明しておかなければ納得できないから」
「そこに怒ってるの?」
「当然でしょ」
胸を張って言い切ると、ルイが頬を緩め愛おしげに双眸を揺らめかせながらふわりと笑った。




