sideルイ 目が離せない
今日から新たな日常が始まる。期待を胸にこの日を迎えた者も多く、ルイ・ランカスターもそのうちの一人であった。
新たな日々の始まりは、当然エリザベスと始めたいと一緒に彼女とともに学園内に行こうと入り口で待っていたら、そこで令嬢に捕まり相手をしている間にエリザベスが登校していた。
目の前の人物にサミュエルが姿を現わしたことを言われる前に、ルイは彼の前にいるエリザベスにとっくに気づいていた。
ああ、何をやっているんだと思いながらも、エリザベスの見せた顔は一瞬嫌そうだったので胸を撫で下ろす。
サミュエルと追いかけっこをして倒れる前は「ひっそり。ひっそりが幸せへの道なのよ」と語っていたエリザベスであるが、あの一件以降、何を思ったのかものすごく精力的に動き、そして令嬢としての振る舞いも優美になった。
ただし、彼女のテリトリー内でだけだ。
外では今まで通り大人しい半ば引きこもり令嬢である。だけど、振る舞いが優美になった分、艶が増してしまっていた。
「ひっそり。目立たずが幸せの道だと気づいたの」
変化にどうしたのかと問うと、エリザベスは満面の笑みとともにえっへんと自信満々にそう告げた。
ひっそりが一回減り、目立たずに変わっていた。
その日はなぜかテレゼア家お抱えの商人が持ってきていた宝石を一つひとつルーペで覗き、その価値について論議中。
そこから金の高騰について話し合われ、隣国の話まで広がっていた。
「やはり隣国の経済低下が原因なのかしら?」
「そうですね。ここ最近は新たに掘れる金も少ないようですし、ヴェルフェイム王が御隠れになってから現王の不発政策に不安が募っているようです。すぐ鎮圧されましたが、北の地域では暴動が起きましたし」
「あまりにも一方的で返って火種を生んだと聞いております。そのせいで流通経路を変えざるを得ず、金に限らず様々なものが高騰しだしているのですよね」
そこでエリザベスは考えるように顎に手を当てると、一番高いと思われる宝石を無造作に手に取り透かすようにして見上げた。
「ええ。よくご存知ですね。我らが所属している商工会はさらに広大なネットワークを敷いているため今のところ影響はありませんが、その火種の不透明さは無視できません」
「ええ。物があっても流通出来なければ意味がないもの。父様も懸念しておりました」
「さすが、テレゼア公爵様でございます。公爵様が気にかけてくださっていると知って商いに関わる私たちの心が救われます」
そんな会話の後のそれ。ひっそりと告げる令嬢の会話と思えないそれらは、相変わらず何かがズレている。
綺麗な物を身につけるために買うだけではなく、その価値を自身で見極め、それらに含まれる情勢に精通している商人と同等に話し合っている。
これも令嬢がするようなことではないが、屋敷でやる分には目立たないのでもうやりたいようにする。目立たずいろいろやるに変えたらしい。
どうやら自身のひっそりが自分で思った以上にできてなかったことをやっと理解し、ひっそりから目立たずに変えたようだった。
魔力だけでなく、窓から降りることや薬草作りといったそういったものもエリザベスにとってはひっそりしているつもりだったのには驚きだ。
だけど、それもエリザベスらしくて、ルイは聞いた時にはおかしくて、「あははははは!」と声を上げて笑ってしまった。
むっと睨まれたので、眦に浮かんだ涙を人差し指で拭い、はー……っと深呼吸してなんとか押しとどめたが、ここまでくると痛快すぎる。
今まで彼女なりの我慢と努力があったようで、ものすごく吹っ切れたのだと言っていた。
ルイからすれば、それらは今までと変わらないのではと思ったが、何やらやる気であったので黙っておいた。
そのエリザベスが目立ちたくはないとの意思はルイにも歓迎だったから見守っていたのに、早々に目立っている。その相手が従兄弟だというのが面白くない。
二人は何度か会話のあと、サミュエルは驚いたように目を見開きエリザベスをじっと見つめている。
──ああ、駄目だっ!!
それを見た瞬間、「失礼」そう言って目の前の人物に断りを告げると、ルイは足早に彼らのもとへと駆け寄った。
無自覚うっかりエリザベスが、堅物サミュエルをたらし込みにかかっている。そう思うと、身体が勝手に動く。
「いえ、私も混乱していておかしな行動を取ってしまいました。あの日のことはお互いに忘れましょう」
聞こえてきたエリザベスのその言葉にあの日の話なのだとわかったが、面白くない気持ちでルイは腕を伸ばすとサミュエルからエリザベスの美しい瞳を隠し、もう一方の腕でぐいっとエリザベスがこちらにくるように手を引っ張った。
──そこでじっと見つめない!
とん、と軽い身体がぶつかりそれを全身で支えながら、内心を隠しにっこりと笑みを浮かべた。
「エリー、探したよ。一緒に行こう」
「えっ、ルイ?」
うん。戸惑う声も可愛いけど、ルイの焦りなんて微塵も考えもしないのだと思うとさらに楽しくない気分だ。その気分とは反対に表情は笑う。
「ルイ」
サミュエルが戸惑ったような声でルイの名を呼んだ。
「……サミュエル。何をしているのかな?」
ととっとエリザベスの身体が斜めになるのを、ルイはふわっと笑みを浮かべながらしっかりと支えた。
でも、ささくれ立つ気持ちから、自身の従兄弟の名を発した声は思った以上に冷ややかになってしままった。まだまだ己は未熟である。
そこでなぜか気配を薄くしたエリザベスに視線をやり苦笑していると、何もわかっていないサミュエルが真面目な顔でことの状況を説明する。
「あの日の謝罪をしているだけだ。ルイも怒っていたし、何も言わないまま学園生活はまずいだろうと思った」
そして、悪かったと軽く頭を下げる姿に、ルイはふっと溜め息をつく。腕の中にいるエリザベスがまたぽかんとサミュエルを凝視しているのが気配でわかる。
──ああ、もう。真面目だなぁ。まっすぐ、まっすぐなんだよ、サミュエルは。憎めないけど、その真面目さ今でなくても良くない?
ルイはもう一度溜め息をつくと、サミュエルの肩をぽんっと叩いた。
「ああ。なるほど。もう済んだんだよね?」
「ああ……」
「なら、そろそろ教室に行かないと。こんなところで目立つことは感心しない」
「ああ……、そうだな。悪い」
「いいえ。エリー、行こうか」
「あっ、うん」
「俺も一緒に行く」
そう言って、一緒に歩き出した従兄弟にまた溜め息つく。どうせ同じ場所へ行くのだから、断ったところで同じことだが、何だか嫌な気がした。
「テレゼア嬢。非礼を詫びよう。申し訳なかった」
「……ですから、もう忘れていただけたら」
「そのほうがいいか?」
「ええ」
ほら、予感的中だ。こくんと頷くエリザベスに、サミュエルが思案顔でルイとエリザベスを見比べた。そして、にっと笑う。
「わかった。なら、過去のことは互いに水に流すとして、これからは同じ学友としてよろしく頼む」
「ええ。……えっ?」
「改めて、俺はサミュエル・ランカスター。この国の第二王子でありルイの従兄弟だ」
戸惑うエリザベスを尻目にどんどん話を進め、「楽しくなりそうだ」とぼそっと言った。だけど、その視線は自分にも向けられており、鈍そうなサミュエルにまたルイは曖昧に微笑んだ。
──ダメだよ。エリーは先に僕が見つけたんだから、そう簡単に渡さない。
「あれっ、こんなはずじゃ」とぶつぶつ言っているエリザベスを見ながら、ルイは彼女との初めての出会いを思い出した。




