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第33話「追尾(Side Snow)」

「ユージン! ユージン……ネージュ知らない?」


 気まぐれな次兄から次期伯爵としての必要な教育を受けていたスノウは、いつもなら来る時間になっても来ない兄を探して、イグレシアス伯爵邸を歩き回っていた。


 廊下でぼんやりと窓の外を見ていた従兄弟ユージンを見付け、兄の行方を聞いた。


「ああ……ネージュ兄さんなら、さっき出て行ったよ。運命の番に会いに行くって」


 ユージンは嬉しそうな表情を浮かべ、近くまでやって来たスノウを見た。


「はあ? ネージュはまた、何を言い出したんだか。相変わらず、意味がわからない……」


 スノウが顔を顰めてそう言えば、ユージンは肩を竦めた。


「スノウ。ネージュ兄さんが僕たちには理解出来ないことを言い出すのは、いつものことだろう?」


「まあ、そう言えばそうだ」


 スノウはそれもそうかと、納得して頷いた。すぐ上の次兄ネージュは掴みどころがなく、良くわからないことを言い出すのは、幼い頃からいつものことなのだ。


 今更何を言うんだと問われれば、その通りだった。


 ネージュはふらりと旅に出ていて行方知れずになり、長く会っていなかった期間がある。スノウの結婚式から半年間はイグレシアス伯爵邸に留まっていたが、それはあの人にとっては稀なことだった。


 文句を言いながらも彼から甘やかされている自覚のあるスノウは、彼がいずれイグレシアス伯爵となる自分の教育のために残ってくれたことは理解していた。


(……まあ、良く居てくれた方か。逆に基礎的なことは、もう大丈夫だという証しなのかもしれない)


「ネージュは運命の番に会いに行くって……? どういうことだろう。もしかして、これまでに会ったことがあるってことなのか?」


 スノウが自身の『運命の番』であるティタニアを見付けたというのに彼女から離れていられたのは、一重に相思相愛の婚約者が居ると思い込んでいたからだ。


 彼女がもし婚約者の居ない貴族令嬢であれば、あの時にすぐさま求婚していたはずだし、傍から離れることを極端に嫌がったはずなのだ。


 獣人からするとそれだけ強烈な魅力を放つ『運命の番』だと言うのに、ネージュは落ち着いた様子でそわそわもしてもいなかった。


(そもそも変わった獣人だからって言われたらそれまでなんだが、だからって、運命の番の放つ魅力に勝てるかって言われたらそうでもない気がするんだよな~……)


 自分が苦しんだあの日々を思い返せば、やはりネージュの落ち着き振りはおかしいとスノウは思った。


 世界で唯一の存在を知ればそれから彼女のことが頭から離れず、事情で会えないともなれば絶望して、普段通りに振舞うことは難しかった。


「いや……僕がさっき話を聞いた限りによると、そろそろ会う気がすると言っていたから、まだ会っていないんじゃないかな」


「どうして気がするだけで、会えると思うんだ……相変わらず、ネージュな変なこと言うよな」


 呆れたように言ったスノウに、ユージンは肩を竦めた。


「ネージュ兄さんらしいよ。あの人の勘はとても当たるからね。どこかで、神様と会ったという話もわかる気がする。ネージュ兄さんなら、しそうだなって」


「なんだよ。それ。良くわからないけど、まあ……何言い出すかは、良くわからない人だしな」


「ネージュ兄さんは、運命の番に何回か振られるらしいよ。面白いよね。もう既にそこまでわかっているらしい」


「はあ? ネージュは女性に振られないだろう。いつも飽きて振るのは、あの人の方からだろう?」


 兄に半狂乱で縋りつく女性を何人か見たことのあるスノウは、嫌な顔をしていた。スノウは幼い頃から父のように唯一の人を番にしたいと思っていたが、次兄はそうではなかった。


 それに、何にも執着はなさそうなあの人に『運命の番』が現れた時に、どう変わってしまうのか楽しみなような気もした。


(ネージュが逆に女性に縋るのか……それは、見てみたいな)


 その光景を想像しただけで有り得ないと思ってしまうが、スノウはティタニアを見た瞬間からどれだけ自分が変わったかと理解していた。


「何を楽しそうな顔をしているんだよ。スノウ」


「え? いや、ネージュに運命の番が現れて、何度も振られるんだろう? それは、絶対見たくないか。ユージン」


 悪戯を企む幼子のような表情を見て、ユージンは呆れたように言った。


「……スノウ。君って今は次期イグレシアス伯爵として、教育を受けている大事な期間だろう?」


「ネージュが帰ったってことは、ある程度は俺が出来るようになっているっていう証拠だよ。ユージン。経営学だって、イグレシアス伯爵にも褒められている。なあ……良いだろう? あいつを追い掛けて行って、ちょっとその様子を見るだけだって!」


 いくつになっても言い出したら聞かない甘え上手の従兄弟を見て、ユージンは大きく溜め息をついた。


「ティタニア様はなんて言うだろうな」


 結婚したばかりだというのに、遠出した兄を追い掛けたいという男をどう思うだろうか。


 スノウは悪気ない様子で肩を竦めた。


「俺が頼めば、ティタニアは許してくれるよ。それに、俺が彼女から長く離れて居られる訳がないんだから、すぐに帰ることになるし」


 妻は自分を許してくれるだろう。そして、自らの彼女への愛が疑われるはずもない。確信を持った口振りにユージンは苦笑した。


「はああ……それは、間違いない。けど、ネージュ兄さんを追い掛けるなら早い方が良い。あの人はすぐにどこに行ったかわからなくなるから」


 どこに向かったかはわからないので、早々に追い掛けようと提案した従兄弟にスノウは頷いて廊下を駆けだそうとしたが振り返った。


「ユージン、旅支度をしろ!」


「……あ。僕も行くんだ……へー、そういうことか」


「当たり前だろ!」


 そう言って、スノウは妻の元へと急いだ。ティタニアはある程度の年齢から、イグレシアス伯爵家の財務管理を、一手に引き受けていた。


 イグレシアス伯爵家はとんでもない大金持ちの商人だったティタニアの祖父の財産は、不作に苦しむ領民のために吐き出していたので、専門家を雇うお金も惜しかったのだ。


 だから、ティタニアは通常の女主人以上のことをこなすことが出来るし、自らが書類を作成するので質の悪い人間から騙される可能性も低い。


 だから、彼女はこれまでは苦労したけれども、そこから色んなことを学びとり、これからの人生は危なげなく順風満帆だろうなとスノウだって思うのだ。


「ティタニア! 聞いて!」


 スノウと結婚して貴族夫人となり、美しい形に結い上げられた髪型をしたティタニアは、部屋に掛け込んで来た夫の声に振り返った。


 すっきりとした印象のティタニアの顔はスノウにとっては、世界で一番に美しく可愛く見えるのだ。誰かから彼女がどう見られているかなど、何の問題にもならなかった。


「どうしたの。スノウ。びっくりしたわ……」


 驚きの表情を浮かべたティタニアに近付き、スノウはにっこりと微笑んだ。そうすると、彼女は顔を赤らめる。やはり、彼女は自分のような顔を好んでいるのだろうなと思うのだ。


「ネージュが運命の番に会いに行ったらしいんだ。それに、あいつのよく当たる勘によると、何度か振られるらしいんだよ!」


「え? ……どういうこと?」


 何を言い出したのかと戸惑いの表情を浮かべたティタニアに、スノウは彼女を引き寄せて甘えるように言った。


「そんな面白いもの、見に行かない訳はないだろう? ティタニア。運命の番に会ったネージュを見に行きたいんだよ。お願いだ」


「……まあ。ネージュ様に運命の番が……? では、既に……イグレシアス伯爵邸からは出て行かれたのね」


 いきなりのことに驚いてたティタニアも、ネージュがどこかに行ったらしく、スノウがそんな兄を追い掛けたがっていることに気が付いたらしい。


(……大好きだ。ティタニア)


 たとえ、ここで彼女が何を言ってもそう思ったのだろうが、言葉が少なくともすぐに理解を示す聡明なティタニアのこともスノウは愛していた。


「そうなんだ。すぐに追い掛けないと、どこに行ったかわからなくなってしまうから……行って来ても良い?」


 じっと見つめると、ティタニアの顔はより一層赤くなった。


 そうなることも、既にわかっていた。自分が彼女を求めるように、今は彼女も求めてくれていると理解していたからだ。


「良いけど、それには、ひとつ条件があるわ。スノウ」


「え? ……何?」


 いつものように無条件で許されるだろうと思っていたスノウは、条件を付けるという彼女の言いように目を見開き驚いた。


「これまでスノウを教育してくれていたのだから、イグレシアス伯爵家として謝礼を用意するわ。スノウが準備している間に用意するから、それをネージュ様に渡して来て。ここまでのことをしてもらっているのに、手ぶらでなんて帰せないわ」


 真面目な性格のティタニアらしい発言に、スノウの笑みは深まった。礼儀にうるさく融通が利かないが、彼女のそういう部分が本当に好きなのだ。


 ネージュは不肖の弟を教育するために居心地の良い場所に留まっただけで、そんなものは要らないというだろうに。


「もちろんだよ。ティタニア。君のことを世界中の誰よりも愛している」


「……それは、良く知っているわ。スノウ。追いつけなくなるわよ。早く行って」


 また顔を近付けようとしたスノウから素早く離れたティタニアは、手を振って早く行くように促した。


 スノウは彼女の言葉に大きく頷くと、自室へと戻る廊下を歩き出した。


(何度も何度も思うんだ。ティタニアは俺にとって、最高の運命の番だって……ネージュの運命の番は、どんな子だろうな……)


 窓の外を見て、ここを出発したばかりの兄を想った。


 そして、まったく想像がつかない彼の運命の番をこれから自分は見に行くのだと、ますます楽しみになったのだ。




こちらの作品『私の運命は、黙って愛を語る困った人で目を離せない。~もふもふな雪豹騎士にまっしぐらに溺愛されました〜』がコミカライズ化されることになりました!

また、詳細などは追って発表いたします。


こうして良きご縁をいただけましたのも、いつも応援してくださる方たちのおかげです。本当にありがとうございます。


待鳥園子

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