マッチ売りから成り上がれ
アリエッタの家は貴族とは名ばかりで、とても貧乏だった。
猫の額に等しい領地は、痩せていて、税収などとても見込めず、父ドナルド・ランカード男爵がつい手を出したカボチャ相場が大暴落して、かろうじて収益のあった商売すら傾きつつある。
「この期に及んで、嫁をとりたいですって?」
アリエッタは、眉を吊り上げた。
粗末なテーブルに、粗末な食事。
使用人はとうに解雇している。この家にいるのは、アリエッタと父のドナルドだけだ。
「うん。その……グルミア商会の後家さんなんだ。うちの借金も肩代わりしてくれるっていうし」
「グルミア商会!」
アリエッタは驚愕する。この国でもかなり有名なお店だ。
「父よ。人の好い後家さんをだまくらかしたんじゃないでしょうね?」
アリエッタは、疑いの目で、ドナルドを睨む。
ドナルドは、娘のアリエッタから見ても、目鼻立ちの整った美中年である。そして、商売人だけあって、口が巧い。ただし、時代をよむ才覚は皆無だが。
「だましてはいない。むしろ、話が良すぎて、こっちが騙されているような気分だ」
「ふうん。でも、なんでうちの借金肩代わりまでして、父さんと結婚してくれるの?」
アリエッタは、肩をすくめた。
「彼女の娘さん二人に縁談があるそうなのだが、商人の娘では家格がたりないそうなのだ。できれば爵位をつけて、箔をつけたいみたいでな」
ドナルドはコホンと咳払いをした。
「もっとも、父さんを愛してくれたというのが一番みたいだけど」
娘の前で、臆面もなくドナルドは言う。
「物好きね」
アリエッタは、肩をすくめた。
うちにあるのは、爵位だけ。どう考えても向こうより父の方がお得だ。
「それなら反対はしないけど、どう考えても向こうが損する結婚のような気がするわ」
「お前は誰の味方だ?」
「借金肩代わりしてくれるなら、圧倒的に新しいお継母さまにつくにきまっているわ」
アリエッタは、当たり前のように答えた。
継母リンダは、荷馬車五台という大荷物で、嫁いできた。
当然、使用人も引き連れてきて、嫁ぐというよりは、完全にお引越し状態である。
手入れが行き届かなくて、壊れかけていた家のあちこちもあっという間に修繕され、荒れ気味だった庭の手入れも行われた。
ほぼ味のないスープばかりが並んでいた食卓には、とてもおいしい焼き立てのパンが並ぶ。
もはや、この家の主導権を誰が握っているかは、明らかである。そして、リンダはグルミア商会のお飾りなどではなく、実際の責任者なのだった。その類まれな商才にアリエッタは、ただ驚くばかりであった。
使用人が来たことで、家事はしなくてよいと言われたものの、アリエッタは他にすることがみつからず、使用人と一緒に働くしかなかった。
働かざるべきものは、食うべからず。そういう空気があった。
そんなある日。
「アリエッタ、お前には、このマッチを売ってもらいます」
継母リンダが、荷馬車にいっぱいのマッチを売るようにとアリエッタに命じた。
「マッチ、ですか?」
「そうです。これは、とても高級で、すぐに火が付き、かつ安全性にも優れています。グルミア商会の人気商品です」
リンダは得意げにマッチを擦ってみせた。パチッと擦ると、赤い炎が灯る。
「これを、一か月で全部売り切りなさい。それができなければ、あなたはここを出て行かなければいけません」
「え?」
唐突な試練にアリエッタは戸惑った。
だが父親の借金を肩代わりしてもらっていなければ、いつかは身を売らねばいけないほどに困窮していたのである。リンダはアリエッタにとって、恩人なのだ。
「わかりました」
アリエッタは、マッチを売ることを承諾した。
灰色の空の下、人びとは足早に家路を急ぐ。
人ごみの街角に立っていても、マッチは売れない。
「マッチはいりませんか!」
アリエッタは、声をあげる。
「売っているのはマッチなの? 君なら買ってもいいけど」
かなり身なりの良い青年が立ち止まって話しかけてきた。
金髪で碧眼。長身で端整な顔立ちだ。着ているものからみて、かなり身分の高い青年だろうが、随分と軽薄な雰囲気だ。
「売っているのはマッチです。買う気がないなら邪魔をなさらないで」
アリエッタは、男を睨みつけた。
「こわいなあ、そんな顔してたら、売れないよ。そもそも、マッチなんてどれも同じじゃないか」
「同じではありません。このマッチは、使いやすくて、しかも安全設計なのですから」
アリエッタは言い返す。
「使いやすい?」
男は疑念のいろをかくさない。
アリエッタは、カチンときた。
継母から渡されたマッチは、間違いなく高級品だ。
「お疑いなら、ご覧あれ」
アリエッタはマッチを取り出す。
「こちらのマッチ、どこでも接触すれば発火するようにはなっておりません」
マッチの中にはちょっとした摩擦で発火してしまうタイプがあるが、これは箱に塗られた側薬と棒にぬられている頭薬をこすることによって、発火するタイプだ。
「そして、こちらのマッチ、ここをこすると」
アリエッタは、素早くマッチを擦ると、赤い火が灯った。
「ほら、この通り簡単に火が付きます」
「おおっ」
いつの間にか、男だけでなく道を行きかう人の輪が出来ていたらしい。
実に簡単に灯した炎に、皆の目が注がれている。
アリエッタは、マッチを一振りして、火を消した。
「どうですか? 今までのマッチとは一味も、ふた味も違いますでしょう?」
「ああ、そうだな。ひとつもらっていこう」
男は感心したように頷いて、手をのばす。
すると、周囲で見ていたわの中から、「わ、わたしも」「俺も」「私も」と、次々に手が伸びて、あっというまにマッチは売れてしまった。
さすがのことにアリエッタは呆然となる。
なるほど。ただ売っているだけでは、他のものと違うということはわからない。彼はそれを教えてくれたのだ。
アリエッタは、いつの間にかいなくなってしまった男に、心から感謝した。
街頭実演販売という術をみにつけたアリエッタは、あっというまにマッチを売り切った。
「ふふふ。よくやったわね。アリエッタ。次はこれよ!」
継母の連れ子である、上の義姉のユリアが差し出したのは、安価だけど高品質なハンドクリームだった。庶民にも手が出せる値段でありながら、実に品質の良い品で、アリエッタ自身も愛用している。
「これは、街頭で実演販売しても、それほど効果がないわ。どうするの?」
くすくすとユリアは笑う。
義姉のいうとおりだ。アリエッタは再び迷いながら、街へ出た。
「あれ、マッチ売りの娘っ子じゃないか」
駕籠いっぱいに品物を入れて、街に出たものの途方にくれていると、再びまた、あの軽薄そうな青年に出会った。
「先日はどうもありがとうございました」
アリエッタは丁寧に頭を下がる。
「今日は、マッチじゃないの? あの実演販売、面白かったのに」
「ありがとうございます。今日は、ハンドクリームなので、ちょっと実演は難しいのです」
アリエッタは苦笑した。
「ふーん。ハンドクリームって、カサカサお肌がすべすべになるってやつだよね。まあ、君の手を見ているととってもきれいだから、効果あるのかなあとは思うけど」
男はアリエッタの手を取って、まじまじとみつめる。
からかっているのか、真剣に何かを考えているのか、いまいち判断はつかない。
「何日くらい付けたら、こんなふうになるの?」
「そうですねえ。早ければ三日くらいから効果は実感できるかと」
アリエッタは、そこではっとなり、男に新品の商品を一つ渡した。
「これ、この前のお礼にさしあげますので、お台所のご担当のかたに試してもらってください。もし、気に入っていただければ、グルミア商会にご連絡くださるか、十日後、ここにいらしてくださいませ」
「ただでくれるというの?」
「はい。お試しです。それに、この前のお礼ですから」
「君、名前は?」
「アリエッタ・ランカードですわ」
アリエッタは微笑した。
男と別れた後、アリエッタは、三日分ほどクリームの入る容器を自腹で買い入れ、クリームを詰めかえた。
そして、水仕事の多い料理屋などを中心に、それを配り歩いた。
正直言って、商品に価値があると信じていても、かなり不安ではあった。初期投資が大きく、リターンの保証はない。それでも、アリエッタは、商品の力を信じた。
十日後。
アリエッタがいつもの街角に行くと、青年が待っていた。
「いやあ、きみのあのハンドクリーム、すごく評判が良くて。家族、使用人みんなで使いたいからさ、十個くらい売ってくれない?」
「まあ。ありがとうございます!」
大口の顧客獲得に、アリエッタは、丁寧に頭を下げた。
「もし、よろしければ、定期的にお屋敷にお届けも致しますが?」
「いや、それはいいよ。君にも会いたいし」
ニコリと青年は笑う。
「嘘でも、うれしいですわ」
アリエッタも笑みを返した。
おそらく青年は、びっくりするくらいの名家の人間なのだろう。物売りの娘がたずねていける相手ではないのかもしれない。
「あのー、ハンドクリームを買いたいのですが」
脇から、中年の女性が声を掛けてきた。
「じゃあ、僕はこれで」
去っていく青年に軽く会釈をし、アリエッタは、商売に戻る。
ハンドクリームの試供品は思った以上に評判がよく、あっという間に売り切れた。




