表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/32

09 あなたはうそつきだけど、ともだちだから


 ジュノもどこかへ行ってしまって、私たちは中庭に取り残された。

 中庭は色とりどりの花がしきつめられていて、ぐるりの壁は水の庭園になっている屋上から水が、静かなシャワーになって流れ落ちる噴水になっている。

 部屋の窓から漏れる光が明かりになって、その光は水の紗で拡散し、中庭は月明りにも照らされて、ぼんやり明るく、ぼんやり暗かった。


 私たちは庭園の、二人掛けのめのうのベンチに並んで腰かけた。

 こっちに来なかったのはほんの一週間くらいのことだったけど、ずいぶん会ってなかったように思えた。

 薄暗いからか、ちょっと面やつれしたようにそしてかえって美貌が増したように見える。


「久しぶり、クラージュ」

「……お久しぶりです、花奈さん」

 クラージュが両手をたたくように、指にたくさんはまった指輪同士を触れ合わせる。

 そのたび金色の火花が、ぱちぱち軽い音と一緒にうすぐらい夜へ散った。

「……約束を破りましたね。すみません」


 気にはしないつもりだけど、いいんだよ、とも言いにくい。


「もう二度とこのようなことにならないよう……と言いたいところですが、これからの展開によっては改めて約束をし直させてくださいと、お願いしなくてはならないかもしれません」

「なんとなくわかったよ。塔子さんたちと会わせたくなかったんだね」

 で、抵抗してたからここ最近呼ばれなかったんだろう。でも抗しきれず、私一人を呼んだんだろう。

「二度か三度かは断ったのですが」

「うん」

「四度か五度かはごまかして」

「うん」


 あの靴もない、眼鏡もない、気も弱そうで言葉もつたない塔子さんが、それを押していっしょうけんめいお願いして、それを聞き入れたのだったらクラージュも自分で言うほどには悪党じゃないのだろう。

「六度か七度かはこちらが懇願しましたが、そのころには真珠鉱脈の注意がこちらに向けられることを怒った、真珠鉱脈の従者(フラウリンド)のほうが御しがたくなっていました」


 違った。特にそういうんじゃなかった。


真珠鉱脈の従者(フラウリンド)は、とくに悋気が強く、自分以外の者が彼女の名を呼ぶのをすら嫌がるほどです」

「私は呼ぶけどね。塔子さんが気の毒だから」

「むろん、あなたがフラウリンドに従う必要はありません。ぼくは面倒だから呼ばないだけです」


 ――塔子さん、気の毒だ。

 むっとしたような悲しいような、そんな気分だった。

 私には、フラウリンドはシダンワンダやナルドリンガ、ラグルリンガの行きついた先にしか見えない。

 あのヤバいストーカーの一人にとっつかまって……抵抗する力もなかったのに。それで、二年もの間ああやって、歩く自由もないまま過ごさなくちゃいけなかったのに。


 いつか、私の目の届かないところで、もしかしてああやって、きょうだいの二人があんなふうに……あんなふうにされたらなんて、考えただけで泣けてくる。


 胸が詰まって何も言えないでいるうちに、クラージュのほうから話し出した。


「携帯電話を貸してください」

「なんで?」

「真珠鉱脈の実家近辺の写真データを改竄する準備をします。あきらめてもらわなくては」

「……!!」



 とっさに手が出た。


 スマホを握ってた手じゃないほう、右の平手が。



 平手はクラージュに難なく受け止められ……いや、クラージュは、とっさに飛ばされた平手を、とっさに受け止めてしまった、みたいな顔をしていた。

「……すみません」

 この謝罪も受け止めてしまったことへの謝罪だろう。

 信じられない気持ち半分、やっぱりクラージュって、っていう気持ち半分、くらくらしながらにらむと、クラージュは戸惑った感じで言った。私の平手は握ったまま。

「あ……」


 えーっと、を飲み込んだみたいな沈黙がはさまる。


「……怪我はありませんか。指輪のとがったところで手をぶつけたりは……」

「この……!!」


 今度こそスマホを握ったほう、グーの手で顔を殴ろうとしたけど、意識してグーで人を殴る度胸は私にはなかったらしく、グーは失速して、クラージュの顔に届くよりずっと前に止まった。

 今度のクラージュは受け止めようというそぶりは見せなかったけど、それもまた腹が立つ。

「殴ってごめん」

 先に一度謝る。実際には殴れてないけど、殴ろうとした時点で謝罪の義務は発生すると思った。

「いえ……」

 先に一度、クラージュに謝っておいて、改めて声を張り上げる。

「よくも、そんなことを……!! 恥ずかしいよ、人として!!」

「……」

 クラージュはまた思わずといった風に、喉からくすっと笑い声をもらした。

「今笑った!?」

「あ」

 このあ、も思わずといった風。もう、悪いけど、どついた。胸を強く。服の外側と内側にたくさんついたネックレスとかバッジとかがこぶしに刺さる。



「いえ、本当に久しぶりだったので。人としてどうかしているとか人道にもとるとか言われたのが」

「そこまでは言ってないよ」

 若干頭を冷やして突っ込むと、クラージュはよけい笑う。

「やっぱり笑うんだね」

「すみません……」

 ……やっぱり人としてどうかしてるし人道にももとるかもしれない。

 私は本当に怒ってるんだけど、クラージュはたぶん私を取るに足らない小娘だと思っていて、子犬にかみつかれた程度にしか思ってないようだ。



 クラージュは笑ったけど、私は怒っていた。


 というかがっかりしていた。

 というか、失望していた。悲しかった。



 行くか行かないかは確かに決めかねていたけど、行かないなら行かないで塔子さんにきちんときちんと断らなくちゃいけない。

 フラウリンドから、ラグルリンガ以上の殺意だか悪意だかをぶつけられようと。


 ていうかどっちにせよ詰んでるけど。

 塔子さんの望み通りにしてもしなくても、フラウリンドはこっちをクッソ恨むだろうけど。

 恨まれない方法は、クラージュの言う通り、適当なうそでごまかして、「行く意味ないよね」って無理やり納得させることだけなんだろうけど。


 でも、詰んでいても。



 そのうちやっとしゃべるつもりになれて、私はできるだけ感情をおさえて、できるだけ静かに言った。

「――わかった。このことに関して、クラージュとは分かり合えないってことが。あとクラージュが人としてどうかしてるってことが。でももう、仕方ないよね。

 私、F県に行くよ」

 この段になってようやく、クラージュは笑いをおさめた。

「……なんですって?」

「行く。F県に。クラージュがしたことのつぐないのために」

「ばかな」


 思わず口から出た、みたいな風にクラージュが言う。

 ばかな。それはこっちのせりふだ。


 クラージュはやっと、初めて真剣になってくれたみたいだった。

 私の平手をつかんだままのクラージュの手の指輪が、パチパチ火花を散らす。やけどはしない。ただ光るだけ。


「いけません、花奈さん。

 ぼくが百銅鉱脈(ラグルリンガ)達には会わせ、真珠鉱脈(フラウリンド)達には会わせなかった理由はわかるでしょう?

 あなたの手に負える相手、事態ではない。鉱の姫が御しきれていない従者がどれほど危険か、感じ取れなかったのですか」

「わかる。感じた。でも行く」


 クラージュはさらになにか言いつのろうとする。私は手をふりはらおうとするしぐさでそれを止めた。はらえなかったけど。


「確かにクラージュは人でなしなんだね。よくわかった。

 ……塔子さんをいけにえにしたんだね。

 誘拐しただけじゃなくて。確かに日本で塔子さんは不幸だったし、ゲルダガンドでできる限りおもてなししたんだろうけど、でも、鉱の姫をやるっていう仕事は、塔子さんの能力を超えてたよね。


 ……幹也と同じだ。

 塔子さんは幹也と同じで、塔子さんのことを、クラージュはあのサイコパスのフラウリンドに任せてほったらかしたんだ。

 もしかしたら幹也が、塔子さんと同じようになってたかもしれないんだ」


 幹也はこの世界のこと、吐くほど怖がってたのに。口もきいてくれなくなるくらいいやがってたのに。


 クラージュは隣から少しかがみこむみたいにして、うつむく私の顔を覗き込もうとする。

「……花奈さん、聞きなさい。幹也さんのことは彼に任せておくのが最適解だったじゃありませんか。真珠鉱脈に関してとは状況の一切が違います。

 確かにフラウリンドは我々に対しては敵対的ですが、主人に対してはまったく別です。

 花奈さんは、家族に恵まれ、環境にも恵まれて、幸せでしょう。

 だから真珠鉱脈のことも理解できない。


 考えてみたことはありますか? 食事も衣服も教育も満足に与えられず、ストレスのせいで出た吃音のことでよけいにいじめられ、うとまれる境遇を?

 家庭でも職場でも、誰からも必要とされていないと感じている女性に、自立を促すことが幸せにつながると?


 真珠鉱脈はフラウリンドを拒んでいましたか? 依存心からくる関係性でも、二人はあれで幸せなんです。

 むしろ日本でのことを何か一つでも真珠鉱脈に伝えることは、彼女を傷つけるとは思いませんか?

 真珠鉱脈は、母親が幸せに暮らしていても不幸に暮らしていても、どちらにしても傷つきます」


 クラージュは滔々言いつのったけど、私はかぶりを振った。 

「いやもう逆鱗触れちゃったからダメだよ」



 だって、塔子さんは、あんな身の毛もよだつような暮らしをしていて……私だったらごめんだけど、一応これで幸せに感じていたとしたって、今、塔子さんは、日本でのことを知りたがっている。

 今私が嘘をついたら、塔子さんが本当の意味で心の整理をつける機会は永久になくなる。


 ちょっと殺意を向けられたくらいだったら……たとえばラグルリンガの一件は、一生のトラウマにはならないと思う。

 でも、ここで塔子さんをだましたとしたら、今度は私の、一生整理のつかない問題になる。


 断ってもよかったし、引き受けてもよかったのに……もう、断る選択肢すらない。

 ここで断ったら、私の心にとって、もう、うそをついたのと同じになるから。



 私はクラージュと同じベンチに座ってるのもいやになって、立ち上がって、クラージュの正面に立った。

「行くのは塔子さんのためじゃないよ。クラージュのために行くんだよ。

 私は塔子さんの友達じゃなくて、クラージュの友達だから」


 クラージュは今度こそ絶句した。


「クラージュは塔子さんに失礼なことしたね。私にも幹也にも葉介にもしたね。

 それから、塔子さんの人生をめちゃくちゃ気持ち悪い方向で幸せにして、なのに、責任を取らない気でいるよね。

 でも、私は人でなしの嘘つきのクラージュの友達だから、私がクラージュの代わりに塔子さんにつぐなうよ」


 クラージュは私の手を放しもせず、しばらく茫然としていた。

「花奈さんが……ぼくの友達?」

 私はうなずいた。

「だからF県へ? ぼくへの嫌がらせのためなどではなく?」

 もう一度うなずいた。

 そんなにおかしいだろうか。


 クラージュがたとえ、人でなしで嘘つきで、誘拐犯で脅迫もしてきて、幹也と葉介にストーカーをくっつけて、私にはアイスの棒が盗まれてるよって教えて脅すような人でも。

 それでも、私から怯えられるってわかってたとしても、従者はアイスの棒を盗むようなやつだよってちゃんと教えてくれるだとか、お茶をして楽しかったとか、きれいな景色を見せてくれたとか、めちゃくちゃへこんでるときに慰めてくれたとか、そういう思い出があるかぎり、クラージュを友達だって思う気持ちは、私の中では矛盾しないんだけど。


 私は改めて言った。

「私はクラージュのこと、友達だと思ってるよ。

 クラージュの方では私のこと友達だと思ってないから、さっき私が怒ったとき笑ったんだろうけど、私は友達だと思ってるよ。

 だから、傷つきはした。でも許す。私にとっては、クラージュは友達だから」


 私の殴りそこなった平手を握りしめる、クラージュの手に力がこもる。

「放して、クラージュ」

 できるだけ静かにお願いすると、ほんのわずかだけ力が弱まり……また力がこもった。


 クラージュは戸惑っていた。でも、私に対してどんな態度をとるべきかも決めかねているようだったのに、クラージュは話し出す。

「――すみませんでした。つぐないます。ぼくから塔子さんへは、ぼくの力のなせる限りつぐないます。彼女本人にも謝ります。聞いてください、花奈さん」


 クラージュは真珠鉱脈と呼ぶのをやめた。私へ取り繕っているんだろう。

 私の冷めた視線を受けつつ、クラージュは私の手を引いてベンチに引き戻そうとする。私は踏ん張りつつ、振り払おうとする。払えない。


「塔子さんは、ゲルダガンドへ定住する前に、日本でいろいろ騒ぎを起こしています。

 グラナアーデという名の異世界に召喚されていることや、鉱脈の秘密も話してしまったそうです。自分が生んだ真珠を見せて、どろぼうだと思われたとか。

 職場がやくざものの巣窟というのも本当です。あなたも鉱脈だとばれたら、どんな風に利用しようと思われるか、わかりません」

 私はうなずいた。

「じゅうぶん気を付けるよ」

「気を付けるだけでは不十分です。君子危うきに近寄らずとそちらでも言うでしょう? 危険な目にあうのはもしかしたら、花奈さんだけじゃない、ごきょうだい二人にも及ぶかもしれない」

 うなずく。

「ばれないようにするね」

「花奈さん!」


 もはやクラージュの声は悲鳴に変わっていた。

「でも、私はクラージュのこと友達だと思ってるから、行くよ。

 丸太んぼうにしたければすれば。でも、電磁気力魔法では人の心は操れないって、クラージュ言ってたよね。住所は暗記したし」

 してないけど。


「ぼくも……」

 クラージュは言いよどむ。

「ぼくも、花奈さんを……友達だと思っています。友達が、自分のせいで危険な目に遭うことは耐えられません」


 うそだな。でもうなずいた。


「これで懲りたんだったら、次から改善できるといいね」

「あなたは頭に血が昇っているんです」

「そうだね」

「もう一度よく考えてください。あなたは今冷静ではない。幹也さんや葉介さんに危害が及ぶとなったら、普段のあなたなら絶対に取りやめているはずです」

「でもこの前ちょうど、きょうだい離れする時期でしょって言われたばっかりだし。一人で行くんだから二人は危ない目には遭いっこないでしょ」

「花奈さん……!!」

 クラージュがかぶりを振ると、アクセサリーの金鎖やコインやメダルやピアスや、さらさらの髪なんかが、しゃらしゃら触れ合って涼しい音がした。

 

「お願いですから、どうか落ち着いて。本当はこうやって、ぼくたちが口論することもいけないんです」

「口論してないよ」

 声が大きくなってるのはクラージュのほうだけだ。

「自分の良心に聞いてみてよ。今やってることが正しいのかどうか!」


「花奈さん!!」



 クラージュの悲鳴が引き金だった、ような気がする。


 また、空気が重たくなった。まつげが、つけまつげを乗せたくらいに重くなり、唇がつめたくなった。

 庭の草木は風もないのにうなだれて、ざわめくこともしなかった。

 クラージュの金茶の目がきらめいている。


 だれかが来た。


 ずっと手加減していたのだとわかる。

 クラージュは、今度こそ抗いきれないぐらい強く私の手を引いて、自分の胸へ私を抱え込んだ。


 なにか大きいもののごく小さい一部分が、あたり一帯に充満して、聞き耳を立てているのがわかる。



 私たちはいつまでも黙っていたけど、今夜あらわれたなにかは、いつまでも帰らなかった。

 とぐろをまいて、ときどき私の頬に触れ、クラージュの喉ぼとけを押したらしかった。まるで、話のつづきをうながすように。目の前でちょっとへこんだから、それが分かった。


 あげかけた悲鳴を、視線で制される。クラージュは急所に触れられても身じろぎせず、表情も変えなかったけど、私は震え上がった。

 まさか、もしかして、クラージュはこのまま悲鳴も出せないうちに殺されてしまうんじゃないかって。


 震えた私を、クラージュはいっそう固く抱きしめて、しまいこんだ。きっと、たとえ、自分がいま死んでも私が悲鳴をあげないように。

 私は悲鳴をあげるかわりに、クラージュののどをみた。



 私は思い出す。


 ずっと小さかったころ、葉介に発疹が出た時期のことを。

 真夜中、隣で寝ながらかゆがっている葉介のかゆいところを手でおさえて、自分がひっかかれたって、葉介のかきこわした傷が広がらないようにかばっていた時期のことを。

 あのときはかばえた。でも今は、目の前でこわれていく人の肌を、どうにもしてあげることができない。

 三ミリ、四ミリ、五ミリ……へこんでいく。

 かは、とクラージュの喉から小さく、空気のかたまりだけ抜けていく音がする。



 その音を聞いたらもう耐えられなかった。

 もがいて、自分の手を私と彼の体の間から抜き出し、クラージュの喉に当てる。

 でも『なにか』は私の手の下、クラージュの喉の上に相変わらずいて、クラージュを好奇心だけで追いつめている。

 子どもが、かわいがっているつもりの蝶の羽をもいでしまうように。てんとう虫を迷子にさせて、それをながめるように。



 いや。

 『なにか』はきた。私のほうへ。

 『なにか』はクラージュののどに触って、なにかをたしかめていたのか、うながしていたのか、それの代わりに、『なにか』自身の上にからみつく、取るに足らないもののことを調べようとしている。


 私の手の下から、指一本一本のかたちを確かめているのが分かった。

 私の手で……もしかしたら私の細胞の中にまで入り込んで。

 クラージュは首を絞められたままわずかに首を振ったけど、私はかまわなかった。


 来い。こっちへ来い。


 頭に血が上っているというのは本当なんだろう。

 今の私は、指ぐらいへし折られたってかまわない。


 クラージュは私の目を見る。私も見返す。

 大丈夫。私がついてる。大丈夫。私は慣れてる。痛くても手を離さないでいられる。

 心配しないで。あのころ、葉介が目をさましたことは一回もなかったんだから。


 伝わっただろうか。

 でも、やがて、私を腕の中にしまいこんだまま、あきらめたようにクラージュが口を開く。

 そして、かすれ声で唱える。

「わかき……かがよう、かみ」

 この前一節だけつぶやいて、すぐにやめてしまった話のつづき。


 多分、創世の神話を。



 固唾をのんだのがわかる。私だけじゃなくって、ここにあるもの、草木も含むすべてが。あらわれたなにかすらも。

 それでもクラージュは語りやめなかった。



 (わか)輝神(かがようかみ) 静寂(しじま)(あぶら)()(いま)せたまひき

 稚き輝神 静寂を(たていと)にときつくらせ 脂を(ぬきいと)(おり)つくらせ ときを(わか)し 重き狭霧つくらせたまひき

()るに狭霧 おのづから(こご)りて不照(てらず)水銀(みずかね)成す


狭霧 水銀 おのおの凝り凝りて 白玉(しんじゅ)と成し 白玉沸き沸きてあまた静寂と脂にうちちりぬ

然ありて後 稚き輝神 (みこ)手力(たぢから)もて 白玉かきよせ沸せ (ようよ)うと(ししむら)つくらせたまひき


 肉得し輝神 千の(および)(こぼ)ちて千の天地(あまつち)生ませ 白玉と狭霧もて沸したまひき


 (わか)輝神(かがようかみ) これもて開闢ことごとく成させたまふ


 狭霧満つ天地 沸き沸きて 些些(ささ)のことごとく成し

 些些のことごとく 沸き沸きて あまたうちちり また沸き沸きぬ

 些些 おのづから(ふみ)成し (かたり)成し 狭霧満つ天地を沸したり


 輝神 然る(ひかり)に因りて 狭霧満つ天地を見そなわさず

 輝神 万の耳と目毀ちて 狭霧満つ天地へ投じたまひき




 ――長かった。さらにもっと続くのかもしれないけど、クラージュはここでやめた。息がきれたからかもしれない。でも、もう十分……

 もう指にも、クラージュの喉にも変な圧はかかっていない。

 かわりに空気がますます重く……沸き立っている。もう、呼吸も苦しいくらいに。

 私の背にかぶさるクラージュの衣は、コインやメダル類のアクセサリーの分を差し引いてもずしりと重く、しかしなびいていた。風もないのに。

 ベンチの足元に咲いていたつぼみの花は、たわみ、しおれ、つぼみのままぽろんと萼から落ちる。

 鳥も虫もいない。逃げ出せるものはみんな逃げ出したみたいだ。あるのは逃げ遅れた草、木、花、そして私たち。



「……九十八番目の軽銀鉱脈(エギナリンガ)。九十九番目である、あなたの先代です。優しい人でした。見た目も美しかったけれど、心根がいっそう彼女を輝かせていたな。あなたと同じように」

「……突然、なに……?」


 この異様な雰囲気の中でいったい何を話し始めるのか、質そうとした私を、クラージュは視線だけで押しとどめた。

 私は黙る。


「もう二十年ほども前のことです。九十八番目の軽銀鉱脈(エギナリンガ)は草木と詩と手芸と子どもを慈しみました。ぼくも慈しまれた一人です。

 細かいことは省きますが……」


 ここで言いよどむ。


九十八番目の軽銀鉱脈(エギナリンガ)九十八番目の真珠鉱脈(フラウリンガ)は恋に落ち、互いに思いあいましたが、成就はしませんでした。

 それぞれの従者はそれをうらみ、戦い、結果的に九十八番目の(エギナ)軽銀鉱脈の従者(リンガ)は永久に損なわれた。

 ぼくは、あなたに真珠鉱脈たちとかかわってほしくはない。あなたと真珠鉱脈のために、ぼくたち従者二人がまた殺しあうようなことがあれば……」


 そんなことがあったのか。

 でもそれって、私とは関係ないし。塔子さんと私は、恋に落ちないし。そもそもそんな隙、フラウリンドが作らないし。


 言いかけたけど、私の唇にクラージュが指で触れる。

 一言もしゃべるなと目が言っていた。私はそうした。



 でもやっぱり、まだ気配は去らない。

 たぶんこの話は、私を納得させるためじゃなくて、この気配を納得させるためにした話なんだと、今やっとなんとなく、察せてきたけど……


 ――まだ足らないようですね。

 クラージュはそう言った気がするけど、これはたぶん、私の空耳だ。唇がほとんど動かなかったから。でも、私にはわかった。

 このなにかを立ち去らせるには。もっと詳しく、なにかを話さないといけない。

 

 なにかを。私が知りたいともねだっていない、クラージュも本当は話したくないだろうことを話すまで。

 『なにか』ごほうびがあるまで、この気配は帰らない。

 


 クラージュは考えて……考えて、私のほっぺたに唇で触れた。

「……!!」

 ぎょっとして私は、凍り付く。勝手にほっぺたに血が上る。なんとも思ってないのに。

 クラージュは続けてささやいた。

「きみが好きです」

「……!?」


 うそだ。

 私にもそのくらいはわかる。


 でもさすがにびっくりして、近づいていたクラージュの胸を強く押してのけて、クラージュの顔をまじまじ見る。

 クラージュの表情はうれいに満ちていた。


「今答えを聞かせないで。ふられるのはわかっていますから。

 ただ覚えていてほしいんです。ぼくは恋敵が増えるのを心配していると」



 大うそつきだ。クラージュは大うそつきだ。



 ほんとに一発たたいてやろうか考えていると、突然、ふっと空気が軽くなった。悪霊が去ったみたいな。

 思わず深呼吸すると、クラージュは何事もなかったみたいに……いや、疲れをひそめた眉に若干にじませて言った。

「――もういません」

 やっぱり気のせいじゃなかった。さっきまでここに、目に見えない何かが来て、そしていなくなったみたいだ。

 クラージュが私のおでこを薬指ではらう。空気が重たくなったときに、前髪がぺったんこにつぶれていたみたいだ。


「クラージュ、あれは……?」

 あれは……いったい、なに? さっきのキスも、あれは……? さっきの気配も、あれは……?



「さっきの詩の主人公ですよ」

 クラージュはこともなげに……いや、やっぱり疲れている。でも、言った。気配のほうのことを。


 主人公……つまり、あぶらから生まれたカガヨウカミと呼ばれていた、あの、あれだろうか。クラージュはでも、その名前そのものを呼ぶことは避けて話した。


「先ほどぼくがそらんじてお聞かせしたのは、九十八番目の軽銀鉱脈(エギナリンガ)が作った詩です。美文体で古いように見せて作っていましたが、実際にはとても新しいもの。

 ただし『あれ』はあの詩をとても気に入っていて、ああやって唄うと自分の物語が語られると思ってよろこんでやってくるんです」


 あの……あのずっしりくるのを経験するのはこれで二度目。

 最初のときはたしかに詩を詠んでたけど、でもさっきのは違う……明らかに、なにかが来てたのはそれより前だ。


 クラージュは微笑んだ。いつもの当たり障りない笑みと違って、嘲笑の色が濃い。誰に対してかは知らない。なにもしらない私に向けてだろうか。それともまるで、ちょっと名前を呼ばれただけで喜んでやってきてしまう招かれざる客へ?

「ぼくらがけんかしていたから、見に来たんです。九十九番目の軽銀鉱脈(エギナリンド)とその従者が、『本音でぶつかりあって、いっそう絆を強くする』ところを」


 クラージュの、私がぽかんと開けた口を見る目は慈しみすらまじっている。驚く自由もないのかと若干腹を立てながら、私は口を閉じた。



 このあたりでやっと、クラージュは深呼吸できるくらいの余裕を取り戻したみたいだった。溜息みたいな深呼吸を二度三度して、息を整えてから長い話を始めた。


「あの詩にあった通りです。

 天地創造を果たした存在は、天地だけを生んだ。天地はいのちを生み、いのちは物語を作った。

 ……ヒマなんですよ。世界を千も万も作り終えて。だから物語を読みたがる。


 あの神話の主人公は、自分が読むべき物語のための舞台を作った。それから、登場人物と小道具も。

 運命の恋人たち……美しいすがたをしたいくつものつがいに、ロマンチックなのろいを添えて。


 万の耳と目というのは従者のことです。

 『あれ』にとって、些些の存在ははかないので、たとえば連作の物語のある半ばだけを見落としたりしないように、恋人たちの片方を自分自身にしたのですね。


 心を覗き込んで楽しむくせに、まねるのは下手なようで、あんな風な、人間によく似た人形を平気で粗造します。従者たちは鉱の姫と接するうち、相手に合わせて形や心を変えるけれど、本質はみな同じ。


 鉱脈が生みだす宝石は、見出しか、表紙か……しおりみたいなものです。

 あとは、物語への報酬……いや、リクエストかな。

 冒険物語が読みたいときは黄金鉱脈たちを覗いた。悲恋が読みたければ蒼玉鉱脈たち、ときに火花散るような情熱的な物語は紅玉鉱脈。

 軽銀鉱脈や百銅鉱脈はいささか損で、あまた合金を作り出す鉱石を、『あれ』は狂言回しに見立てることが多い。

 以前、鉱石を生み出す感情はそれぞれ違っている、とお話しましたね。鉱脈たちは、自らの何と鉱石を結び付けられているかを悟ると、それに踊らされるようになっていきます。自然、たどる人生もそのように、結ばれた鉱石にふさわしいものになっていく。『あれ』の望むとおりに」


「…………」


 情報量が多い……多すぎる……。

 でもたぶん、一度で理解しなければクラージュはたぶん二度と教えてくれないだろう。めんどくさいとか以上に、危ない。それはまず、わかる。

 私は注意深く、注意深く聞き返した。


「それが、鉱脈の正体……?」

 クラージュはうなずく。

「クラージュたちが好きで呼んでたわけじゃないんだ……?」

 もう一度うなずく。

「あなた方を鉱の姫として定め、呼び出したのは『あれ』ですが、行ったり来たり出来ているのは、先代の偉大な魔法使いが召喚術の反対を独自に編み出したゆえです。

 20年ほどこのやり方で試験運用していますが、今のところは支障は出ていません。

 覚えていますか?『負の感情ばかりを覚えさせ続けると、むしろ出る石の量は減っていく』とぼくが言ったのを。望郷の物語ばかりではシンプルに面白くないんじゃないかな。『あれ』のほうでは多分行ったり来たりを歓迎しているんでしょう。従者は嘆きますが」

「…………助けてくれてた……んだ……?」

「そう……なるのかな……」

 クラージュはいいよどむ。けど、否定ではない。

「ありがとう……?」

 お礼を言う。クラージュはかぶりを振った。



 ……そうだ、やっとわかってきた……ような気がする。

 『意志持つだれかが、感覚で感情と石をペアリングしたんじゃないか』とか、『そもそもどうして感情で石が出るんだろうか』とか、そういうことを今までちょっとずつクラージュが私へにおわせていたのは……全部知っていたんだ。で、今、ネタばらしを受けている。


 ということは……さっきのほっぺちゅーは、私とクラージュの関係性が――別にそんなもの存在しないんだけど――進展したように、輝神(カガヨウカミ)へ見せかけるためのもので……返事はいらない、って言ったのが、これ以上は今日は進展しません、って教えるための合図だった、ということが……。


 釈然としないものは覚えつつ、まあそういうことなら仕方ない、だって不気味だったもの、ということでしぶしぶうなずく。

 釈然としてないことには気づいているだろうけど、クラージュはうなずき返し、続きを話す。

九十八番目の(エギナ)軽銀鉱脈の従者(リンガ)はぼくがこわしました」

「へ? は……こわ……こわした?」


 情報量が多い……多すぎる……。

 どうして? どうやって? ほんとうに?


 いろんな疑問がまざって、オウム返ししかできない私へ、クラージュはかぶりを振った。説明する気がないらしい。


 ……そうか、どんどんわかってきた感じがする……。

 説明すれば『物語の進展』になったはずなのに、ほっぺちゅーに走ったのは『マジでそのことは話したくないから』か。

 ……よけい腹立ってきたけど……。


 クラージュは勝手に話し続ける。

「――従者をこわされた『あれ』ははすこし機嫌をわるくして、物語を追い直したんでしょう。そして、『あれ』はぼくに気づき、しおりをはさんだ。

 育ての親の従者を永遠に破壊し、その親自身も消し去ったぼくに」


 多すぎる情報をスルーし続けてきたけど、ここはスルーしちゃいけないところだ。私にもそれは分かった。

 クラージュに話す気がないのもわかってたから、無責任にででも言い切る。


「よく知らないけどクラージュのせいじゃないよ」

 多分クラージュのせいだと思うけど。


 私が言葉にしなかった部分も多分読み取ったんだろう。

 クラージュは、ずいぶん久しぶりに笑った。作り笑いででも。


「……従者たちは『あれ』の手足にして耳目。ぼくは『あれ』の傀儡といったところでしょうか。

 あなたはほかの鉱脈たちほどには見張られていませんが、逆に言うと、ときどきぼくやあなたを見に来ます。

 直接。ぼくの心が乱れたときに、従者たちを介さずに、もっと『あれ』の本質的なところに近い部分がやってくる」


 それが、あれ。


 もう相槌を打つ元気もない。

 胸の詰まった感じをこらえつつ、なんとかクラージュの腕の中から脱出しようと胸を押したけど、体の疲労感はなんともしがたく、まだ私はぐったり、倒れこんでクラージュに支えられている。


 ……こっわい。

 ヤバいストーカーに追われてないだけ、幹也と葉介よりめぐまれてると思ってたけど……全然そんなことはないんじゃないか……。

 もう今更、クラージュのことは嫌いになれないけど……。



「……このまま塔子さんの望むとおりにすれば……」

「え?」

 起こったことが衝撃的すぎて、一瞬、なんの話だったか思い出せなかった。

 ……そうだ、私たちは塔子さんのお願いを飲むか飲まないかでケンカしていたんだった。


「つまり、日本でなにが起こっているかを彼女に知らせ、そのことで思い煩うことがあれば……」

 クラージュは鬱々と言う。

「真珠鉱脈の物語の舞台はF県に代わります。

 耳目のない世界で物語をながめるために、今度はグラナアーデではなく、地球へ干渉を始めるかもしれない。今のところ、グラナアーデ以外の世界に干渉するすべを『あれ』は持たないようですが、いつか求め、持つかもしれない。それは、避けるべき事態では?」

「あ……」


 それは、むり。


 あんなのが好き勝手にF県をうろつきまわるようになったら、間違いなく大騒ぎになる。心霊現象とか、怪奇現象とか……。

 そうなったとき、ちょっと自分のことを呼ばれただけで大喜びしちゃうあの『カガヨウカミ』がどうなるかまでは、想像を超えてるし……。

 クラージュみたいに、上手に追っぱらえるかも自信がないし。



「繰り返しますが、塔子さんへは謝罪のうえ、できる限りつぐないます。従者のコントロールはできませんが、塔子さんがフラウリンド以外の人間ともできるだけ委縮せず話せるようにも、働きかけます。彼女自身が望めばですが……。

 ……いえ、おそらく望まないであろうと予想していることは否定できませんし、ぼくの希望は望まれないことですが。答えを急かして追いつめたり、思った通りに誘導しようとしたりはしない、とお約束します」

「…………」


 やっと、クラージュの言うことを少しは受け入れようかなという気持ちになって、でもやっぱり、塔子さんをだまそうとしたことは許せなくて、でも、クラージュの言う通り、日本にまであのカガヨウカミというのが来たら困るしで、私は黙りこくった。


 私の逡巡を感じ取ったらしいクラージュは、なぜだか私の背中をとんとんたたいてあやすみたいにした。


「……あなたといると、自分がとんでもない無能なんじゃないかって思えてなりません」


 それは私のセリフだ。文句を言おうと思って顔をあげたら、クラージュは笑っていた。


 疲れてはいたけれど、いつものよりももう少し無邪気な、優しそうな笑顔だった。


「……ぼくから花奈さんへわかっていただきたいのは……。

 心の整理のつけかたは人それぞれ違うということ。

 向き合わず、忘れてしまう方法もあるのだということ……かな。

 ――いつか、全部話します。

 先にあなたにきちんと相談しておけば、頭痛の種はもう少し少なかったような気もしますし」


 それはものすごくそう思う。


 クラージュは私が疲れ果てているなりにすっごいにらんでも、やっぱり笑っている。

 私は怒ってるのに。


「友達だと言ってくれてありがとう、花奈さん。うれしかった。

 いつか言います。今日言えなかったことも。いつか、かならず」



 クラージュとはそういう約束になった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ