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エピローグ 太陽が昇るから

エピローグというか、クラージュの説明が雑だったので補足です。

すでにお話としては前回のお話で終わっています。

 クラージュは、床に倒れたかっこうで目覚めた。

 自分でもちょっと死ぬ可能性あるな、と思っていたけど、とにかく目覚めた。


 クラージュが、悪だくみばかりが取り柄のクラージュが、自分にしおりが挟まれているのがわかっていて、心を覗き込まれ、自分をきっかけにして何が起こるかわからないともわかっていて、対策をとっていないわけがない。

 クラージュは口の中の苦いものを吐き捨てた。

 ぷつと吐き出されたものは、真っ黒に焼け焦げた金属片で、床で転がりかつんかつんと音を立てた。


 あの二十年前のあの忌まわしい日以来、ちょうど生えかけていた一番奥の永久臼歯の上下に、歯科治療用のかぶせものに似た算尺を仕込んでいて、いざというときには皮膜をかじりとっていろいろに使えるようにしてある。いろいろとはたとえば、自殺とか。そうまでいかなくても、仮死状態に体を持っていける程度の電流を流すとか。


 わりと、賭けだったけれど、海にざぶざぶ乗り込んでいって、意識を失った手ごまは死んだものとみなし、輝神はクラージュを『読み捨てた』ようだった。


 おそらく神にとって、些々なる人間の些々なる鼓動の有無など、あまりにあやふやなもので、衝撃とともに意識をうしない、波にのまれたら死ぬだろうと想像することのほうがかんたんだったのだろう。いや、そうであるはずだと思ってあのようにしたのだが。

 心のほうにしおりがはさまれていてよかった、とクラージュは初めて思った。

 もうめくられるべきページのない物語から、役者が帰ってくる。

 とは言っても、生き残っているのはたった二人で、うち一方の帰るべき世界はここではない。

 ソワレには悪いことをした。いつかまた会うときには、そのときこそ、彼女が望むままの報酬を渡さねば。


「無事だったか」

 帰ってきたジュノがクラージュを見下ろした。

「これが無事に見えます?」

 クラージュは血みどろの床に倒れたままジュノを見上げる。彼の左手はもがれたまま、水死体寸前の青い顔をしているはずだった。

 ジュノはうなずいた。

「さすがのお前も今回ばかりは死ぬかと思っていたからな。それに比べればずいぶん無事に見える」

「……いいから手当てしてくれませんか。本当に死にそうなんです」

 ジュノはそうした。と言ってもまず血を止めただけだが。

「花奈はどうした?」

「迎えがすぐ拾ったはずです。……ああ、急がないと。花奈さんポジティブだからな。一年ぐらいでぼくの尊い犠牲のこと乗り越えちゃうかも」

「……おそろしいほど歪んで健やかだなお前は」

「何もかも片付いて、花奈さんが無事なのに、これ以上何か思い煩うべきことあります?」


 清潔な服に着替え、もう使い物にならない、錆びた計算尺こと装飾品を投げ捨て、新たなものをつけなおし、左腕は手当に従い、生えてくるのを待つとして、壊れた自動人形(オートマタ)を『生き残り』に修繕させ、血で汚れた城を清めさせる。

 日が暮れたころには、湖城シュツルクはすっかり元通りになった。……だいたいのところは。さすがに蹴破られた扉などはすぐには手配がつかなかった。


 

 そのあとジュノとクラージュは優し月と大火炎にもどり、ふたり連れだって、矢車菊を草原から呼び戻した。

 矢車菊は白き帯(エギナリンガ)の死によってしおりがはずれて以来、ゆうに二十年、グラナアーデを離れて故郷の空広き草原から戻らない。

 優し月の使うのが『送還術』である以上、しおりが外れた鉱脈をグラナアーデに呼びだすことは本来不可能なのだが、大魔術師の不肖の弟子であるところの優し月もただ二十年、手をこまねいていたのではない。

 優し月は、ハヌムヤーンの残した秘儀の断片を元に、……というか、おそらく一度草原に帰したあと、また頃合いを見て呼び戻すつもりだったに違いない、そのための大魔術をかきあつめた。

 月、花、馬、鳥、糸、矢車菊のすきなものばかり、幾何形の解いた魔法陣の中心に、矢車菊は降り立った。

 優し月と大火炎は、ひざまずいて母を二十年ぶりに出迎える。


 二十年もほうっておかれた矢車菊は、変わらずにうつくしかった。

 草原の女らしく、反物をあまた体に巻き付けた、貞淑で華やかな装いで、二十年ぶん年を取っている。

 矢車菊はしばし戸惑って辺りを見回し、そこら中に散らかっているものがあの犬猿の仲であったハヌムヤーンのがらくた、ひざまずくのが七歳と五歳だった養い子らであったことに気付いて、ようやく一声さけんだ。

「遅い!!」

 元は子どもだった男たちは、身を縮めて叱られた。



 ――さて次は大魔術師ハヌムヤーンを呼び戻す段であったが、その術は矢車菊しか持たないことが分かっている。

 優し月と大火炎はいままであったことを全て、かつての養母に話さざるを得なかった。

 ふたりはしばし、母に叱られるに甘んじたが、二十年分年を取ってとうの立った矢車菊は、さすがに、大火炎のあらゆる悪事と、見過ごした優し月のことを知るに至り、口先で叱るだけにはとどまらず、以前はおくびにも出さなかったような罰を与えんとする。

「……二人とも両の腕を出せ。鞭で打つ」

「…………」

「…………」


 ああーー。

 優し月と大火炎は天を仰ぐがごとく、わずかに視線を上にした。

 矢車菊はその反応を、鞭うたれるのを嫌がってのことと解釈して、噛んで含めるように言い聞かせた。

()()らを鞭で打たねばならぬ。

 この空狭き世界では、汝らを咎めるものは誰ひとりとしておらぬだろう。吾とて白き帯のしでかしたことを思えば、それしか方がつかなかったのだろうとも分かっておる」


 白き帯のしでかしたこととは、矢車菊の帰還にあたり、優し月と大火炎を除いたすべての城の住人を殺しつくしたことを指しているようだった。


「子らが心すこやかに育たねばならぬとき、子らが一番つらいとき、おさない汝らのみ残してここを離れた母にも同じだけ非はある。

 汝らを打ったあと、それぞれ同じ回数に三足して、吾を打て」

 矢車菊はきまじめに、もう大きくなりすぎた子どもらを見つめた。


 大火炎にも優し月にもわかっている。

 矢車菊は母として、誰にねぎらわれることもない労苦をねぎらい、誰に責められることもない罪過をとがめようとしているのだと。それによって、生存競争だとか大義を前にした殺人だとかの言い訳ではなくて、倫理で罪をぬぐってくれようとしていることは。


 しかし、大火炎には、差し出せる腕がかたいっぽうしかない。


 ごまかせないかな、と思って金の粉で左腕を作ってみる。

 血止めを兼ねて花奈に作って見せたのよりはずっと精巧に作ったが、二十年ぶりとはいえ母の目はごまかせない。

「大火炎……汝の左腕は如何にした……?」

 矢車菊の鬼のような形相に負けて、大火炎はぼそぼそ言い訳した。

「…………つい先ほど……なくしてしまいました……」

「……」

 とうとう矢車菊はぽろぽろ涙をこぼしはじめた。


 あああーーーー。

 優し月と大火炎は天を仰ぐがごとく、わずかに視線を上にした。

 親に泣かれるのも親に打たれるのもとてもつらいことだ。ことによって、ふたりぐらいの大の大人の男にとっては。

 大火炎は小声で養母をなぐさめる。

「……あの、矢車菊……また、生えてきますから……」

 グラナアーデの医療技術があれば、腕の再生手術など児戯に等しい……というほどではないが、まあ、簡単だった。 

「汝はせめて省みるふりだけでもするということをせぬか……!!」

 とうとう矢車菊は声をあららげた。




 いつまでたっても話がすすまないので時を少しとばして、次はハヌムヤーンをよびもどすことになった。

 ハヌムヤーンの居場所はどこでもあってどこでもない、特殊な場所であったので、できの悪い魔術師の弟子たちには、母の力を借りるほかない。


 矢車菊は、確かに、少女の面影をまだ残していた二十年前に比べて老いていた。

 しかしその美しさは健在で、矢車菊は十重二十重に纏っていた布地の一枚一枚を全て脱ぎ去っていく。

 ひとりの女のからだに、いったいいかなる方法を用いてこれだけのものを巻き付けていたのであろう。

 突然の呼び出しであったのに、矢車菊はずっとずっとずっと待っていたのだ。たしかに遅いと叱られてもしかたない。とはいえ、矢車菊を呼び戻せるようになったのは鉱脈の従者たちがすべていなくなったからで、その件に関して矢車菊は先述の通り雷を落としているわけだが。


 

 布地はとぐろを巻いて、部屋中に広がった。

 二十年前、織り上げたものをすべて焼き払われた矢車菊が、また二十年かけて、織って織って織り抜いた、美しい反物の群れ群れ。

 図柄はこうだ。

 水たばこの煙から生まれる虹と霓、幼い子らと色とりどりの城。

 金糸銀糸で装った幼子らは旅をする。

 太陽を食らう鷹、月を食らう(うお)。騒乱に満ちた大地と、火の玉の怪物、山羊追いが持つ銀のらっぱ。はこべらが鎹う千々の家。

 夜空にたなびく白きのろしは次なる戦場(いくさば)を示す。旅路の果てにたどり着く、白玉をあまた装った、冠をかぶった美しい男の城。


 織婦矢車菊にだけ使える大魔術。


 ようやく重たい反物のすべてから解き放たれ、肌着一枚となった矢車菊はすっくと立った。

 次いで、反物の山からぬらりと、ひとり、男が立ち上がった。


 齢四十となった矢車菊は笑みこぼした。

「久しいな、ハヌムヤーン。吾は誓った通り、永劫恩に着ておったぞ」

 言って、表情がはたと凍り付く。

「……ハヌムヤーン……そなた、あれからひとつも変わっておらぬ……」

 ハヌムヤーンの顔を見て、二十年前に別れたあと、あれから齢を一つもとっていない、若いままの姿であるのに気付いたのだ。

 次元の狭間では、一体いかように時が流れたのだろう。

 ジュノとクラージュが優し月と大火炎であった頃と、まったく同じ姿をしたハヌムヤーンが、三人をかわるがわるに見比べる。

「お前は……優し月」

 二十七になった優し月はうなずいた。

「ならばお前は……大火炎」

 二十五の大火炎も、うなずいた。

 そして、ハヌムヤーンの感想は目の前の矢車菊へ。

 彼には珍しいことに、素直なことばを口にしてしまった。

「お前は……年を取ったな」


「………………」

「………………」

「………………」


 あああああーー。

 大火炎と優し月はまた、天を仰ぐがごとく、わずかに視線を上にした。

 齢五と七で通常の人間関係から引き離され、物語でまなぶこともなかった二人だが、久しぶりに会った女に対し、言ってはいけない言葉くらいは当然、わかる。

 矢車菊は当然柳眉を逆立てたが、ふと我に返ったように、勝ち誇ったような表情をとった。

「そうだ。吾にはすでに孫もある」



 孫



 男たちは三人とも絶句した。あれから二十年、矢車菊は齢四十……草原の民は結婚が早いとたしか言っていたから、少しもおかしくはない。おかしくはないのだが、孫、孫、孫……


 元おさな子らより早く衝撃よりたちかえったのはハヌムヤーンだった。

「夫は」

「…………」

 今度は矢車菊が黙りこくった。

「夫はどうした。草原に待たせているのか」

「…………」

 ハヌムヤーンはずかずか矢車菊に体当たりせんばかりに近寄って、ぴたととまる。

長身に育った優し月よりもまだ背丈の高いハヌムヤーンが矢車菊の正面に立つと、矢車菊の顔は胸の少し下のあたり、ハヌムヤーンからは彼女の顔などほとんど見えないはずである。


 ハヌムヤーンは焦れた。

 黙りこくったままの矢車菊がまとった薄衣を爪で割き、真裸にしてしまう。

 子らはすぐさまくるりと背を向けた。いい年になると母親の裸ほど見たくないものはない。しかしふたりの声……矢車菊の悲鳴と、ハヌムヤーンの勝ち誇った嘲笑はふたりの耳にも届く。


「腹に産婦のしるしがない。さしずめ子だの孫だのというのも優し月らと同じただの養い子か。愚かなその場しのぎの言い訳を。なにも変わらんな、お前は」


 ああああああああああーー。

 矢車菊とハヌムヤーンをかちあわせて良かったのだろうか。このままハッピーエンドは訪れるのだろうか。

かわいそうな大魔術師のふたりは、判断ミスを心底から後悔しながら、父と母の大げんかの声を背に受けつつ、やはりわずかに天を仰いだ。





 

 それから……。


 もはやすべてのしおりをうしない……あるいは放棄して、十分に希薄になった輝神に対し、もはやここまでのことをする必要もなかろうと思われたが、四人はそうした。


 矢車菊のハヌムヤーンを呼び戻した清らなる反物は、大魔術によって虚ろなる大宇宙へと舞い上がり、星と星とをつないだ糸でししゅうされ、大宇宙に星座として物語を織り上げた。

 矢車菊が最後に残した、織りかけていた真白いだけの反物は、矢車菊の真白い衣服に代わる。

 輝神が、夜空の織物、星座を追って、もはや抜け殻となったグラナアーデを離れてゆくのが肌で分かった。

 悪しき気配はとぐろを巻き、大火炎や優し月や、矢車菊やハヌムヤーンの頬をなでたあと、消え入るように去った。



 四人はできるかぎりのことをして、打ち勝った。

 真闇のグラナアーデに日がさして、小鳥はまたうたい、草木はまた芽吹き、獣も今このときだけはだれも食らいあわず、安らいで過ごした。


 ハヌムヤーンと矢車菊は、和解の日がくるだろうか。

 クラージュはいつかまた地球をおとずれたいし、そのためにはふたりの力が間違いなく必要となるのだが。

 クラージュはためいきをついた。

 ジュノも、ついた。

 いい年になると、親の痴話げんかほど見たくないものはないのである。


 これからもなんやかんやあって、クラージュが地球をおとなえるようになるのは、ゆうに三年の月日を待たねばならない。

 がしかし、これは現実であるから、すべてを言葉にするにはあたわない。


ご覧くださりありがとうございました!!

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