27 それから
これは現実で、泣いても泣いてもあぶくになって消えてしまいました、というわけにはいかなくて、私はまた組織の人に連行された。
服か靴かにGPSでも仕込んであったんだろうか? それとも私が寝てる間にチップでも埋め込んでいたとか?
砂浜で座り込んで泣いていると、パンツスーツの女の人がハイヒールをずぶずぶ砂浜にめり込ませながらやってきて、腕をぐいっと引っ張って私をむりやり立ち上がらせ、ワゴン車にぶちこんだ。
エンジンがかかって、車が発進してしばらくしたころに、女の人はわりと平坦な口調で言う。
「お疲れ様でした。神因性インシデントは現時点を持って終了したとみなします」
目の前で起こったことの何もかもがショックすぎて、その声を聞いてやっと、私がまだ生きてることに気付く。
死にぞこなった……と、口に出して言ってしまったせいで、バックミラー越しに化け物を見るような目で私を見たその人は、いつだったか私と追いかけっこして露出狂の変態扱いしてしまったかわいそうなエージェントだった。
昼にきた夜のことや、光がないのにかかった虹のことなんかはふしぎとニュースとかにはなってなかった。
要するに、バスターミナルの売店のおばさんみたいな、輝神が『モブ』と判断した人たちは、ふだん通りの生活を送り続けていた、らしい。
私たちだけが幻覚を見たのかもしれないし、他の人たちが幻覚を見たのかもしれないし、もしかしたら組織がなんかした、のかもしれないし。
施設に戻ったら、ジュノもソワレも、ナルドリンガもシダンワンダもラグルリンガもいなくって、葉介も幹也もお母さんも疲れ果てていた。
そっちではなにがあったの、とはとても聞けなかった。
私だって、クラージュはどうしたの、って聞かれたらとても正気ではいられない。
施設に入ってすぐ、めちゃくちゃ苦しめられたインタビューもなかった。
もしかしたら、むしろ私が分かってることよりもっとたくさんのことをあちらの方が分かっていて、かつて輝神に『しおり』を挟まれた私へ、逆に情報を与え返さないためにインタビューを控えている……くらいのことを妄想した。その程度の希望は持ってたっていいと思った。
クラージュがただで死ぬだろうか? あのおおうそつきが?
ジュノたちだって。なにより、私たちに何も言わずに? 唯々諾々と運命に翻弄されて、それを良しとしただろうか、あの人たちが? 二十年間、不屈の意志を持ち続けたあの二人が?
……と、思ってないと、発狂しそうだった。
あのとき、やっぱりお母さんはお父さんに連絡してたみたいで、単身赴任してたお父さんはアメリカからすっとんで帰ってきて、いつもおっとりしてるのに、めずらしく長々とお説教があった。
親に扶養されている身の上についてとか、自分自身の生命に対する責任とか、お母さんを泣かせるなとか、お父さんも悲しかったとか。
ふしぎなもので、お説教されてる間にだんだん、死んじゃいたかった気持ちがちょっぴりやわらいでいって、3時間くらい経ったころには「わかった、お父さんも異世界転移したら転移したよって私たちにちゃんと教えて」って軽口をたたけるようになった。お父さんはまた珍しくアハハって声をあげて笑ったあと、生まれて初めて私をぶった。親にぶたれるのは親に泣かれるのの次につらかった。
私たちは日常に戻った。
簡単なことじゃなかったけど、戻った。
私はしばらくの間施設に隔離され、幹也と葉介から一ヶ月遅れで高校に戻り、補習をいっぱい受けて留年を辛うじて回避した。
私に義務付けられたのは、組織にデータが飛ぶようになってる体重計で毎日朝晩、体重を測ることだけ。
シバイヌにやっぱり変態的だって文句言ったら、おじさんをいじめないでくんないかな、みたいにぼやいていた。おそろしい童顔のくせによく言う。
塔子さんはフラウリンドをうしなった上、二年もの間、社会生活から隔絶されていたので、私よりもっと長いリハビリ期間が必要になる。吃音のこともあるし、しばらくまともな再就職も無理だろうと、組織の中で暮らしてるらしい。
あれからずいぶん経ったけど、まだ会わないほうがいいといわれて、そうかな、と言われて引き下がってしまった。君だって誰かを支えられるような状況じゃないだろう、と言われたら、ぐうの音も出ない。
まるちゃんは私のことをすごく心配してくれたけど、私が人生楽しんじゃうのは……なんか違うんじゃないかな、って思って、自主的に謹慎して過ごすようになった。
マンガとか小説とかは読むのをやめて、ドラマじゃなくてバラエティを見るようになって、バラエティでもコントが始まったらやめて、動画とか見るのでも、ASMRとか、できるだけ内容がないのを選んで……。
好奇心とか物語とかには、できるだけ触れないようにした。それが、クラージュに生かしてもらった私ができる、せいいっぱいの、地球を守る方法なんじゃないかな、って思うようになって。
クラージュは、矢車菊とハヌムヤーンがいなくなって、そしてジュノとも話さなくなって、それから……私と出会うまで、どんな風に暮らしてたんだろうなあ、ってときどき想像するのだけが、楽しみになった。
翌年に控えていた大学受験も、なんか……前は、福祉の分野とか、気になるなって思ってたけど……やめてしまった。人とかかわるのがいやになっちゃったせいだった。文学をはじめとした人文科学系なんかもってのほかだったし、宇宙とか化学とかの理学の分野に進んで、最終的に輝神に行き着くんだよな……って思いながら勉強できるとも思えなかったし。
しょうがないから経済学の方面に進んだ。興味はなかったけど、大学出とかないと就職はきびしいし、就職できないと、これからも葉介と幹也のお荷物になる。
葉介と幹也は過保護になった。めちゃくちゃ過保護になった。
まるで、ちょっと目を離したすきに私が自殺しかねないとでも言わんばかりだ。
特に幹也は三年生からむりやり、特進クラスから普通クラスに転科して、『花奈は病弱でストーカーがいるから』って学校にねじこんでむりやり同じクラスにしてもらい、異世界転生無双かよとかからかわれて男子とトラブるくらい過保護になった。
幹也は普通科転生無双して、体育以外の教科で学年一位を取り続けたのでちょっぴり恨まれた。にもかかわらず大学も私と一緒にすると言い張ったので、私もそれなりに勉強を頑張らざるを得なくなり、漫画もテレビも見なくなった暇に飽かせて勉強してたら、なんか不相応にいい大学に入ってしまった。学科だけは違うけど、おひるごはんとか共通科目とかは一緒にとっている。
葉介もノリは一緒だ。葉介は大学は違うけど部屋にいると突然ドカーンってドアを開けてきてくつろぎだす。今までなかったことだ。私はあんまりくつろげない。一緒にゲームやろ、って誘ってもくれる。モンスターを狩るゲームとかだったら、これくらいならいいかな、と思って付き合うけど、今までほどには楽しくない。
――クラージュがいなくても太陽が昇ったり沈んだりするのが、ふしぎだった。
そうじゃなきゃ、困るんだけど……。だって、そういう風にするために、昼に夜がこないように、夜に虹がかからないように、クラージュはああして……。
クラージュがしてくれた通りに、地球は平和で、物理法則の限界を超えることはなく、朝には日が昇って、夕には沈み、夏暑く冬寒く、私の体は重すぎず軽すぎず、健康で、生きている。
私は、これからいったいどんな大人になるのか、見当もつかないまま二十歳になった。
あと2話で終わります。




