25 クラージュの金の腕
時わずかにさかのぼり、葉介が幹也をグラナアーデに残して地球に追い返されてきたばかり、まだグラナアーデに戻されていないころ。
また所も変わって、地球で、『私』……要するに花奈は、病室でシバイヌとふたりだった。
――私にできることは何も残っていなかった。
――お母さんを休ませてあげることさえも。
今度は葉介がインタビュー……というか尋問を受けることになって、私は黙って、あっちでどんなことになっているのか、葉介が話すのを聞いた。
………………。
……クラージュが……。
従者をみんな殺してしまうことにしたらしいと聞いて、正直なところ、やっぱりな、としか思えなかった。
今までずっと、もしかしたらハヌムヤーンと矢車菊と別れて以来ずっと、クラージュはそうしたかったんじゃないかと思えてならなかったからだ。
二十年間、ずっとずっとずっと。
胸がざわめいて、目から涙が出てきて、でも泣き声にするほど感情をあらわにする気にもなれなくて、私は目とほっぺたが長い髪で隠れるように、ベッドの上でうつむいた。
私、あの世界で成し遂げたことなんて、結局なに一つとしてない。
……ということについてはもう落ち込み済みだからあえて考えないようにするけど……。
でも、クラージュにはもっとなにか、してあげられることがあったんじゃないだろうか。
二十年もの間、保護者もなく、幼馴染同士の会話もなく、何人もの鉱の姫君たちが現れてはその世話をして。本当は自分たちのほうが孤独だったのに。
私は幹也の後を追いかけまわすのに付き合ってもらって、湖や猫やうみがめの幽霊やちょうちょを見せてもらって、お茶もごちそうになって……つらかったことはだいたい全部、私が勝手にがんばろうとしたからで、クラージュはだいたい全部、それに振り回されてただけだ。
――『あなたが心配することじゃない』。
――『本当の従者でなくて、そうなれもしなくてごめんなさい』。
――『いつか、ぼくにも少しは誠実なところが残っていたなと思い出してくださいね』。
クラージュの別れ際の声が、耳からはなれない。
従者を殺して回るのが、誠実な行いだなんてとても言えない……けど、じゃあ、私だったらどうしただろう? 世界が好奇心に押しつぶされるのを前にして、だれか頼れる人もなく、本は焼かれて、ほかの人がこういうときどうしたのかを探るすべもなく、宇宙の意思……みたいなものに、立ち向かわなくちゃいけなくなったとしたら。
クラージュはいつだったか、こうも言っていた。
『風を風の思うまま吹かせてはならない。風の吹く道は人が選ぶんです』。
そんなこと出来るわけないって、クラージュ自身、きっとわかってたはずなのに。
それでも一縷の望みにかけて、意味があるかもわからない、恨みを買うだけ、自分の手を汚すだけかもしれないことに手を染めている。
私をグラナアーデから追い出して。
「………………」
さっき食べたばかりのサンドイッチが胃からこみあがってきそうだった。
――幹也は無事、帰ってくるだろうか……。
葉介だけ追い返されて、なぜかグラナアーデに一人、残された幹也。
幹也はきょうだいの中で一番、プレッシャーに弱い。非日常にも弱い。水道管が破裂して三日間特活室で授業を受けなきゃいけなくなったときはその間登校拒否だったし。……ちょっと違うか。クラージュもジュノもいるから、多分……身の安全は保たれてると思う……思いたいけど……。
「……クラージュが、本当に従者をみんな殺してしまって……」
シバイヌは考え込むような表情を見せつつ、言った。
「鉱脈の姫君たちもみんな元の世界に帰してしまい、『あれ』から目の届かないところに隠してしまうつもりだとしたら……」
「したら……?」
私はベッドの上に半分身を起こしながら、つぶやくみたいに相槌を打つ。
「……しおりの数が減るね。身体にしおりをはさまれた君と、心にはさまれたクラージュ。完全なしおりはこれからたった二つになる」
クラージュはともかく、私も?
相槌を打つ元気がなかったので、目をぱちぱちさせる程度のリアクションにとどめたけど、シバイヌはうっすら笑った。
「なぜ、ふしぎそうにする?
元の世界にいる間は鉱石が出ないんだろ。グラナアーデにいるとき以外は祝福の効果がないはずが、君はこうして地球でも苦しめられている。
君だけは大のお気に入り、見失いたくないんだと思うんだけどね。
君とクラージュがいなくなったらどうなるのかな。案外、地球もグラナアーデもみうしなって、二つの世界に平和がおとずれるのかも」
「私の娘に妙なことを言わないで」
お母さんがまた、きっとシバイヌをにらみつける。
尋問がひと段落して以来、話しつかれたみたいにベッドの端っこに座ってた葉介もまた、シバイヌをじっと見つめた。シバイヌも見返す。
「……しおりは減らさせない。クラージュも花奈も、鉱脈の従者は普通の命じゃないって思ってるみたいだけど、俺は……命には変わりないと思うし。たった二、三十の命を奪わなきゃ守れないような不安定な世界だったら、グラナアーデだろうと地球だろうと滅びちゃうのが正解だと思うし」
「滅ぼさせないのが俺の仕事なんだけどな」
シバイヌはうすら笑いを苦笑に変える。葉介はまぜっかえされながらも言い返した。
「……滅びちゃうのが正解だと思うし、これ以上花奈の負担を増やせない。
永久にここに閉じこもって暮らせないだろ、花奈も」
「…………」
シバイヌは薄ら笑う。そういう人生が待っていそうな気がしてきた。
「……君になにができる? 大いなる宇宙の意思に対して、抗う方法はあるのか?」
「――それは、たぶん、これから……」
葉介は視線を落として、自分の手のひらをじっと見つめる。
それは、何かの計らいなのかと思うくらい……。
ここしかないというタイミングで、葉介の体にぐるぐる黒いものが巻き付いた。
ジュノの魔法陣だ。鳥、魚、月、草、四つ足のけものが、幾何学模様に切り分けられた複雑な模様の魔法陣が、葉介の体を取り巻いて、なにか、どこでもないところへ連れて行こうとしている。
ジュノのあれは召喚じゃないよ、輝神の力にジュノが抗うのをやめた状態だよ、と聞いてからは、あの魔方陣は引きずり込むものというよりは多分、シートベルトかエアバッグみたいなものかな、……と、思うようになった。
お母さんはまた、喉をぎゅうっと締めるような小さな悲鳴をあげて、葉介の体をかたく抱いた。
私も連れてって、私も連れてって、小さくつぶやいてるのが聞こえる。でも魔法陣は、葉介の肌の上だけを正確にすべっていく。
「……や。なんか、もう一回、どっかで呼ばれるとは……思ってた。ナルドリンガはちょっとこわいとこあるからな」
葉介は体重をかけてぎゅうぎゅう抱きしめるお母さんに、なかば押し倒されそうになりながら、上を向くみたいな不安定なポーズで……なんだか、普段家でいるとき、お母さんの愛情表現が行き過ぎてるとき、みたいなのどかなポーズで、私を見た。
「……また、帰ってこれるようには、俺も頑張ってみるから。母さんは頼んだ」
それきり葉介は消え去り、お母さんは支えを失って……私のベッドの下半分につっぷし、そのまま嗚咽をこらえるみたいに泣き出した。
親が泣いているというのは、子供にとって、こう……本当につらいことで、でも一緒に泣き出すこともできなくて、慰めることもできなくて……ただただ時間が過ぎるのを待っていると、お母さんはそのうちゆっくり顔をあげた。
それからすぐに私へ向き直り、手をぎゅうと握りしめて目をみつめる。
「――………」
「………………」
なにかを言いあぐねているような沈黙だった。
まるでなにかの患者どうし、不確かな治療法に身を預けるわけにはいかないとわかりながら、気休めのなにかにすがろうとしている、みたいな。
「……花奈ちゃん。花奈ちゃんと葉介くんのお話を聞いて、お母さん、思ったことがあるの」
「うん……」
聞くのが親孝行だと思った。
「お母さん、ずーっとずーっと考えてた。
どうして私が代わってあげられないんだろうって。
どうしてうちの子たちだったんだろうって。
宇宙は広くて、その全宇宙から無作為に選んだはずの、どんなに多くても何百人もはいないはずだったお姫様のうち三人が、どうしてうちの子たちだったんだろうって」
お母さんは私の手をにぎりしめつづける。その左手の薬指にはまった銀色の結婚指輪が、お母さんの指と私の指とに食い込んで赤く跡をつける。
「……花奈ちゃんたちが小さいとき、お父さんがご本の読み聞かせをしてたね。お母さんもときどき聞くの、楽しみだった。
仙女様からいいことをしたご褒美に、口からばらや真珠が飛び出てくるようにしてもらった女の子の童話や、打ち出の小づちが出てくるおとぎ話。触ったものがぜんぶ、黄金になっちゃう王様のお話。
ねえ、これ、鉱の小函に似てると思わない?」
お母さんはどんどん早口になっていく。
まるで時間がほとんど残されていないみたいに。
「お母さん、思ったの。
遠い遠い昔には、いまではおとぎ話でしかないような、地球が神秘で満ち満ちていた時代があったんじゃないかなって。
輝神は地球を一度見つけていたことがあった。花奈ちゃんたちと同じように、人間たちに祝福としおりをあたえて、そして、どこかのタイミングで地球をみうしなったんじゃないかって」
お母さんはあえてその名を呼んだのかもしれない。
私たちがそれを、恐れないように。
「地球の人類は輝神に、少なくとも一度は打ち勝った……地球から神のしおりを全部なくして、目隠しをすることができたんじゃないかな。
輝神は地球の目の裏に焼きついた残像をたよりに、太陽と一緒にヘラクレス座へ向かって猛スピードでらせんを描いてすすむ地球の端っこを、指先にひっかけて、爪の先に引っかかったのが私の子供たちだった。
そして、一度打ち勝ったからには、また輝神から身を隠すこともできるんじゃないかなって」
「………………」
それは、なんていうか……。
希望的観測にすぎるんじゃないかな、って気がした。
そうだったらいいな、とは思う。
気休めでも。お母さんが泣き止むんなら。
でも、なんとなくシバイヌのほうへ視線をやると……シバイヌは意外にも、ちょっと驚いたふうに目を丸くしている。
「……いや、いい話を聞かせてもらったなと思って」
さらにはわずかに口元をゆるませて言った。
「打ち出の小づちね。確かに。
一番有名なのは一寸法師に出てくるやつだけど、打ち出の小づちが登場する説話は日本各地に存在する。おとぎ話だけのものじゃないよ。
あれは実在する遺物だ」
「まさか」
私はかぶりを振った。シバイヌはかぶりを振り返す。
「現物の一つはこのK支部にある。興味があるなら振らせてあげてもいい。
ミダース王の神話、ペローの童話か。いいね。俺も同じことを思ったことはある。
城戸塔子さんがグラナアーデに呼び出されてからわずか二年で、君が呼び出されたと聞いて、疑っていたんだけど……そして今日、君だけじゃなくて葉介君、幹也君も呼び出されていたと聞いて、疑いは強まっている。
歴史上、名前を呼ぶことも許されない神の信仰、ヒステリックな焚書や魔女狩り、それに近いものは世界中で何度も行われているよね。日本でも廃仏毀釈だとかがあった。とつくにの神や文化が邪悪に思えたときがあったのだろうと思う。
あの日君に出会って、君と話して、……今……そう思うようになった」
まさか、今、この段階にあって……この状態でもまだ、なんとか、できることがあるんだろうか。
胸にわずかな希望がきざしたとき、しかし、やはり、なにかがなにかを見計らったかのように、『世界』がわなないた。
空気がなんとなく、重くなり、密室なのにそよ風が吹き、花があったなら散っただろう。
輝神があらわれたとき、そっくりに。
いや、そっくりどころか、あらわれたんだろう。
お母さんとシバイヌは驚いたみたいにきょろきょろしている。
「まさか……これが?」
シバイヌは信じられないふうにかすれた声をあげた。
「君らは……失敗したのか!?」
「責めないでよ! 今日とつぜん地球が反対周りに回ろうって決めたとして、説得できるの、シバイヌは!?」
私は食い気味に言い返した。
――今まで、ジュノの魔法陣なしで……輝神に、本当の意味で召喚された人間がどうなるのか、考えてみたことなんてなかった。
どんなふうにおぞましくあらわれるのか、言葉にするのはよしておこう。
あるいは、いっぺんにおくる人数が多すぎて、些々なるものたちを『それぞれ別の存在として、区別したまま、まじり合わせずに』おくりこむのでせいいっぱいだったのかもしれない。
これが、つけ入る隙になるのかはわからないけど……。
輝神はどうやってこの世界を突き止めたんだろう?
地球上で石が出ないのは、グラナアーデを離れて世界を超えると輝神が鉱脈を見失うからだったはずだし……
いや、これは私っていうアンカーがあるんだったな……
あっでも、爆発的膨張を続ける宇宙の中で、ある特定の小さな星がどこにあるか明確にはわからないはずだった……たとえば内臓のどこが痛いか、きちんとは説明できないように……
あっでもそれも、幹也がグラナアーデから地球への相互の位置関係をもう見つけ出してるんだったな……わざとじゃないにしろ……
……いや、これももしかしたら大宇宙の意思の差し金だったのかもしれないし……
いままで輝神のすることの意味が理解できたためしがあったろうか? いやない。
とにかく、みんな、『あらわれた』。
クラージュやシバイヌが、こうなることだけは避けなくちゃいけないと……私も、こうなったら打つ手がないと……思っていた通りになる。
みんなやってきた。みんなぼろぼろだ。
肉体的に傷がないのは幹也と葉介くらいだろうか。でもその二人だって、疲れ果てて目に光がない。半死半生という感じなのはおなかに傷を負ったジュノと大やけどを負ったナルドリンガ。塔子さんは痣だらけでふるえながら泣いている。フラウリンドの姿はない。殺されてしまったんだろうか。代わりってわけじゃないだろうけど、ソワレがいる。どうして。地球人ですらないソワレがなぜ。ラグルリンガもぐったりとして目や鼻、口からどろどろした黄色くにごった液体をたらたら流している。明らかに虫の息だ。
全身血みどろで、服も着ていないシダンワンダは、糸が切れたみたいに倒れたまま動かなかった。息をしているのかもわからない。幹也は一応、そのそばに座っていた。もう2メートルルールとかの話はするつもりがないみたいだった。
葉介はナルドリンガが体中真っ赤になって、倒れ伏している前に膝をついて、せめてって感じで襟元をくつろげてやっている。
葉介自身も私の目の前からいなくなってほんの十分もまだ経っていないのにどうしてこんなにめちゃくちゃになれるんだろうと思うようなありさまだった。ちょっと横を向いてなにか赤いものを吐き捨てる。床でかつんと音がした。
血みどろの抜けた歯とかだったらやだな、と思いながらよく見て……心臓が止まりそうになった。
「葉介!! ルビー!!!」
何が起こったのかさっぱりわからない。でも、鉱の小函がなかったころ、クラージュのお母さんの矢車菊が、どんな風に病んでいったかは知っている。直接からだから出るようになったアルミニウムで、矢車菊はのどを切開するかしないかというところまで追い詰められたと聞いている。
でも葉介は、汗を拭くふりみたいなしぐさで、目元を腕で拭いた。ついてるのは水だった。
「いや、これは口の中に残ってただけ。それより早く水!体を冷やしてやってくれ。ジュノは止血がいる」
水って言われたって、ここには緑茶しかない。宇宙船か潜水艦みたいな、容易には開かない二重扉でふさがれた密室だ。
そして、クラージュも。
クラージュもぼろぼろだった。どんな大けがしてる人よりぼろぼろだった。
いつものじゃらじゃら飾りのついた布の多い服は血だらけで、左腕の部分が食い破られて、明らかに……明らかに、左腕が……ない。
どうしちゃったんだろう。
心臓がぎゅうとなって、気絶しそうだった。
左腕はいま、ほんとうの腕のかわりに、 クラージュが『魔法』を使うときに散る金色の粉が、肩から先を埋めて、左腕の形を作ってはいるけど、明らかにもやもやして、傷口を埋める程度の役割しか果たしてないのがわかる。
アクセサリーは半分以上が灰色に錆びて、もう『魔法』には使えない。腕輪や指輪、コインチェーンは金の粉をふわふわ散らしながら錆びていき、金の粉はクラージュのあまりに頼りない金色の義手になる。
腕を維持するのに、それがいるんだ。
この金の粉が終わったら、クラージュは死んじゃうんだ。
説明されなくってもそれが分かった。
別にふしぎなことじゃない。クラージュのことだから。
クラージュはほんとに……ほんとに、疲れ果てたみたいな、二度と会えないはずの、幽霊にでも会ったような表情で私をぼんやり見た。
「……すみません。しくじりました」
言葉が通じるのがふしぎだな、って頭の中のまだのんきな部分がふと思った。ふしぎでもなんでもない。翻訳装置はまだ動作している。
クラージュは一体何を言うのかと思ったら、なんでか謝ってくる。
こんな大けがをしている人を、いったい誰が責めるだろう?
でも。
私がはだしのままリノリウムばりの床をぺたぺた駆け寄っていったとき、シバイヌがどこからともなく武器を取り出して、撃った。
……見たこともない武器だったけど、手に握りしめて、銃口らしきものから煙をあげ、向けた先で床に倒れてたシダンワンダが、一度痙攣して、胸から血を流しだしたら、それってつまり武器なんだろう。
「シバイヌ!!!」
幹也が悲鳴をあげたけど、シバイヌの銃口は、今度はクラージュに向かう。
「クラージュ!!」
クラージュの名前を呼んだのは私だ。シバイヌの銃口はぴたりと据えられ動かない。
シバイヌは冷たく言った。
「終わらせろ」
「………………」
クラージュはシバイヌの目をじっと見ていて、やがてふっと笑った。
「そうします」
私は、起こったことに圧倒されて、銃声以降身動きもとれない。
多分……。終わらせろ、というのは、物語のこと……だと、思う。
シバイヌはクラージュと同じ考えなんだ。
ここではクラージュのことを、治してもらえないのがよく分かった。
シバイヌが殺そうとしてるのは、シダンワンダやナルドリンガみたいな、本物の従者だけじゃない。
クラージュのことも、そしてもしかしなくても、私のこともまとめて始末して、地球から輝神のしおりをなくそうとしているんだ。
鉱脈の従者をすべて殺し、しおりを地球から消し去る。
そうやってシバイヌは、こうなってしまった地球を守れないか、試してみるつもりなんだ。
私は二人の間に立ちはだかって、壁になった。
「シバイヌ、私、ここを出ていきたい。いいでしょ?」
シバイヌは多分……私のことももろともに殺すつもりだ。
だからこうやったのは、お母さんを傷つけるだけの結果になった。
「花奈ちゃん! 危ないことしないで! こっちに来なさい!!」
血なまぐさい人たちばかりがたくさん現れて、腰が抜けてしまったらしいお母さんが、それでもへたりこんだまま声をはりあげる。お母さんも、もうだめだって分かってるはずなのに。
私は、履いてきたただのスニーカーを靴箱から出して、履いた。
「葉介、幹也、お母さんのことたのむね。お父さんに言っといてね」
これから元気でね、って言うのは……私だったら耐えきれないから、やめた。
「花奈、いやだって、お前……」
私が葉介と幹也へにこっとしてみせると、葉介は絶句した。十年以上ぶりに、手かなにか握ってみようかな、って思ったけど……やめた。幹也は立ち上がる力さえないのが分かる。
幹也には分かったのかもしれない。
私が二人にしてあげられることが、もう、無いのが。二人の物語と私の物語とは隔絶し、いまやまじわることの決して無いのが。
シバイヌは私を……いや、私の背後のクラージュをにらんだまま、銃口を下げることもしない。
それを了承と受け取って、私はクラージュに向き直る。
「行こう、クラージュ。もう私たち、行きたいところへ行けるんだよ。どこに行きたい?」
「……いいんですか?」
私は笑った。だめなわけがない。
私、クラージュとここで死んであげるために鉱脈になったのかもしれない。そうとさえ思う。
クラージュの残された右手を私の左手とつなぐと、クラージュははにかんだみたいな笑みをこぼした。初めて見る笑顔だった。
クラージュも、私が葉介、幹也や、お母さんを見たのと同じように、ジュノを見た。ジュノは……ジュノの表情は、体の半分を覆うタトゥーのせいで、読み取りにくい。けれど見える片方は不安げで、なにかをクラージュに語り掛けている。私には分からない。でもクラージュは分かったみたいで、何も言わない。
「――ジュノの手当てをお願いします。いいですか……この状況をなんとかできるとしたら、それは、ほかならぬ魔術のなせるわざであるでしょう」
クラージュの言ってる意味はよく分からない。よく考えない方がいいんだと思う。私は手をつないだまま聞いた。
「クラージュ、どこ行きたい?」
クラージュは幸せそうだった。あなたとならどこへでも、と眼差しが言っている。でも、クラージュは幼げな笑顔のまま言った。
「……実は、子どもっぽくて恥ずかしいんですが……。昔から、興味のあったところがあって……」
「行こう」
私は言った。
私がまだ、最後にクラージュに差し出せるものがあって嬉しい。
私たちは施設を出て行った。




