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17 星は満ち足りゆく1

 今夜は、会いに行かなくちゃいけない人がふたりいる。


 まずは重たい足を引きずって、竜舎まで。

 ゆっくり歩いたけどやっぱり少し胸がどきどきする。


 葉介は十体ものマネキンみたいな自動人形と、ナルドリンガに囲まれながら、両手で力強く、竜のうろこへブラシをかけていた。


 そういえばこのお城から、鉱脈以外の生きた人間がジュノとクラージュ以外いなくなったのは、20年前の、あの矢車菊とハヌムヤーンと従者たちのできごとがあって以来、ってことだった。

 要するにクラージュの先代……先代って言っていいのかわかんないけど、九十八番目の軽銀鉱脈の従者ことエギナリンガが、人間を殺しまくって以来、という意味だ。

 フラウリンドの先代の九十八番目の真珠鉱脈の従者も、そのとき死んでるってことで、このお城はとんでもない事故物件ということになるだろうか。

 

 シダンワンダとラグルリンガ、フラウリンドとナルドリンガの性格的な違いを見いだせてない今、要するにそのエギナリンガとナルドリンガとも多分大きな違いがないんじゃないか、気に入らないことがあったらピクニック感覚で連続殺人に踏み切るんじゃないかと、そんな気がして、一度はほったらかすことにしたシダンワンダのことすら怖くなる。

 いやでも寝た子を起こすのもどうかなという気も大いにするし……。

 背筋が凍る感じをうっすら覚えつつ、私は二人に歩み寄っていく。



 あの墜落事件以来、葉介は一度も竜にまたがっていないらしい。

 自動人形の付属のカメラ的なもので、こっそり監視もしてるらしいので確かだし、そうでなくても葉介は約束を破る男じゃないのでその点は安心している。

 一本筋が通り過ぎて、やりにくいことがあるのも確かだけど……。最近それにしてやられることのほうが多いのも確かだけど……。


「葉介、ちょっといい?」

 思えば、グラナアーデで葉介に声をかけるのは、ナルドリンガはヤバいヤバくない論争で言い争って以来だ。もうほとぼりは冷めたと思いたい。


 若干腰がひけながらも近づいていくと、葉介はちょっと待って、と目で合図して、ナルドリンガに目配せする。

 いったい何の合図だろうと思ってたら、ナルドリンガはにこやかな表情をこちらへうかべる。

「花奈ちゃん。クラージュさん。こんばんは」

 寄っていく足がびたっと止まる。

 驚いた。絶対ガン無視だろうと思ってたから……。しかも、名前まで。ちゃんづけで。ちゃんっていう言葉の意味が一瞬分からなかったくらい驚いた。


「大丈夫だから」

 葉介も気づいたみたいで、で、私がびっくりしてるのにも気づいたみたいで、第一声をはりあげる。

「こんばんは、ナルドリンガ」

 先に気を取り直して返事ができたのはクラージュのほうだった。さすが、キャリアが違う。

 一応召喚された直後、シダンワンダと並んで出迎えに立ってたから、今日初めて顔を見ましたってわけじゃないんだけど……。

 戸惑いつつ私もこんばんはを言うと、ナルドリンガは続けた。

「花奈ちゃん、この前は押してごめんなさい」


 えっ。


 私は絶句したうえ、まじまじナルドリンガの表情を確かめる。

 ナルドリンガは、言い終わるとまた、葉介へ向き直ってうっとりしはじめる。葉介は眉間にしわをよせた。


「ナルドリンガ。今まで謝ってなかったの?」

「……はい」

 ナルドリンガはめちゃくちゃ悲しそうにした。そりゃ当然だ。謝るわけないじゃないか。ナルドリンガが。

 でも葉介は、深呼吸にまぎらわせてためいきをつく。

「……ナルドリンガ。花奈はいいよ許すよって言ったか? 謝って終わりじゃない。遅くなったこともふくめて許してもらえ」

「はい、葉介」

 ナルドリンガは返事をして、私へまた向き直る。

「遅くなってごめんなさい、花奈ちゃん」

 そしてナルドリンガの視線は葉介へ。

「もう押さないって花奈に約束しろ」

 ナルドリンガの視線が戻ってきて、

「もう押しません」

「……めっ……」

 めんどくさい……!!

 口から飛びでそうになった言葉をすんでで飲み込む。

 これ言ったらたぶん葉介は怒るだろう……たぶん……。

 もう押さないって約束したよ、と、またナルドリンガの視線は葉介へいく。

「花奈は許してくれそうか?」

 また、ナルドリンガの視線が私へ。

「どうでしょうか?」

「いや……」

 ナルドリンガがやってることじゃなかったら、むしろ挑発されてるのかと思うやつだ。

 でも、葉介は根気強かった。

「許してもらえないのは、失礼な態度をとっているからだ。悪いなって思ってるってことを態度で示してみろ」

「はい」

 いや、もういい。もうたくさん……そう言う暇もない。ナルドリンガは地面に手をつき、私のつま先に顔を近づけていく。

「ちょっちょっちょっちょっとぉおおお」


 最近体がマジで重たくて、とっさの回避とかが全然できない。ていうかそもそも顔を蹴っ飛ばしそうで怖かった。クラージュが割って入ってくれつつ、ほとんど同時に葉介がまた言った。

「靴をなめたりとかはなし。俺にも花奈にも幹也にも誰にもなし。俺に対してしないことは他人にもするな」

「はい」


 ナルドリンガはおとなしく引き下がっていく。立ち上がって、悲しそうな顔で私の顔を見つめる。

「どうか、許してください。葉介にしないこと以外はなんでもしますから」

「もういいよ」

 正直さっきから、こう言わせてもらうタイミングをはかってたところある。


 ナルドリンガはぱっと表情を輝かせて、葉介へ向き直る。

「それは礼儀を欠いた態度だ」

 しゅんとして私へ一礼し、しゅんとしたまま葉介のそばに立つ。

「めっ……!!」

 めんどくさい……!!!!

 あまりのことに耐えかねて、私は眉間にしわを作りつつちょっと笑うというややこしい表情を作った。

「葉介なにやってんの?」

「見てわかんない?」

 葉介はしぶい顔だ。

 ……わかるけども……。わかるからこういうややこしい顔になっちゃったんだけども……。

 葉介がナルドリンガに人間らしい態度を教えてあげている。それも、かなり根気強い態度で。

「……効果あると思う?」

「出るまでやるよ」

 おそるおそる聞くと、ぶっきらぼうに葉介は答える。


 スポーツマンだから壁打ちみたいなのも得意なんだろか……。葉介は剣道だけど……。

 いつから始めてるかは知らないけど、葉介はいつまででもやる、って感じだった。

 ……葉介のこういうところは素直に尊敬できるなって思う。私たち三人の中では気が強くて目立つタイプだから、友達うちではあんまりそう思われないけど、きょうだいの一番の努力家も葉介だ。いやしかし、それにしたってヤバい。すごい。


 なかば信じられないものを見るような目で上から下まで見つめる私をにらみ返して、葉介はたずねる。

「それより花奈は何しにきたの?」

「いや……暇だったからあそびに……っていうか、様子を見に来ただけ。最近どうかなって」

 組織の件とか親バレの件とか感づいてないかなって。

 でもこの様子だと、葉介はいい意味で疲れている。部活も忙しそうだし、勉強もあるし、日本で起こってることまで気にかけてる余裕はなさそうだ。


 様子はわかったから、怪しまれない程度に適当にだべったら次へ行こうと決めてたけど、葉介はじっと私を見つめる。見透かそうとするような目だ。

「最近どうかなって、花奈こそどうなの?」

「どうって、別に」

「顔色よくない」

「…………」


 やめろぉ、その話を深堀りするなぁ、と思ったけど、葉介はこういう念力が通じるタイプじゃない。

「チークは安いのに変えたかな。最近漫画買ってるからおこづかいやばくて。葉介も読みそうなやつだけど、半分出さない?」

「しばらく食う量が減ったから、ダイエットのしすぎかと思ってたけど逆に最近はめちゃくちゃ食うし、それでも顔色悪いままだし」

 話をそらそうとしたけど、全然きかない。

「最近私と夜しか会ってない葉介が悪いんだよ」

「あー。いや朝練もだけど昼練が……」

 ちょっとなじってようやく話がそれた。

 あぶなかった。適当にしゃべった後、じゃあ、と別れる。



 今度は塔子さんたちのところへ。

 これは私の都合じゃなくて、呼び出されて行くやつ。クラージュはもう塔子さんからの連絡を握りつぶさないでいてくれる。いや、ほんとは当たり前のことなんだけど。


「――花奈さん」

 きらきら輝くお城の廊下を歩きながら、クラージュからも何か聞きだされそうな気がしたから、先手を打つ。

「クラージュは葉介のあれ、効果あると思う?」

 話をそらしたいだけじゃない。わりと興味ある話題だ。クラージュがどう思ってるかは。


 私は、幹也とシダンワンダで同じことをしようとして失敗したけど、でも葉介は違う。

 シダンワンダにとってまったくの他人な私が彼女をどうにかしようとするのと、葉介がナルドリンガを諭してあげるのとでは、根本的に。


 クラージュはちょっと悩むようなそぶりを見せた。

「……いつだったか、矢車菊の話をしましたね。

 九十八番目の(エギナ)軽銀鉱脈の従者(リンガ)は、当時のぼくたちと同じくらいの年の少女の姿をしていて、矢車菊はエギナリンガに彼女だけの名をあたえ、誠意をもって倫理や道徳について教育しました。

 ……だれが見ていなくても、天が見ているのだから人には親切にしましょうとか」

「……クラージュにも……?」

「ぼくにも」

「効き目は……」

「花奈さんは信じないと思いますけど、ぼくに対してはこれでもちょっとはあったと思いますよ」

 クラージュはしれっとしている。子供時代のクラージュがどうだったかはさておき、大人の女性の懇切丁寧な教育をもってしても、二十年まえの事件につながるわけだから、葉介がちょっとやった程度ではなかなかむずかしいだろう。



 ――私もそう思う。

 葉介のがんばりはたぶん、徒労に終わるだろうと。


 だって、私が突き飛ばされたのはずいぶん前だ。今日の様子を見ていると、葉介がこういうことをやりだしたのもずいぶん前みたいなのに。

 なのに今日顔をあわせた瞬間どころか、今までずっと謝ってこなかったわけで……。

 葉介が竜舎にとんでっちゃうからだろうな……。葉介は『花奈に会ったら謝っとけよ』くらいしか言ってなくて……。

 ナルドリンガは葉介と離れてまで、私ごときに時間をさいて謝る必要性は感じてなかったんだろう。無価値なこととして。葉介が見てるわけでもないし。

 今のも明らかに葉介を満足させるためだけにやってることで、ほんとに申し訳ないと思ってるわけじゃない。同じ状況になったらまたナルドリンガは同じことをするだろう。いや、手じゃなくて足で蹴り飛ばして、禁止されたことはしてません程度の言い訳までするかも。


 でも、それとはまた別の話として……これは、私の気持ちだけのことだけど……。

 ちょっとうれしかった。

 シダンワンダと幹也とでやってもらおうと私が胸で思ってて、でもできなくて、いつの間にかあきらめてたことを、葉介は自分ひとりで粛々とこなしていたってことが。

 私が一度やろうとして、でも根本的に間違ってた、って結論せざるを得なかったことを。

 

 私も、塔子さんとフラウリンドを見るまでは……そして、エギナリンガと矢車菊、フラウリンドとハヌムヤーンのことを聞くまでは、そうしたかった。

 そのことでクラージュとケンカしたことさえある。


 そういう気持ちを読み取ってくれたんだろうか。ただ、とクラージュは前置きして、さっきとは反対の意味のことを言った。

「従者は、鉱脈の要求に対応して、相応の態度を演じるようになります。

 ラグルリンガほど極端でなくても、フラウリンドなんか見ていて感じませんか?」

 フラウリンドは腹黒溺愛俺様系だ。たとえば私とは、はちゃめちゃに相性が悪いけど、おとなしい塔子さんとはでこぼこがうまくかみ合っている感じがする。

 彼女が被虐待児だったことを念頭においても、塔子さんのアレも一種プレイだったってことかもしれない。

「どういうふうに転ぶかはわかりません。葉介さんが世話を焼くのを楽しむタイプならそのようにナルドリンガは成長するでしょうし、葉介さんが求めているのが良きパートナーであるなら、ナルドリンガはそうあろうとするはずです」

「………………」

 無駄だろうけど、もしかしたら、奇跡がおきたりしたら……。



 ていうか、根本的に……。

 鉱脈の従者が攻撃性を発揮するのは、かならず主本人にじゃなく、そのそばにいる他人だ。鉱の姫の従者は、自分の主人とふたりだけでいるときは、なんとかして主人に気に入られようとして、意に沿わないことはしない。……あまり。


 ようするに、ナルドリンガって、言って分かりそうにないなとは思うけど、危険なのって、ほかの人とナルドリンガが一緒にいるときだけだから……。

 私と幹也は別にもう、竜舎に用はないし……。やる意味はないと思うけど、だからといって、やらない意味もないっていうか……。



 いつか、ナルドリンガやシダンワンダを含めて、兄弟いっしょに……クラージュもジュノもいっしょにして、おしゃべりしたりゲームやったり、翼でパタパタ飛んでたかわいい猫をまた一緒に見に行ったり、竜の鱗の磨き方を教えてもらったり、図書館で調べものの手伝いをしたり、出来たらいいなって気がした。

 そんなこと、できる日なんて来ないんだろうなって気のほうがずっとするけど、でも、夢見るくらいは……。そのくらいは……。



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