16 ぼくがいなくても、花奈さんが困らないように
言わなくちゃいけないことがいっぱいあった。
といっても、まだ話すには心の準備が必要なことも、いっぱいあった。
じりじりしながら待ったその晩の召喚、葉介はいつも通り竜舎に、幹也は図書室へとんでいってしまった。ジュノも会釈がわりに軽くうなずいて出ていく。
置き去りにされるのも慣れたものだ。
クラージュがにこっとして、こんばんは花奈さん、あれ今日は荷物があるんですね、とか、今日はあまりカロリーを気にしなくていいお菓子を選んであるからまずはお茶にしませんか、とかしゃべりはじめるのを制して、まずは女装の変態が接触してきたことから話し出す。
クラージュはうんうん、と頭の動きだけであいづちを打ちつつ、お茶っ葉の入った缶を両手に一つずつとって、私にしめして見せる。
こだわらないからなんでも良いっていつも言ってるのにくじけない人だ。缶がかわいかった方を、私も「なんか要求と確認があるらしくて」としゃべりながら指さす。
まずは衛生面から。
消毒せよとか着替えろとかいろいろ指図を受けている件だ。
お茶をいれてるクラージュは、まるで、非文明の民族がライターの使い方をいっしょうけんめい説明して聞かせてくるのを聞いている文明人、みたいな慈愛に満ちた表情でうなずいている。
「よくわかりました。ジュノをつかまえておけばよかったですね。
この点についてはご心配なく。説明は面倒なのでしませんが、心配ないようになっています」
私が架空のライターを投げつけるふりをしてやるとクラージュは声をあげて笑い、投げつけられたものをよけるそぶりをしながら、よくわかんないですけど、と話し出した。
「ここはさまざまな世界の人々や生き物を受け入れてきた城ですから、召喚送還そのものの行為でひとつの世界が破滅しないように、きちんと注意がはらわれていますよ。
…要するにそれぞれに未知の細菌が世界間で行き来しないかを心配しているんですよね、その……変装していた使いの方は」
クラージュはやわらかい言い方をした。
電磁気力を掌握しているらしきクラージュは人間湯沸かし器としての才能もあるのでお湯はすぐ沸かせるのだけど、おちゃっぱを蒸らす時間はしっかり取りたいタイプらしく、ティーポットとカップふたつ、クラッシュフルーツゼリー風のキラキラしたグラスをふたつ、ひょいひょいとテーブルに並べて、しばし待つ時間ができた。
「ええと……まず、出入りするものに関してですけど……。
あなたがたがこちらに来たり帰ったりするのを、召喚とひとくくりにしているけれど、厳密にいえば、ジュノが使うのは送還術です。
ここに本来いるはずのないいきものを、あるべきところに返す力。
召喚は要するに、こちらの世界に鉱脈を引き込もうとする力に対し、ジュノが抗うのをやめた状態ですね」
毎度のことながら主語は隠されているけど、当然わかる。輝神のことだ。
「召喚の力は、鉱脈とそれ以外をきちんと区別していないんです。
だからたとえば、手に持ったものや身に着けた衣服、さらには、そちらのご専門の方が心配している、体内の常在菌、胸に抱いた猫や竜の卵なんかも、まとめてグラナアーデに引きずりこみます。さすがに質量が同じぐらい以上になると危ないようですが、ある程度のものは持ち込めます」
「逆に送還術は、故郷をうしない悲しむものを送り返すためだけに、人間の作った術ですから、あまり融通がききません。
要するにここでのしがらみを捨てさせ、元の世界に異世界人を送り返すためだけの術ですので、グラナアーデの生き物は一切ついていくことができないんです。
ここに本来いるべきはずのもの……要するに、その、女装の使いの方が持ち込まないでくれと言っている物は、時空の穴を通過する際に、中ですべてこしとられてしまいます。
生きていない持ち物に関しては問題ないですね。こちらも、質量が同じぐらいになると危ないようですが。
試しに今日は草の種かなにかをにぎりしめて帰ってみてください。地球についたときにはいつの間にかなくなっているはずです」
私はしばらく考えて、言う。
「たとえば、グラナアーデで私がヨーグルトを食べたとして、そのときのビフィズス菌は……」
「こちらの世界の分の菌はこしとられ、時空の穴の途中で消えます」
「日本でヨーグルトを食べて、こっちに来て、またヨーグルトを食べて、また日本に帰って、で、実はおなかの中でヨーグルト菌が結婚していたとすると?」
「ええ? そこまで厳密にチェックしたことはないですけど……。
まず日本の菌は無事こちらにやってきて、こちらの世界の分の菌はハーフの菌もふくめて時空の穴にこしとられて、日本出身の菌だけ日本に帰っていくんじゃないでしょうか」
しらんけど。みたいな口ぶりだった。
「じゃあウイルスは? ウイルスって厳密にいうと生物じゃないっていうけど……」
「生命の定義の話です? 地球ではそうかもしれないですけど、定義って人間がつけてるものですし、召喚の力的にはウイルスも生物扱いみたいですよ」
「おなかの中で死んだこちらの世界の分のビフィズス菌は?」
「だからそこまでチェックはしてませんけど、たぶん物質扱いになって戻っていくんじゃないですか」
「おなかの中で半死半生のビフィズス菌は……」
「半死半生ってつまり生きてる状態なわけですからね。生死って二元論で語られるべきものだとぼくは思いますよ」
「脳死状態のビフィズス菌」
「……紅茶が出すぎちゃったじゃないですか」
ふとクラージュが我に返ったみたいにポットのふたをあけて中の紅茶を確かめる。
「花奈さん、炭酸大丈夫ですか?」
「微炭酸なら……いや、大事なことだって。
だってグラナアーデの細菌が地球を蹂躙することはまあなさそうとしてもさ、逆はありうるって話じゃない? それって。地球のインフルエンザとかソワレの世界の魔法キノコ病がここで蔓延したりさ」
たとえば私が気付かない地球固有の伝染病になにかかかっていて、クラージュたちに移したとしたら悔やみきれないし、出すぎちゃった紅茶はティーパンチになった。
「……じゃなくて、クラージュ! ほんとに!! 今までなんで言わなかったの!?」
クラージュはカップをグラスに取り換え、それぞれ注いだティーパンチへシロップの瓶を、これはノンカロリーのだから大丈夫ですからね、と言いながら傾ける。
「大丈夫だから言わなかったんですよ。
この城は鉱の姫君たちを迎えるためだけにある城です。城内およびその周辺はあらゆる手段をもって清浄を保たれ、また病は、発見、治療されています。この百年で鉱の姫君たちを襲った死病は、鉱脈病ひとつのみ。それも、二十年前の発明で根絶されています。
ぼくのほうも『そんなことより』の話はありますよ、花奈さん。
……一人でいるときにそんな風に現れられて、こわい思いはしませんでしたか?」
「え? あ、ああ……どんな風にしててもそのうち隙をついてくるだろうなとは思ってたから……びっくりはしたけど」
マジでびっくりはしたけど。
「ほんとうに?」
クラージュは私をじっと見つめる。
「ほんとに……」
マジで引きはしたけど。
クラージュはまだやっぱり私を探るような視線で見つめたままで、数瞬おいてぽつりとつぶやく。
「盗聴の件は……?」
私は手をぽんと打つ。
「あっそれ!! それそれ! 思い出した!!」
「やっぱりなにかあったんじゃないですか」
クラージュは目をすがめる。私はかぶりを振った。
「いや、なかった! おかしくない!? お母さんとしゃべった内容全部わかられてると思ったけど全然そんなことなかったよ!!」
ああ、とクラージュはうなずいた。
「あなたのお母さんに話してみてはと提案した時点で、そうしても問題ないように対策しています」
「はあ?」
私は座ったままちょっと体をクラージュから遠ざけた。こわい思いは今しているアピールだ。
「塔子さんを調べていたとき、そばの喫茶店に初日からさっそく怪しい人が立っていたと言っていたでしょう。……あのときにもう手だては打ちました」
「ええ!? いつ!?」
「ええ? あのときにですって」
クラージュは微笑んだ。
はぐらかそうとしているのか、むしろあえて問い詰められて傷の浅いうちになにげない感じでばらしておこうとしているのか、それとも両方か、みたいな、隙のあるほほえみだ。
わかってるんだぞこっちは、みたいにちょっと目つきを鋭くすると、案の定クラージュはすぐ自白った。
「……幹也さんにお願いしてあります。お渡ししてる翻訳用の装置に、えーと……アプリ相当のものをダウンロードして、お家の電子機器をすべて確認できるようにして、登録外のものが電波を発信したら、すみやかに幹也さんの判断のもと、無力化できるように……」
私は大声を出すために息を吸った。が、とっさになんてどなったらいいかわからなくて、吸ったまましばらく息をとめる。
幹也が。装置が。勝手に。内緒にしとこうって思ってたのに。内緒にしてたのは、幹也と、クラージュのほうで……。
その間にクラージュは肩をすくめていた。
「……地球ではこっちの装置は使えませんって言ってたじゃん!!!」
「すみません、あれはうそです」
「うそつき!!!」
「すみません。いうこと聞いてくれるポイントもう一つ使っておいてください」
「それ私同意してないから!!」
私はクラージュの胸のメダル……翻訳装置もとい治療器もとい通信装置を指さした。
「そんなことできるとも聞いてないし!」
「スマホだっていろいろ関係ない機能がついてるじゃないですか……」
たしかに。
「裏でこそこそ、つながってたの!!?」
「つながってました。すみません」
そんな軽い謝罪でなんとかごまかせるとでも思っているんだろうか。
「……ちょっと。幹也を呼んで。呼びなさい」
「ああ……どうだろう。つながるかな……」
いかにもつながってほしくなさそうな口ぶりだった。
まあつながらなければ直接図書室に乗り込むだけ、とはわかっているみたいで、クラージュは胸からさげていたメダルをなんかごちゃごちゃと操作して、そっとそれを私へかざす。
私はテーブルごしに身を乗り出して、クラージュの胸元に顔をつっこむみたいにしていう。
「幹也? 幹也? 幹也!!」
『おれだけじゃなくて母さんも知ってるから』
「……マジで」
不審者の件、幹也に言おうか、ってお母さんが言ってたとき、お母さんがどんな顔をしてたか思い出せない。
絶句していると、幹也から追い打ちがある。
『さんざん俺抜きでどうこうしようとしてたわけだから花奈も同罪でしょ』
問い詰められたらどうこたえるか、最初からシミュレーションしていたんだろう。
ここ突かれると私も痛いので、かわりにクラージュを問い詰めようと、顔をあげて……
クラージュは私へ、迫真の悲しそうな顔を作ってみせていた。
「怒らないで、花奈さん」
「………」
あまりに息がぴったりだったから、私はますます目をすがめて、とりあえず目の前のクラージュをにらみつける。
「仲いいんだね、ふたりとも?」
『いや全然』
メダルの向こうの幹也は食い気味に否定した。一方のクラージュはすまし顔だ。
「花奈さんがぼくや幹也さん抜きで相談したいことがあるように、ぼくらにもそういうことがたまにあるんですよね」
まさか……。
「まさかシダンワンダ関連での私のふるまいを、二人ともめちゃくちゃ根に持っている……?」
『もういい? 切るよ。東京タワーが見つかりそうだから。見つけたら見せてあげる』
幹也は忙しいみたいだった。それきり応答がなくなる。クラージュはそっとメダルを自分の胸へ置きなおした。私ももう一度、クラージュの向かいの椅子へ、腰を落ち着けなおす。
「……怒りましたか?」
「怒った」
「怒らないで」
「いやもう怒った」
「許してください」
クラージュは私のフルーツゼリーの上にシロップをかけはじめた。
怒った、怒らないで、のやりとりのたびに追加されるので、シロップはグラスのふちまで届きかけるつゆだくの状態で、ゼリーがぷかぷか浮く。
私がそのゼリーをじっと見ていると、もういっかい、クラージュから困ったみたいな声の、怒らないで、が聞こえてきた。
――多分これは……怒ったとかじゃなくて、やきもちなんだろうな。幹也とクラージュが私抜きで仲良くやってたことへの。
だから私も、本気で怒ったわけじゃなくて、で、クラージュも別に本気で怒ってるとは思ってないみたいで、でも前科があるから不安で、なんか甘い声を出してごまかそうとしている……んだろう。
なにか、怒ったふりをやめるためのきっかけがほしいな、と思い出したころ、ふと、クラージュがつぶやいた。
「……準備をしたいんです。……ぼくがいなくても、花奈さんが困らないように」
胸がぎゅっとなった。
「ぼくひとりで、あなたを守ることができればよかったんですけど。
でも、それはむりだなと、思い知っていたので。……というかぼくごときが制御できる女性ではないなと、わかっていたので、頼りました」
「………………」
クラージュはシダンワンダ関連のことに加えて、塔子さん関連のことでもなにか私に対して、根に持っていることがあるようだ。
「心配なんです。こんなこと初めてです。あなたといると、ぼくができることなんて本当にちっぽけなことばかりなんだと思い知らされます。
ぼくも不安だったんですよ。あなたのお母さんに事情を話すべきだと提案したときも、次会ったときから急によそよそしくなってもう二度と来れないと言い渡されるんじゃないかって」
「……強制召喚だから拒否権はありませんってクラージュが言ってたんじゃん、前に」
ずいぶん前のことだ。もうそんなこと、信じてないけど。
「そういえばそうでしたね」
クラージュは笑った。
わりとふだん通りの笑顔だったけど、クラージュの感情が高ぶっているとき、彼の目はきらきら光るのだと最近気づいた。
「……葉介は知ってるの……ちなみに……?」
「いえ。葉介さんはほうっておいたほうがいいと、幹也さんからも意見があったので」
ならいい……いやよくない……。
ちょっと気まずいけど、あとで葉介の様子を見に行かなくちゃ。
いや……これもきょうだい離れしてないことになるかもしれない……?
いやいやいやさすがにこういうパターンのときは様子くらいはうかがっておかないと後で修羅場になるかもしれない……いわば敵情視察というか……。
葛藤する私とは逆に、何もかも洗いざらい話したあとみたいなクラージュは、今度は私のほうへ探るような視線をおくる。
「いつだったか、ぼくからあなたへ、全部話すと約束しましたね。
これでもう、ぼくが内緒にしていることはありません。
九十八番目の軽銀鉱脈のことも、母のことも、幹也さんとの通信のこともすべてお話しました。
花奈さんはどうでしょう? ぼくになにか、隠し事はありませんか?」
ぎくっとした。けど言う。
「ない……クラージュじゃあるまいし」
「それを言われるとつらいですね」
クラージュが笑ったから、このごまかしは通用したのだ、と判断することにして、私はシロップでたぷたぷのゼリーのグラスのふちに口をつける。
――きょうだい離れしなくっちゃって、思い続けてきたけど、それはクラージュからも、ってことに今更きづいたみたいだ。今の言葉で。
クラージュがいなくても、私が困らないように、クラージュは準備している。
クラージュは、悪党でも、もうちゃんと改心して、私がかわりにつぐなうだとか、恩を着せられなくちゃいけないようなことなんて、たぶんもう、なにひとつない。
私がいなくちゃどうしようもないことなんて、幹也にも葉介にも、クラージュにも存在しないんだって、ちゃんと心で理解しないといけない。
なんとなくそれを悟った瞬間、今日の夕方あったことを思い出す。
――既に。
常に。
いつでも。




