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13 ぼくは善人になりたい

 案内されたのはだれかの私室だった。お城からびっくり箱みたいに飛び出してる塔のうち、二つ先の塔だ。

 入口までは私たちにあてがわれている部屋とまったく一緒だったけど、内装がまったく違っている。


 まず暗い。わざわざ分厚い暗幕を広げてまで、このお城のすてきなステンドグラスをすべて覆っている。そして、めちゃくちゃ散らかっている。おかれている調度品は全部贅をこらしたものばかりだったけど、さておきめちゃくちゃ散らかっている。


 天井からは鎖で金属製のお皿がいくつもぶらさげてあり、小山になった薄黒い砂を小さなランプであぶっている。

 つまさきに、黄金の天秤と小皿がこつんとあたった。蹴とばされた天秤は、床に直置きされた大きな瓶に寄りかかり、傾いたまま止まる。

 あやしい……。あやしすぎる……。

 あと、部屋のすみのきらびやかな小山と見えたなにかが、突然立ち上がった。


「わああああああああああ!!!」

 私の口から気合の入った悲鳴がもれた。あわや転んで大惨事、のところだった私をクラージュが引っ張って寄せる。

 思ったより私が重かったのか、受け止めたクラージュもちょっとたたらをふんだ。

「やかましい」

 小山が私を見下ろして生意気にも説教する。

 ジュノだった。暗い部屋で真っ黒い服の真っ黒いジュノが突然動くとかいうの、けっこうビビるポイント高い。

 腰に手を当ててさあキレようとしたそのとき、クラージュはとんとん私の肩をつつく。

「いいんです。彼のことは気にしないでください」

 気を取られた隙にジュノは逃げて行った。視界の隅でそれが見える。

「追い出しちゃっていいの?」

「ジュノはあまり鉱脈とはかかわらないんです。それより見て、花奈さん」


 クラージュが示した先は、部屋の真ん中、そこに置かれたカウチだった。生成りの掛け布がかかっている。

 布の端っこは、まだ、ごく小さい、素朴な織機にかかったままの状態で、まだ織りかけと明らかにわかる。

 ……というか、あえてそのままにしているのがわかる状態で、散らかりほうだいの部屋の中で、カウチと手機(てばた)の周りだけ、クレーターのように床が見えていた。


 クラージュは足元の天体儀とかチェスっぽいゲーム盤とかをひょいひょい避けていき、掛け布の、端っこからめくって広げて、ひざ掛けみたいにしてカウチに腰掛ける。

 手招きされて、私もそうした。膝の上にちょっとぱりぱり固い感じの……たぶん日本でいうとまだ新しい紬にちかい手触りの、無地の布が広げられる。



 ……こういう、あえてやりかけのまま置いてある手作りのなにかっていうのはだいたい遺品だと相場が決まっている。

 触って汚したらいけないからと思って、はんぱな高さに手をもちあげて、空中にさまよわせたままの私をくすっと笑い、クラージュは話し出した。


「ちょっと前に、いつか話すと約束した話がありましたよね。忘れないうちに、今日しておこうと思って。

 ――これはもう二十年前、僕とジュノの母がわりになってくれた、九十八番目の軽銀鉱脈そのひと…」

「ちょっ」


 話の切り出し方がすごい。ややこしくなる前にいったん止める。


「クラージュとジュノのお母さんがわり? えっ、二人って兄弟なの?」

 クラージュはこともなげにうなずく。

「血のつながりはありませんが。同じところで育ち、同じひとを母と慕った時期があるという意味では、ぼくたちは兄弟です。感覚は幼馴染というほうが近いかな」

 さらっと肯定して、クラージュは続けようとする。私は観念して、腰を落ち着けなおした。


「――九十八番目(エギナ)軽銀鉱脈(リンガ)、名前を矢車菊といいますが、彼女は草花と詩と手芸、子供を愛する強い女性で、九十八番目(フラウ)真珠鉱脈(リンガ)、大魔術師ハヌムヤーンを毛嫌いしていました。

 ハヌムヤーンは矢車菊をテント住まいの野蛮人とよび、矢車菊はかほどに傲慢な男は草の海にも水の海にもおらぬといつもこぼしていました」


 たぶん、この織りかけの布地は、その矢車菊さんが織ったものなんだろうな。

 たぶん、そういうことなんだろう。クラージュの目も話す言葉も落ち着きはらって、平常そのものといわんばかりだ。


「二人は仲がとても悪かったけれど、ぼくらのことはそれぞれ気にかけてくれました。

 矢車菊はぼくには身の回りのことを、ジュノには草木のことを。ハヌムヤーンはぼくに悪事ならなんでも、ジュノには魔術を教えた」

「……」


 ハヌムヤーンという人はいったいなんてことをしてくれたんだ……。

 私のあきれ顔を、クラージュは明らかに無視した。


「二人は顔を合わせればけんかばかり。会釈をかわしたこともなかったんじゃないかな。

 でも、ハヌムヤーンは……。……真理への探究の道は一つではないのですね。彼の使うものこそぼくにとって魔法です。

 ……彼は、独自の魔術を用い、しかし確かに『なにか』に穴をあけ、矢車菊を、彼女の空広き故郷へ送り帰すすべを編み出した。

 幼いぼくたちは勝利を疑ってはいませんでした」


 でも、と、クラージュは口に出しては言わなかった。

 でもそれが、私にはわかる。


「……矢車菊を送り返すとき、軽銀鉱脈の従者(エギナリンガ)を引き離しておくのはぼくの役目でした。矢車菊をうしなうとなって、エギナリンガがなにをするかわかりませんでしたから」

「えっ」

「うん?」

 驚いたせいで話の腰が折れる。クラージュが首をかしげて、茶色の髪がさらさら肩のそばでさらさら流れる。

「あっごめん……えっ、でも、二十年前でしょ? クラージュそのときいくつ?」

「五才かな」

「五才で、鉱脈から従者を引き離したの?」

 私にはどんなにがんばってもできなかったことだ。そして、クラージュがしてはいけないといさめ続けたこと。

「そう。幼かった。ぼくはしくじりました。矢車菊が草原にもどって、ハッピーエンドで終わるはずだった物語の、白紙のページがうつろに繰られ、物語は暴走をはじめた。

 ……軽銀鉱脈の従者(エギナリンガ)はぼくらの前に立ちふさがり、真珠鉱脈の従者(フラウリンガ)はハヌムヤーンをかばって砂に還った。

 この城に、グラナアーデ人がぼくとジュノ以外にいないことに気づいていますか?

 このときの事件で、鉱脈たちに仕えていた侍女や従僕の半数近くが殺されており、人員はジュノとぼく以外をのこして全員、自動人形と入れ替えられています」

「……大事件だ」


 ツンデレ同士のラブストーリーかと思いきや、ぜんぜん血なまぐさい話だった。

 クラージュはかぶりをふる。なにもかもいとわしいといった風だ。


「あのときのことは、いまも夢に見ます。

 ……ハヌムヤーンはおろかな弟子のことを最期にどう思ったでしょう。

 ハヌムヤーンはジュノに送還術の秘儀をたくすと、草原でもハヌムヤーンの故郷でもない、いずこへ続くともしれない時空の穴をあけなおし、エギナリンガもろともに飲み込まれました。

 ……ハヌムヤーンとエギナリンガは時空の穴にのまれ、永久に戻らなかった。

 そこではじめて『なにか』はぼくに気が付いた。取るに足らないこのぼくに」



 それから、しばらく沈黙する。

 私も黙って待った。クラージュが話したくなるまで。



 ――静寂を(たていと)にときつくらせ

 ――脂を(ぬきいと)(おり)つくらせ



 クラージュが一度だけ話してくれたあの詩は、細かいところはわすれちゃったけど、創世神話にみたてて作った詩のモチーフに織物を選んだ女性について、考える。

 クラージュのお母さん。

 さぞかし無念に思っただろう。二十年前、まだ小さかっただろうクラージュを置いていかなくてはいけなかったことと、もと人でなしだったろうクラージュに人間らしい倫理とかのお行儀を仕込めなかったことと、そして、二十年もたった今もなお、悔いに思わせるような出来事に巻き込んでしまったことを。



 やがて聞こえたクラージュの声は、震えても湿ってもいなかった。


「……言い訳になるけれど……なにを言っても薄っぺらくて、自分でも寒気がするけれど……よかれと思ってしたんです」


 何度も反芻した考えなんだろう。結論がきっぱり出ていて、その証明過程を説明するみたいな穏やかな口調だった。

「私と同じだ」

「いいえ。あなたがしたことはいつか必ず、だれかを助ける。ぼくのしたことは悪い結果だけを招きました」

 だから、私が言ってもクラージュはかぶりを振る。


「従者をこわされたグラナアーデはすこし機嫌をわるくしました。

 グラナアーデは、世界に放った自らの(および)をもう一度(こぼ)つことはせず、舞台にふさわしそうな人形を選って投じた。

 軽銀鉱脈に養われて育ちながら、彼女を陥れ、この世から消し去ったぼくは軽銀鉱脈のシステムとつながれ呪われ、新たな軽銀鉱脈を待っていた。ずっと。


 ……三人一緒とは思わなかったな。

 魔法陣を得たことで、最初の召喚の兆しはジュノが感じ取れるようになり、そのたび出迎えに行きました。

 先代の蒼玉鉱脈があらわれ、月長鉱脈があらわれ……紫晶鉱脈があらわれ、金剛鉱脈が、黄金鉱脈が、真珠鉱脈が、菫青鉱脈、百銅鉱脈があらわれ、そしてあなた達があらわれた。

 一目でわかりました。あなたが軽銀鉱脈だと。

 そして、感じた。あなたはぼくの、ぶあついかさぶた、火炎に触れて広がるバンクシア、世界を破滅させるファムファタル、」

 クラージュはここで一度息を継いだ。

 息継ぎじゃないんじゃないか、もう黙っちゃってもう話す気はないんじゃないかとちらと思ったところで、クラージュはかすれた声でささやいた。

「……運命の相手だと」


 ……実は、いまの私にはひとつ、誰にも内緒にしておきたいひみつがある。

 それは、お母さんに異世界召喚が言えないだとか、まるちゃんがときどき打ち明けてくれる恋バナにお返しできるお話がないだとか、そういうレベルの話じゃないんだけどでも、クラージュはもしかして、なにか感づいてるんじゃないかと、そんな気がして、私は息をひそめていた。


 結局クラージュはなにか問い詰めたりはせずに、膝の布地に目を落とす。


「物語は、……呼び寄せてしまうので」

 『輝神』を。

「この城の書籍のうち、物語に類するものはすべて焼きはらわれました。小説や絵本はもちろん、歴史書や日記、詩集なども。絵画でも織物でも、それが物語を描いたものならば例外ではありません。

 矢車菊はたくさんのすばらしい織物と詩を残しましたが、それらもすべて。

 だから矢車菊を偲ぶよすがは、何もかも失ったあと、手すさびにしていたこれただ一つ。模様どころか染めもない、反物一枚。

 ……気の毒なことをしたと、今も思います」


 手機をクラージュはじっと見つめる。とんとんからりのトントンするほうが(おさ。カラリするほうが()。特に筬の真ん中はすりへって、矢車菊さんの毎日の習慣を感じるようだった。

「もう声をきくことも、あの機織る音を聞くこともできない」

「お母さんとお話していただけませんか。……そうできる時間は、もしかしたら限られているかもしれませんよ」


 クラージュの言いたいことは分かった。もうさすがに。

 ここまで話されて、まだ抵抗しようという気はおきない。

「……ていうか私、わりと最初からお母さんにいうよって言ってたし」

「そうでしたか? じゃあ九つのお願いに使ったのは取り消そうかな」

「執念深いじゃん……」 

 クラージュは笑う。ほっとしたみたいだった。



 そこで、今までしてた話とはまた別の話として、私はおそるおそるいう。


「……知ってたら、アレだけど……。

 手織りの布は、そのときの体調とか喜んでるとか怒ってるとかの感情が目にあらわれて、読める人は読めるらしいよ。日記みたいに」


 知ってたら、アレだったけど……なんでも知ってるみたいにふるまうクラージュも、さすがに手機とその織目のことは知らなかったんだろう。

 クラージュは目を丸くして、膝の上の織物をそっとなでる。

 単調なというか、理性的で整然とした糸の並びだ。傍目にはというか、私の目に映る分には。

 逆に言えば、輝神のほうでもこれは読めないだろうから、今から改めて焼き捨てる必要はないように思える。


「私も読めないけど……よかったら、一緒に練習する? 織物……。

 自分で織るようになれば、いつか、このときうれしかったんだなとか、悲しかったんだなとか、わかるようになるかもしれないよ。

 そしたら、クラージュとジュノの思い出と照らし合わせてみたらいいじゃん。あのときの矢車菊さん、笑ってたな、とかって思い出せるじゃん……」

「………」


 クラージュはうつむいて、じっと布目を見ていた。こめかみからさらさら金茶の髪がこぼれて、同じ色の目と頬を隠す。


 それから、また、しばらく沈黙する。

 私も黙って待った。固唾をのんで。



「……花奈さん」

「うん」


 ここで一度クラージュは呼吸のタイミングをとった。


「花奈さん。ぼくと友達になってくれてありがとう。あなたにとっては災難でしかなかったでしょうけど、あなたと友達になれたことは、ぼくにとっては……」

「…………」

 またここで、クラージュはタイミングをとった。タイミングをというか、言いよどんだ。

「……よかったことでした」

「……そっか……」


 よくってよかった。クラージュがよかった、って思っていてくれて、よかった。


「花奈さん。

 雪地の早蕨、波間の灯火、固かったはずの蕾。

 もしかしてこれで、あなたと……あなたと、もう会えなくなったとしても、ぼくは……」

 また、息を継いだ。息を継いだというか、言いよどんだというより、何かを怖がっているようだった。でも、いう。

「ぼくは善人になりたい」



 クラージュの目は金茶を超えてうすオレンジがかって明るくきらめいて見える。

 じっとその目を見つめていると、ふと、クラージュは苦笑いして、いつのまにか重たくなった空気に負けて、ぺたんとなった私の前髪をはらった。そして、付け加える。


「……かも、しれない」


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