11 灯台
約束したとおり、塔子さんのスマホの扱いにはとくに気をつけた。つもりだ。
私はその日、友達のまるちゃんの朝練の応援に行くとか理由をつけて30分早く家を出た。まるちゃんは女子サッカー部に所属している。
学校の近所にフリーWi-Fiをつけっぱなしのほったらかしであることで有名な喫茶店があって、私はその、よく小学生がしゃがみこんでゲームをやってるあたりにしゃがみこんだ。
そこではじめて、塔子さんのスマホの電源をいれる。グラナアーデにいる間に、位置情報まわりの設定は全部オフにしてある。
……電話番号は、もう使えなくなっていた。
二年も経っているから。
自分に言い聞かせながら、メッセージアプリを開く。
メッセージ履歴は会社の人からの罵声で埋もれていたけど、下へ下へスクロールすると、あった。『ママ』。
塔子さんは電話ができなかったんだろうと思う。アプリのメッセージ欄はいつも一方通行だった。
今日は帰れませんが昨日のうちに夕飯のおかずは作りおいてありますとか日付が変わる頃には帰りますが、お米が切れているので外食しておいてくださいとか、予定している食事のメニューを書いているのが塔子さん。2分くらいの通話着信履歴を残しているのが『ママ』。たぶんその日のメニューが気に入らないときにかけてくるんだな、っていうことがなんとなくわかる。
私はWi-Fi経由で、メッセージアプリから電話をかける。
朝早いからどうかな、と思ったけど、やっぱり出ない。
私はスマホの電源をきった。電池パックも抜く。あとは学校帰りにカラオケかどこかでもう一回チェックする。
学校での出来事は小テストがあったくらいで大したことはなかったので説明ははぶく。
朝、剣道着姿の葉介に会ったくらいか。
「ん」
「おはよ」
お互い会釈程度のあいさつをすませる。学校ではいつもこんなものだ。
きょうだいだから、ちゃんとした儀式がなくてもなんとなく仲直りできるのは今まではすごく便利に感じてたけど、今はちょっとしんどいかもしれない。
塔子さんのこと、葉介や幹也に頼れたらって思うけど……ちゃんとした仲直りをしてないから、言い出しにくい。一か月くらいしたら言えるかもしれないけど。
学校からの帰りがけ、喫茶店のそばを通過したら、喫茶店の前で、スーツ姿のあやしい男女二人組がけわしい表情でたたずんでいたのを見かけて、朝思ったのと同じように、そう思った。
いつもは小学生にたかられてるほかは閑古鳥が鳴いてるのに。
最初に行こうと考えてたのよりもっと遠い、繁華街のスタバでラインのチェックをした。Wi-Fiにつなげてしばらくすると、『ママ』から未読メッセージの通知が届く。既読をつけないように注意して確認する。
『塔子? 迷惑かけたね。もう怒ってないから帰ってこい( ˆ̑‵̮ˆ̑ )』
あと、パンチの絵文字。
私はまた電源をきって、電池パックを抜いた。
その日の夜、塔子さんに報告する前にまずクラージュに相談する。変な人が早速立ってたことを報告したかったし、メッセージの意味が全然分からなかったからだ。
「迷惑かけたねってなんの話? もう怒ってないからっていうのは塔子さんが悪いって思ってるってこと? 逆に向こうが迷惑かけてごめんねってこと? とにかく安心させてあげよう的な? 塔子さんも気が弱いし? でもそれにしては絵文字があまりにも邪悪すぎない? なにかの暗号? じゃんけん? それともやっぱりシンプルに殴るよって意味?」
もっと金づる扱いしてる感のメッセージか、もしくはめちゃくちゃ心配してる感のメッセージかがくると思い込んでたけど、これじゃあ意図が読み取れない。
大騒ぎする私をよそに、クラージュは物憂げにしている。
「何者かがこちらを探ってきているのなら、もうこれ以上調べるのはやめたほうがいいでしょうね。
すみません。結局ろくな助言もできないまま、危ない橋を渡らせたようです」
「それはぜんぜんいいよ。私が悪いんだもん。私がやっちゃったんだと思う、たぶんなんかを」
たとえばアニメでやってたけど、アイコンが画面に出ないタイプの監視アプリだか盗聴アプリだかをしれっと仕込まれるってことがあるらしい。
一応、なんかあるかもと思って電池パックを抜いたつもりだったんだけど、全然だめ、うかつだった。
ほんとは、たぶんさきにSDカードを買ってきておいて、写真とかのいるデータだけを逃がして、あとはまるっと初期化しないといけなかったんだろう。こんなこと、異世界人のクラージュがアドバイスできるはずがない。
「とりあえず塔子さんには中間報告だけしといて、またほとぼりが冷めたころに再調査開始って感じにしたい」
「いいえ、もうよしましょう」
私の闘志はまだ燃えている。強めの語調で宣言すると、クラージュはかぶりを振った。
「もう十分わかりました。
塔子さんを探す研究機関に、塔子さんその人を売りたいという気持ちはあるのでしょうけど、そのためにかたむける情熱もないのでしょうね。
意図が読み取れなくて当然です。ないんですよ。意図も興味も」
「………」
闘志がじゅっと消える。
私は……。
私は、家族からの愛情を疑ったことがない。
そうじゃない家庭もあるってことは、頭では理解してるつもりだけど、いろんなパターンのことを想像できるほどには知らないみたいだ。
だから、私は、塔子さんから頼まれたことを頼まれた通り、力の限り務めるつもりだったけど、クラージュの顔を見ていたら、世の中には、もしかしたら、頑張れば頑張るほど、他人を傷つける努力も、その、あるんじゃないかと、そして私がした失敗のせいで、その誰かにつけた傷がいったいどのくらい深いかを確かめることもできなくなったんじゃないかと、そういう暗い考えになって、立っているのもやっとだった。
立っているのもやっとだったのだけど、私はいつのまにかソファーに腰かけていた。いつのまにかクラージュが座らせてくれていたらしい。
くじけるな。
塔子さんが言ったんだ。日本でのことを知りたいって。
なんとかして自分を鼓舞して、クラージュに宣言しなおす。
「……わかった。……と、思う。
……とりあえず今日のことは、全部塔子さんに言う。このメッセージも、なんか研究機関っぽい人のことも。塔子さんが帰るつもりになったとき心構えがないと危ないから。
でも、クラージュの解釈のことは言わない。塔子さんのお母さんと塔子さんにしかわからない何かが、もしかしたらあるかもしれないから」
「それがいいでしょう」
おっくうそうな、いつもより少し長いまばたきを、クラージュはうなずきの代わりにした。
クラージュの同意も得られたので、私はそうした。
報告のときはフラウリンドがめちゃくちゃにらんできて怖かったので、遠慮なくクラージュを盾にした。それでもゲロ吐くかと思ったけど。
塔子さんはすぐには結論が出ない風だったので、私はさっさと二人のところから帰った。
正直、フラウリンドからも離れて一人になる時間が塔子さんには必要なんじゃないかと思ったけど、鉱の姫の従者はマジで鉱脈から離れたがらない。
というか、それも私の余計なお世話かもしれないし、ていうかたぶんそうだし、そういえば葉介から叱られたのもその件だったな、なーんて悩んでる間にクラージュは私を伴いつつ塔子さんの部屋から出て扉を閉めていた。
「……とりあえずこれでいいのかな?」
「十分でしょう。またなにかあれば言伝を預かります。……握りつぶしたりしませんから安心してください」
クラージュは私が疑う前に言った。
「じゃあ……」
じゃあしばらく暇だ。
あの納骨堂でまた石が出てくるのを見ながらグダグダしようかなと思ったけど、やっぱりなんだかさみしくて、むしょうに幹也に会いたかった。蹴っ飛ばされてもいいから。シダンワンダの気持ちが今はちょっとわかる。日本ではそうでもないんだけど。
クラージュにそう申し出ると、彼は私を図書室に案内してくれた。
お城は塔をあちこちに突き出させた、びっくり箱型を成しているわけだけど、図書室はその中で、塔のまるまる一本分のスペースを割り当てられている。かなり広い。縦にも横にも。
あまり読書家でない私もウキウキするくらいだ。
壁、柱、天井、全部真っ白に作られている他の場所と違って、図書室は落ち着いた色調にまとめられている。
ホールに窓はなくて、かわりに10メートルくらいもある天井まで、円形の壁一面、全部が本。本棚の隙間から木漏れ日風に明かりがもれて、本棚は三段がさね、3メートルくらいずつのところで一度踊り場を作り、コロセウムみたいに段々に広がっている。
踊り場に置かれた読書机は、琥珀をたくさん集めて煮溶かして、もう一度固めなおしたみたいに、チョコレート色に透き通っていて、そこらじゅう木と本のいい香りがする。
幹也は、その読書机の一帯を陣地にしているようだった。
幹也はちょうど、読書そっちのけで、よく磨かれた濃茶と薄茶、二色のきれいな寄木細工の床へ、まっ黄色の、ピ○チュウ色のガムテープを、何本も無残に横切らせている真っ最中だった。さっき陣地といったのは、そのガムテープは読書机を中心として四角形の枠を波紋のように描いていたから。
ガリガリバリバリ、幹也がガムテープを引っ張る音が、静かな図書ホールに響いている。
近づく前からすごい音がしていたので若干覚悟はしてたけど、やばい。ベタベタが残っても弁償できない。そもそも日本円も多分使えないし。
「……なにやってるの?」
「テープ貼ってる。一メートルおきで」
寄木細工の模様に使われている比と、それから正確な1メートルを算出するためのなんとかかんとか。グラナアーデで使われている距離の単位をメートルに直すためのなんとかかんとか。
聞きながら、私はこっそり横目でクラージュの様子をうかがう。
クラージュは肩をすくめる。
「許可はとったよ」
答えは幹也からあった。
もう一度クラージュを確認すると、クラージュは再度無言のまま肩をすくめる。
私とほとんどずっとべったりのクラージュが、いったいいつ幹也に許可を出したのかはちょっと気になる……っていうか胸がざわっとするけども、二人とも教えてくれる気はなさそうだ……。
ていうかうちの幹也が申し訳ない……。手間のかかるきょうだいで……。
私は幹也を手伝って、床にテープを貼った。シダンワンダを体よく使う方法を幹也は編み出しているようで深海みたいな深い青の髪の美人は、A4ルーズリーフの表裏にびっしり書かれたリストを見ながら、リクエストされたらしき本を、2台並べてバリケードにした配書ワゴンに手際よく積み上げていく。
シダンワンダは幸福そうだった。
「花奈も頼めば? 『あっち』は日本語は読めないけど、管理ナンバーが分かれば持ってくるよ」
「へーたすかる」
実際、最初よりずっといい関係になっているようだった。今貼ってるガムテープにさえ目をつぶれば。
カガヨウカミは別にラブストーリーだけが読みたいわけじゃないみたいだから、科学者が真理に挑むみたいなのでも許してくれるだろう。だってシダンワンダは笑顔なんだし。備品扱いに近いけど。
「面白い本あった?」
「面白い本っていうか、今地球を探してる」
「地球の本ってこと?」
私は首をかしげる。
「や。地球そのものをっていうか、太陽系を見つけたい。暇つぶしに」
幹也のいうことには、今幹也は図書室でタブレットみたいなのを借りているんだそうだ。
で、こっちで使われている簡単なプログラム言語を覚えてアプリみたいなのを作って、そこに地球で観測されている星や銀河のデータをちょっとずつ登録して、グラナアーデで観測されている星のデータと突き合わせて、自分がいまどこにいるのか、太陽系はここから見てどこにあるのかを探している……らしい。
「要するに、東京タワーがこっちからは西側に見えてて、あっちからは東側に見えてて、じゃあ私とあなたはどこにいるの……の、宇宙バージョンってことだ」
「まあね」
幹也は私にガムテープのわっかのほうを持たせ、自分は端をもってうつむきつつ後ずさりし、バリバリ伸ばしながら答える。
「東京タワーにできるものは見つかったの?」
「いや、まだ」
幹也は銀河の数とか宇宙の広さとか、難しい言葉をいろいろ使って、この暇つぶしの困難を語った。
「まあいろんな条件があるから厳しい」
「なるほど」
そういうことらしかった。
地球が見つかったら……すごいな。だってそれって、夜の空を指さして、あっちが地球だよって言えるようになるってことで、地球でも、今頃なにしてるかなって思い出せるようになるってことだ。
図書室にはマジで物語の本がない。
たぶん、輝神の興味をひかないようにだろう。
読む本がなくて暇な私はしばらく幹也がいろいろデータ入力しているのを眺めて過ごした。
幹也は手を動かしながら、暇なのか、赤方偏移とか加速膨張とか位相欠陥とか、初めて聞く四字熟語について初めて聞くカタカナ交じりの用語を使って説明してくれていたけど、正直何も頭に入ってこない。
ただ、もう、私のする何もかも、やらなくていいことばっかりだったのかな、ってそればっかり悩んでいた。




