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10 ごめんなさい


 さておき、塔子さんにはなんらか成果をあげたい。というかあげなくちゃいけない。

 グラナアーデでの『物語の進展』はクラージュがなにかロマンチックなのを適当に用意するだろうとして……、私は、こっちでできるかぎりのことをする。


 私は家に帰ってお風呂をすませたあと、リビングのソファーにうつぶせて寝っ転がりながら、塔子さんが言っていた住所をとりあえず検索にかけた。


 一番上に、灰色とパステルカラーの地図が出てきて……あとは駐車場の宣伝とか違う住所のマッサージ店とか、さしてアパートとは関係のなさそうなサイトばっかり引っかかる。


 ストリートビューにしても、住所のあたりは、けばけばしい色の看板が窓いっぱいにくっついた細い雑居ビルで雑然とし、排水溝のまわりにはたばこの吸い殻がいっぱい落ちていて、見るからに繁華街的というか、住むには適してなさそうで、とにかく別の名前のついた建物やテナントがぎっしり密集している。


 見ている場所が正しいのかどうかも確信が持てないなか、いっしょうけんめいにスマホの中の歓楽街をさまよいまくり……ふと思いついて、ストリートビューで見られる写真の時間をさかのぼった。あるのだ、そういう機能が。



 画面上のスライドバーを過去に一段階、左にずらしたら……そしたら、あった。


 ある駐車場が一つ、灰色の古いアパートになってよみがえる。

 電信柱に書かれていた住所からして、ここが塔子さんの住んでたアパートとみて間違いない。……取り壊されてるけど……。


 マップ上で今現在の写真として見られる写真は、七ヶ月前に撮影されたものだ。

 アパートの写真の日付は、一年七ヶ月前。

 塔子さんは二年も帰ってないって言っていた……。

 ということは、塔子さんが帰らなくなってから、半年くらいのあいだにアパートは取り壊されてしまったってことだ。

 住んでたはずの塔子さんのお母さんは一体どうしたんだろう? 塔子さんのお給料がなくなって、家賃が払えなくなったとか……?


 塔子さんの住んでた建物も、周りのビルと同じように大きな看板で窓が覆われていたので、塔子さんがこの建物のどこに住んでたのか、周りの部屋に生活感があるかどうかもわからない。

 とりあえず今の駐車場と、アパートを両方スクショして、明日の晩見せることにする。



 それからもう一つ、今度は塔子さんの勤め先をググる。

 すごい長い名前の、カタカナばっかりの、アクアって書いてあるから水の会社なんだろうな程度にしかイメージのわかない会社……。


 今度はヒットした。ページへのリンクをタップして、中を一応調べる。


 二年前に失踪した社員の情報なんか載ってるわけないと思ったけど、やっぱりない。

 みんなで集まってバーベキューをやりました、とか書いてあるどうでもいい社員ブログを見つけたときは、やった、何か書いてあるかも!って思ったけど、社員ブログの中には、4年さかのぼっても塔子さんらしき人物のことは書かれていなかった。考えてみたら、同僚が出社してきません……なんてふつう書かないか。

 会社のブログは1年前の、2週間後にやる焼き肉会が楽しみだっていうおしらせで、更新は止まっている。その焼き肉会のときの更新はない。ほかのページも、ブログのページ以外の履歴っぽいものは確認できない。



 このページにはあまり執着せず、今度は塔子さんのフルネームで検索した。

 人気の名前ランキング、とか名前の鑑定結果は! とか、桃子とか、近い別名の人のページとか、関係なさそうな記事ばかり。ついでに塔子さんのお母さんの名前でも。結果はほぼ同じ。

 めぼしいSNSで検索をかけてもだめ。

 たとえば捜索願が出されている人の名前、みたいなリストがあればなって期待したけど、そういうのはなさそうだ。



「――花奈ちゃん、髪の毛ちゃんと拭かないと」

 行き詰まりを感じたころ、ふとお尻のがわから声がかかる。

 お母さんだ。振り返ると、お母さんもパジャマのかっこうで、ビールをぷしゅっとやっていた。気づくと私の長い髪が垂れた先でソファがぬれている。

「あっごめん」

 慌てて肩に引っ掛けたままだったバスタオルで頭を拭きながら、足をまげる。ソファにお母さんがすわれるスペースができる。

「テレビ見てる?」

「見てなーい」

 お母さんはこれから撮りためてたドラマを見るらしい。

 お母さんは待ちきれなかったらしいビールを一口二口飲んでから、ソファに腰かけ、サイドテーブルにおつまみハムが山になったお皿をのっけた。ハムのひとつに楊枝が刺してあり、自分が食べる前にその一本を貸してくれる。

 私は口につかないようにハムのところだけかじって抜いて、楊枝をかえした。


「珍しいね、花奈ちゃんがドライヤー使わないなんて。この時間にお風呂に入るの久しぶりな気がするよ」

「それもごめんなさい」

「いいんだけどね」

 髪が長いから、私はお風呂上りに洗面所にいる時間がものすごく長い。次から部屋でドライヤー使おう。


「……花奈ちゃん、最近やせた?」

「いっっさいやせてない」

 私はきっぱり言った。ちょっとマジでヤバさを感じているのだが、今さっき全裸で測った体重は47.2キロだった。最近体重の増加が著しい。本当はハムなんか食べてる場合じゃない。

「そう? なんか肩甲骨が前より出てる気がするよ」

「ほんとに?」


 見えないところで痩せてるならちょっとうれしいけど、その分どこが出てきてるんだろう。怖すぎる。



 ……お母さんが好きだ。幹也や葉介と同じくらい。もちろんお父さんのことも。


 お母さんのほうでも私のことを好きでいてくれてるってわかる。自分でも気づかないようなちょっとした体の変化にも気づいてくれるくらい、お母さんは私のことを気にかけてくれている。

 お母さんは、私がいなくなったらすぐ気づくだろう。だからいっしょうけんめいグラナアーデでのことがバレないように、三人でアリバイ作ってるんでもあるけど。



 塔子さんがいなくなったあと、それを気にかけているひとはいないように見えた。少なくともネットの世界には。


 ここで調べるのをやめるわけにはいかない。

 いつか、もしかしてあのカガヨウカミが、塔子さんの物語を追うのをやめて、あのやばいのからも解放されるときがくるかもしれない。

 ……来ないかもしれないけど……。

 でも、このままだと塔子さんの人生が、一本道になってしまう。これが塔子さんの幸せなんです、ってクラージュの言葉もしみじみわかるけど、でも選ぶかどうかは別として、せめてもう一本、道を残してあげたい。それができるのは、今はたぶん、私だけ。




 翌晩、一足おくれて召喚再開の幹也や葉介と別れてから、なんの成果も得られませんでした、とクラージュに報告したら、クラージュは一つスマホをくれた。

 必要になるのがわかってたみたいで、クラージュが広くなっている袖を下に落として二度ほど振り、その袖の中へ私の手のひらをまねき、出したものを乗せる。


「塔子さんのものです。二年前から預かっていました。日本でのことを思い出してしまうから、ぼくにと」

「使えるの?」

「充電はしておきました。電波に接続しなくてはいけない機能は使えませんが」

 スマホの充電ができるんなら早い段階で教えといてほしかった。圏外でも遊べるスマホゲームがある。あとはWi-Fiが飛んでれば完璧なんだけど。


 使い込まれた感じのある、真っ黒のつまんないスマホだった。透明の、たぶん一番安いプラスチックのカバーと、空気が入っちゃってる画面保護フィルムがよけいに安っぽく、薄汚れさせて見える。

 サイドキーを長押しすると、しばらくの沈黙のあと、しぶしぶといった感じでスマホは起動を開始した。


「クラージュもこれ使えるの?」

「まあ」

 返事は短かった。そうか、そういえば幹也は今、本を読ませてもらってるんだった。借りてるコンタクトレンズに自動翻訳機能がついてるんだから、当然クラージュもなにかしらの方法で日本語を読めるようになってるんだろう。

「使ったことある?」

「二年前には少し。パワハラというか、恫喝がひどくて、塔子さん本人がチェックができなくなってしまったときに」

「ひえーこわ」


 世に聞くパワハラというのがどういうものなのか、怖いもの見たさでまず最初にメッセージアプリを開く。受信済の履歴だけならこっちでも見られるからだ。



 なお内容の仔細な描写は省く。



 ……怖すぎて動悸と息切れがしてきた私からスマホを取り返し、クラージュは呪いのスマホから必要になりそうな情報を抜き出してくれた。


 まずは、このスマホ自体の電話番号……そうか、このスマホが使えれば、少なくとも塔子さんのかわりに基本料金を支払う人がいるってことになる。


 友達っぽい人の名前は連絡先にないみたいだ。あるのは〇〇アドバイザーとか××社長とか、会社関係っぽい人の名前だけ。

 抜き出してはもらったものの、ここへは連絡すべきでないことはすごいわかる。あのアプリのメッセージ履歴を見たら。


 それに塔子さんのお母さんの勤め先の住所や電話番号……。辞めてるかもしれないし、いかがわしいお店みたいだから、ほんとは電話したくないけど、もし手がかりがなかったらかけるしかない。


「いっそ警察に連絡しちゃえば早いかも。『家出人の知り合いがいるんですけど、自分に行方不明者届が出てるのか知りたがってるんです』って聞いたら……」

 こういう聞き方なら、異世界グラナアーデがどうこうって話はしないですむ。


 でも、クラージュは気乗りしない顔だ。

「あまり大っぴらに動かないほうがいいでしょう。塔子さんは二年前、自分の能力を明かしていますから」

「えっ あっ ああ!」

 そういえばそんな話を昨日聞いたような気がする。

 頭に血が上ってたから全然気にしてなかった。


「そちらの世界ではなかなか考えられないようなサイズの真珠を、見せびらかしてしまったのだそうです。ひそかに盗み出した黄金やダイヤモンドなども。それに、こちらで使える装置のいくつか。

 そのことで母親の気を惹こうとしたようですが、まあ……」

「ああ……」


 なんとなく察した。私は自分のお母さんの愛情を疑ってないけど、すべてのお母さんがうちのお母さんみたいなお母さんだとは思ってない。


 そういう相手に何か期待するのはむだだ、っていう気持ちと、塔子さんもやるときはやるんだ、っていう感心した気持ちとがある。

 塔子さんは、あんな、自由に歩く権利もうばわれているようなところしか見てなかったから、そういう流され系ヒロインなんだとばかり思ってたけど……そうか、なんか宝石を盗み出せたのか。


 そんなの見せたって、自分を大事にしてもらえるわけないじゃん、っていうのは他人だからわかることだ。

 どうせ私のアルミはもとより、ルビーやサファイアなんかまで、出させたら出させっぱなしでどこにしまっているのかもわからない。ほかの石も似たような扱いだろう。10キロでも20キロでも好きにしたらいい。自分が納得いくように。それでうまくいかなかったから、ここにいるんだろうけど。


 ただ、クラージュが言い足した説明は私の想像よりなお悪かった。


「どうも塔子さんの母親は借金の返済のために、彼女をなんとかいう研究機関に売り渡そうとしたようです。

 塔子さんからの情報しかないため、あやふやですが……。こちらでのあれこれを、なんとか地球でも利用できないかと考えているようですね。

 彼女が帰らなくなったのもそのためです。花奈さんもお気をつけて」

 クラージュは淡々と言う。


 お気をつけてって言われても……まあたしかに、気をつけるしかない。



 私がぜったい、もうやめようって言い出さないのをクラージュは読んでいて、黙っている。私も、クラージュがもうやめようって言ってほしいのを読んでいて、でも黙っていてる。

 そして私が自分の気持ちを読んでることもクラージュは読んでいて……という、読み読みの読みからの気まずい沈黙がしばらく落ちた。


 二年前の塔子さんが、毒親と、親が作った借金と、高校にも行かせてもらえず働いたブラック会社に取り囲まれて、なんとか自分に価値を見つけてもらおうとがんばって、でもだめで、そのあと自分では確認できなかった物語の結末を知りたくなって、それのいったいなにが悪いだろう?


 ……いや、でも、だって。確かに私も、塔子さんはもう日本でのことはあきらめたほうがいいんじゃないかって気はしてきたけど、でも、少なくとも私がぼちぼちのラインでやめるわけにはいかない。


 ここまではやりました、あとは私の力では無理だよ、残りは自分で決めて戦ってね、って言えるところまではやらないと。


 そう思うと……塔子さんのお母さんの勤務先に電話をかけてみるくらいまではギリギリやるべきかもしれない。

 源氏名がわかれば、今日出勤されますか、って聞くくらい不自然じゃないだろう……たぶん。男っぽい作り声を練習しておいて。



「……塔子さんへは昼のうちに謝っておきました」

 さっそく咳ばらいをはじめる私へ、クラージュが言う。私は咳ばらいをやめる。


「昨日あなたに叱られたことについて。

 塔子さんの幸せを決めつけて、すみませんでした、と。望むのであれば塔子さんがまた靴を履けるようにしますと。まずは眼鏡をさしあげて」


 クラージュは約束を守ってくれたんだ。


 ほっとした。ありがとうっていうのもおかしい気がして、ただ黙ってうなずく。

「――めずらしい経験でした。自分ではまったくの無駄だと思っていることをして、無駄な恨みを買うのは」

「フラウリンドにめっちゃにらまれたの?」

 相槌がわりに疑問符をつけたけど、当然だろう。自分のものなんてほとんど無い塔子さんから、靴までもを奪ったのはフラウリンドそのひとなんだから。

 クラージュはうなずいた。

「めっちゃにらまれました。にらまれながら、あなたの言葉を思い出したんです」

 私の口真似をしながらクラージュはしどこかしみじみ言った。口真似とかは舌禍をまねくからマジでやめたほうがいい。あとそんなタイミングで思い出さないでほしい。


「自分の良心に聞いてみろとあなたは言いましたね。

 そのとおり、自分に良心があったかどうか、よく振り返って探してはみましたが……すみません、やっぱり見当たりませんでした」

「そんなはずないよよく探して」

 クラージュは微笑する。

「これから何事によらず、正直になろうと思って」

「マジでやめたほうがいいと思う」

 私の真剣な忠告をよそに、クラージュはもう一つヤバいことを言う。


「よく探したんですが、なくて」

「いや絶対あるから」

「なので心に一人、あなたを住まわせることにしました」

「えっ」


 こわっ。


「あなたならこういうときにどうするかな、あなたはどうあることを望むかな、と、問うことにしたんです。いまのところ、意見が一致することはありませんが。十度に一度はあなたに従うことにしました」

「マジでかなりやめて」

「ばかげていると思われますか?」

「めっちゃ思う」

「ぼくもそう思います。百害あって一利なしとも」


 ならどうして……。


 意見の一致をみたものの、クラージュがその心に妙なものを住まわせるのをとりやめたかどうかは確認できないまま、しばし沈黙のときがあった。しかしやがてクラージュは口を開く。

「――ぼくの良心の有無とは別の問題として、あなたに心から謝りたいと思っていることが一つあって」


 また少し沈黙があった。


「……あのとき笑ったことを、本当に後悔しています。

 ……ごめんなさい」



 あのとき。あの大げんかのきっかけ。


 クラージュの小さな声を聞いて、私はただ、うんうん、と二度うなずいた。

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