一方通行のその先に
フィリップ様、もといフィルに告白をし、無事に誤解が解けてから一週間が経った。
今日もまた、わたしはローレンソン公爵家へと向かう馬車に揺られている。あれから数日後「現実かどうか不安になってきた」などと、ひどく動揺しているような手紙が送られてきたため、会いに行くことにしたのだけれど。
「フィリップ、今頃ウッキウキなんだろうな。面白そ、いやあ、嬉しいなー」
何故か向かいには、レックスが座っている。
支度をして出掛けようとしたところ、ちょうど我が家の玄関で彼と鉢合わせたのだ。暇だから遊びにきた、なんて言う彼には、報告を兼ねた手紙を送ってあった。
そして、これから公爵家に行くと伝えたところ「絶対に俺も行く」と言って聞かず、今に至る。
「でも本当に良かったな、全部上手く行ったじゃん」
「うん、ありがとう」
家族や身近な人には正直に嘘をついていたことを謝り、それ以外の人には記憶を取り戻したことにしたのだ。記憶喪失のふりの演技からも解放され、清々しい気持ちでいる。
あんな嘘から解放されたフィルもまた、きっと今は穏やかな気持ちでいるはずだ。
「俺のことは気にせず、イチャイチャしていいからね」
「そんなことしません」
「両想いで婚約者なんだから、普通じゃない?」
「……そうだけど」
「ま、あのフィリップだし、キスするだけで半年くらいかかってもおかしくなさそうだよな」
今後も報告、絶対に頼むよなんて言うレックスに対し適当に返事をし、窓の外へと視線を向ける。流石に、従兄にそんな報告はしたくない。
既に、窓の外には公爵家が見えてきていた。ずっと、公爵家へ向かう際はひどく気が重かったのに。そうではなくなったのは、一体いつからだっただろう。
「ヴィオラ様、レックス様、ようこそいらっしゃいました」
「こんにちは」
到着後、いつものように案内されたフィルの部屋には、真っ先にレックスが入っていった。
「ごめんね、フィリップ。俺も来ちゃった」
「ああ」
彼の姿を見て、フィルは少しだけ驚いたような様子だったけれど、すぐに小さく笑顔を浮かべた。レックスにもお礼を言いたいと言っていたから、丁度良かったのかもしれない。
やがてフィルはわたしへと視線を向けると、今度はひどく驚いたような表情を浮かべて。思い切り視線を逸らし、明後日の方向を向いたまま口を開いた。
「……マ、マッテタ」
「はい、ありがとうございます」
そして何故か、ヴィオちゃんみたいな話し方になっているけれど、大丈夫だろうか。
「さっきヴィオラのとこに行ったら、フィリップに会いに行くって言うからついて来ちゃった」
「そうか」
「インコに会わせて」
「……嫌だ」
「お願い、俺だって二人のために頑張ったのに」
どうやら彼は、ヴィオちゃんに会いたくて来たらしい。結局、あまりにもしつこいレックスに根負けしたらしいフィルは「分かった」と頷いた。
「じゃ、俺はインコのヴィオちゃんと遊んでくるから、お前らは二人でラブラブしてて」
「……レックスを案内するから、待っていてくれ」
「はい、わかりました」
二人が出ていくのを見つめながら、勧められたソファに一人腰掛ける。なんだか今日の彼は、少し素っ気ないような気がしてしまう。寂しいような、そして少しだけ不安な気持ちになりながら、彼が来るまで何をしようかと辺りを見回す。
壁に並ぶ金で出来た額縁たちの中には、何やら淡い色の紙が飾られている。以前見たときには新しいアートか何かだろうと思って気にしていなかったけれど、よく見てみると見覚えがある。学生時代、家庭科室でよく目にしていたものだ。
もしやこれは、わたしが作ったお菓子を包んでいた紙ではないかと気づいてしまった。本当に何をしているんだ。
こんなものまで飾っているのを見てしまえば、先程少しでも不安を感じた自分が馬鹿らしくなってしまう。
フィルのことだ、今日様子がおかしいのもきっと、わたしには想像のつかないような理由があるのだろう。そう思うと心が軽くなり、愛おしさが込み上げてくる。
「すまない、待たせた」
やがて、レックスを案内してきたらしいフィルが戻ってきて、彼はわたしと目が合った瞬間足を一度止めた。けれどすぐに再び歩き出し、隣に無言で腰掛けた。
「…………」
「…………」
なんとも言えない沈黙が続く。どうして何も言わないのだろう。こういう沈黙も久しぶりだと懐かしく思いつつ、ちらりと隣を見れば、彼は真っ赤な顔をして俯いていた。
「フィル? 大丈夫ですか?」
「…………困った」
「こまった?」
そう尋ねれば、彼はこくりと頷いて。
「今までもずっと、君は世界一可愛いと思っていたのに、今は更に可愛く見えてつらい」
そんなことを、ぽつりと呟いた。
予想もしていなかったその理由に「なんですかそれ」と思わず笑ってしまう。そんなわたしを見て、彼はやはり「可愛すぎる」と片手で目元を覆った。
「その、嬉しいんですが、どうして急に?」
「……君が俺のことが好きなんだと思うと、本当に可愛くて愛しくて、死にそうになるんだ」
そんな言葉に、今度はわたしが困ってしまう番で。
「手紙では、現実かどうか不安だって言っていたのに?」
わたしがそう尋ねると、彼は躊躇いがちに口を開いた。
「……俺を見た瞬間、君がとても嬉しそうな顔をしたんだ」
「えっ?」
「それで、好かれているんだと実感した」
自分では全く気が付いていなかったけれど、いつの間にかそんな顔をしてしまっていたらしい。恥ずかしさで、顔が熱くなっていく。
……そして、もしかすると彼はわたしへと一方的に好意を向けることに慣れすぎていて、戸惑っているのかもしれない。わたしだって彼に好かれていると気付いた時には、戸惑いを隠せなかった記憶がある。
「……本当に、好きだ」
「わたしも、フィルが好きです」
「抱きしめても、いいだろうか」
「はい、お願いします」
それでもわたし達にはまだこれから、沢山の時間があるのだ。少しずつ慣れていき、分かり合っていけばいい。
そう思いながら、彼の腕に抱き寄せられた時だった。
お腹の辺りを押さえたレックスが、ふらふらしながら部屋へと入ってきたのだ。わたし達は慌てて離れ、姿勢を正す。
「あれ、ごめん。邪魔した?」
「ああ」
「それは申し訳ないけど、でもお前も悪い、っははは」
そして彼は、突然思い出したように笑い始めた。先程お腹を押さえていたのは、どうやら笑いすぎによるものらしい。
「フィリップお前さあ、インコ相手にプ、プロポーズの練習はないだろ、あはは! お腹痛い、無理」
「えっ?」
「俺、インコに求婚されちゃったじゃん」
プロポーズという言葉を受けフィルへと視線を向ければ、彼は両手で顔を覆っていた。その顔は、耳まで赤い。
どうやらレックスの言う通り、フィルはヴィオちゃん相手にプロポーズの練習をしていたらしい。本当に何をやっているんだろうと思いつつ、そんな所も愛しいと思えてしまうのだから、恋というものはやはり恐ろしい。
「本番、楽しみにしていますね」
「…………ああ」
消え入りそうな声でそう言った彼に、思わず笑みが溢れてしまいながらも、大好きだと、幸せだと心の底から思った。
──そしてこの先、彼によるプロポーズが幾度となく大失敗し続けるのは、また別の話。
10万pt、ありがとうございます!
とっても嬉しいです……!
書籍化・コミカライズ企画も準備中ですので、今後とも「嘘はじ」をよろしくお願いいたします。




