すれ違いと本音と
動揺してしまったものの、こうなってしまってはもう正直に全てを話すしかない。その上できちんと謝り、フィリップ様に好きだと伝えようと決め、わたしはゆっくりと頷いた。
それと同時に、フィリップ様の瞳が大きく見開かれる。
「本当に、最初から……」
「こんな最低な嘘をついていて、ごめんなさい」
「…………っ」
彼は傷付いたような、この世の終わりのような表情を浮かべていて、胸が張り裂けそうになる。
最初はただ、お互いにとって不本意な婚約を破棄したかった、ただそれだけだったのに。
まさかフィリップ様がわたしのことをずっと好きだったなんて、知りもしなかった。そしてわたしが彼のことを好きになるなんてことも、想像すらしていなかったのだ。
ふらふらと何歩か後ずさったフィリップ様は、そのまま入り口近くに用意されていたテーブルへと向かった。
「フィル……?」
そして何故かフィリップ様はそこに置かれていた、大きな空のアイスペールを手に取って。
何故かそれを、頭に被った。
「…………」
「…………」
「…………」
突然の彼の奇行に、その場にいた全員が固まる。
今までもフィリップ様の不思議な行動には何度も驚かされてきたけれど、今回ばかりは本当に訳がわからなかった。
今この状況でアイスペールを頭に被る理由など、いくら考えても思いつかない。
あまりにも訳がわからなすぎる展開に、先程まで動揺していたわたしは、少しずつ冷静になっていくのを感じていた。
「なあ、フィリップ。何でそれ、被った……?」
しばらくなんとも言えない緊張感が室内には漂っていたけれど、その張り詰めた空気を破ったのはやはりレックスで。
「……ヴィオラに、合わせる顔がない」
消え入りそうな声で紡がれたフィリップ様の答えは、まさかの斜め上過ぎるものだった。それに対してレックスは、物凄い勢いで吹き出している。
「お願いだから待って、ひっ……ど、どうしてそれでこうなんの? 俺、本当にフィリップのこと大好きでやばい」
堪えきれないという様子で、笑い続けるレックス。本当に彼のことが大好きならば、今はフォローに徹して欲しい。
確かにフィリップ様が今まで吐いた嘘のことを思えば、落ち着いていられなくなる気持ちもわかる。わたしなら恥ずかしくて、死んでしまうかもしれない。それでも。
「フィリップ様、本当にごめんなさい。どうかお願いですから、わたしの話を聞いてくれませんか」
そう声を掛けると、彼の身体がびくりと跳ねた。
その勢いで頭にぶつかったらしく、アイスペールの中ではボオン、という鈍い音が響いている。
「……もう、いいんだ。本当にすまなかった」
「違うんです、わたし、」
「短い間だったが、一生分の幸せな夢を見れた」
「フィ、フィリップ、悪いけどヴィオラはそっちじゃない」
アイスペールを被っているせいで方向感覚が失われているらしく、実はフィリップ様は誰もいない明後日の方向に向かって話し続けていた。
レックスは「わ、笑いたくないし助け舟を出したいのに、い、息ができない」と言い、先程よりも苦しんでいる。
「君は優しいから、無理をしてこんなにも愚かで最低な俺に、合わせてくれていたんだろう。すまなかった」
「フィル、聞いてください! わたしは、」
そんなわたしの声が届くことはなく、フィリップ様は「すまない」とだけ呟くと、アイスペールを脱いだ。そしてそれを抱えたまま、部屋を出て行ってしまう。
すぐに慌てて追いかけたものの、わたしが部屋を出た時にはもう、長い廊下にその姿は見えなくなっていて。
わたしはどうしようと一人、頭を抱えたのだった。
◇◇◇
一週間後、わたしはローレンソン公爵家に向かう馬車に揺られていた。あれからフィリップ様とは一度も連絡が取れていない。手紙を書いたところで返事が来るはずもなく。
その結果、困ったわたしは彼の弟であるセドリック様に相談したところ、公爵家に来るよう言われたのだ。
『フィリップも今は流石にあれだろうけど、数日後には少しくらい落ち着いてるだろうし、大丈夫だって』
『…………』
『そもそもあいつは、言葉が足りなすぎるんだよ』
レックスはあの後、そう言って慰めてくれた。確かにフィリップ様は、言葉が足りなすぎる。ミラベル様のことだって一言、事前に言ってくれれば良かっただけなのだ。
けれどわたしも長い間、自分から彼に歩み寄る努力を怠っていたのは事実で。彼だけが悪いわけではない。
ちなみに何が何だかわかっていない様子のナタリア様は、レックスに適当に言いくるめられ、呆然としたまま帰って行った。あの状況を見たら、誰でもそうなるとは思う。
「やあ、ヴィオラ。久しぶり」
「セドリック様、お久しぶりです。突然ごめんなさい」
「ううん。それより、兄さんがごめんね」
やがて公爵家に着くと、すぐに応接間に通され、セドリック様と向かい合って座った。
アイスペール片手に自宅へ戻ったフィリップ様は、あれから一週間ずっと、部屋に引きこもっているのだという。食事にもあまり手をつけていないと聞き、心配になる。
「わたしの、せいなんです」
「僕は何も知らないけれど、それでもこうして話をしようとしているヴィオラから逃げている兄さんも、悪いと思う」
彼はそう言うと、深い溜息を吐いた。
「セドリック様、ヴィオちゃんの散歩が終わりました」
そう言って現れたメイドの手のひらの上には、ちょこんとヴィオちゃんが乗っていた。他の人がヴィオちゃんと呼んでいるのを聞くと、なんだか落ち着かない気分になる。
「ありがとう」
「この後はどちらへ連れて行けばよろしいですか?」
「うーん、とりあえず今は俺が預かろうかな」
言われた通りにメイドはセドリック様の腕にそっとヴィオちゃんを放すと、彼女はぴょこんとそこに飛び乗った。
「ヴィオちゃん、こんにちは」
「モウ、オワリダ……」
「えっ」
「オワッタ……」
今日のヴィオちゃんは、そんなことばかりを呟いていて。心なしか、その表情まで暗いように見える。
「兄さんのせいで、ヴィオちゃんまでこんな調子だよ。あまり食事もとれていないらしいから、兄さんの元から離して俺が面倒を見てるんだ」
そんな話に、ずきりと胸が痛んだ。わたしのせいでヴィオちゃんまで辛い思いをしているのだ。
そっと彼女の色鮮やかな小さな身体を撫でれば、「キエタイ……」と呟かれてしまった。これら全てがフィリップ様の気持ちだと思うと、泣きたくなる。
「とにかくヴィオラが来ていることをもう一度伝えて、兄さんを呼んでくるから待っていて」
「……はい、ありがとうございます」
そう言うとセドリック様は今度はわたしの手のひらにヴィオちゃんを乗せ、応接間を出て行った。
ヴィオちゃんと二人きりになり、わたしは彼女の美しい毛並みを撫でながら「ごめんね」と呟く。カバンから鳥用のおやつを出せば、少しだけ食べてくれてほっとする。
「……本当はね、少しだけ怖いの」
そして誰にも言っていなかった気持ちを、他人とは思えない彼女にだけ、吐露してみる。
フィリップ様に嫌われてしまっていたらと思うと、怖かった。あの場ではそんな雰囲気はなかったけれど、いざ冷静になって考えてみたら冷めた、という可能性だってある。
事故にかこつけてまで記憶喪失だという嘘を吐くほど、婚約破棄をしたがっていたなんて知れば、誰だって傷付くに決まっているし、幻滅していたっておかしくはない。
……考えれば考えるほど、悪い方向に考えてしまう。昔からのわたしの悪い癖だ。
「無理をして合わせていただけなら、焼きもちなんて焼かないし、お揃いのネックレスなんて買うわけ、ないのに……」
ぽた、ぽたりと、ドレスに染みができていく。フィリップ様は、何も分かっていない。
それと同時に、いつの間にかこんなにもフィリップ様に惹かれてしまっていたことを、苦しいくらいに実感していた。
そんなわたしを、ヴィオちゃんはつぶらな瞳でじっと、不思議そうな顔で見つめていたけれど。
「……ホントウニ、オレハドウシヨウモナイ」
再びそんなことをぽつりと呟いた。先程と変わらないネガティブな言葉に、やはり罪悪感が募る。
「ダメナンダ」
「…………」
「イママデダッテ、ナンドモ、ドリョクシタノニ」
「ヴィオ、ちゃん?」
努力とは一体、何の話だろうか。首を傾げているわたしに向かって、彼女は「ヤッパリ」と続けた。
「ヴィオラダケハ、アキラメラレソウニナイ」
そんな言葉に、視界が大きく揺れた。安堵すると同時に愛しさが込み上げてきて、やっぱり涙が出てしまう。
……何も分かっていなかったのは、わたしの方だ。
溢れてくる涙を何度も拭う。そしてわたしは小さく深呼吸をした後、立ち上がったのだった。




