誕生日1
『ねえ、ヴィオラもフィリップ様に渡してみたら?』
『えっ?』
『いつもは豚さんに食べさせるのも可哀想なレベルだけれど、今日のは上手にできてたもの。たまには、ね?』
そんなジェイミーの褒めているんだか貶しているんだかわからない言葉を受け、わたしは掌の上にある綺麗にラッピングされたクッキーをじっと眺めてみた。包装がとても綺麗なだけで、中身はいつも通りいびつな形をしているのだけど。
わたし達の周りでも、つい先ほど調理実習で作ったクッキーを手に、周りの女子生徒たちは皆、誰にあげようかなんて話し、浮き足立っている。
ちなみにお菓子作りが苦手なわたしはいつも、出来上がったものは全て、何故か欲しがるジェイミーにあげていた。彼女がそれをどうしているのかは、未だに謎のままだ。
確かに今回は、わたしにしてはうまく行った方だと思うけれど。フィリップ様にあげるなんて、考えてもみなかった。
『最近のあなた達は、周りからも不仲だなんて言われているんだし、たまには仲良しアピールも大切よ』
『……不仲なのも、事実だもの』
『まあとにかく、渡してみて。ね? お願い』
そうして背中を押され、「行ってらっしゃい」と教室から追い出されてしまう。何故彼女は、そこまでしてフィリップ様に渡させようとするのだろうか。
実際、婚約者に渡すのはよくあることだし、今回はジェイミーに言われたからだ。深い意味はない。そう自分に言い聞かせ、特進クラスへと向かう。けれど教室に彼の姿はなく、渡さずに済んだことで、ひどくほっとしてしまう。
けれどすぐに教室に戻っては、ジェイミーに何か言われてしまうだろう。裏庭を通り、遠回りして戻ることを決める。
そうして鼻歌を歌いながら歩いていたわたしは、不意に見知った人影をふたつ見つけてしまい、思わず足を止めた。
──どうして、ナタリア様とフィリップ様が二人でこんなところにいるのだろう。
『……本当に、ヴィオラ様は困ったものですわ。フィリップ様もそう思うでしょう?』
『ああ。俺と彼女は、何もかもが釣り合わないというのに』
そんな言葉が聞こえてきた瞬間、心臓が凍りつくような感覚に襲われた。すっと全身の血の気が引いていく。
……それと同時に、やっぱり、と納得してしまっている自分がいた。わたしが彼と釣り合わないのは事実なのだから。
『では、ヴィオラ様には何の興味もないのですね?』
そんなナタリア様の質問に、彼は迷うことなく頷いた。
『ああ。家同士のあんな約束がなければ、関わることすらないだろうな』
吐き捨てるようにそう言ったフィリップ様の言葉に、わたしはじわじわと視界がぼやけていくのを感じて。
気が付けば、逃げるようにその場から走り出していた。
……本当に、バカみたいだ。こんなクッキーなんて持って行って渡したところで、どうせ捨てられるだけだと言うのに。ぐしゃりとそれを握ると、涙が溢れた。
決められたこととはいえ、彼と赤子の頃から一緒に過ごしてきた時間は決して、短いものではない。普段素っ気ない態度をとるフィリップ様にも、少しくらいわたしに対して情のようなものがあるのではないかと、期待してしまっていたことにも今更気が付いて。余計に、涙が出た。
そしてそれから数日後、わたしは彼に言ったのだ。
「フィリップ様なんて、大嫌い」と。
◇◇◇
内容は覚えていなかったものの、なんだか嫌な夢を見てしまったような気がする今日。
わたしはいつものようにローレンソン公爵家でフィリップ様と向かい合い、お茶をしていたけれど。
「……フィルのお誕生日、ですか」
「ああ。パーティーには君も一緒に参加して欲しい」
そんな彼の言葉に、わたしは内心頭を抱えていた。毎年必ず参加していたと言うのに、今年は完全に忘れていたのだ。
「は、はい、わたしで良ければ」
「ありがとう。……それで、なんだが」
「はい」
「当日、君が着るドレスを贈ってもいいだろうか」
照れたような表情を浮かべながら、フィリップ様はそう言って。どきりと心臓が大きく跳ねてしまう。
「フィルのお誕生日なのに、良いんですか……?」
「ああ。だからこそ、俺が贈ったものを着て欲しい」
「……ありがとうございます。嬉しい、です」
そう返事をすれば、彼はひどく嬉しそうに微笑んだ。過去の常に無表情だった頃などもう思い出せないくらい、その雰囲気はとても柔らかいものに変わっている。
それと同時に、ドレスまで頂くことになってしまったわたしは、プレゼントをどうしようかと余計に悩んでしまう。
今まではお互い、最低限の花なんかを贈り合うだけだったのだ。けれど今年はそうもいかないだろう。かと言って、彼が喜びそうなものなど、何ひとつ思い浮かばない。
「あれ以来、記憶は戻っていないのか」
「はい。今のところは何も」
「……そうか」
そんなわたしの返事に、フィリップ様は何故か少しだけ悲しそうな顔をしたけれど。
「当日、楽しみにしている」
やがて小さく笑った彼に、喜んでもらえるようなものを贈りたい。わたしは心の底から、そう思ったのだった。
◇◇◇
「……で、俺が呼ばれたと」
「他にこんなことを相談できる人なんて、いないもの」
そんな会話をしながら、わたしは今、レックスと向かい合いながら馬車に揺られている。
あれから数日、色々と考えてみたけれど何一ついい案が思いつかなかったわたしは、レックスにプレゼント選びに付き合ってもらうことにしたのだ。
思い返せば、わたしはレックスのことも大の苦手だったはずなのに、今ではそう感じることもなくなっていた。本人には絶対、そんなことは言えないけれど。
「プレゼント、ねえ。あいつはお前が選んで渡せば、その辺に落ちてる石でも喜ぶと思うけど」
「そんな訳、」
……ありそうだ。あんなひどい出来のハンカチですら喜んでいたのだ。今までの様子を見る限り、あり得そうで困る。
「とにかく、フィリップ様にちゃんと喜んでもらいたいの」
「へえ? へえ〜! それはそれは」
ニヤニヤとしながらこちらを見つめるレックスから顔を逸らすと、わたしは街が見えてきた窓の外へと視線を移した。
「いやいやいやいや、ムリムリムリムリ」
「俺は本気でこれが一番いいと思う」
「絶対にムリ! こんなの渡せない、恥ずかしくて死ぬ」
現在、王都でもトップクラスの人気宝石店で、わたしとレックスはそんなやりとりをしていた。彼がプレゼントに良いと勧めてきたものは、なんとペアのネックレスだったのだ。
確かにデザインもすごく素敵だけれど、お揃いのものだなんて、恥ずかしくて贈れるはずがない。
「間違いなく、何よりも喜ぶと思うけどなあ」
「で、でも」
「ふうん、お前のフィリップを喜ばせたいって気持ちはその程度だったんだ。がっかり」
「わ、わかったわよ!」
そしてわたしは勢いに身を任せ、そのままペアのネックレスを購入してしまったのだけれど。
「んまあ! 信じられませんわ!」
そんな声に振り向けば、またもやナタリア様がいて驚いてしまう。どれだけ偶然が重なるんだろうか。わたしはまた面倒臭いことになりそうだと、こっそり溜め息を吐いた。
「フィリップ様というものがありながら、レックス様とペアのネックレスを買うなんて……」
「えっ? いえ、これは」
「言い訳など聞きたくありませんよ!」
「違うんです、本当にこれは、」
またフィリップ様に余計なことを吹き込まれては困ると思い、説明しようと思ったけれど。怒った様子のナタリア様は沢山の荷物を抱えた従者を連れ、出て行ってしまった。
とんでもない誤解をされてしまった気がするけれど、流石にレックスが相手ならば誰も信じないだろう。
「あはは! 完全に俺、浮気相手になってるじゃん」
「…………はあ」
爆笑するレックスの隣で、わたしはこのネックレスをなんと言って渡そうかと、ひたすら頭を悩ませていたのだった。
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