たったひとつだけ、わかること
タイトルの……通りです……!!!
案内された部屋は、かなり広いものだった。それでもいくつかあるスイートルームの中では狭い方らしく、ベッドは寝室に大きなものがひとつ、どどんとあるだけだ。
それを見るだけで、なんだか気まずさが増してしまう。
何かあったらすぐにお申し付けください、と案内係が出て行ってしまった後、なんとも言えない沈黙が流れた。
とりあえずお互い無言のまま、大きなL字型ソファの端と端に腰掛ける。
「…………」
「…………」
一度は落ち着いたものの、どう考えてもわたし以上に色々と意識し、様子のおかしいフィリップ様を見てしまったせいで、再び落ち着かなくなってしまっていた。
窓の外からは絶えず叩きつけるような雨風の音が聞こえ、時折鳴り響く雷の音に、少しだけ怖くなる。
「……何か、飲むか?」
「あっ、はい」
そう返事をすれば、フィリップ様は用意されていた冷えたフルーツティーをグラスに注ぎ、手渡してくれた。
「きゃっ……!」
けれどその瞬間、すぐ近くで雷が落ちたような大きな音が鳴り響いて。驚いたわたしの手からはグラスが滑り落ち、思い切りフルーツティーをかぶってしまっていた。
濡れたドレスの気持ち悪い感触と、あまりの冷たさにぞわりと鳥肌が立つ。本当に今日は踏んだり蹴ったりである。
「すまない、大丈夫か?」
「いえ、わたしが悪いんです。すみません。お茶を被ってしまったので、先にお風呂に入らせて頂きたいのですが……」
「あ、ああ」
そうしてわたしは先に入らせてもらい、用意されてあった部屋着に着替えて戻った。温かいお湯を浴びているうちに、大分緊張もほぐれた気がする。
フィリップ様はというと、ソファの端で本棚にあった本を読んでいるようで。真剣な表情で本に視線を走らせている。
どうやら先程までひどく緊張した様子だった彼もまた、大分落ち着いたらしかった。
「すみません、お先に入らせて頂きました」
「ああ」
「本、読んでいたんですね」
「ああ」
彼はそう言ったまま、こちらを見もしない。
そんなにも集中するほど面白い本なのかと、タイトルが気になり本の方へと視線を向ければ、なんと本自体が上下逆さまなことに気が付いた。落ち着くどころか悪化している。
「あの、本、逆ですよ」
「…………!」
そうわたしが指摘して初めて気が付いたらしいフィリップ様は、頬を赤く染めて。風呂に入ってくると言い、早足で浴室へと消えていった。
そんな様子を見ていると、思わず笑みが溢れる。とは言えわたしも、自分の使った後の風呂に彼が入ると思うと、やっぱり落ち着かなかった。
それからは置いてあった雑誌なんかを読みながら、時間を潰していたけれど。
「フィル、上がったんです、ね……」
やがて戻ってきたフィリップ様を見た瞬間、わたしは思わずその姿に見惚れてしまっていた。
水も滴る、とはよく言ったものだと思う。しっとりと濡れた紺色の髪や、かすかに上気した頬が、普段の何倍も彼の美しさを引き立て、信じられないくらいの色気を引き出していた。
そんな彼を見つめているうちに、いつの間にかフィリップ様にも聞こえてしまうのではないかというくらい、ドキドキしてしまっていることに気が付く。
「ヴィオラ?」
「……な、なんでもないです」
慌てて視線を逸らすと、俯いたわたしは落ち着けと何度も自分に言い聞かせた。
それからはお互い好きに過ごしながら、ぽつりぽつりと会話をしているうちに、普段ならば眠っている時間になっていた。窓の外の様子を見る限り、雨風は止みそうにない。
きっと、今夜帰ることなどはもう無理だと、フィリップ様も気づいているだろう。
かと言って、なんと切り出せばいいのかわからなかった。そろそろ寝ましょうか、と言ったところでベッドは一つしかないのだ。フィリップ様のことだ、自分はソファで寝ると言い出すに違いない。
どうしようと悩んでいると、先に口を開いたのはフィリップ様だった。
「俺はソファで眠るから、君はベッドを使ってくれ」
「そんな、だめです。フィルが使ってください」
「好きな女性をソファで寝かせて、一人ベッドで眠るような男に、俺はなりたくない」
「…………っ」
そう言われてしまっては、断れるはずもなく。結局、わたしはお言葉に甘えて一人寝室へと向かったのだった。
◇◇◇
それから、1時間ほど経っただろうか。
羊をいくら数えても全く寝付けず、何度も寝返りを打っていたわたしは、気分転換に何か温かいものでも飲もうと、キッチンスペースへとそろりと向かう。
すると広間には明かりがついており、フィリップ様はまだ起きているようだった。
「あの、フィルも温かいお茶、飲みますか?」
「……まだ起きていたのか。ありがとう、頼む」
「わかりました」
とは言ったものの、お茶などまともに淹れたことがなかったことに今更気が付いたわたしは、茶葉と格闘していた。どれくらいの量を入れて、どれくらいの時間を置くべきだということなどが、さっぱりわからない。
なんとか二人分を淹れ広間へ向かうと、ティーカップの一つを彼の前に恐る恐る置いた。そうしてわたしも端っこではなく、先ほどよりも少しだけ彼に近い場所に腰掛ける。
やがてカップに口をつけたフィリップ様は、「美味しい」と微笑んだ。その言葉を聞き、良かったとほっと胸を撫で下ろしたわたしもまた、一口飲んでみたけれど。
「っごめんなさい、それ以上飲まずに捨ててください」
びっくりするほど、味がなかった。もはやお茶風味のお湯だ。こんなものをフィリップ様に飲ませてしまったなんて、申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいになる。
けれどフィリップ様はそんなわたしに向かって、「君が淹れてくれたというだけで、嬉しくて味なんてわからなくなってしまった。ありがとう」なんて言って、笑うから。
その言葉と笑顔に、なんだか泣きたくなってしまう。
「…………どうして、」
「ヴィオラ?」
「どうして、そんなにわたしのことが好きなんですか」
そして気が付けばわたしは、そんなことを尋ねていた。
「わからない」
「えっ?」
「理由なんて、わからない。けれど俺はもう、ヴィオラじゃないと駄目なんだ」
そう言って困ったように笑うフィリップ様を見ているとやっぱり、悲しくもないのに、泣きたくなる。
それと同時に、わたしは以前感じていたものとは違う、ふわふわとした胸の高鳴りも感じ始めていたのだった。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
なんと現在、この作品のコミカライズ企画が進行中です!!
これも全て、いつも応援してくださる皆様のお蔭です。本当にありがとうございます。
フィリップの数々の迷シーンを、漫画で見られる日がくるなんて……!私自身、とっても楽しみです。
詳細は活動報告やツイッター(@kotokoto25640)にて後日報告させていただきます。
引き続き、よろしくお願いいたします!




