第101話 調伏部隊の鷲津さん
西古見邸の居間にまるで岩のようにでかい男が座っていた。
西古見邸というのは、もちろんあの西古見邸、ヨーカイザーとかいうトンデモ珍オモチャを街中に広めて妖怪たちと人間たちの人生の一部を弄んでいるおじいちゃん、西古見博士氏のご自宅である。
西古見邸の住人は息子夫婦と孫の賢太君、それから博士氏であるが、客間に座っている男は家族の誰とも縁のないまさに『招かれざる客人』であった。
その男の名前は鷲津勲という。
身長は二メートル近くあり、短髪で、絶対に柔道部か空手部出身であると断言できそうな体格をブラックスーツに押し込んでいる。
とてもではないが六十代には見えない。
なんなら今でも社会人チームのコーチとかやってそうな風貌だ。
顔立ちも《頑固》という漢字を分解して目と鼻と口にしたかのようだった。
用意された座布団がやけにちんまりとして見えた。
彼が差し出した名刺には広域退治一課長という肩書が書かれていた。
鷲津勲は西古見邸に部下をふたりと、もうひとり部外者を連れてやって来た。
名刺を受け取った西古見博士は鷲津勲を見、その隣で欠伸をしている若い少女ら二人を見、最後に、男だか女だかよくわからない見た目の――アタッシュケースを携えた怪しいコンサルタントに目を留めた。
与那覇である。
「ほほっ!」
西古見博士は満面の笑みを浮かべた。
「老い先短い人生でも、意外な人物と二度会うことはあるもんですなあ」
「浮き沈みの激しい業界ですが、信頼を得るコツは粘り強さだと存じております」
与那覇は感情の読めない薄ら笑いを浮かべる。他の面子は座布団に正座であったが、与那覇だけは座椅子を用意されている。
西古見博士はそれきり、与那覇の存在をまるで無視して鷲津勲と向き合った。
「西古見博士、お噂はかねがね、長浜支部長から聞いております。本日はお時間をいただきありがとうございます」
「うむ。ワシのほうでも鷲津さんは怪異排除派閥の急先鋒と聞いておりますじゃ……」
「……こちらの内部事情をよくご存知のようですね」
ヨーカイザーの件で、西古見氏がただものではないことは、東京本部にも伝わっている。
鷲津勲はすごんでみせたが、西古見博士は黙ったまま、怪異退治組合が定期的に発行している機関紙を取り出してみせた。
組合の事務所に行けば普通にもらえるやつで、表紙にはでかでかと鷲津勲の顔写真が載っており、巻頭のロングインタビューに『日本の怪異退治の未来は? 共存か? 排除か?』と書かれていた。
鷲津勲は心なしか恥ずかしそうに照れていた。
彼は意外とそういう抜けたところがある男なのだ。
「今日、本部の人間がわざわざお出ましになったということは、もちろんヨーカイザーの話……ということで間違いないようじゃの」
「はい。派閥うんぬんを除いたとしても、組合としては、こうした玩具を子どもたちに配り歩くという行為を認めるわけには参りません。本日は活動の自粛をお願いしたく直接おうかがいいたしました」
「ホホホ、老い先の短いジジイの趣味を奪うつもりじゃな」
「聞くところによると、子どもたちは青龍だの朱雀だのを召喚できるようになったそうではないですか」
「青龍とか読んでいるが、実際のところは単なる蛟よ。子どもは派手な呼び名が好きじゃからのう」
「蛟である時点で子どもが扱える限界をこえています。遊びであっても、あがめられれば力はいや増すでしょう」
「まあそれはそうじゃな。しかし、鷲津さん、もとはワシの遊び心が引き起こしたこととはいえ……街にはいまや、ヨーカイザーを狙った犯罪者集団までもがはびこっておりますじゃ。どうじゃろう、子どもたちも自衛の手段というものを持たねばならんと思うのじゃが……」
そのとき、障子戸が開いて、賢太君のお母さんがやってきた。
全員にお茶の入った湯呑が行き渡るまで、会話はしばし取りやめになる。
彼女が出ていくと、鷲津勲は再び口を開いた。
「西古見さん、この土地は長らく西古見一族のものでした。血筋を辿れば古くは都を戦で追われた陰陽師の家系と聞いております。蛟や花魄、食火鶏といった古典妖怪たちがいまだ勢いおとろえずに存在するのは、彼らのまじないのおかげであるところが大きい……。ここはもともと、妖怪と人の結びつきの強すぎる土地です」
「そうですな。とはいえ祖先のしたこと、だれにも責められぬことですじゃ」
「ええ。ですが、そうした環境がヨーカイザーを生み、子どもたちと妖怪を近づけ、さらには犯罪者集団まで招くのであれば……そうした因縁に《《けり》》をつけるのも大人の仕事ではないでしょうか」
西古見博士はゆっくりとお茶を飲んだ。
湯呑に手をつけたのは西古見氏だけである。
「……それで、あんたたちは、この土地に住まう妖怪を一掃するとでもいうのじゃろうかな?」
「はい。すぐにでも取り掛かるべきというのが我々の総意です。広域退治一課は、組合の中でも退治・封印に関するスペシャリストを自負しております」
西古見氏は溜息を吐いた。
「鷲津さん、ヨーカイザーのことはともかくとして、どうか忌憚ない意見を聞かせてくれんじゃろうか。ワシは……妖怪は、物言わぬ魂が吐く泡のようなものと思うておりますのじゃ。隠せば隠すほど、追い払おうとすればするほど、妖怪はこの世界に生まれ出でる。そして何重に封印したとしても呼吸までは止められないものですじゃ」
「自分はそうは思えません。妖怪や怪異というものは、根本的に人社会と相容れぬもの。思考の根本が違いすぎるのです。神話の時代、数々の英雄が鬼や蛇を打ち倒し、この土地を支配しました。だからこそ現在の繁栄があるのです。むしろ私のほうがご教示願いたい。妖怪や怪異といったものとは共存可能なのか。いや、何故そのようなことをせねばならないのです?」
「教えてやろうか」
――一瞬、客間がしんと静まった。
それは何故だったか。
庭を通した外界の光が、障子戸を通して客間に影を投げかけたからであった。
その影は人ならざる《《かたち》》をしていた。
何かはわからぬが、何かではある。
鷲津勲をはじめとする一行はその影を前にしながらも、誰一人として振り返らず、平静を保っていた。
西古見氏はもう一口、お茶を飲んだ。
そして満足そうに微笑むと、影は消え去った。
「そのほうが楽しいからじゃ」
一言で答えて「かかか」と笑う。
鷲津勲は眉間に寄せた皺を深くした。怒っているようにも、困惑しているようにも見える顔つきだった。
どちらにせよ、この、飄々として人をたぶらかす老獪なタヌキのような老人が、怪異排除派を標榜する人物にとって不快な相手であることはまちがいないだろう。
「鷲津殿、あんたは何か楽しみを見つけなされ。あんたはまるで死人のようじゃ。死人のように生きるというのは、どこにも根を張らずにさ迷うカカシのようなもの。根を張ってご自分の畑を持つのがよろしかろう……」
「私には、お話が観念的すぎるようです」
「では、もっと《《びじねすらいく》》にお話しようかの。あんたたちはしょせん、すべての土地にとってよそ者じゃ。あんたらが何をしようとも、わしらを無視してやろうとするなら、わしらは怪異退治組合を受け入れない、ただそれだけの話ですじゃ」
西古見氏はヨーカイザーを作って遊んでいるだけの頭のおかしい老人であるだけではない。この地域の顔役といってもいい人物だ。
閉鎖的な田舎では、怪異退治組合のような組織よりも、土地の縁が重視される。
西古見氏が「出ていけ」と一言号令をかけたなら、土地の者たちはみんな声をそろえることだろう。
それでも鷲津勲は顔色を変えることなく、ヨーカイザーをひとつ机の上に置いた。
それから金色のコバンを二枚つけたした。
蛟と火食鶏を召喚するためのコバンである。
「それは賢太のヨーカイザー……じゃな……」
「これはまだ《《お願い》》の段階ですが、最低限でも、四神の召喚機能を封印してください。フォームチェンジも禁止です。それが我々にできる最低限の譲歩というものです。もしもできなければ、長浜支部長を更迭し、本案件には広域退治一課が本格介入することになります」
以前、賢太がヨーカイザーをやつか町に持ち込んだとき、対応したのが長浜支部長である。彼は事の顛末を本部に報告した張本人であるが、裏を返すとそれまで本部に事態を黙認していた西古見氏側の人物でもあった。
「西古見さん。どうかご理解ください。ヨーカイザーは危険すぎるのです」
「危険をどうするか考えるのは、ワシの世代ではない。貴方の世代でもない。子どもらの世代です。それもあんた方の子どもではない。ワシらの子どもたちですじゃ」
「下の世代に残すべきは、もっと安定した未来であるべきだ」
「危険のいっさい存在しない未来を後に託した世代など、歴史のどこにもありはせんぞ。鷲津殿、あんたは傲慢にすぎる。それにワシはあんたと理想のあるべき姿について語りあうのは不毛なことじゃとも思うておる。本日はもうお帰りなさい」
話が決裂したとみるや、鷲津は畳に手を突いて頭を下げた。
「失礼します」
鷲津が立ち上がる。
部下らしい少女のひとりも付き従った。スーツを着て髪をまとめているからわかりにくいが、まだ十代のように見える。
もうひとりは与那覇に手を貸していた。
与那覇は脚を痛めているようで、杖を突いていた。
全員、行ってしまうと、西古見氏は首を傾げた。
「さてさて、ど~~したもんかの~~う? 今の組合本部はどうでもいい奴しか残っとらんからどうとでもなるとして……」
独り言は意外なほど深い。
鷲津勲をけんもほろろに追い返してみせたものの、状況はあまりよくない。
西古見氏には懸念している事態があった。
「自衛隊を呼ばれると厄介じゃな」
怪異事件に関しても、自衛隊の出動を要請するかどうかは、知事の判断である。
組合の働きかけによってヨーカイザー案件が治安維持に深く関わると判断されれば、出動やむなしということになりかねない。
そうなれば、西古見氏の土地に住む妖怪たちも根絶やしか、それに近い状態になってしまうだろう。
「ポン次郎や」
西古見氏が呼ぶと、客間にマメダヌキが現れた。
床の間で置物のふりをしていた茶色い毛玉は、つい先日、ダークヨーカイ団に捕まってピンチになっていたマメダヌキである。
「おまえ、ちょっとやつか町に行って、あちらとの縁を繋いでおいておくれ」
「は~い!」
ポン次郎はふすまに開けた専用出入口からお台所に駆けていく。
賢太ママの「まあポンちゃん、旅に出るの?」という声を聞きながら、西古見氏はお茶の残りを啜るのであった。




