第99話 ヒッチハイク・タヌキ
はぁちゃんは夜、配達帰りに自転車の特訓のために天狗山の峠を流していた。
ちょうど天狗山展望台のあたりを通りがかったところで、道端に器用に親指を立てたタヌキが立っているのを発見した。
マメダヌキとホンドダヌキのちょうど中間くらいの大きさで、
「たのも~!」
と通り過ぎようとするはぁちゃんに声をかける。
タヌキがしゃべったので、はぁちゃんはびっくりして自転車を止めた。
タヌキはぼてぼて歩いてはぁちゃんの体によじ登ると、配達用バッグの上にちょこんとお座りをする。大きさの割に、何か乗ってるなあ、程度の重たさしか感じないのがふしぎといえば不思議だった。
「……ふう。お世話になります。わたくし天狗山のタヌキのポコ助といいます」
「あ、これはどうも……。はぁちゃんです」
はぁちゃんは状況がよくわからないので、なぜか配達用のハンドルネームで答えてしまった。でもポコ助はあまり気にしていないようだった。
「じつは、わたくし、やつか町でおともだちと会う約束をしていたのですが、このままぽてぽて歩いていくと約束の時間にまにあいそうにありませんので……町まで送っていただけますとたすかるなあとおもうんです。だめですかね」
「はあ、なるほど。見ての通り自転車ですけど構いませんか」
「ええ、ええ、もちろんわれわれタヌキも車のほうがはやいというのはわかっているのですが、どうも車というのは好きになれません。はやすぎますね。自転車くらいがちょうどよかろうとおもいます」
「約束の時間ってのは、何時くらいで……?」
はぁちゃんがたずねると、ポコ助は空に浮かんだ月を指さした。
「あの月が、あそこらへんに差しかかったくらいです」
「はあ……」
人間であるはぁちゃんには、それがどれくらいの時間なのかはわからなかった。
ただ、急いだほうがよかろうということだけはなんとなくわかった。
「それくらいならお安い御用です。ちょうど町に戻るところでしたから」
「あの~もしもよろしければ、そのあと、やつか町をひとまわりしていただけませんか。それで、よあけまえには展望台にもどってきたいのです」
「えっ」
「だめですかね?」
はぁちゃんは意外と長距離の送迎になりそうなのでびっくりしたが、ポン助は困っている様子だったので「これも何かの縁」と思い了承した。
「それにしてもずいぶんホッソリとした自転車ですねえ……。びょうきの自転車ですか?」
「いえ、そういうわけじゃないですが」
自転車が走りだし、くだり坂に差し掛かると、ポン助は大きな声を上げた。
「ひゃあああ~~! こわ~~~~い!」
やつか最速とうわたわれた男、はぁちゃんは、この奇妙なヒッチハイカーのために、かぎりなく速度を落としてやつか町を目指した。
*
指定された公園にはマメダヌキたちが集まっていた。
はぁちゃんは妖怪マメダヌキのことを知らないので、やたらちいさいタヌキだなあと思った。
「ポン助、ひさしぶり~」
「みんな、ひさしぶり。げんきだった?」
「げんきげんき」
たくさんのマメダヌキたちは月の下で人間と同じように世間話をしている。仲間どうしだからか、ポン助も気さくなしゃべり方だ。
ぽんぽこちいさな毛玉たちが跳んだりはねたり実にまるまるとしながらお話をしているところをみていると、昔話の世界に迷いこんだみたいだ。
「今日はぼくのために集まってくれてどうもありがとう。あらためてみんなに話しておきたいことがあるのです」
近況報告などがひと通り済むと、ポン助はたぬきずまいをきちんとただして、マメタヌキ一同に向かってそう言った。
「なになに」
「なあになあに」
「じつは、ぼくはお山を出ていかないといけないことになったのです」
ポン助がしょんぼりとうなだれながらそう言うと、マメダヌキたちは「えーっ」と声を上げた。
「どうして? ポン助もマメダヌキになるの?」
「ん~ん。やつか町よりもっと遠いところにいかないといけないんだ……。みんなにも会えるのもこれが最後になっちゃうと思う」
「え~っ!」
マメダヌキたちはいっせいに声をあげた。
「なんでえ、ポン助くん、会えなくなっちゃうの?」
「そんな悲しいこと言わないでよ」
「マメダヌキになって一緒に暮らそうよ」
ポン助も悲しそうに首を横に振る。
「これはもう決まったことだから、ぼくは遠くにいきます。それでね、ひとつおねがいがあるんですが、いいかな。マメタくん」
ポン助はグスグスと鼻をすすっているマメダヌキの一匹に声をかけた。
「なあに、ポン助くん」
「お山にぼくの連れあいがいるんです。ぼくが遠くに行ってしまったら、きっと寂しがるとおもうから、ときどき様子を見に行ってくれませんかね」
「わかった! マメタにまかせて!」
「マメタくんは頼もしいなあ。おねがいをきいてくれてありがとう」
「ポン助くん、遠くにいってもげんきでねえ」
ポン助はマメダヌキ一匹一匹とていねいにあいさつをすると、涙ぐみながら、はぁちゃんの鞄の上に乗った。
「みんな、げんきでね~」
公園を離れるポン助を、マメダヌキたちはいつまでも見送ってくれた。
「どこか引っ越しでもするのかい?」
はぁちゃんが訊ねるとポン助は「そういうのともちがうんですけれど」と言った。
「これはうまれたときからのお約束なのです」
ポン助ははぁちゃんの頭に乗って街のいろいろなところをめぐった。
駄菓子屋さんとか、井上さんのおうちとか、スーパーや小学校や駅前の商店街を通り抜けた。
「この町のみなさんはタヌキにとっても優しくって、お山にごはんが少ないときはいつもたべものをわけてくださったのです。おにぎりやおやさい、くだもの……あとぽてとちっぷす」
ポン助はえさをくれたおうちや場所に行き、短いおててを合わせて「どうもありがとうございました」と頭を下げて回った。
野生動物への餌付けは良くないことなのではないかとはぁちゃんは思ったが「そのおかげでうちの子たちは大きくなったんです」といわれると批判めいたことを言う気にはなれなかった。
悪いのは野生動物との接し方に理解のない人間のほうなので、タヌキに言うのもちがっているだろう。
最後はやつかの海岸線を走り『七尾』という表札をだしたおうちの前に止まった。
「ここです。ぴんぽんを押してください」
「えっ。ええ~?」
それまで、ポン助はいろんなお家を回ったが夜も遅いのでピンポンまではしなかった。だけど、このおうちだけはピンポンをしないといけないと言う。
「ポン助くん。こんな時間にチャイムを鳴らしたら、きっと怒られると思うよ」
「だいじょうぶです。そういう決まりですんで、遠慮なく押してください」
妙に頑固である。
ポン助がそういうので仕方なく、はぁちゃんはチャイムを押した。きっと怒られるだろうなあ、と思いながら押すと、二階の部屋に電気がつくのが見えた。
そのまま縮こまって待っていると玄関を開けてメガネをかけた怖そうなおじさんが出てきた。
「はいはい……。ああ、なんだ、タヌキか」
「夜分おそくにすみません。天狗山のポン助です」
七尾のおじさんは寝間着の上にカーディガンを羽織った姿で、寒そうにしながら、はぁちゃんの頭の上にいるポン助に目をやった。
「このたび、わたくし、わけあって天狗山を去ることになり、おいとまごいにまいりました」
「ほほう、そりゃあご丁寧に」
「天狗山のたぬきたちがぽんぽこぽんと一生をすごせますのも、やつか町を守ってくださるななおさまと、お山を守ってくださる海開丸さまのおかげです。どうもありがとうございました」
「まあそんなけったいなことはしてませんがね。……それより、あんた、はぁちゃん……。いったいどうしてこんなことに……」
「ご無沙汰しております……」
はぁちゃんはポン助を乗せたまま、深々と頭を下げた。
七尾、という名前で「もしかしたら」と思っていたが、やはり怪異退治組合やつか支部の支部長であった。
とくに親しいというわけではないが、ホリシンの空飛ぶマンションと競争したりしたおかげで事務所とは何かとつきあいができたはぁちゃんである。
はぁちゃんは七尾支部長に展望台の近くでポン助に声をかけられ、タクシー代わりになっていることを話した。
話しながら、なんとも化かされたような話だと自分でも思った。
七尾支部長は眠たげにしながらも話を聞き、訳知り顔でうなずいた。
「う~ん。そういうことなら、もう気がすむまで付き合ってやるしかないですな。大変だけど、天狗山までポン助のこと頼みますよ」
「はい、そのつもりです」
「うちの若いのを行かせますんで。それまでの辛抱です」
七尾支部長はお気に入りの扇子をひらりと広げると、自転車に向けて軽く風を送る。
七尾邸を辞すと、自転車がやけに軽く感じられた。
夜通し走っている疲労感も消えている。
外はもうすでに明るくなりつつあるが、これなら朝日がのぼる前に展望台へと戻れそうだった。
*
はぁちゃんは天狗山を駆け上がった。
七尾支部長にかけてもらった魔法のおかげで、ずっと追い風に吹かれながら、朝日が昇る前に展望台へとたどりついた。
ポン助とならんで朝日がのぼるのを眺める。
「これでもう悔いはありません」
ポン助は朝日に向かって両手を合わせた。
すると、駐車場から「くい~ん」と小型犬のようなかすかな鳴き声が聞こえてきた。
はぁちゃんが見ると、そこには野生のホンドダヌキが三頭いた。
一匹は若いメスで、もう二匹は体のちいさい子だぬきである。
三頭は、駐車場の端っこで地面に倒れたオスの若いタヌキを囲んで切なげに鳴いているのであった。
「あっ……あれは……」
はぁちゃんがまさかと思い、ポン助に目をやる。
ポン助は深く深くうなずいた。
そう、倒れているオスのタヌキの正体は、ポン助なのであった。
「展望台に来るにんげんは、よくわたしたちにえさをくれるのです」
ポン助は恥ずかしそうに話した。
きのう、ポン助は人間がくれるエサをめあてに展望台に顔をだした。
しかし、そこで事故にあい、車にはねられたポン助は帰らぬタヌキになってしまったのであった。
実のところ、そういった事故はタヌキ界隈ではよくあることであった。
タヌキたちは日がな一日えさを探し、地面をフンフンしてすごすが、人が餌づけをするとそれに味をしめて同じ場所に何度も姿を現わすようになる。
しかしたいていの場合、人がタヌキにえさをやる場所というのは車通りが多かったり、タヌキにとって危険なことが多いのだ。
しかもタヌキたちは情があつく、番のタヌキがパートナーの死んだ場所にやってくることがあり、家族まとめて亡くなってしまうこともある。
「妻にはもうしわけないですが、もうわたしは天に帰らねばなりません。こどもたちのせいちょうをみとどけたかったなぁ……」
ポン助は切ないことを言う。
ポン助が言っていた「遠く」とは、あの世のことであった。
そしてはぁちゃんの力を借り、街や、そこに住むお友達に会いに行ったのは、あの世へ向かうあいさつのためなのであった。あの世へいけば、やつか町のお気に入りの場所にはもう二度と帰ってこれないからだ。
「ポン助、おまえさん……」
「はぁちゃん、無理をいってごめんなさい。どうもありがとうございました」
ポン助はぺこりと頭を下げる。
そのからだが、強い朝日にてらされて透明になっていく。
そのときだった。
駐車場に白い軽トラが入ってきた。
そして運転席から、つなぎ姿の若い狩人が降り立った。
額の傷を隠すように伸ばした髪をハーフアップにまとめている。
それは、はぁちゃんも見知った顔の、宿毛湊であった。
「あれ……宿毛さん?」
「おはようございます。事情はマメタと七尾支部長から聞きました」
宿毛さんの肩には小さなマメダヌキが乗っていた。
公園でポコ助のことを待っていたうちの一匹、マメタである。
宿毛湊はポン助の亡骸に近寄ると、手袋をしてそっとその体に触った。
ポン助の家族たちは、人間を怖がってちょっと遠くに避難している。
「うーん。車に接触したにしては外傷がありませんね。たぶん、狸寝入りでしょう」
「なんですって?」
「死んだふりのことです。タヌキはビックリすると気絶して、その場に倒れてしまうんです。猟師たちに伝わる昔話によくあるんですよ」
驚いたのははぁちゃんである。
ポン助をみると、ポン助もびっくりした顔つきである。
「じゃあ……ここにいるポン助は……?」
「そこにいるんですか?」
はぁちゃんが訊ねると、宿毛湊は指を重ねて狐の窓を作った。
指の間から見透かすと確かにポン助がいる。
「ほんとうだ。たぶん幽体離脱みたいなものでしょう。車にびっくりし過ぎて、魂が抜け出てしまったんだと思います」
ポン助はびっくりして目をまん丸にしていた。さっきまで体が透明になっていたのに「本当は死んでいない」と知って、また元の茶色に戻っていく。
「魂が体にもどれば、じきに目覚めると思いますよ」
とんだ早とちりであったが、無事ならそれにこしたことはない。
マメタの腹太鼓で誘導し、ポン助の魂は元の体にもどっていった。
タヌキの体に戻ったポン助はすっかりしゃべらなくなったが、はぁちゃんにぺこりと頭を下げると、家族を引き連れて山に戻って行った。
その後、展望台には『野生動物への餌付け禁止』の大きな看板が立つことになった。
マメタ情報によると、ポン助の子どもたちも巣立ちの時期を迎えたとのことである。
※この小説は『やつか町現代妖怪・怪異辞典』に原稿を寄せてくださった絹谷田貫様からのたぬき情報を元に書いています。カワイイたぬきたちですが、あくまでも野生動物ですので、節度を守って接するようにしてください。車を運転される方はロードキルにどうぞお気をつけて。
※また、カワイイ姿をみてペットにしたいと考える方もおられるようですが、タヌキは犬と違いペットにするのは非常に困難です。高度な知識と設備を持って飼育されている方も、噛みつかれて血まみれになったり、設備等を破壊されることが頻繁にあるようです。
※宿毛さんと暮らしているのは妖怪マメダヌキですが、妖怪化していても自立心が高く、勝手に鍵を開けて夜中に遊びにいっちゃいますし、宿毛さんは一度死にかけています。
生物や妖怪と触れ合う際は、正しい知識の入手を心がけてください。
それでは作品を読んでいただき、どうもありがとうございました。まだ連載は続きますのでよろしければおつきあいください。
ミノリアキラ




