第67話 数字虫
朝起きたら頭の上に数字が乗っていた。
乗っていた、といっても髪の上に置かれているのではなく、頭の頂点から10センチくらい上の地点に数字が浮かんでいる状態だ。
教科書みたいな立派なフォントで「0」と表示されている。
字の色は黒。
諫早さくらは歯みがきをしながらその数字をじっと見つめた。
じっと見つめすぎて、口の端から泡が落ちた。
それから軽く身支度を整え(マスクとサングラスを装着し)て、ホウキに乗ってベランダから街のようすを見に行った。
すると、同じような状況に陥った人間たちがかなりの数いることがわかった。
バスを待っている女子高生やサラリーマンの頭の上に、「8」とか「59」とか「102」とか、謎の数値が表示されている。
あれはなんだろう。
なんの数なんだろう。
レベルみたいなものだろうか……。
さくらは知りあいの頭を観察しに行くことにした。
まずは、近場だということもあり怪異退治組合やつか支部に寄った。窓からこっそり事務所の様子をうかがうと、事務員の相模くんの頭に「2」と表示されている。
「ははーん…………わかったわ。アレね。アレの数に違いないわ」
さくらは思った。前の飲み会で、相模くんが人生の中で付き合った彼女の数は「二人」だとみずから言っていたのを思い出したのだ。
そういうことなら、さくらの頭の上にある「0」も納得がいく。
人生の大半を引きこもり、他者との交流を絶って生きてきたさくらの頭の上に浮かぶべくして浮かんだ数字だ。
「とはいえ、あんまり褒められた数字ではないわよね~」
とかくそういう数字が、とくに根拠はないけれど、人生経験の深さと同様に語られがちな世の中だ。
他人にみられたら、とんだ社会不適合者だと思われかねない。
そのとき、さくらがいる裏口とは反対の、玄関のほうに人の気配が立った。
「おはようございま~す!」
人生にいっぺんの曇りもなさそうで呑気そうな声の持ち主は、さくらの苦手なシュッとしたイケメン狩人、的矢樹である。
やつか町でも噂の的である色男の頭の上にある数字に興味を持たない人間がいるだろうか。
いや、いない。
さぞかし立派な数字が浮かんでいることだろう。
100とか……もしかすると1000くらいはいくかもしれない。
わくわくしながら、さくらは事務所の様子をうかがう。
そして驚愕に声をひきつらせた。
「よ…………46,106人…………!?」
とんでもない数字である。
「今現在も同時並行的に複数人と付き合って、一日ごとに入れ替えないとこなせないわよその数は……!!」
イケメンって、なんて怖いのだろう。
恐ろしすぎて、すぐさまさくらはホウキにまたがり、上空に逃げ去った。
大人しくアパート海風に戻ろう。今日は終日引きこもって、頭の上の数字をどうするかについてはおいおい考えよう……と思ったそのとき、天才的な頭脳にある顔が浮かんだ。
いつも仏頂面で、何かしらやらかしたさくらを軽蔑したまなざし(本人は何も考えていないだけ)で見つめてくる狩人が、この町内にはひとりいるではないか。
そう、宿毛湊である。
そのとたん、「あいつの頭の上にどんな数字が浮かんでいるか見てやろう」という気がさくらの頭にむくむく湧いてきた。
彼もさくらからすれば最近の若者であるので、びっくりするほど少ないということはないと思うが。
しかし多くても少なくても、こんなに笑える人物はいない。
「変な数字が出てたら、ここぞとばかりにあざ笑ってやろーっと!」
その場合、自分の数字も見られることになるのだが、そんなことはまったく頭の中になかった。
ふたたびホウキにまたがると、さくらは大空に舞った。
念願の狩人の姿は、やつか小学校の校門の前にあった。
なぜか虫取り網を手に突っ立っている。
「みつけたわよ宿毛湊! 頭の数字を隠さず見せなさいっ」
その頭の数字は「5.6」であった。
「ん~……思ったよりびっくりするほど多くもなく、少なくもなく……っていうか.6って何なのよ。それはどういう状態なのよ」
微妙な結末に不満げな表情のさくらの頭上に、宿毛湊は無言で虫取り網をかぶせた。
「な、なにするのよっ」
「取れたぞ、数字虫」
「えっ」
さくらが手鏡で確認すると、確かに頭の数字が消えている。
「これ、数字虫っていうの?」
「ああ。現代怪異のひとつだ。習性はまだまだ研究中だが、数字のような形をしていて、人の頭の上に住みつく。虫のように、突然、大量に現れたと思うと、いつの間にかいなくなっている。隣の支部で発生して、徐々に移動しているという報告があったんで、サンプルを収集しているんだ」
宿毛湊が提げている緑色のカゴには、様々な数字がミチミチに詰め込まれていた。
セミみたいに鳴くことも動くこともないが、現実感を失いそうになる光景だ。
「うわっ、きもちわるっ」
「自分では取れないが、他人の手であれば、虫取り網で捕獲できるんだ」
「なんだ。ほんとに虫みたいなものなのね。なによ、馬鹿馬鹿しい。意味なんてないんじゃない」
「意味?」
宿毛湊は真面目な顔つきで問い返す。
「いや、思わせぶりに頭の上に浮かんでたから……何か意味があるのかと……」
「数字虫の数字と取りつく人間の関係性については様々な意見があって、ランダムではないかと言われてたが、まさか規則性を発見したのか?」
「えっ、いや、そういうわけじゃなく」
「心あたりがあるなら意見を聞かせてほしい!」
宿毛湊は今までみたことないほどの食いつきをみせた。
言えない……。
とても、男女関係のアレソレのことではないかと思っていたとかは。
「な、なんだっていいでしょ!」
恥ずかしさのあまり、さくらはホウキを振り回して大暴れし、空に逃げた。
数字虫の数字になんらかの意味を見出した人物は、何もさくらだけではない。
事務所ではアルバイトの賀田さんが突然の体調不良を言いだし、察しのいい相模くんに事実を指摘され、なんだか気まずい思いをしているとのことだ。
*
翌日、さくらは宿毛湊宅を訪れた。
その両目は、モザイクによって隠されていた。
「宿毛湊、これは……?」
「亜種だな」
「実家の両親にはみせられない姿よ、こんなん……」
モザイク虫は虫取り網が通用しなかった。
そして時間経過とともに声が変声機をかけたように甲高くなるという二次被害を生み出し、数字虫よりも甚大な被害をもたらしたが、やつか在住の成人男性が開発した『モザイク消し呪文』によって事なきを得たという。
やつか在住の成人男性は「決してやましい気持ちで開発した呪文ではない」と主張していたが、やつか町のみんなはそれを信じなかった。
やっぱりみんな、敢えて表示されてるものとか、隠されているものとか、隠しているものを取り除こうとする働きには、その意味を考えてしまうものなのだ。
ちなみに。しばらくやつか在住の成人男性は後ろ指をさされていたが、ただひとり、怪異退治組合やつか支部の的矢樹だけはホリシン……いや、やつか町在住の成人男性の無実を訴えていたという。




