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第48話 組み立て家具


 宿毛湊(すくもみなと)はいつかの約束通り、諫早(いさはや)さくらにダブルカウントを教えていた。


「むり。できない。こんなのぜったいにむり」


 さくらは居間の座布団にちんまり座り、意外にもまじめに教えを受けている。

 ゆっくりと揺れる振り子は、顔を真っ赤にしたさくらをあざ笑うかのごとく優雅(ゆうが)に振り子運動を続けていた。

 ダブルカウントは米国式魔術メソッドにおける基礎テクニックだ。

 呪文を二つ同時に唱えることによって二倍の効果を得るというものだが、単純さにくらべて難易度が高い。生粋の魔女や魔法使いでさえ敬遠するといえば、その難しさは推して知るべしだ。


「せっかく教えてるのに全面的に拒否するのはやめるんだ」

「せめて何かコツを教えて……!」


 宿毛湊はため息を吐いてキッチンにいくと、小皿を二つと、乾燥させた大豆の袋を持ってきた。小皿の片方に豆を適当に盛る。


「左の皿から右の皿に豆粒をうつせ。終わったら、反対側にうつせ。俺がいいと言うまでやれ」

「うううう、偉大な魔女であるわたくしが何故こんなことを」


 さくらは、さくらにしては真面目(まじめ)に、ちまちまと豆をつまんでは皿から皿に移動させていく。途中で豆を食べようと妨害するマメタがいるのでなかなか難しい。

 だんだん作業に慣れてきたころ、宿毛はさくに声をかけた。


「さくら、突然、一千万円が振り込まれてたらどうする?」

「え? もらう。返さないわよ、私のだもん」

「ほら、それだ。返事をしながらも手は動いてるだろ」


 宿毛はそう言って振り子を手元に引き寄せた。


「まずはひとつの呪文に集中する。そうしているうちに脳の容量が少しだけ空くんだ。その隙に呪文を唱えればいいだけだ」


 十個の振り子がぴたりと止まった。

 さくらは魔女のくせに、その様子を薄気味悪そうに見つめていた。


「涼しい顔だけどさ、精神負荷はどうしてるの?」


 ダブルカウントが難しいとされているのは、それが精神に多大な負荷をかけるせいもある。

 強い焦燥感や不安感、術者いわく「本能がこれ以上は死んでしまうと(うった)えかけてくる」のだ。

 それを無視してカウントを続けると、やがて動悸(どうき)眩暈(めまい)嘔吐(おうと)、出血など、身体症状も現れはじめる。

 こうした症状と魔術の間に関連性は無く、思い込みの(たぐい)と結論づけられているが、魔術連盟は高校競技からカウントルールを撤廃(てっぱい)した。


「あなた、本当に魔法使いじゃないのよね……?」

「ちがう」


 そのとき、宿毛のスマホの着信音が鳴った。

 見ると、宮川五依里みやがわいよりからのメッセージが入っていた。


「宮川さんからだ」

「どれどれ?」


 さくらも何故か画面をのぞき込んでくる。


『すくもくん、突然ごめん! いま、ネット通販で買った家具を組み立ててるんだけど、途中でなんだか訳がわからなくなっちゃって! すくもくんこういうの得意かな? ちょっとだけ見にきてほしいんだ』


 メッセージには瞳をうるませたパンダの可愛らしいスタンプが添えられている。

 宮川五依里は高校時代の宿毛に因縁のある間柄だ。

 当時はお互いにとても親しい存在とは呼べなかったのだが、最近ではときどきメッセージをやり取りしたり、なにかと交流があった。


「何………? あんたたち、そういう関係なの……?」


 メッセージを見たさくらは何故かドン引きしている。


「どういう意味だ」

「いや、だって、家具の組み立てってそんな……。それって、自分のお家に意中の男性を招待するときの決まり文句じゃない」

「五依里さんはそういうタイプじゃない」

「そういうって、何なの? そういうタイプをご存知ってこと? いやらしい」

「ちょっと様子を見てくる」

「わたしも行くわ」

「何でさくらが」

「若い二人の間に間違いがあったら面白いじゃない」

「何もないから。それにまた猫になるぞ」

「猫がまん呪文を開発しました」

「完全には防げないのか」

「猫になりたいのをがまんできるようになるのよ、画期的よ」


 二人は軽トラに乗り込んで、のろのろ運転で五依里の家に向かった。



 デニムエプロンを身に着けた五依里が玄関先で待ち構えていた。


「宿毛くん! 来てくれてありがとう!」


 五依里は二人を庭へと連れていく。


「リビングにちょっと置いておける新しい本棚が欲しかったんだけどね、組み立てがすごく難しくて、作ってるうちに何だかわけがわからなくなっちゃったの!」


 さくらはニヤリとした。インターネットで注文できるような組み立て家具など、せいぜいネジとドライバーがあれば作れるものだ……。

 しかし、間もなく二人は天を仰いで驚くことになった。


「うわっ! なんだこれ、めちゃくちゃデカイ!!」


 そこにあったのは全長二メートルをはるかに越す、超巨大本棚だった。

 棚と呼ぶには少々デカすぎるかもしれない。横幅もかなりあって、まるで壁のような迫力がある。

 デザインもかなりダイナミックかつアバンギャルドで、収納力をアップするためのスライド棚が四つついており、裏側の隠し収納に通じる隠し扉や、上のほうの本を取るための螺旋(らせん)階段、天井には天窓つきの赤い三角屋根まであって、風見鶏が風を受けてクルクル回っていた。

 本棚というより、物凄いキャットタワーといった雰囲気だ。


「途中まではなんとか自分ひとりで頑張ったんだけどね……」

「これで完成じゃないの? 常識的に考えて、素人がひとりで組み立てられる家具ではないわよ」

「そんなことないのよ。組み立てに必要なノコギリや脚立(きゃたつ)も付属してて、とっても親切なの!」

「脚立……? 組み立て説明書はあるの?」


 五依里がさくらに渡した組み立て説明書は分厚く、説明書というよりマニュアル本と言ったほうが正しかった。

 内容は1000ページに及び、しかも表紙には『①』と書かれている。


「こ、これは……!」


 マニュアルをめくっていたさくらがあんぐりと口を開けている。

 説明書に従うならば、これでも完成には程遠い。

 普段は収納しておける机と椅子(いす)、そして寝台を組み立てなければならないし、十色に光る人感センサーつき読書ライトを二十か所に取り付けしなければならない。

 さくらは叫んだ。


「こんなの、急いでやらないと今日中に終わらないじゃないの……!」


 不埒(ふらち)な気持ちで来たが、確かに五依里はそういうタイプなんかじゃなかった。彼女は超大作本棚を作り上げようとし、組み立て式家具の意外な難しさにぶつかってしまっただけなのだ。


「私たちも協力してあげる。ほらっ、さっさと取り掛かるわよ!」

「ありがとう、さくらさん!」


 こうして三人は真剣に本棚づくりに取り組むこととなった。

 時に意見を戦わせ、時に知恵を合わせながら、手分けして木材を組み立て、読書用のウッドデッキを設置した。

 古代ローマ風の柱を並べた回廊を建てて、隠れ家的ログハウスを組み上げた。

 コンクリ基礎は流石にやばかった。

 不思議なもので、汗水をたらせばたらすほど、労働がきつければきついほど、完成していく本棚に愛着がわく。

 もはや組み立て家具が『女性が男性を部屋に連れ込むときの常套手段(じょうとうしゅだん)』だという意識など、誰の頭にもなかった。

 これは組み立て家具販売店が差し出した人類への挑戦状なのだ。

 そして全力でもってその挑戦に挑む顧客は、もはや戦士なのだ。

 ようやく本棚完成したとき、それは全長三メートルをゆうに越していた。

 読書用のバスルームや滑り台、ジャングルジム、超巨大迷路をも備えたかなりの本格派であった。

 もちろん、リビングに置ける大きさをとっくの昔に超えていたが、そのことに誰もツッコミを入れなかった。


「できた……できたよ、さくらちゃん、すくもくん!」


 すばらしい出来映えに五依里は感動の涙を流している。


「いえ、待って」


 さくらは真剣に完成した『作品』を見つめていた。

 そして、言った。


「この本棚には足りないものがある。何かわかる?」

「いいえ、わからない」

独創性(オリジナリティ)よ……。わたしたちは今まで、マニュアル通りに忠実に本棚をつくってきたわ。でも、それで本気だって言えるのかしら。全身全霊で家具を組み立てたと言えるのかしら!?」


 さくらは熱弁を振るいながら、ギリシャ風の柱を指で示す。


「私が思うに、あの柱が全体のバランスを(ゆが)んだものにしてると思う! 壊しましょう!」

「えっそんな。せっかく建てた柱を壊しちゃうの……?」

「ええ、そうよ五依里さん。残念だけど創造に破壊はつきもの。だけど、これは私たちの真のオリジナリティを発揮するためなのよ。さあ、やっちゃって。宿毛湊!」


 工具セットの中には、でかいハンマーがあった。

 宿毛湊は「仕方ないな」と言ってそれを手に取り、大きく振りかぶった。

 そしてハンマーが柱に叩きつけられた…………瞬間。


「ぐええー!!」


 ひどく哀れめいた悲鳴があがった。

 その瞬間、超巨大迷路も、ウッドデッキも、ガレージも、何もかもが煙のように消えていった。

 そして平穏を取り戻した庭には、まだ開封もされていない三段ボックスがぽつねんと置かれていた。


「なっ……なになに!? これはどういうこと?」


 あわてふためくさくら。三人の足元には茶色い毛むくじゃらの生き物がひっくり返っていた。

 目の前で、毛むくじゃらの生き物がのそりと起き上がり、うらみがましい目つきで睨みつけてくる。

 手足が黒く顔はやや細長い。狸やアライグマとは微妙に違っていた。


「《《むじな》》だ」と宿毛湊が言った。「要するに、アナグマだな」


 アナグマはトボトボと歩きながら、庭を出ていく。なんだか悲しげだ。


「タヌキやキツネにくらべると変化そのものの力はあまり強くないが、人を化かす妖怪の一種だ」

「じゃ、じゃあ、さっきまで私たちが組み立てていた家具は!?」

「お前は化かされてたんだ」


 つまり、あの本棚はアナグマの変化で、狩人が思いっきり叩いた衝撃で術が解けてしまったのだ。

 あのすばらしい出来映えの芸術作品は最初から存在すらしなかったのだ。


「嘘、うそよっ」

「ウソじゃない」

「あんたはいつ気がついたのよ」

「最初からだ。だから言っただろ、五依里さんはデザイナーで行動的だ。組み立て家具の作り方がわからなくなって助けを求めて来るようなタイプじゃないって……」

「教えてくれればよかったじゃない」

「アナグマにも化け妖怪としてのプライドがあるからな。いきなり看破(かんぱ)してしまうと、ムキになって何をしでかすかわからない。だから出方をうかがっていたんだ。魔女なのに気がつかなかったのか?」


 すべての事情が明らかになり、段々と冷静になると、どうしようもない恥ずかしさが込み上げてくる。


「ち、ちがうもん! ほら、私は今、呪文を使ってるから! これが無かったら気づいてたもん!」


 さくらはガラケーを見せながら、使用している呪文の効果を切った。

 その瞬間、さくらの頭から三角の猫耳がにゅっと生えた。


「あらあら」


 五依里が見守る前で、さくらはまた猫になった。




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