第41話 蜘蛛
やつか町では空き家を放置すると様々な罰則が与えられる。
住人のいなくなった家は速やかに町役場へ届け出をし、少なくとも半年に一度は空気を入れ替え、立ち入り検査をする決まりだ。
それというのも誰の目も届かなくなった家というのは、得てして現代妖怪や怪異の棲家になってしまいがちだからだ。
怪異退治組合の見解だと半年に一度というのも少なすぎるくらいなので、一か月に一度の立ち入り検査を推奨している。それくらい、放置された家というのは危険なものなのだ。
今日、宿毛湊が呼ばれていった現場は、なんと十年間誰も立ち入っていない空き家が、四軒もあるという地区だった。
もちろん集まった狩人はひとりではない。
「十年ものってのはかなり熟成されてますねえ」
的矢樹は錫杖を片手にチェックリストを確認しながら、緊張感のない口調で呟いた。
事務所から派遣されたのは的矢と七尾支部長の二人である。
珍しく作業着姿に着替えた七尾支部長は朝からプンプン怒っていた。
「遺産相続のときにゴタゴタと揉めたらしくてな。相続人がようやく見つかって、検査だけは入らせてもらえることになったんだ。……そこんところの判断が遅すぎるんだよ、役場の連中は。危ない目に遭うのはこっちなのによ」
支部長の溜息は深くて長い。
立ち入り調査にこぎつけるまでずっと長い交渉があったのだろうことがうかがえる。
今日は四軒の空き家のうち、地域の人から物音や鬼火など危険そうな兆候の目撃情報があった二軒を七尾と的矢がコンビで回り、残りを宿毛が担当する手はずになっていた。
「知っての通り、空き家調査は何が出てくるかわからねえ玉手箱だ。ま、東京で仕込まれたお前らには耳タコだろうが、念には念を入れてのこの三人ってのを忘れるな」
「なんで俺と支部長がコンビなんですか? 一人一軒ずついけば速いですよ」
「お前は最近たるんでるから引率がいるだろ」
「あっ。これは、もしかしてしごかれる予感……?」
「宿毛も無理するなよ」
的矢が首根っこを掴まれて連れて行かれるのを宿毛は無言で見送った。
預かった鍵で空き家の扉を開けて空気を入れ替え、怪異の兆候がないか確認して回るだけとはいっても、支部長の言う通りいつ危険と出くわすかわからない。
怪異だけでなく、不法侵入した何者かが住みついているケースなんかもあって、なかなか集中力を必要とする仕事内容だ。
無理するなと言われたからではないが、宿午前中に一軒片付けて、昼食をはさんで午後からもう一軒に取り掛かることにした。
*
問題の午後、宿毛湊は大きな蜘蛛に追いかけられていた。
調査対象の民家は一番築年数の浅い建物で、庭も荒れている様子はなかった。
室内は埃っぽくはあったが、蜘蛛の巣や糞の跡など怪異の兆候はなかったはずだ。
しかし。不動産会社から預かった間取り図を参考に二階から見て回り、最後に一階奥の二間続きの和室に向かったとき、異常が起きた。
和室のふすまを開けてすぐ、巨大な蜘蛛と出くわしてしまったのだ。
灰色と黒の縞模様が浮かんだ身体は大型犬くらいあり、脚が異様に長い。
巨大蜘蛛の怪異は古くからある。
女郎蜘蛛、土蜘蛛とか呼ばれるのがそれだが、もはや知識が有効な距離は越えていた。
「…………しまった!」
蜘蛛が跳ねながら襲いかかってくる。
咄嗟に身を躱すと、強靭な顎が柱を食いちぎって行った。
魔法を使うか、逃げるか。
ろくに考える隙もなく、開け放たれた縁側から庭へと降り、玄関先まで走ったところで判断を間違えたことに気がついた。
敷地を出た先は住宅街だ。
攻撃性の高い怪異を外に出すわけにはいかない。
門のすぐそばに停めた軽トラのところまできて、狩人は蜘蛛に向かい合った。
魔法を使えるほど集中力はない。
だが、ここから先に行かせるわけにもいかない。
どうとでもなれ。
手に取ったモノを無我夢中で投げつける。
それは、軽トラの屋根の上にぽつねんと置かれたコーヒーの缶だった。
蜘蛛の妖怪は投げつけられた缶に食らいつき、嚙み砕いて飲み込んだ。
そして、金切り声を上げて絶叫した。
「ギ、ギエエエエーーーーッ!」
その場にひっくり返って、長い脚を悶えさせている。
宿毛が投げつけた缶は、ただのコーヒー缶ではない。
じつは、それは携帯灰皿を忘れたとき、灰皿代わりに使っていた空き缶であった。
昼食時に放置されていたその缶が助手席に転がってるのを見つけ、帰ったら始末しようと、忘れないように屋根の上に乗せておいたのだ。
「グァアアアーーーー……ッ!」
「…………」
「アアアアアアーーーーッ!!」
蜘蛛は口から泡を吹いていた。
しかし、狩人にはどうしたらいいかわからない。
断末魔の声を上げ続ける蜘蛛を困った顔で見下ろすばかりだ。
蜘蛛はたっぷり三十分ほど苦しみ続け、かすかに痙攣し、そして動かなくなった。
翌日から、宿毛湊は禁煙を始めた。




