第37話 いろんな水(上)
ななほし町のショッピングモール一階にウォーターサーバーの販売コーナーができた。
商品名は『クリスタルハルモニアウォーターサーバー・ピュアピュア』というもので、いま月額六千円のプランに加入すると純度百パーセントの『オリジナルクリスタルウォーター』やヒマラヤ山脈の高所で採取した『ヒマラヤンハイオーラウォーター』、天然水素や純金から採取したミネラルを添加した『ゴールデンハルモニアウォーター』、有名霊能力者とコラボした『浄化水』の四種類のお試しボトルが無料でもらえるお得なキャンペーンを開催しており、常に四人か五人の販売員が熱心な宣伝活動にいそしんでいた。
こう言ってはなんだが非常にあやしかった。
とはいえ違法な販売手法を取っているというわけでもないし、ウォーターサーバーの需要そのものはいつもある。
サーバーを必要とする者は契約すればいいし、ほしくなければ契約しなければいい。
だが、それから一週間もしないで、ななほし町の人々はこれが異常な出来事なのだということに気がつきはじめた。
いつのまにか販売員が増えているのだ。
はじめは片手で数えるほどだったのが、気がつくとフロアに十人の販売員が詰めている。
そして十人だったのが、次の日には十五人になっている。
しかもサーバーをすすめている販売員をよく観察すると『クリスタルハルモニアウォーターサーバー・ピュアピュア』の購入契約をした客の姿がまぎれこんでいる。
昨日契約した客が、今日はおそろいの青いジャンパーを着てウォーターサーバーをすすめているのである。
これは怪しすぎると思ったショッピングモールの責任者が販売員たちに話をきくと、彼らはキラキラ瞳を輝かせて「オリジナルクリスタルウォーターを飲んで、水のすばらしさに気がついたんです。ですから、さっそく仕事を辞めて、ウォーターサーバーの販売員になったんです!」などという。
しかも販売会社から給与は与えられておらず、ボランティアで貯金を切り崩しながら生活しているという。
責任者は怪異退治組合やつか支部に連絡した。
そしてすぐさま、二人の狩人がモールに派遣されたのだった。
*
ショッピングモールからの連絡を受けて、七尾支部長は宿毛湊と的矢樹のふたりを組ませて派遣した。
それから一時間もしないで、二人はほうほうの体で帰還した。
帰還した二人は見るも無残な姿になっていた。
「相模さん、ヒマラヤンハイオーラウォーターに秘められた特別なパワーについて知りたくありませんか……?」
いつものんべんだらりと適当に仕事をこなしている的矢樹が珍しくキリッとした顔で言うのを、相模くんは寒々しい気持ちで聞いていた。
怪異退治組合やつか支部のエース二人組が『水』にやられた。
そのニュースを聞き、相模くんはもちろん驚いた。
そして七尾支部長はめちゃめちゃに怒っていた。
マグマが吹きこぼれる直前の、活火山みたいだ。
「まったく、何のためにお前ら二人を組ませたと思ってるんだよ。まんまと手口にはまってどうするの。俺は恥ずかしくってもう表を歩けないよ!」
「いやあ、面目次第もございません! でもなんで引っかかっちゃったのか僕にもぜんぜんわかんないんですよね~!」
支部長の怒りを前にしても的矢樹はにこやかに笑っている。
見た目も言動もいつも通りに見えるが、その両手はしっかりと『クリスタルハルモニアウォーターサーバー・ピュアピュア』の試供品ペットボトル四本セットを抱えている。
本人いわく、気を抜くと親戚中に電話してウォーターサーバーの宣伝をしたくてたまらない状態にあるという。
もちろん、彼らははじめからウォーターサーバーの信奉者だったわけではない。
怪異退治に行った先で他の契約者と同じように洗脳されたのである。
まさにミイラ取りがミイラになってしまったのだ。
「相手方のところで出されたもん、飲み食いしてないだろうな」
「信じてください支部長。僕ら一週間絶食しててもそれだけは絶対やらないですって」
「だよなあ、それはわかってるんだが。ま、こうなっちまったもんは仕方ない。的矢、しばらく寝て来い」
七尾支部長は強力な睡眠薬を渡した。
洗脳にまかせて、正体不明のウォーターサーバーをよりにもよって狩人が売りつけるなどあってはならない。しかし洗脳を解く方法もわからないので、とりあえず対策ができるまでは強制的に行動不能になるしかないのだ。
ちなみにこのとき宿毛湊はどうしていたかというと、猿ぐつわを嚙まされて、手足を拘束した状態で事務所の仮眠室に監禁されていた。
呪文を唱えられると別の災害になってしまうため、異常が起きた時点でみずから睡眠薬を飲み、的矢が拘束し、かついで連れ帰ったのである。
「どうしましょう、支部長。この二人がやられてしまうなんて、今回は相当なんじゃないですか」
いつも遊んでいるように見えても仕事だけはきっちりこなすイメージがあっただけに、この結果は相模くんにとっても衝撃だ。
「どうしようねえ。洗脳系の怪異退治は総じて難しくはあるんだよな。ま、やばくなったら自衛隊だな」
「前から思ってたんですけど、自衛隊って、怪異退治やるんですか」
「やるよ。警察にもあるけどね、あっちはまあ俺たちに毛が生えたようなもんだけど、自衛隊の専門部隊は実力も技術も凄いし何よりおっかない。こういう仕事してると一度は関わることになると思うから、相模くんも覚悟しといてね」
「へえ。例えば、どんな感じなんですか」
七尾支部長は深刻そうな顔つきで言った。
「あいつら捕まえたアライグマを罠ごと用水路に沈めたりするんだよ」
「アライグマを……罠ごと……!?」
それはなんだか相模くんが求めている怖さとは違っていたが、リアルすぎる例え話に、相模くんは震えた。たしかに怖い。
アライグマの被害に悩まされている農家の人たちとかにはなんとなく悪い気がするが、それでも絶対に一緒に仕事をしたくないなと思った。
「ま、その前に俺が行って顔だけでも見てくるかね」
七尾支部長はお気に入りの扇子を取り、椅子から腰を上げた。
そのとき、小さくて丸いちゃいろい影が事務所に飛び込んできた。
「すくもさんがやられたときいてー!!」
ツルツルする床をテチテチ駆けてやって来たそれは、ちゃいろい優しきけもの、マメタであった。
マメタはぴょーんとジャンプすると、相模くんが伸ばした手のひらにダイブした。
「マメタ!」
「うっうっ、すくもさん。まだわかいみそらでどんなにむねんだったでしょう……。すくもさんのかたきはぼくが取ります!」
「マメタ、宿毛さんはまだ死んでないし、それに危ないよ。事務所でちゅーるを食べて待ってようよ」
「ちゅ……いえ、ぼくは、……ちゅ……ちゅーるはたべません! すくもさんのおやくに立ちます!」
マメタの決意はまあまあ固いようだった。
ちゅーるの誘惑にも、なんとかふるえながら耐えていた。
「しょうがねえなあ。じゃ、いっしょに行くかい」
七尾支部長はお気に入りの扇子でマメタの頭をポンと叩いた。
するとマメタの体がふわりと浮き上がる。
「支部長、おひとりで大丈夫ですか?」
「だあいじょうぶ、若いのに心配されるほどもうろくしてないよ。それにマメタが一緒だからな。なあ、マメタ!」
マメタは空中にプカプカ浮き、クルクル回りながら、小さなおててを相模くんに振っていた。




