第32話 ゴミノヒイツマデ
家の中を魔法で片付けることにしてからというもの、諫早さくらのQOLは爆上がりした。
家の中だけならきれいに整頓されており、まるで真っ当な人間みたいな暮らしだ。
だが、基本的に片づけが苦手でぐうたらなやつというのは、ほかにもいろいろな問題を同時並行的に抱えてるもので、そうそう簡単に更生したりしないものだ。
彼女は月曜日の朝、惰眠をむさぼっていた。
時刻は既に十時半。
アラームが何度も何度も起床時間を鳴らしている。
すると、窓に不気味な影が浮かび上がった。
カーテンのむこうには隣家の屋根があるが、その屋根の上に鈴なりに黒い影が並んでいる。
すると、ひどくひび割れて歪んだ耳障りな声が聞こえてきた。
「イツマデ……」
「イツマデ…………イツマデ……」
「カネンゴミノヒ……イツマデ…………?」
さくらはベッドの上で飛び上がり、カーテンを勢いよく開け放って叫んだ。
「うるさいわね!! 来週の月曜日、七日後よッ!!」
申し訳程度についているベランダ部分には、出し損ねた市指定のゴミ袋が山のように積まれていた。
隣家の屋根に集まっているのは黒いカラスだ。
見た目こそただの烏だが、その正体は『イツマデ』という古式ゆかしい妖怪たちだった。
昔は死体を放置していると現れる陰気な妖怪であったが、現在では姿もほとんどそのへんのカラスと変わらなくなり、やつか町ではゴミだしを忘れると集まってくる奴として知られている。
彼らは哀れなものを見る目つきで、ゴミを何週間も出し忘れているさくらを見つめていた。
*
大家から怪異退治組合に連絡があり、すぐに狩人の宿毛湊がアパート海風へと駆けつけた。
諫早さくらは部屋の中で籠城を決め込んでいる。
狩人は駐車場から拡声器ごしにさくらへと呼びかけた。
「えー……アパート海風にお住まいの、魔女の諫早さくらさーん。怪異退治組合やつか支部でーす」
声が反響し、ご町内中に広まっていく。
流石のさくらも廊下に飛び出してきた。
ちなみに、今日のさくらはジャージにボサボサ頭、ビン底眼鏡のいつものさくらである。
「個人情報を拡散しないでよ!」
手すりから身を乗り出して叫ぶ。
「だったらさっさと出てきたらどうだ。おまえ、イツマデを呼び寄せただろう」
「呼び寄せたわけじゃない。あいつらのほうから勝手に来たの!」
「ゴミを指定の日にちゃんと出さないからだ」
「朝が弱くてゴミ出しとか無理なんだもん!」
「しかしゴミをいつまでもベランダに放置していれば、妖怪だけでなく害虫やカラスも来る。近所迷惑だ。社会生活をマトモに送る気が無いなら、こっちも実力行使に出るぞ」
「実力行使ですって? やれるものならやってみなさいよ。競技魔術なんて所詮はお子様のお遊びよ。魔女は出場禁止だし」
「本当にいいんだな、泣きを見るのはそっちだぞ」
狩人はコンビニの袋から買ってきたばかりの雑誌を取り出した。
ナチュラルなファッションやインテリア、料理のレシピなどを紹介する女性誌で、白を基調とした表紙には『丁寧な暮らし 断捨離特集号』と書かれている。
宿毛湊は二階の廊下に仁王立ちになるさくらめがけ、思いっきり手にした雑誌を投げつけた。
「アップテンポ!」
呪文を受けた雑誌が急加速する。
今月号の付録はマイバックとミニ水筒で、凶器と呼んで差し支えない重みと厚みがあり、そこに呪文の働きまで加わってたいへん危険だ。
しかし、雑誌はさくらの目の前で急にブレーキをかけたように制止した。
雑誌とさくらの間に見えない壁があるみたいだ。
魔女が指で雑誌の端に軽く触れる。
すると触れたところから激しい青い火花が散って、雑誌はあっという間に灰になってしまった。
「それで終わりじゃないぞ……」
「ふっ。何か余計なものが入りこんでいるようね」
さくらが肩越しに手を払うと、キッチンの窓がひとりでに開き、そこから何かが飛び出してきた。
それは以前、宿毛湊がさくら宅を訪れたときにひそかに仕込んでいた『丁寧な暮らし特別号 いま考えたい私たちの将来設計』であった。
雑誌そのものが鋭い刃となって、宿毛湊のすぐそばの足下に突き刺さる。
しかもアスファルトを貫通し半分ほどが地面の下に埋まった。
特別号の付録は『お金がたまる北欧柄家計簿』だったため、空気抵抗が少なく、やたらに切れ味が鋭いのだ。
「気がつかれていたか……」
「あたりまえでしょ。まさか魔女に喧嘩を売っておいて、これで手の内が尽きたとか言わないでしょうね?」
心配そうに様子をうかがう大量のイツマデたちを背景に、さくらは高笑いである。
しかし、対峙する狩人はたじろぐ様子もない。
「そういうことならこっちも最終手段を使う。ちょっと待ってろ」
狩人は停めてある軽トラの後ろへと回った。
「《《お父さん》》、《《お母さん》》、出番です」
小さな声でそう言うのが聞こえた。
トラックの後ろから、キャリーケースを引いた夫婦が現れた。
その姿を目にして、さくらは驚愕した。
「お、お父さん、お母さん……! ここで何してるの!?」
背が高い男性と、おそろいのジャケットを着た小柄な女性。
二人共、恥ずかしそうに顔を伏せてはいるが、彼らはまごうことなき諫早さくらの産みの親、諫早夫妻であった。
諫早母はハンカチで涙をぬぐい、顔を上げて大きな声で怒鳴った。
「さくらちゃんっ! あんたがちゃんと一人暮らしできてるのか様子を見に来たのよ! あれだけご近所さんには迷惑かけないようにって言ったのに……。ちゃんと暮らせないなら実家に戻ってきてもらいますよっ!」
魔女も人の子である。親くらいいる。
しかし、いきなり出てくるとこれほどショッキングな存在もない。
さくらは明らかに狼狽していた。
「ちょっと、両親を出してくるなんて卑怯じゃない!?」
「おやめなさい、見苦しい。旅行ついでに様子を見にに寄りますよって連絡したでしょう!」
「そうだったっけ……」
その間、諫早父はというと、宿毛湊の手を取って深々と頭を下げていた。
「宿毛さん、うちの娘は決して悪い子じゃないんです。ひねくれてますが根っこのところは意外とまっすぐというかですね。とにかく、あの子のことを見捨てないで、どうぞよろしくお願いします」
そろそろ定年かという年齢の親が、二十代なかばの若者に下げなくてもいい頭を下げている。実の娘なら胸がえぐれるほど辛い光景だ。
さくらは実際辛すぎて直視できていなかった。
「やれる限りのことはしますが、ゴミ収集の件は近所迷惑になりますのでご家族でよく話し合ってください。今回出し損ねたゴミは俺がトラックに乗せて、ゴミ処理場に直接持っていくことにします」
「ありがとうございます、ありがとうございます!」
「ほらっ、さくら。あんたもこっち来てお礼を言いなさい!」
その瞬間、さくらの心の扉は閉じた。
彼女はアパートの部屋にこもり、内側から鍵と結界をかけて、長いこと出てくることはなかった。




