叔父×魔女
花魔術院の、第三研究室。水溶液のなか、薔薇のつるから棘が落ちていく。棘のない薔薇ができるまでには、まだ時間がかかるようだ。ダンテは椅子に座ってその様子を眺めていた。
壁掛け時計をちら、と見ると四時。そろそろ彼女がやってくるのではないだろうか。彼女──リオン・オランジュが。
パタパタという足音が近づいてきて、がら、と扉が開く音がした。振り向かずとも、誰かはわかった。こちらに来たリオンが、ダンテの顔を覗き込んでくる。
綿毛のようなふわふわ髪が揺れ、オレンジの瞳が覗く。白い頰が、かすかに上気している。
「ダンテ、待った?」
「まあな」
「そこは待ってない、って言ってよ」
聞いといてそれはないだろう。ダンテはそう思う。リオンはスカートを両手でからげ、ダンテの隣に座った。ふわりと香った甘い匂いに、首を傾げる。
──この匂いは、なんだろう。花の匂いではない、甘ったるい香り。
「私ね、呪いについて考えたの」
リオンは、鞄から絵本を取り出して言った。いやに真剣な顔だが、唇にクッキーのかけららしきものがついているせいで、どこか間抜けだ。
「おまえ、なんか食べたろ」
「え? ん」
肩を抱き寄せ、唇を奪ったら、小さな肩がびくりと揺れた。ついでに唇についたかけらをなめとると、リオンが耳まで真っ赤になる。小さな手が、困ったようにさまよっていた。
「な、なにすっ」
慌てて身を引くリオンを見て、ダンテは笑う。すぐ赤くなって面白い。
「人を待たせてクッキーを貪り食ってたのか。食い意地の張った綿毛だな」
「ちょっとおやつに食べただけよ。食い意地張ってるなんてひどい」
リオンは上目遣いでこちらを睨んできた。そんな目で見ても、まったく怖くない。
「俺のぶんは?」
尋ねたら、そっぽをむく。
「ない」
「普通、ひとのぶんも買ってくるだろう。気が利かないな。これだから綿毛は」
「綿毛じゃないっ!」
からかうとムキになって面白いのだが、やりすぎると口を利かなくなるかもしれないので、この辺でやめておく。ダンテは白衣のポケットに手を入れ、腰を浮かして座り直した。
「で、なんだって?」
彼女は気を取り直したように咳払いし、真剣な眼差しで喋り出す。
「この絵本では、たんぽぽの魔女が綿毛の魔法で呪いをとくでしょう?」
「ああ」
「この魔法がどんなものかわかれば、呪いを解くことができるんじゃないかな」
ダンテは息を吐いて、絵本をとんとん、と叩いた。
「これは物語だぞ。現実とは違う。大体、簡単に解明されるなら、とっくにロズウェルの薔薇の呪いは解けてるはずだろ」
「この絵本って、ロズウェルの人が書いたんだよね」
「俺の大叔父だ。その人自身も、薔薇の呪いにかかってる」
「そう、なんだ」
リオンは痛ましそうに、絵本をそっと撫でた。ダンテは彼女をじっと見て、
「会いに、行ってみるか?」
「え……いいの?」
「ああ」
「でも私、部外者だし」
「おまえは、特別だから」
リオンはぴくりと肩を揺らし、嬉しそうにはにかんだ。この顔を見ると、むずむずしてくる。
「ダンテ?」
彼女は、黙り込んだダンテを不思議そうに見た。
ダンテはごまかすように、彼女の髪をくしゃくしゃにした。
☆
「うわあ、おっきいお屋敷」
リオンは大叔父の屋敷につくなり、目を瞬いて建物を見上げた。
「口開けっ放しにするなよ」
ダンテはそう言って、さっさと門をくぐり、出入り口へと向かう。リオンもお邪魔します、と言いながら足を進めた。
呼鈴を押すと、家政婦らしき女性が出てきた。彼女はダンテを見るなり、慌てて頭を下げる。
「ダンテさま。お久しぶりでございます」
「大叔父さんに会いたい。今いるか」
「はい、どうぞお入りください」
ダンテさま、って呼ばれてるんだ……。
お手伝いさんから呼ばれるのは普通なのかな。リオンはそう思いながら、ダンテについて屋敷に入る。長い廊下を経て、たどり着いた部屋には、初老の男性が一人、ベッドに座っていた。彼は眼鏡の向こうの瞳をこちらに向け、瞳を緩めた。
「ダンテ。よく来たな」
その瞳の色がダンテによく似ていたので、リオンはハッとする。ダンテは男性に近寄っていき、
「ミルテ叔父さん、久しぶり」
優しい表情でミルテを見つめた。──ダンテのこんな顔、初めて見た。ミルテはダンテと言葉を交わした後、ふっ、とこちらに瞳を向ける。
「こちらのかわいいお嬢さんは? ガールフレンドか?」
ミルテの瞳は、ダンテと同じ紅い色だった。ダンテはちら、とこちらを見て、
「これですか? ただの綿毛です」
「なっ、綿毛じゃないよ!」
リオンが抗議したら、ダンテがべえ、と舌を出した。二人のやりとりを見ていたミルテがくすくす笑う。
「仲がいいね」
「からかうと面白いから」
──面白いってなによ。リオンはむくれた。自分はダンテのおもちゃじゃないのだ。
ミルテの手元にあるスケッチブックを見て、リオンはあ、と声を漏らした。描かれていたのは、箒を持った三角帽子の魔女だ。その可愛らしいタッチを見て、思わず感嘆する。
「わあ……かわいい」
「ああ、「ばらものがたり」の続編を書かないか、という話がきていてね」
「ミルテさんは、絵本作家さんなんですか?」
「ああ、趣味の範囲だが……本業は造園術師だ。もっとも、こんな身体だから、今は休業中なんだがね」
花魔術師は、造園や研究、花籠のプロ選手など、様々な職業についている。
造園術師は、街路樹や公園など、様々な場所で活躍する職人だ。
ダンテはスケッチブックを覗き込み、
「あれは影絵風だったけど、これはパステル調なんだな」
「ああ、そうなんだ。あの話は、少し暗い雰囲気だったからね。続きは幸せな話にしようと思ってる」
彼はそう言って、パステルをスケッチブックに走らせた。
「とりあえず、元気そうでよかった」
「ああ、最近調子がいいんだ」
ダンテの言葉に、ミルテは微笑んだ。素敵な人だ。ダンテが年を重ねたら、こんな感じなのかな……。
リオンは、自分がダンテの横にいるのを思い浮かべた。ぼうっとしていたら、ダンテが不審げにこちらを見た。
「どうした」
慌てて首を振る。
「な、なんでもない」
頰に手を当てて、息を吐く。そうして、はっ、とする。
「ねえ、ダンテ。綿毛の力で、ミルテさんの呪いも緩和できないかな」
「呪いの……緩和?」
ミルテは不思議そうな顔をしている。あ、でもキスしないといけないんだ……リオンはちら、とダンテを見た。彼は懐から、小さな瓶を取り出す。
「キスはしなくていい。手を握るだけで」
なんだろう、あれ……。リオンは瓶をしげしげと見た。ダンテはミルテの腕に、瓶の中の液体を垂らした。リオンはダンテに促され、慌ててミルテの手を握る。
リオンの足元に花が咲き、ふわりと綿毛が舞った。ミルテは、自分の手が綿毛に包まれていくのをしげしげと見ている。
「なるほど、君は……たんぽぽの魔術花を持っているのだね」
「はい」
ダンテはミルテの手を取り、手のひらについた痣を確認する。かすかに薄くなっているようだった。
「ダンテ、今の液体は?」
「棘を無効化する薬」
ダンテはそう言って、瓶をしまいこんだ。
「君たちは、薬と合わせて呪いの緩和をしているわけだな。面白い試みだ」
いえ、普段はキスをしてます──とは言えなかった。リオンは、ミルテが描いたスケッチをパラパラとめくった。
「すごい、本当に素敵」
興奮しながらスケッチブックを見ていたら、気になるページを見つけた。
(あれ……?)
三角の帽子をかぶった魔女が、塔の周りを飛んでいる。
ミルテがそのページをびり、と破った。リオンに差し出す。
「よかったらどうぞ」
「え……いいんですか?」
「ああ。そのシーンは、ボツになったものなんだ」
リオンがありがとうございます、と頰を上気させたら、ミルテが微笑んだ。
「またおいで、可愛いダンデライオン」
ダンデ、ライオン……? 部屋を出たリオンが首を傾げていたら、ダンテが補足した。
「たんぽぽのことだ」
「聞いたことない呼び方だね」
リオンがそう言う。ダンテはああ、と頷いて、
「大叔父さんは、各国の造園について学ぶために、一時期外国にいたことがあるんだ。強い発作が起きて戻ってきたけど」
「そうなんだ……」
たしかに、紳士的っていうか、垢抜けた感じがした。リオンは頷いて、受け取った絵を見下ろした。箒にまたがった、可愛らしいとんがり帽子の魔女。
「箒に乗ってるのも、外国のイメージなのかな。ロウランドではあんまり見かけないよね」
「かもな」
「それに、ダンデライオンって、なんかカッコいいよね」
ダンテとリオンの名前に似ている気がする。
「おまえには綿毛のほうが似合うがな」
リオンは、その言い草にムッとした。たまにはそうだな、とか、俺もそう思う、とか言ってくれればいいのに……。
まあ、そんな素直なダンテは不気味だけど。
帰宅したリオンは、ミルテにもらった絵を額縁にいれて、窓辺に飾った。部屋が一気に素敵になった気がする。
(不思議だな。夢の景色と同じだなんて……)
ベッドに座って絵を眺めていたら、ノックの音がした。
「リオン、俺のシャツ知らないか」
「あ、それなら軒下に干してあ……」
リオンは振り向いて、ひゃあ、と叫んだ。ダンテは、上半身裸だったのだ。
「な、なんで裸なの!?」
「なんでって、シャツがないからだけど」
にしたって、一枚きりということはないだろう……!
「ちょ、こっちこないで」
ダンテがこちらに歩いてきたので、リオンは慌てて後ずさった。ベッドの背に身体をくっつける。彼はこちらをじっと見て、目を細める。
「ふうん」
「な、なに」
「意識してるのか、綿毛のくせに」
リオンはぶわっ、と赤くなった。
「べ、べつに……」
ぎしり、とベッドが鳴って、ダンテが身を寄せてくる。リオンはどくどく心臓を鳴らした。喉がからからに乾いて、全身が熱くなる。唇が近づいてきたので、ぎゅっ、と目を閉じた。
「ダンテ──!! お兄ちゃんがきたぞ──!」
ドアが開閉する音と、ドタバタという足音。ドアの向こう、アルフレッドが満面の笑みで手を挙げていた。
「やあ諸君!」
「……」
「ん? ぐはっ」
ダンテが無言で伸ばした蔓が、アルフレッドの顎を直撃した。




