兄×弟
ダンテと同居を始めて、ひと月余りがたった。ひと月の間、特に何事もなく──というのもおかしいけれど、なんとか同居生活を送っていた。問題といえば、そう……アレだ。
とある昼下がり、魔術院の廊下に、予鈴のチャイムが鳴り響いている。屋上のフェンスに背をつけたリオンは、真っ赤になりながら、ダンテを見上げていた。
「あ、あの、ここでするの?」
「ああ。何か問題が?」
問題はある。ここは学校だし、誰かが通りかかったら確実に見られてしまうのだ。さらさらと流れる黒髪、緋色の瞳は血のような赤。見つめられているだけで、喉が乾いて、身体が熱くなる。
「家に帰ってからでも……っ」
近づいてきた唇に、リオンはぎゅ、と目を瞑った。彼はためらったりはしない。ダンテの唇が重なった瞬間、くらくらするような、薔薇の匂いがした。真っ赤になってふらふら頭を揺らすリオンに、ダンテは呆れた声を出す。
「いつになったら慣れるんだ、おまえ」
「慣れないよ……」
大体、いつもいきなりなのだ。菜園の世話をしているリオンをダンテが眺めていたのだが、いきなり「アザが濃くなってきた、キスしていいか」と聞かれたのだ。そう尋ねられたら、拒否できるはずもない。
切迫詰まったリオンに対し、ダンテは相変わらず涼しい顔をしている。──前から思ってたけど、やっぱりこういうの、慣れてるのかな。
女の子の告白は毎度断わってる、っていうし。しかしその割には、キスし慣れてるような気がするし……。リオンがもやもやしながらダンテを見ていたら、不審そうな視線がこちらを向く。
「なんだよ」
慌てて首を振る。
「な、なんでもない」
意識しているのが自分だけだとわかっているから、そう答えた。ダンテは屋上の出口へと向かいかけ、足を止める。
「ああ、俺今日実験室に行くから。おまえ、先帰ってて」
「実験? 実験って、なんの?」
「棘のない薔薇をつくる実験。呪いを解く鍵になると思って、最近やってる」
リオンもよく、植物をどんなお茶にしたらいいか、実験するのが好きだった。いや……まったく次元の違う話なのだが。
「面白そう。私も見たい」
「べつに面白くはないけどな」
「そんなことない。見たい!」
リオンが身を乗り出すと、ダンテがふ、と笑った。どきりとしたリオンに、彼は意地悪く言う。
「おまえの技の方が面白い。必殺綿毛地獄」
「綿毛じゃない!」
反射的に叫んだら、ダンテがリオンの頭に手を置いた。髪の間に指を入れ、梳くように優しく撫でる。紅い瞳を緩めているダンテに、リオンはどきりとした。そんな顔をされたら、黙るしかないじゃないか。意地悪なくせに……ずるい、この人。
「おまえ、髪も綿毛みたいだな」
「……綿毛じゃ、ない」
その否定は弱々しかった。
「今日、掃除当番だろ?」
「うん」
「放課後、第三実験室にいるから」
ダンテは手を離し、
「綿毛、撒き散らすなよ」
「撒き散らさないよ!」
ダンテは笑いながら屋上を出て行った。リオンは自分の頭に手をやり、赤い顔でくしゃ、とかき回した。
★
放課後、掃除を終えたリオンが第三実験室に向かおうとしたら、見知らぬ女生徒たちが進路を塞いだ。
「リオンさん、ちょっといいかしら?」
その言葉と共に拘束されたリオンは、校舎裏へと連行された。周りから隠すように囲まれ、居心地の悪さを覚えながら尋ねる。
「あの、なんでしょう……」
「あなた、最近ダンテさまと馴れ馴れしいじゃない」
ダンテ──さま? 彼が女生徒に人気があるのは知っていたが、様付けにはさすがに驚く。まあ確かに、ダンテはわがままで気まぐれで何様なのかと思うこともあるけれど……。
「彼は薔薇の王子様! 全女子生徒の憧れの的なのよ。一人だけが独占していい存在じゃないの。大体あなた、自分がダンテさまに釣り合うと思って?」
急に芝居掛かった調子で語り出した女生徒を、リオンはぽかんと見つめる。
「ええと……何の話ですか?」
女生徒のひとりが息巻いた。
「この女、とぼけちゃって! しめますか!?」
しめる? まさか暴行されるのかと、リオンは怯える。女生徒はすっ、と手のひらをかざし、
「まあ、待ちなさい。私たちは平和的な解決を望んでいるの。でもあなたの対応によっては話が変わってくる……わかるわね? リオンさん」
「は、はあ」
「よくってよ。まず、ダンテさまと馴れ馴れしく話すのをやめなさい」
様付けにはやはり違和感を覚える。
「……ダンテは、クラスメイトだよ」
「は?」
「そんな、様付けとかしたら、なんだかよそよそしいよ」
「何を言っているの? 彼は特別なのよ。敬意を払うのは当たり前でしょう」
「でもダンテは、様付けとか特別扱いとか、嬉しくないと思う」
「生意気な!」
カッとなった女生徒たちの足元に、ふわりと花が咲いた。リオンはギョッと目を見開く。まさか、ここで攻撃してくる気なのか──。慌てて応戦しようとしたら、
「どうかしたのかな、諸君」
ダンテによく似たその声に、リオンは顔を上げた。
「あ、アルフレッドさま!」
女子生徒たちが一斉に頰を染めた。アルフレッド? リオンは彼女たちの視線を追い、その先にいた人物に目をやる。艶やかな銀の髪、瞳は薄い青。磨かれた銀細工のような、美しい男子生徒が立っていた。
「あなた、なにをしてるの! 頭が高いわよ! 控えなさい」
女子生徒が声を荒げる。頭が高いって、何時代なんだろう。というかどこの国? リオンはこそっと尋ねてみる。
「あの……あのひと、誰?」
「まーッ、アルフレッドさまを知らないの!?」
「なんて非常織なのかしら!」
口々に糾弾され、思わず、すいません、と言っていた。どこの常識だかわからないが、そこまで言うのなら、相当有名な人物なのだろう。リオンは友人がほとんどいないため、学院内の常識に疎いのだ。
女生徒は興奮気味に、
「この方はね、ダンテさまのお兄様よ!」
お兄様? リオンは驚きながらアルフレッドを見た。確かに、兄弟ならば声が似ているのもうなずける。しかし、雰囲気がまるで似ていなかった。ダンテが一輪咲きの赤い薔薇だとしたら、アルフレッドは華やかなホワイトローズといったところか。
「アルフレッドさまは、花籠の名手でいらっしゃるのよ!」
その言葉に、リオンはあ、と声を漏らす。そういえば──アルフレッドがグラウンドで、フラケットの試合をしていたのを見たような気がする。
「とにかく、喧嘩はいけないぞ! みんな仲良く! 天下泰平、世は皆こともなし!」
アルフレッドが腰に手を当てて言う。少女たちは顔を見合わせ、そそくさと去っていった。彼に毒気を抜かれたのだろう。
リオンはアルフレッドと二人残される。
「あ、ありがとうございました」
リオンが慌てて頭を下げたら、アルフレッドが腕を組んでうなずいた。
「うむ、構わないぞ。みんな同じ花魔術師見習いなのだから、仲良くしなくてはな」
ところで、と彼が尋ねてくる。
「君は、弟とは仲がいいのか?」
「はい、弟さんにはいつも」
──リオン、腹が減った。
──リオン、キスしていいか。
──リオン、俺のシャツは?
リオンはあらゆるシーンのわがままダンテを思い起こし、
「えーと、お世話してます」
その言葉に、アルフレッドが噴き出した。リオンは、慌てて口をおさえる。
「あ、ごめんなさい」
「はは、いいとも。ある意味予想通りだ。あいつは末っ子で、甘やかされて育ったからワガママなんだ」
──やっぱりそうなんだ。そして、偉そうな割には甘えるのがうまい感じなんだよね。考えてみたら、ダンテって、すごくトクな性格だなあ……。リオンがそんなことを考えていたら、アルフレッドがこう尋ねた。
「もしかして、弟は君のところにいるのかな?」
「え? ダンテ、お兄さんに話さなかったんですか?」
アルフレッドは残念そうにため息をついた。
「俺は弟に嫌われてるんだ。なぜだかわからないのだが」
そういえば、制服が兄の髪色に似てて嫌だ、って言ってたっけ。この人は髪色が銀、つまり、アホの方……。
「もうちょっと我が弟について話をしたいところだな。これからお茶でもどうかな」
アルフレッドの言葉に、リオンは眉を下げた。
「ごめんなさい。私、ダンテと実験室で待ち合わせしてて……」
その時、背後で声がした。
「おい」
「へ? きゃっ」
いきなり腕を掴まれ、ぐい、と身体を引き寄せられて、リオンは目を白黒させた。
「何やってるんだ、おまえ」
視線を背後にやると、むっつりした顔のダンテが立っていた。なんだか、すごく怒っているような気がする……。
「だ、ダンテ、なんでここに?」
「まったく現れる気配がないから迎えに来てやった。手間をかけさせるなよ」
(ほんとに、いついかなる時も偉そうだなあ)
アルフレッドが口を出す。
「ダンテ、彼女がおまえのファンに絡まれてたぞ。ちゃんと見ていてあげなさい」
「余計なお世話だ」
「むむ? 兄に対してなんという言い草だ? 大体おまえは」
「いくぞ、リオン」
ダンテに手を引かれ、リオンは歩き出した。アルフレッドが背後で何かを言っている。
「だ、ダンテ、お兄さんはいいの?」
「いい。あんなやつと口を利くなよ。アホがうつるぞ」
本当にアホ呼ばわりしているのだ……。
「でも、助けてくれたんだよ」
「絡まれた、って言ってたな」
ダンテがこちらを振り向いた。紅い瞳は、話せ、と言っているように見えた。リオンは言い澱みながら、
「あの……女の子たちが、ダンテに対して馴れ馴れしいって」
ダンテは鼻を鳴らす。
「ばかばかしい。俺は馴れ馴れしいやつは嫌いなんだ。本当にうざかったら、薔薇の蔓で蹴散らす」
想像したら、なかなかのスプラッタだった。
「でも、ファンの子たちからしたら嫌だと思うよ、彼女でもない女の子が、好きな人にベタベタしてたら」
「なにがファンだか。俺のことなんかなに一つ知らない連中だろ」
リオンは、掴まれている自分の手を見下ろした。ひと月前までは、ダンテと手を繋いで歩くなんて考えもしなかったのに。
「私だって……ダンテのこと、よくしらない」
ぴく、と肩を揺らしたダンテが、こちらを振り向く。
「おまえは別だ」
リオンは、その言葉にどきりとした。別って、どういう意味だろう。私は、ダンテにとって、特別なの──? 紅い瞳に見つめられて、どくどくと心臓が鳴る。
「おまえは俺の棘を緩和する能力がある。だから別だ」
「あ……うん」
しゅるしゅると、膨らんだ期待がしぼんでいく。──そうだよね。能力があるから、彼はリオンと一緒にいるのだ。もし、棘を緩和する力がなかったら。こうして手を繋ぐことなんか、なかったんじゃないだろうか? そう思ったら、なぜか胸がくるしくなった。
行くぞ。そう促され、リオンは歩き出した。




