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リボン×リオン

番外編。

 それは、とある休日の会話から始まった。


 ダンテはソファで新聞を読み、リオンは、お茶を楽しみながら、雑誌をめくっていた。占いコーナーがあったので、めくる手を止める。彼との相性を見てみよう。可愛らしいイラストと共に、そんな文句が踊っている。


「ねえ、ダンテの誕生日っていつ?」

 リオンの言葉に、新聞を読んでいたダンテが口を開く。

「六月一日」

「そうなんだ……へ?」

 リオンは目を見開いて、ダンテを見た。

「明後日じゃない!」

「ああ、言わなかったか?」

「聞いてないよ」


 いじわるの言葉は欠かさないくせに、なぜそんな重要なことを言わないのだ。恨めしげな顔をしたリオンに、ダンテがなんだよ、と返した。

「なんで黙ってたの?」

「べつに、言うほどのことじゃないだろ」

「誕生日だよ? お祝いしなくちゃ」

「ガキか」

 彼は呆れた顔をした。


「そうだけど、でも……あっ」

 リオンは両手を打ち鳴らした。

「パーティしようよ。アルフレッドさんや、ルーベンスさんも一緒に」

「嫌だ。めんどくさい。というかルーベンスは来ないだろ」

 ダンテはそう言って、新聞を広げた。

「でも、せっかくだし」


 彼はリオンの言葉を遮るように、新聞をがさりと鳴らした。これは、会話終了の合図だ。リオンは唇を尖らせて、占いコーナーに目を落とした。ため息をついていたら、ふわっ、と薔薇の匂いが漂った。


「!」

「なにを膨れてるんだ」


 背後に座ったダンテが、リオンの顔を覗き込む。恋人だというのに、未だにこの距離には慣れない。引っかかりのない黒髪は艶があり、紅い瞳はまるで宝石のようで、綺麗すぎて直視できない。薔薇の王子様というあだ名はダテではないのだ。


「べ、べつに、膨れてな、む」

 彼がリオンの頰を押しつぶしてくる。

「む」

「タコみたいだな」


 リオンは、くくく、と笑うダンテをにらんだ。綺麗だけど、相変わらずいじわるだ。


 ダンテは瞳を緩めて、唇を近づけてきた。合わさった唇がやわらかくて、髪からいい匂いが漂う。彼との口付けはいつもドキドキして、心臓が破けそうになる。唇が離れていき、ダンテがじっとこちらを見つめた。


 恥ずかしくて目を伏せたら、彼が囁く。

「葉っぱの味がする」

「葉っぱじゃないもん。たんぽぽのお茶だよ」

「葉っぱだろ、それは」


 たんぽぽを雑草扱いした。薔薇の魔術花──しかも紅薔薇だからって、他の花を見下してるところが、ダンテにはある。確かに薔薇は特別だ。匂いも形も色も、他の花とは段違い。まさに花の王様なのだ。


「たんぽぽは雑草じゃないもん」

「ああ、綿毛だもんな。草じゃないな」


 リオンは手をかざし、足元にたんぽぽを出現させた。

「えい」

 手のひらから出したふわふわの綿毛を、ダンテの頭にかぶせる。彼は綿毛を手で払いながら、

「綿毛を撒き散らすなよ」

「ダンテがいじわる言うからだもん」

 ぷい、とそっぽを向いたら、彼が髪の毛を優しく梳いた。

「機嫌なおせよ」


 リオンは髪を撫でる手にきゅんとして、膝を抱えた。

 ダンテは、リオンの機嫌が治る方法を知ってる。知ってるから、いじわるなことを言うんだ。ほんとにずるいんだから。


 ちら、とダンテを見上げる。

「……ねえ、ダンテ。薔薇を出してくれない? ローズティーをつくりたいの」

「まだ作る気か。たくさんあるだろ」

 これはダンテには秘密なのだが、キスしたあとに彼が出す魔術花は、素晴らしくみずみずしいのだ。


 彼が手をかざすと、ふわっ、と暖かい風が巻き起こり、光が溢れた。足元に大輪の紅薔薇が咲き、ダンテの手のひらからシュルシュルと蔓が伸びてくる。ポンポン、と音をたて、紅薔薇が咲いた。


 彼は、呪いを打破するため、己の蔓を棘のないものに変えた。きっとダンテは、自分自身も、他者も傷つけまいと思ったのだろう。リオンが手を伸ばすと、彼が言った。


「気をつけろ。最近、また棘が生えてきた」

 大丈夫だよ、とリオンは返す。ダンテが棘に苦しめられてきたことは知っている。だけど薔薇という花は、棘があるからこそ一層美しいのかもしれないと、リオンは思う。


 怖くない。棘も、ダンテの一部だ。

 リオンは薔薇を摘み、ダンテに笑顔を向ける。


「ありがとう」

「どういたしまして」

 彼はそう言って、蔓を手のひらに戻した。



 ★



 花魔術院──通称フラウィザード・アカデミー。ダンテとリオンは、自宅からトラムで15分ほどのところにある、そこに通っている。

 トラムから降りて、二人で校門に向かうと、グラウンドの方から何かが突進してくるのが見えた。


「おはよう弟! あとリオン!」

 暑苦しいほどのまばゆい笑顔を向けながら、アルフレッドがこちらに走ってくる。彼はがしっ、とリオンに抱きついた。

「わあっ」


 すかさずダンテが蔓を出して、アルフレッドの首に巻きつけた。そのまま地面に引き倒す。

「なにしてる、この変態」

 ぎりぎり首を締め上げると、アルフレッドがぐえっ、と呻いた。

「だ、ダンテ、死んじゃうよ」

 アルフレッドはゴホゴホ咳き込み、

「ダンテ! おはよう!」


 笑顔を浮かべる。弟から手ひどい扱いをされてもめげないアルフレッドに、リオンは感心する。


「アルフレッドさんって、たくましいね……」

「アホなだけだ」


 ダンテはアルフレッドに冷たい。が、アルフレッドはいい兄だし、ダンテもそれをわかっている……と、リオンは思う。アルフレッドはダンテの肩を抱き、

「ダンテ、リオンとのいちゃいちゃ同居生活が楽しいのはわかるが、たまには我が家に帰ってこい。おにいちゃんは寂しいぞ!」

 ダンテはその手をびしりと払いのけた。


「知るか。兄弟ならもう一人いるだろう」

「だってルーベンスは兄だし、可愛くないからな」

「可愛くなくて悪かったね」

 いつの間にか傍に立っていたルーベンス・ロズウェルが、リオンの髪に指を絡める。


「今日も綺麗な髪だね、リオン」

「お、おはようございます」

「あれ? まつげがほっぺについてるよ。とってあげる」


 ルーベンスが手を伸ばし、リオンの頰に触れようとする。ダンテがすかさず蔓を伸ばすが、ルーベンスはそれを片手で払いのけた。ダンテは舌打ちし、リオンの肩を抱き寄せる。


「リオンに触るな、ど変態」

「兄に向かってその口のきき方はなんだ?」

(相変わらず仲悪いなあ……)


 紅、黄、白。薔薇を魔術花とする唯一の一族、ロズウェルの三兄弟が集まっているのは、かなり壮麗だった。まさしく薔薇が咲いたかのような佇まいの彼らに、周りから熱い視線がそそぐ。

「ダンテ、今日も美しいわ……」

「アルフレッドさまかわいい〜」

「ルーベンス先生エロい」


 女生徒たちがひそひそと声をあげていた。みなそれぞれ、紅、黄、白のものを身につけている。この三兄弟には、なんとファンクラブなるものがあるのだ。

 彼女たちの視線は、リオンにも向かった。途端にブリザードが吹き荒れる。


「雑草のくせに、ダンテさまに言い寄って……」

「しかも他の薔薇にまで可愛がられて」

「自分の綿毛で窒息すればいいのに」

 呪詛を含んだ言葉に、リオンは冷や汗をかいた。それを見たアルフレッドが言う。

「どうした、リオン。顔色がわるいぞ」

「具合が悪いのかい? 保健室に連れていってあげよう」

 ルーベンスが伸ばした腕を、ダンテがはたき落した。

「保健室でなにする気だ、変態」

「その発想、童貞くさいね」

 リオンを挟み、再び睨みあいを始めるふたり。いろんな意味で吹き荒れるブリザード。


「あの、私、先に行きますね」

 リオンはそそくさと、その場をあとにした。



 ★



 放課後、リオンは屋上菜園へ、日課の水をやりをするために向かった。鼻歌をうたいながら水をあげていると、屋上の扉が開く音がする。振り向くと、三人ほどの女の子がこちらを見ていた。


「?」

 その中の一人に見覚えがあったので、リオンはあ、と声をあげる。

「紅薔薇会の……」


 紅いリボンを頭につけた女生徒が、ばっ、と扇を開く。

「紅薔薇会会長、ローラよ」

 その隣にいた、白いタイをつけた男子生徒が続ける。

「白薔薇会会長、ダニエルだ」

 黄色いカチューシャをつけた少女が、おっとりと続けた。

「黄薔薇会会長、マリアです、ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう」


 リオンはそう返し、ちらりとダニエルを見た。

「えっと、ダニエルくんは……アルフレッドさんのファンなの?」

「なんだ、男がファンになって悪いのか」


 悪くはないが、つまりはそういう……? コメントに困るリオンを見て、ダニエルが鼻を鳴らす。

「勘違いするな。僕は花魔球(フラケット)の名手として、アルフレッド先輩を尊敬しているんだ」

「はあ」


 三人は一瞬で近づいてきて、リオンを取り囲む。ダニエルはじろじろリオンを見て、

「どこからどう見たって普通だ」

 こう続ける。

「おまけに、魔術花はたんぽぽ。しかも、学期試験で落第しかけた劣等生。ダンテ・ロズウェルはこいつのどこがいいんだ?」

「男子から見てもそうなのね」

 ローラがうんうん頷く。ずけずけ言われ、リオンは地味に傷つく。マリアがおっとりと言った。

「天才症候群というやつじゃないかしら」


「天才症候群……?」

 ダニエルとローラが、マリアに注目する。彼女は懐から本を取り出し、パラパラめくった。舞台にたった女優のような、優雅な口調で、

「この本にこう書かれてるわ。『天才は、天才ゆえの苦しみをかかえている……だから、凡庸な魂に憧れることがあるのだ』ですって」


 ダニエルがふむ、と頷いた。

「つまり、リオン・オランジュを一般以上にすれば、ダンテは見向きもしなくなる、ということだな」

「なるほど……」

 リオンは、じりじり近づいてくる三人から後ずさった。


「えっ、あの……?」

 じょうろが屋上の地面に落ちて、リオンの悲鳴が響き渡った。



 ★



「あら、かわいい」

「髪の巻きが足らない気がするが」

「顔が普通だから、これ以上巻くと違和感があるんじゃなくって?」

「あのう……」

 リオンが呟くと、三人がなに、と返す。

「なぜこんなことに?」

 リオンは、演劇部の部室にいた。マリアが演劇部員なのだそうだ──にしても、連れて来られた意味はよくわからないのだが。


 マリアは髪を巻くようのカーラーを手に、おっとりと言う。

「最近、髪を巻くのが流行ってるのよ。子供っぽさを解消して、大人の女になれるわ」

「は、はあ」


 リオンは鏡に映った自分を見た。髪を巻いただけで、意外と印象が変わるものだ。

「あとは化粧ね。地味顔だからきっと映えるわ」

 ローラにわりとストレートな非難をされるリオン。


「私が聞きたいのは、なぜこんなことをしているのかということで」

「三薔薇会は、同じロズウェルの薔薇を守る会として、協定を結んでいる」

 ダニエルが、手元でおしろいをはたきながら言う。

「おまえのような凡人にダンテ・ロズウェルが独占されるのは許せない。そういった紅薔薇会の悲鳴は理解できる」


 彼は厳しい顔つきで、

「もし、アルフレッド先輩が花魔球部をやめ、茶道部に入ったら、僕も紛糾するだろうからだ」

「いや、それはなんか違う気が」

 リオンの言葉を遮るように、彼はおしろいでぱふぱふ頰をたたく。もうもうとたつおしろいに、リオンはケホケホと咳き込んだ。


 それから、チークやらマスカラやら、触れたこともない道具が、リオンの顔を彩っていく。されるがままになっていたら、最後の仕上げよ、と言われ、ホッとした。

「仕上げはこれ。魅惑の唇になるというローズ・リップ」

「綺麗な色」

 差し出されたリップを見て、リオンは感嘆した。ダンテの魔術花みたいな色だ。リップの色に見惚れていたら、三人が口々に言う。


「素晴らしい。野暮ったさが抜け、一般以上のビジュアルになった」

「ほんと。ありのままの素朴さを売りにできなくなってますます凡庸化したわ」

「シン・リオンの誕生だわ。ダンテはあなただと気づかないかもしれないわね。ふふ」


 リップを見つめていたリオンは、彼らの罵倒の一部を聞き取り、ハッとした。ローラの方を振り向くと、彼女が眉をあげ、なんですの、と尋ねてくる。


「あの、ダンテの誕生日、いつか知ってる?」

「当たり前よ。明後日でしょう」

「私、知らなかったんだ」

「まあっ、ダンテさまの誕生日を知らないですって!?」

 憤慨するローラに、

「それで、相談があるんだけど……」

 リオンの言葉に、三人は顔を見合わせた。



 ★



 屋上の床に落ちたじょうろを見て、ダンテは首を傾げた。じょうろを拾い上げ、

「リオンのやつ、どこ行ったんだ……」

 つぶやく。水をやった土はまだ完全に乾いていないし、おそらく近くにいるのだろうが……。彼女は人がいい上に、押しに弱い。──何か面倒なことに巻き込まれてないだろうな。


 白衣を翻し、屋上を出ようとしたら、ガチャ、と扉が開いた。扉の向こうにいた少女とぶつかりかけ、足を止める。

「あ、ダンテ……」

「……」


 一瞬、目の前にいるのがリオンだとわからなかった。白い髪は柔らかく巻かれ、頰はかすかに色づいている。まつ毛は濃く、影を落としていた。何より唇が──いつもより艶めいて見える。


「……なんだ、それ」

「あの、友達がやってくれたの」


 変かな。彼女が照れたようにはにかむ。いつもよりかわいく見えて、胸がむずむずした。なんでいきなり、化粧なんか。なんと言っていいかわからず、とりあえず持っていたじょうろを差し出す。


「置きっぱなしにするなよ」

「あ、ごめん。片付けるから、ちょっと待ってて」

 リオンはぱたぱたと用具入れの方へ向かう。跳ねる髪が、いつも以上にふわふわしている。


「お待たせ」

 ダンテは、戻ってきた彼女の腕を引いて、引き寄せた。リオンは不思議そうな顔でこちらを見る。


「で、なんで化粧してるんだ」

「え……だから、友達が」

「おまえ、友達なんかいないだろ」

「い、いるもん。友達がいないのはダンテでしょ」


 生意気だ。たしかにいないが、必要だと思ったこともない。

「なんか、隠してないか?」

 彼女は目を泳がせた。あやしい。ダンテは目を細めて、リオンの唇を親指で撫でた。彼女が顔を赤らめる。


「キスしてほしいから、こんなのつけてるのか」

「ち、違うよ」

「じゃあなに?」

「〜だから、友達がやったの!」


 リオンは赤い顔のまま、ダンテの肩を押した。そのまま階段を駆け下りていく。ダンテは、白い髪が視界から消えるのを見て、指先にかすかについたリップを見つめた。



 その夜、ダンテは、ごそごそという音で目を覚ました。ソファから起き上がり、手元の明かりをつける。リオンが台所に立って、何かをやっていた。ソファから立ち上がったダンテは、彼女に近づいていく。後ろから覗き込むと、何やら、赤いものを手にしていた。


「おい」

「ひっ!」

 びくりと震えたリオンが、持っていたものを後ろ手にして振り向いた。

「なにしてる。こんな遅くに」

「べ、べつに……ちょっと、喉が渇いちゃって」


 目が泳ぎまくっている。怪しすぎる……。手元の材料からするに、菓子類だろう。

「こんな夜中に食うと太るぞ」

「わ、わかってるよ」

 彼女はよく甘味を食べているから、どうせ明日の間食にでもするのだろうと思い、ダンテは再びソファに戻った。




 翌朝、ダンテが目覚めると、リオンの姿がなかった。テーブルの上には、朝食とメモが置かれている。

「日直だから先に行くね。ごはん食べたら、食器はシンクに!」

 似顔絵とともに、そう書かれていた。

「……」


 リオンが先に行くなんて珍しい。ダンテは用意されていたサンドイッチを食む。かすかなマスタードの辛味がうまさを引き立てる。美味いはずなのに、なぜかいつもの朝食より物足りない気がした。


 ──ダンテ、コーヒーのおかわり飲む?

 そう言って微笑むリオンがいないのだ。以前はひとりで食事をするなんて平気だった。むしろ、アルフレッドがうるさいから、部屋でひとりで食べた方が良かった。なのに、リオンがいないだけで、こんなに食事が味気ないなんて。


「綿毛のくせに」

 そうつぶやいて、コーヒーを飲んだ。



「おはようダンテ!」

 校門をくぐると、満面の笑みのアルフレッドが駆けてきた。彼を胡乱な目で見て、ダンテは足を進める。アルフレッドが、勢いよく抱きついてきた。


「おにいちゃんを無視するんじゃない! 寂しいだろう!」

「離せ、気色悪い」

 ダンテはうんざりしながら言い、アルフレッドを押しのけた。めげないアルフレッドは、ダンテの肩に顎を乗せ、視線を動かす。


「ん? リオンはいないのか」

「先に行った」

「むむ、倦怠期か? おまえとリオンが結婚したら、同居して食事の世話をしてもらう素晴らしい計画が台無しだ!」

「そんな計画はいますぐ中止しろ」


 兄を引きずりながら歩くダンテの目に、白い髪が映った。リオンが、男子生徒と一緒にいる。袋に入った何かを手渡していた。

「……」

 まさかあれは──昨日夜中に作っていたものか?

 思わず立ち止まると、アルフレッドが首を伸ばした。


「──ん? あれは、我が花魔球部のダニエルじゃないか」

「ダニエル?」

「あの二人友達だったのか! おれも混ざってこよう!」


 アルフレッドがだっ、と駆け出し、二人に突進して行った。こういう時、なんの躊躇もなく飛び出していけるアルフレッドは、ある意味すごい。別に真似したいとは思わないが……。


 抱きつかれたリオンは目を白黒させ、ダニエルは固まっている。リオンの橙色の瞳がこちらを向いた。アルフレッドの腕を逃れたリオンが、こちらにやってくる。


「ダンテ」

「あいつと会うために早起きしたわけか?」

 自然に、不機嫌な声が出た。

「え……ううん、そういうわけじゃ」

 リオンはなんと言うべきか、困っていりようだった。──なんなんだ。チリッとした感情が芽生える。


「たしかに、友達がいたわけだな。わざわざ早起きして会いに行くほどの」

 そう言ったら、リオンがおずおずと尋ねてきた。

「ダンテ、なんか、怒ってる?」

「怒ってない」

 さっさと歩き出すダンテの背中に、リオンの視線が刺さった。



 ★




 午後の倦怠感が、教室に満ちている。

「……このように、メンデルスゾーンは、魔術花を操るものの精神性に作用される法則があることを発見した」


 教壇にたつルーベンスが、蔓を使って黒板に板書している。女生徒たちは板書を書き写すことも忘れ、一様にうっとりし、リオンは懸命に板書を写している。ダンテは窓の外を見ていた。 雨が降りそうな薄曇りだ。


 と、鐘の音が鳴り響き、ルーベンスが板書を終える。リオンが立ち上がって、ルーベンスに近づいていく。

「先生、質問があるんですが」

「ん? 何かな」


 彼女は用紙を見せる。ルーベンスは用紙を覗き込み、説明をした。二人の距離の近さに、ダンテはまたチリッとした感情を覚える。


 ふと、ルーベンスがこちらに目をやって、口元を緩めた。彼がさりげなく身を寄せると、ルーベンスの髪が、リオンの髪と触れ合った。リオンは真剣に用紙を見つめているので気づかない。


 ──あいつ、絶対わざとやってるだろ。

 あんなやつが教師だなんて、絶対に間違っている。

 ダンテは立ち上がり、二人に近づいて行った。リオンの腕を掴むと、彼女が不思議そうな顔を向けてきた。


「ダンテ?」

「おれが教えてやる」

「へ? わっ」

 ダンテは、リオンを引きずるようにして、教室の外へ連れていく。誰もいない屋上へ引っ張っていき、ドアに押し付けた。


「ど、うしたの?」

 橙色の瞳が、こちらを見上げてくる。少し怯えた目に、またチリッと胸が焦れた。

「……ちょっと黙って」


 ダンテは、彼女の唇に、自分の唇を合わせる。リオンがびくりとして、ダンテのシャツを握りしめた。甘い匂い。くらくらする。口付けると、この匂いがする。

ずっと、リオンの甘さだと思っていた。だがこれは、ダンテ自身から溢れ出しているのだ。リオンへの感情が、甘く香っている。


 もっと彼女を独り占めにしたいと、感情が叫んでいる。リオンの首筋を噛んだら、彼女がひっ、と喉を鳴らした。


 ダンテが顔をあげると、涙がにじんだ橙色の瞳と目が合う。


「なに、泣いてるんだ」

 リオンはくしゃっと顔を歪めた。

「泣くなよ」

 涙を拭おうとしたら、さっ、と顔を背ける。


「リオン?」

「な、なんか、怒ってる、もん、こわい」

「怒ってない。ごめん」

 ダンテはリオンをぎゅっと抱きしめた。リオンもしがみついてくる。


「なんで、噛んだの?」

「ヤキモチ」

「へ」

「ルーベンスとベタベタしたろ。それに今朝、おれを置いてった」

「ベタベタなんか、してないよ」

「鈍い綿毛だな」

「綿毛じゃないもん」


 身体を離すと、彼女がこちらを見上げてきた。その瞳に、もう怯えの色はない。

「あの、今日の放課後、温室にきて」

「なんで」

「秘密」


 お願い。リオンはすがるような目でこちらを見ている。──そんな目で見るな。ずるいやつ。

「……わかった」

 そう言ったら、彼女がホッと息を吐いた。



 ★



 学院内にある温室には、各国の珍しい木々生い茂っている。花魔術では精製できない植物というものもまだまだあるため、保存のために、温室で育てられているのだ。虫を食う花だの、動く木だの、珍妙なものも多々あった。


 しかしいったい、温室になにがあるのだろう。

 ダンテは、前を歩くリオンを見た。

 ダンテがリオンと共に温室に入るなり、様々な花が降り注いできた。次いで、幾人かが声をあげる。


「お誕生日おめでとう!」

「……」

 ダンテは胡乱な目でリオンを見た。彼女は嬉しそうにパチパチ拍手をしている。

「……これが秘密とやらか?」

「うん。みんなで飾り付けしたの」


 さっきまで泣きべそをかいていたくせに、リオンはにこにこ笑っている。リオンが示したみんなの中には、ダニエルとやらもいた。──なんだ、くだらない。余計なヤキモチを焼かされたわけだ。そうして、見逃せないのが……。


「あんたはなにしてるんだ、アルフレッド」

 兄のアルフレッドが、三角帽と鼻眼鏡をつけていた。この男、なぜ誰よりもはしゃいでいるんだ。


「我が弟の誕生日パーティと聞けば、駆けつけないわけには行くまい」

 ダンテはため息をついた。もう好きにすればいいと思っていたら、紅いリボンをつけた少女が寄ってきた。


 ──誰だ、こいつ。そう思いながら見ていると、

「あ、あの、ダンテさま。お誕生日おめでとうございます」

 少女が包みを差し出してきた。

「どうも」


 受けとると、少女は真っ赤になって走り去った。なんなんだ。それから、リオンが切り分けたケーキを食べ──ケーキの上には、マジパンの紅い薔薇が乗っていて、昨日リオンが作っていたのはこれか、と思い至った。多少溜飲が下がる。


 誰よりもご機嫌なアルフレッドは、やたらにまぶしい笑顔を振りまきながら、

「パーティは楽しいなあ! そう思うだろう、ダニエル!」

「はっ、はい!」

「よし、この勢いで、夕日に向かって走るか!」

「はいっ!」


 アルフレッドとダニエルは、謎の体育会系ノリで温室から出ていく。一体何しにきたんだ。ダンテが木にもたれていると、リオンがやってきた。


「ダンテ、ローラに何もらったの?」

 あの少女、ローラというのか。

「さあ。やるよ」

「だめだよ。ダンテがもらったんだから」


 そう言いつつ、中身が気になるのか、リオンはそわそわしている。ダンテは肩をすくめ、包みを開いた。中には、赤いちいさな熊が入っていた。リオンがわあ、と声をあげる。


「かわいい! 誕生日熊だ」

「誕生日熊?」

「うん、誕生日によってデザインが変わるの。ダンテは六月一日だから、赤で、ダイヤが埋め込まれてるんだね」


 いいなあ、かわいいね。そんなことを言いながら、リオンは羨ましそうに熊を見ている。普通、他の女からもらったものを見たら、ヤキモチとか焼くべきではないだろうか。


 ダンテにはこれを欲しがるファンシーな趣味はないし、ほしいならやるのに。


「おまえの誕生日は?」

「あ、えっと……」

 リオンが困った顔をした。そうか、彼女は孤児だ。おそらく、正確な誕生日がわからないのだろう。


「たぶん、冬、かな?」

「……悪い」

「ううん」


 彼女は微笑み、

「ダンテはいいな、たくさん祝ってくれる人がいて」

「誕生日なんか、めでたいと思ったことない」

「……どうして?」

「母親の命日だからな」


 リオンが息を飲んだ。しばらく沈黙が落ちる。と、いきなり視界が遮られた。なんだ、と思いながら顔をあげると、一番上の兄が、三角帽を手にこちらを見下ろしていた。


「……ルーベンス」

「やあ、リオン。お招きありがとう」

 ルーベンスは、ダンテの頭を押さえつけながら、リオンに笑顔を向ける。

 ダンテは、頭に乗ったルーベンスの手をぐぐぐ、と押しのけた。


「仕事しろ、不良教師」

「するさ。おまえが三角帽かぶってろうそく消すところを見たら」

「誰がするか」

「おや、リオン。虫刺されがあるよ」

 ダンテの噛み跡を指さされ、リオンは赤くなる。

「わ、私、飲み物とってくるね」

 そそくさと去っていくリオンを、ルーベンスは見送る。そうして、ダンテに目をやった。


「なんだ」

「辛気臭い顔だな」

「元からこういう顔だ」

 ルーベンスは目を細め、

「べつにおまえがどんな顔をしてようがどうでもいいけど。リオンに愛想つかされないよう、気をつけたほうがいいよ」

「心配いらない。リオンはおれが好きだから。おまえの百億倍くらいな」

 その言葉は、ルーベンスの琴線に触れたようだった。


「魔女が戻ってきて、また呪われればいいのに」

「おまえが呪われろ、淫行教師」

 ギスギスした空気の中、リオンが戻ってきた。

「飲み物、これでよかったですか?」

「ありがとう」


 ルーベンスは飲み物を受け取り、

「これは、ローズティー?」

「はい、ダンテの紅い薔薇で作ったんです」

 ルーベンスは眉をあげ、

「黄色い薔薇のほうが綺麗なのに」

 そう呟いている。黄色いカチューシャをした少女が、すっ、と寄ってきた。


「ルーベンス先生、演劇部のことでお話が」

「ん? ああ、わかった」

 リオンは二人を見送り、

「ルーベンス先生って、演劇部の顧問なんだって。知ってた?」

 どうでもいい報告をする。ダンテは適当な返事をしたあと、ちらりとリオンを見た。


「それで?」

「え?」

「おまえは何をくれるんだ?」

「あ、えっと」

 彼女は困った顔になる。


「ごめん、時間がなくて、ケーキ作るだけで精一杯で……」

「へえ、プレゼントなしか」

 拗ねたふりをしたら、リオンがあわてた。


「こ、今度の休みに買いに行くから! 何がほしい?」

 ほしいものなんてないし、プレゼントなんかいらない。誕生日なんかどうでもいい。

 だけど、リオンの慌てぶりがおかしくて、ダンテは笑った。そうして、ローラとかいう少女がつけていた、紅いリボンを思い出す。


「──じゃあ、リボン」

「リボン?」

「リボンつけて寝っころがって、おれが何しても嫌がらないっていうのは?」

 リオンは目を瞬いたあと、真っ赤になった。


「だ、だめだよ」

「なんで?」

「そんな、やらしいのはだめ」

「なにがやらしいんだ?」

 彼女はうう、と呻いて、

「そんなの、プレゼントって言わないよ」

「俺がいいって言ってるんだ。ちゃんとリボン買ってこいよ」


 リオンが困った顔で視線を彷徨わせる。

「わ、私がそうしたら……ダンテはほんとにうれしいの?

「ああ」

 わかった、リボン買ってくる。弱り声でリオンは言う。真に受けている彼女がかわいくて、ダンテは笑いをこらえた。



 ★



 翌日曜日、ソファに寝転がって本を読んでいたら、エプロンをつけたリオンが、傍に正座した。エプロンをぎゅっと握りしめ、頰を染めている。どうしたことだと眺めていたら、彼女は意を決したように顔をあげた。


「い、今から、プレゼントをします」

 リオンはおもむろに、エプロンの紐をほどいた。そうして、リボンを首にくくりつける。そのまま、床に寝転がった。ダンテはソファから起き上がり、彼女を見下ろす。


「……何してるんだ?」

 手足を硬直させたまま、リオンは言う。

「ダンテが言ったんじゃない。リボンつけて寝転がれ、って」

「なんかイメージと違うな」

「え」


 ダンテはリオンの腕を引っ張り、ソファに座らせた。彼女の首にかかったリボンの端を指先ではじく。


「予想より間抜けだ」

 リオンはうう、と呻いた。彼女にしては相当の勇気を振り絞ったのだろう。唇は、リップで光っている。

「……もう、いい?」

 ダンテは、弄んでいたリボンをしゅるりと引く。


「せっかくだから、もらっとく」

 軽い身体を押し倒したら、リオンが真っ赤になった。

「ま、待って」

 くまが見てる。リオンがそんなことを言うから、顔をあげた。すると、ソファのサイドボードにいる誕生日熊と目があった。


「……おまえが飾ったんだろ」

「だって、かわいいし」

 なら気にするなと言いたい。ダンテは熊をつまんで、後ろに向けた。

「みてない」

 いいか? と尋ねたら、リオンがちいさく頷いた。

「……う、ん」


 ダンテ、誕生日おめでとう。彼女がはにかみながら言う。

 誕生日をめでたいと思ったことはない。だけど、生まれてこなかったら、リオンには出会えなかった。

「ありがとう」

 ダンテは彼女の指先を握って、唇を重ねた。

 紅薔薇の、甘い匂いが二人をつつんだ。

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