花×魔法
アルフレッドは、図書室の閲覧コーナーにいた。目の前に新聞記事を並べ、腕を組んでいる。
「うーむ、あの女は確かに、多くの人間を救っているのか」
砂漠に咲く、一輪の薔薇。そう書かれた文章とともに、写真が掲載されている。確かに、シルヴィアはものすごい美少女だ。アルフレッドだって可愛い子は好きだが、
「なにかが引っかかる」
シルヴィアは賢いし、アルフレッドに対して礼儀正しく接するが、どうも本心が読めない。ダンテは少しひねくれたところがある。そこが可愛いといえばそうだが、そんな彼だからこそ、癒し系が合うと思うのだ。
「そう、リオンみたいな子がいい」
リオンなら、家族としてうまくやっていけそうだ。料理も美味いし、アルフレッドにも優しいし。無視したりしないし。アルフレッドは強く頷いた。
「やはり、ダンテの嫁はリオンだな」
勝手に断定したアルフレッドの目に、気になる一文が飛び込んできた。
「む?」
アルフレッドは新聞を手に取り、その文章を眺める。
「シルヴィアが街を離れたあと、患者はほどなくして亡くなる。しかし、家族はシルヴィアに感謝する。一瞬でも目を覚ましてくれたのだ、奇跡とはそういうものなのだ……」
アルフレッドは、引っかかった部分を確かめるように、もう一度読んだ。
「シルヴィアが去ったあと、患者は死ぬ……」
──どういうことだ? シルヴィアは、植物化を無効化するわけではないのか?
「うむ……」
アルフレッドが眉を寄せていたら、悲鳴と、何かが割れる音が聞こえてきた。のち、足音が聞こえて、女性教師が蒼白になって入ってくる。
「みんな、今すぐ避難して!」
「どうしたんですか?」
「薔薇がっ……」
次の瞬間、教師の身体に蔓が巻きついた。そのまま廊下に引きづられていく。
「先生!」
アルフレッドは、教師を追って廊下に出た。そして、目の前に広がっている惨状に息を飲む。薔薇の蔓に破られ、飛散した窓ガラス。生徒たちは蔓に絡みつかれ、魔力を吸い取られている。教師の姿はない。どこかへ連れていかれたのか──。
アルフレッドは、手近にいた生徒の肩を揺さぶる。
「おい、しっかりしろ!」
「う……薔薇、が」
生徒はくたりと首を傾けた。とっさに、その首筋に手を当てる。息はあるようだが、いくら揺さぶっても動かない。アルフレッドはぎり、と歯噛みした。
「これはどういうことだっ……!」
その時、女生徒が悲鳴をあげた。アルフレッドは足元に白薔薇を出現させ、蔓を伸ばし、彼女に迫っていた蔓を叩き落とす。蔓は、棒で叩かれた蛇のように、しゅるしゅると後退していった。女生徒がこちらを見て、顔を明るくする。
「アルフレッドさま!」
「大丈夫か?」
アルフレッドは彼女を起こしながら尋ねた。少女は頷く。
「何があったかわかるか」
「いえ……」
少女を連れ、階下へと向かう。途中、倒れている生徒が目に入るたび、苦い気持ちが込み上げた。あとで助けるから、待っていてくれ。そう心の中で言いながら、這い寄ってくる蔓を、白薔薇の蔓で払いのける。きりがない。この蔓は、一体どこからきているのだ──。
ふと、階段をしゅるしゅると上がっていく蔓を目撃した。ひとつではない。いくつもの蔓が、屋上目指して動いている。
状況はよくわからないが、屋上に何かあるのは間違いなかった。
階段に足をかけたら、伸びて来た蔓に足を取られた。
「うがっ」
アルフレッドが呻いていたら、かつ、と靴音が響いた。
「ルーベンス!」
ルーベンスは、先ほど図書室に駆け込んで来た女性教師を抱き抱えていた。多少怪我をしているようだが、無事に見える。
それはいいとして──アルフレッドの足首に絡みついた蔓は、どうやらルーベンスが出しているようだ。
「何をするんだ、離せ!」
アルフレッドが蔓をとろうと踏ん張っていると、
「状況がわかっていないんだ。むやみに動かないでくれるかな?」
「わからないから動くんだ! 被害が大きくなる前に究明しなくては!」
ルーベンスは、蔓をくい、と引き寄せ、アルフレッドの身体を引きずった。
「ぎゃっ」
「まったく、バカな弟を持つと苦労するよ」
「なにをする、離せー!」
「これはダンテの薔薇だ」
ルーベンスの言葉に、アルフレッドはハッとした。
「おまえ、何か知ってるのか!」
「知るわけないだろう? ただ、ダンテ・ロズウェルは呪われた存在だからな──なんせ、産まれる時にすでに一人殺してる」
ルーベンスはひどく冷たい顔で、
「何があったって驚かない」
まさか、ルーベンスがダンテに何かしたのか。だからこんなことになっているのか。
「ルーベンス、なぜそこまでダンテを憎むんだ」
ルーベンスは答えずに、アルフレッドをずるずる引きずった。
★
次にリオンが気がついたときには、屋上は薔薇の蔓で埋め尽くされていた。畑は蔓に荒らされ、土は掘り返されている。そしてダンテは、まるで磔のごとく、蔓で縛りあげられ、目を閉じていた。
蔓が肌に食い込んで、血を流しているのがわかる。痛みはないと、シルヴィアは言った。だがあんな風にされて、平気なわけがない。
「っ……」
立ち上がり、近づこうとするが、薔薇の棘が邪魔をしてうまくいかない。リオンは手のひらをかざし、足元にたんぽぽを出現させようとした。
「無駄よ。もう魔力はないでしょう?」
サンルーフに立ったシルヴィアが言う。
「あったとしても、ダンテの魔力にはかなわない」
──俺にはかなわないだろ。ダンテにもそういわれた。
「そ、うだね」
偉そうで、自分本位で、まるで王子様みたいに振舞って、それでも、ダンテは誰よりも、寂しいひとで。誰もダンテの蔓をほどくことはできなくて。その肌に刺さった棘は、今も彼を苦しめている。
「私は、ダンテには、かなわない」
だけど、何もできないわけじゃない。
(私だって、花魔術師のはしくれなのだ)
リオンは薔薇の蔓をかき分けて、ダンテに近づこうとした。すぐに反応した薔薇の棘に肌が切り裂かれ、リオンは痛みにうめく。ダンテはずっと、この痛みと戦ってきたのだ。
痛みに耐えながら蔓を掴み、前に進む。ぽた、ぽた、と血が滴った。シルヴィアは、自身の爪を眺めながら言う。
「やめたほうがいいわ。死んじゃうわよ」
「しな、ない。ダンテを、たすけるんだから」
真横から飛んできた薔薇の蔓に跳ね除けられ、リオンは吹き飛ばされた。屋上のへりに身体をぶつけて、うめく。ダンテに絡みついた蔦が、リオンを威嚇するようにうねっている。
「ほらほら、ダンテも嫌がってるわ。あなたにきて欲しくないのよ」
シルヴィアは手を叩いて、愉快そうに笑っている。リオンは起き上がりながら、花壇に咲いているたんぽぽをぼんやり見た。荒らされて、倒れている、ちいさな黄色い花。それを手に、ふらつきながら起き上がり、リオンは言う。
「たんぽぽは、雑草だけど、強いの。倒されても、踏みつけられても、種を飛ばして、どこにでも、いけるの……」
「へえ、そう。魔法も使えないのにどうする気」
リオンは花を手にもったまま、目を閉じた。
「あら、目なんか閉じて……諦めたの?」
目を閉じて、集中しろ。ダンテの言葉が蘇る。
リオンは、手にした花をぎゅっと握りしめ、そこに魔力を集めた。たんぽぽの花が光り始め、だんだん大きくなる。
「……!」
目を開いたリオンは、シルヴィアを見据える。
「花魔術は、わずかな魔力があれば、自然栽培の花でも起こせるの」
「だからなんなの。そんなもの、すぐに散らしてあげる!」
リオンは、何倍にも大きくなった花に飛び乗った。
「飛んで!」
たんぽぽがふわりと浮いて、ダンテに近づいていく。シルヴィアが放った薔薇の蔓をよけ、たんぽぽに乗ったリオンはダンテのところへ飛んでいく。
「させないわ」
シルヴィアが蔓を飛ばしてくる。リオンの花に当たった。たんぽぽの花びらが散って、リオンの身体が傾く。もう少しで、ダンテに手が届く。腕を伸ばそうとしたら、シルヴィアが再び蔓を伸ばして、たんぽぽの花を散らした。
完全に体制を崩したリオンは、手近にあった蔓にしがみつく。手のひらに棘が刺さり、痛みが走った。
「……っ!」
リオンは痛みに耐えながら、縛り付けられているダンテの顔を見た。すでに彼の身体は、蔓に覆い尽くされそうになっている。手を伸ばして、その頰をそっと撫でる。
「ダンテ、おきて」
ダンテの周りには、硬い蔓が張り巡らせされていて、それらがシュルシュル動くたびに、彼の顔がだんだん見えなくなっていく。リオンは、必死に呼びかけた。
「ダンテ……だめ、おきて!」
「もう無駄よ。ロズウェルの薔薇は私のものになった!」
リオンは咄嗟にダンテに口づけたが、薔薇の蔓がダンテの顔を覆うほうが早い。あっという間に見えなくなってしまったダンテに、リオンは唇を震わせた。すがるように、蔓を爪でかく。
「いや……ダンテ」
涙がこぼれ落ち、ぱたりと蔓におちる。
「あらあら残念ねえ。──せめて最後に薔薇の棘に抱かれたら? たんぽぽの魔女さん」
シルヴィアが放った蔓が、リオンの手を強く叩いた。
「!」
落下していくリオンを、棘のない蔓が受け止める。
「な……あの蔓はなに!」
シルヴィアが、美しい表情を強張らせた。
「実験、成功してたみたいだな」
声が聞こえた、次の瞬間、薔薇の蔓がぶわりと膨らんで、引きちぎられる。その直後、ダンテが姿を現した。
大きな真紅のバラが、その足元に咲き誇る。地面に、ぼとぼとと引きちぎられた蔓が落ちる。リオンは、彼の名前を呼ぶ。
「ダンテ……!」
「な、なぜ……なぜ目覚めたの。あなたは植物化したはずなのに」
「さあ。そこの綿毛に聞けよ」
ダンテは、リオンに目をやって、微笑んだ。
「俺の呪いを解いたのはリオンだ。何回もキスしたかいがあったな」
リオンはかあっと赤くなった。そんなこと、言ってる場合じゃないのに。
シルヴィアは唇を噛み、リオンに向かって蔓を伸ばす。ダンテは素早くその蔓を阻んだ。ダンテの蔓の動きは早く、力も強い。全く勝負になっていなかった。倒された自分の蔓を見て、シルヴィアは絶句する。
「なっ」
ダンテは自分の手のひらを見下ろし、
「すごい魔力だな。これ、何人分?」
「この、所詮雑魚の魔力よ……!」
シルヴィアは何度も蔓で攻撃をしかけたが、いくらやろうと、シルヴィアはダンテにはかなわなかった。息を吐くシルヴィアに、ダンテは冷たく言う。
「悪いけど、俺は自分より弱いやつとは付き合わないから。結婚とか絶対ない」
「くっ……!」
シルヴィアは薔薇の花を足元に出現させ、屋上から飛び立った。ダンテは興味なさげにその様子を追い、リオンに手を差し伸べた。
「大丈夫か」
「あ、へいき」
背中に走った痛みに、リオンは眉をしかめた。先ほどシルヴィアから受けた攻撃で飛ばされた際に、背中を強打したのだ。
「全然平気じゃないだろ」
ため息をついたダンテは、リオンの背中と膝に腕を入れ、抱き上げた。
「ひゃあ」
歩き出すダンテに、慌てて言う。
「わ、私、自分で歩くから!」
「暴れるな、運びにくい」
ダンテは、蔓が絡まって開かなくなっている屋上のドアを、勢いよく蹴り飛ばした。
「ぐはっ」
そんな声がして、扉付近にいたらしいアルフレッドが倒れる。
「なにしてるんだ、アルフレッド」
「おまえがなにをするんだ、お兄ちゃんに向かって! ……ん、これは」
アルフレッドは、屋上を見渡して目を見開く。
「いったいなにが……」
「かくかくしかじか」
説明する気のないダンテにかわり、リオンが口を開いた。
「あの、シルヴィアが逃げてしまって……」
「なに。弟をたぶらかしたうえ逃げるとは不届きな!」
ダンテがむっつりと言う。
「俺はあんな女にたぶらかされてない」
「いやいや、兄の抱擁を無抵抗で受け入れる程度には魂を抜かれていたぞ! ぐはっ!」
「人が正気じゃない時に何してんだ」
ダンテがアルフレッドを蹴り飛ばすと、彼は嬉しそうに笑った。
「それでこそわが弟だ!」
「うるさい」
リオンを抱えて階段を降りていくダンテ。周りにいた生徒たちから、ひそひそ声がきこえる。
「ダンテが降りて来たぞ……」
「まさか、あの蔓はダンテが?」
「そうに決まってる。あんなことできるのはダンテしかいない」
「やだ、こわい……」
ダンテは声を無視して、さっさと歩いていく。リオンは慌てて声をあげた。
「あの!」
リオンに視線が集まる。
「ダンテは、怖くないから。偉そうだけど、何様って思うことあるけど、ダンテは怖くないから……」
「何言ってるんだ、おまえ」
「だって」
背後からついてきたアルフレッドが口を挟んだ。
「そう、俺の弟は怖くない。どちらかといえばかわいらしいぞ!」
「あんたは黙ってろ」
ダンテは兄に冷たい目を向ける。アルフレッドは微笑んで、
「さて、俺は他に怪我人がいないか見回るから。リオンのことは任せたぞ!」
「言われなくてもわかってる」
リオンは衆目にさらされながら、保健室へと向かった。保健室には、ルーベンスがいた。彼は、椅子に座って女の子の手当てをしている。包帯を巻く手つきは、随分手際がいい。ダンテを横目で見て、
「おや、生きてたのか」
「生きてて悪かったな」
ルーベンスは終わったよ、と言って、女の子に笑いかける。
「念のため、あとで病院に行ってね。きれいな肌に傷が残ったらいけないから」
「は、はい」
女の子は頰を染め、保健室をあとにする。ダンテは目を細め、
「よくあんなこっぱずかしいことが言えるな」
「諸悪の根源にそんなことを言われたくないね」
ルーベンスはそう返し、リオンに座るよう促す。
「怪我人でベッドが埋まってる。椅子でいいかな?」
「あ、は、い」
リオンの腕に触れようとしたルーベンスの手を、ダンテは掴んだ。
「俺がやる」
「おまえが傷つけたのに、おまえが手当てを? 不思議なことをするんだな、ダンテ」
「うるさい。大体、なんであんたが手当てを? 保険医はどうした」
「彼女、結構重症でね──おまえのせいで」
睨み合うルーベンスとダンテを仲裁するように、リオンは慌てて口を挟んだ。
「あの! 私自分でやるから」
消毒薬をとり、肘にかけようとするが、うまくいかない。
「やれないだろ、下手くそ」
ダンテが包帯を奪って巻き出した。ルーベンスは立ち上がり、
「ちょっと校内を見回りにいくから。ここは頼むよ」
出口へ向かう。ダンテが口を開いた。
「ルーベンス」
ドアに手をかけたルーベンスが立ち止まる。
「知ってたのか、シルヴィアのこと」
沈黙が落ちる。なぜか、リオンがハラハラした。
「知るわけないだろ?」
彼はダンテを振り向いて、口元を緩めた。
「知ってたら、シルヴィアは失敗しなかっただろうね」
くすくす笑い、そのまま保健室を出ていく。ダンテは苦虫を噛んだような顔で、ルーベンスを見送った。
「あいつ、階段から転がり落ちればいいのに」
「き、きっと冗談だよ」
「ふん」
ダンテはリオンの傷跡を見て、眉を寄せた。
「……痛むか」
「痛くないよ。これくらい、平気」
彼はそっと、リオンを抱き寄せた。リオンも、そろそろと手を伸ばし、ダンテの白衣を掴む。ドキドキと心臓が鳴っている。
「あの……」
ダンテが身体を離して、こちらを見つめた。紅い瞳。綺麗な瞳。リオンの知っているダンテだ。
「あの、私」
あなたがすき。そう言いかけた瞬間、保健室のドアがガラリと開いた。
「怪我人だ! 今すぐ手当てだ!」
生徒を抱えたアルフレッドが、ずかずか室内に入ってきた。彼は、ダンテとリオンを見比べ、
「ん? なんだ二人とも。ぼうっとしている場合じゃないぞ! まだまだ怪我人がいるんだからな! ぐはっ」
「うるさい」
ダンテは足元に薔薇を出現させ、アルフレッドの顔を蔓でびしりと叩いた。アルフレッドはダラダラ血を流しながら、
「ハハハハ、元気だなあダンテは!」
「ほんとにうるさい」
リオンは二人を見比べて、思わず笑った。
「おっ、リオンも元気だな。元気が一番、元気があればなんでもできる!」
「いいから血をふけ」
ダンテがアルフレッドにタオルを投げつける。その風を受けて、リオンの髪についていた綿毛が、ふわりと舞った。




