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ズキ×ズキ

 ★


 眩しい朝日に、ダンテはまつ毛を震わせた。ワンワン、と吠えてきた散歩中の犬をギロッ、と睨んだら、飼い主が嫌そうな顔をした。吠えてきたのはそちらだろうに。


 身体の上にかけてあった新聞を払いおとす。公園のベンチは硬くて寝付けない。髪をかき回しながら起き上がったら、靴音が響いた。ダンテが落とした新聞紙を、ぐしゃりと踏みつける。目の前に立っていたのは、一番上の兄、ルーベンス。


「……なんか用か」

 ダンテが尋ねたら、ルーベンスが目を細めた。

「ロズウェルの紅薔薇が野宿なんて、みっともないね」

「あんたには迷惑かけてないだろ」

「家に戻りなさい。シルヴィアに呪いを解いてもらうんだ」

「で、あの女と結婚しろって? 笑わせるなよ……」


 ダンテはずきり、と走った痛みに呻き、心臓をおさえる。そうだ、昨日は、リオンとキスしていない。ダンテが帰らなかったことを、彼女は気にしているだろうか──。


 ガキみたいだ。帰らないことで、リオンの気を引こうとしている。心配したの、ダンテ。どこにも行かないで。そう言って、出迎えてほしいと思っている。あの暖かい橙色の瞳で、見つめてほしいと思っているのだ。


 ルーベンスは苦しむダンテの腕をぐい、と引き、冷たい声で言い放った。


「おまえに選択権はないんだ、ダンテ」


 ダンテとルーベンスを乗せた黒塗りの車は、大きな屋敷の前に止まった。ひと月ぶりに帰る、ロズウェルの屋敷だ。ルーベンスは、ダンテがいかに苦しんでいようが、一顧だにせず、窓の外を眺めていた。


 車が門の前につくと、ルーベンスはさっさと地面に降り立った。ダンテは痛みに耐えながら、身体を動かそうとする。すがりついていたら、ルーベンスが面倒そうに尋ねてきた。


「一人じゃ歩けないのか? 無様だなあ」

「……」


すがりたくはなかったが、早く横になりたい欲求のほうが強かった。ルーベンスに支えられながら自宅へ向かうと、アルフレッドが駆け寄ってきた。

「ダンテ!」

 兄はいつものやかましさを潜め、ダンテを心配そうに見つめる。今の自分は、よほどひどい顔をしているのだろう、とダンテは思った。


「なにがあった、ルーベンス」

 アルフレッドの問いに、ルーベンスが淡々と答える。

「公園で野宿してたんだ。いい恥晒しだね」

「弟に対してなんで言い草だ!」

ダンテが咳き込むと、アルフレッドが慌ててその身体を支えた。ルーベンスはするりと手を引き、

「──すぐにシルヴィアを呼ぶ」


 再び門へ向かったルーベンスを見送り、アルフレッドはダンテを玄関へ連れていく。上り口に座らせ、問いかけた。


「野宿って? リオンはどうした」

「あいつは……俺がいると、迷惑らしいからな」

「そんなこと気にするなんてダンテらしくないぞ。リオンのことが好きなんだろう?」

 ──すき。

「俺は、恋なんて、しない……」


 ふわふわした綿毛、柔らかい白銀の髪、夕暮れのようなオレンジの瞳。からかうとムキになって、触れるとすぐに赤くなる。リオンを見ているだけで、心にまで絡まった薔薇の蔓が、ほどけていくようだった。


 だけど、この呪いの棘は、きっとリオンを傷つけるから。触れなくても、ダンテの棘はひとを傷つける。だから、一人でいなくてはいけない──そう思った瞬間、ずきりと心臓に痛みが走る。


「っ」

 どくどくと心臓が嫌な音を立てている。なんだ、これは。今までと違う。冷や汗が額を流れ落ちる。服をぎゅっと掴み、倒れ込んだダンテを、兄が慌てて抱き起こす。

「ダンテ!」


 ──胸が痛い。張り裂けてしまいそうだ。俺はこのまま、死ぬのだろうか。


 死にたくない。誰でもいいから、俺を助けてくれ。この苦しみから解放してくれ。腕を伸ばしたら、ほっそりとした手がダンテの手に触れた。


「大丈夫よ、ダンテ」

 囁き声が聞こえる。ダンテは朦朧とした意識の中、目を開いた。こちらを見ている、黒髪の美しい少女。リオンとは、まるで違う。その視線にも、声の温度にも、なんの温かみもなかった。


 ──違う。俺が握りたい手は、この手じゃない。しかし、抗う力はもう残っていない。


「私があなたをたすけてあげる」

 冷たい唇が重なった感触がして、ダンテはふっ、と意識を途切らせた。



 ☆



 ダンテが帰ってこなかった日の朝、リオンはひとりで朝食をとっていた。習慣で二人分作ってしまったプレートは、テーブルのうえ、ぽつんと置き去りになっている。


 ──ダンテ、どこへ行ったんだろう。家へ帰ったんだろうか。それならいいけど、もし事故に遭っていたりしたら……。もやもやしながら食事を終え、リオンはドアを開ける。その向こうにダンテが立っていたので、思わず息を飲む。


「っ、ダンテ」

 彼はちら、とリオンを見て、

「荷物をとりにきた」

 ダンテはリオンの脇をすり抜け、ソファの周りに置かれている荷物を詰め始めた。リオンは彼の後についていき、


「あの、家に帰るの?」

「ああ。世話になったな」

 リオンはなんと言っていいかわからず、視線をさ迷わせた。

「ごめんなさい」

「なにを謝ってるんだ?」


 薔薇のような、紅い瞳がこちらを見つめている。きれいな瞳。だけど──。リオンは、違和感を覚える。なにかが、変だ。いつもと違う。


「謝る必要なんかない。おまえは十分役に立った」

「役に、立った……?」

「ああ。おまえのおかげで多少なりとも痛みが軽減した、ありがとう」


 穏やかに礼を言うダンテは、やはりどこかおかしかった。リオンは、あることに気づいてハッとする。目が、変なのだ。光がない。まるで生気の無い目をしていた。リオンが狼狽している間にも、荷物を詰め終えたダンテは立ち上がろうとする。リオンは彼の腕を掴んだ。


「ダンテ、待って。なにかあったの?」

「なにもない。──じゃあ」

「あ」


 リオンは慌てて、金平糖の瓶を差し出す。

「これ、もって行って」

 ダンテは瓶を受け取り、じっと見下ろした。

「疲れた時とか、リラックスしたい時のために……」

 リオンが話をしている最中、ガラスが割れる音が部屋にひびいた。

「!」


 リオンは肩をすくめた。足元に散らばった瓶のかけらと、金平糖を見て瞳を見開く。ダンテは、平坦な声で言う。

「ああ、悪い。わざとじゃないんだ」

「う、ううん、いいの」

 心臓が、どくどくと嫌な音をたてている。声が震えそうになるのを必死に抑えた。


「じゃあ」

 ダンテは散らばった金平糖をそのままに、部屋から出て行った。バタン。ドアが閉まる強い音は、ダンテの深い拒絶そのものに思えた。


 リオンはしゃがみこんで、金平糖を拾い集めた。金平糖の形がぐにゃりと歪み、ぽたり、と水滴が床に落ちた。どう見たって、わざと瓶を落としたようにしか見えなかったのだ。


 リオンは、床にしゃがみ込んで、顔を覆った。あとからあとから、涙が零れ落ちる。


 きっと、ダンテはリオンを嫌いになったのだ。意気地がなくて、弱虫のたんぽぽを嫌になったのだ。





 翌朝、リオンは泣きはらした目で登校した。うつむきがちに下駄箱へ向かい、靴を履き替えていたら、おはよう、と声をかけられた。顔をあげたら、ダンテと腕を組んだシルヴィアが立っていた。


 ダンテは、無関心な目でこちらを見ている。シルヴィアはリオンを見て、くすりと笑う。

「大丈夫? なんだか、目が真っ赤だけど」

「大丈夫、です」

リオンはぎこちなく言い、二人から逃げるようにその場を後にした。



 ダンテとシルヴィアが「くっついた」という噂は、すぐさま校内を駆け巡った。そこかしこで目撃される二人の親密ぶりは、全校の女子に衝撃を与えた。


「えーっ、ダンテさまが恋!?」

「バカな! ダンテさまはみんなのものなのよ! たかが一人の女が占有できるものですか!」

「膝抱っこしてたって!」

「私は食べさせあいっこしてたって……」


 リオンはそんな声を背に、裏庭で実技の練習をしていた。足元に花を咲かせ、蔓を伸ばして、石を掴む。その石を積み上げる、という地味な練習を、ひたすら繰り返す。教科書に載っている、初歩的な花魔術の練習だ。


「ちょっと」

声をかけられ、振り向くと、ダンテのファンクラブ会長がたっていた。

「あ、紅薔薇の……」

名前を思い出せずにいると、

「三薔薇会のうちの一派、紅薔薇会会長、ローラよ」

彼女はそう言って、じろじろリオンを見た。


「あなた、少し前まで、いつもダンテさまといたでしょう。なぜ急に疎遠に?」

リオンはぽつりと言った。

「ダンテには、シルヴィアがいるから」

「あんな女! たった二週間前に転校してきたばかりじゃないの!」

彼女はぎりり、と歯をくいしばる。

「絶対に何かカラクリがあるはずよ……」

「シルヴィア、美人だから。一目惚れだよ」


彼女は地団駄を踏んだ。

「ああああイライラするわね! あなた、ダンテさまを奪われて悔しくないの!? 」

「ダンテは私のものじゃないし」

「ふんっ、そんな風だから奪われるのよ! 見てなさい、紅薔薇会の沽券にかけて、悪しき魔女からダンテさまを奪い返してみせる!」

ローラはそう宣誓し、ずかずかと歩いて行った。


リオンはため息をついて、再び石を積み上げ始めた。

「すごいね。俺の弟は随分と人気者だ」

その声に振り返ると、ルーベンスが窓枠に肘をついて、こちらを見ていた。

「ルーベンス、先生」


かくいうルーベンスにも、ファンクラブは存在しているのだが。彼は微笑んで、

「こんにちは。振られた気分ってどんな感じ?」

「……振られたわけじゃないです」

「ああ、そう言い聞かせてるんだ」


この人……なんだか楽しそうだ。リオンが黙りこんでいたら、

「拍子抜けしたよ」

「なにが……ですか」

「君はダンテの特別なんだと思ってた。こうもあっさり鞍替えするなんて驚きだ」

「特別なんかじゃ、ありません」


 ルーベンスはひらりと窓を超え、ゆっくり近づいてきた。

「ダンテ・ロズウェルはワガママで、自分のやりたいことしかしない。自分のテリトリーに他人を侵入させたりしないし、ましてや同居なんて、普通なら絶対にしない」


 それは、リオンがたんぽぽの魔術花を持っていたからだ。リオンは箒をぎゅっと握りしめ、

「呪いはもう、解けたみたいだから」

「そうだね。薔薇には薔薇──それが正しい在り方だ」

「すいません、私、練習するので」


 リオンが蔓を動かし始めたら、すぐ近くで草を踏む音がした。ふっ、とバラの匂いが香る。リオンの隣に立ったルーベンスは、足元に咲いた黄色い薔薇から蔓を伸ばし、積み上げた石を崩した。


「あっ」

「こんな練習に意味はないよ」

「でも、基礎練習は大事です」

「みたところ、基礎練習ばっかりしてるんだろう?」

 リオンは図星を突かれてう、と呻いた。彼はリオンから少し離れた場所に立ち、

「実技練習には相手がいなきゃね。俺の薔薇を散らしてみなよ」


 リオンは、ルーベンスの黄色い薔薇を見つめた。ダンテほどの大きさではない。だけどロズウェルの薔薇だ。敵うはずもない。固まっているリオンに、ルーベンスが尋ねた。


「他人を攻撃するのは怖い?」

「…… はい」

「ダンテに振られるわけだな。あいつは弱い人間は嫌いだから」


 リオンはぎゅっと拳を握りしめ、手のひらをかざした。ルーベンスの薔薇に向かって、蔓が伸びていく。彼はいとも簡単に、薔薇の蔓で、リオンの蔓を払いのけた。しゅるりと伸びてきた薔薇の蔓が、リオンの手首に巻きついた。ルーベンスのところまでぐん、と引き寄せられる。


「っ」

すぐ近くに、ダンテによく似た整った顔立ちがある。

「俺が慰めてあげようか?」


ルーベンスの指が、髪を梳くように動いた。彼はそのまま、リオンの頰をするりと撫でる。唇が近づいた、その時──ひゅん、と音が鳴り、飛んできた蔓に、ルーベンスの花が散らされた。


「コラー! 何をしているんだ」

こちらへ駆けてきたアルフレッドが、ばっ、とリオンを庇うように立ちふさがる。

彼はリオンを抱き寄せ、顔を覗きこんだ。


「大丈夫かリオン。大事なものを奪われたりしていないか?」

がくがく揺さぶられ、リオンは目を白黒させた。

「だ……大丈夫、です」


アルフレッドはうむ、と頷き、ルーベンスに指を突きつけた。

「セクハラだぞルーベンス! 教師失格、最低最悪だな!」

ルーベンスは関心なさげにアルフレッドを見て、

「冗談だよ」

リオンに含みのある笑みを浮かべてみせた。

「また邪魔ものがいない時に話そうね」

ひらひら手を振って去っていく。


「弟を邪魔ものとはひどい兄だ」

アルフレッドは憤慨し、こちらをじっと見た。

「リオン、少し話さないか」

と言った。

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