金平糖×ライバル
☆
翌朝、リオンはダンテと顔を合わせるのが気まずくて、早めに起き出し、学校へ向かった。
(昨日の、なんだったんだろ。たくさん、キスされた。唇が、熱を持っている気がする)
ぼうっとしていたら、つん、と頭を突かれた。視線を向けたら、紅い瞳がこちらを見下ろしていた。
「ひゃあ!?」
「おまえ、俺に黙って先に行くとはどういう了見だ」
「ち、ちが、早起きしたから、早めに行こうかなーって、ちょ、髪!」
髪をくしゃくしゃにされ、リオンは慌てて頭をかばう。
「やめてよ! くしゃくしゃになっちゃう」
ダンテはリオンの髪から手を離し、笑いながら自分の席へ向かった。前の席の女の子が、興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
「ねえねえ、リオン、いつのまにダンテとあんなに仲良くなったのー?」
「べ、べつに仲良くないよ」
「でも、ダンテがあんなふうに笑うの初めて見たよ」
「そうかな……」
「あと、頭すごいよ」
リオンが慌てながら髪を直していたら、教師が教室へ入ってきた。
「今日は、新しい仲間を紹介する。シルヴィア、自己紹介を」
教師が促すと、美しい少女が壇上にあがった。その少女を見て、リオンは瞳を見開く。
「シルヴィア・カークランドです。よろしく」
「シルヴィアさんの席は、オランジュの隣だ」
教師はそう言って、こちらを指差した。美しい少女が長い黒髪をなびかせ、こちらに歩いてくる。ふわ、と薔薇の匂いが漂った。くらくらするような、あまい、薔薇の香り。ダンテと同じ香りだ──。
「よろしく、リオン」
「あ、よろしく」
差し出された手を、リオンは握った。ちくっ、と痛みが走り、顔を歪める。なにかが刺さったような──。離された手を見たら、手のひらから血が出ていた。思わずシルヴィアを見上げる。
彼女の手のひらから、かすかに薔薇のつるが出ているのが見えた。シルヴィアはリオンを一瞥もせずに歩いて行き、空席だったダンテの隣に座った。にっこり笑って手を差し出す。
「よろしく」
ダンテは差し出された手を握らず、ああ、とだけ答えた。リオンは血の滲んだ手を震わせ、ハンカチでそっと拭った。
☆
教室にカツカツと、チョークの鳴る音が響いている。リオンはノートに板書を写していた。実験に用いる化学式だ。教師は板書した問題を示し、
「シルヴィア、この問題を解きなさい」
「はい」
シルヴィアが立ち上がり、壇上に向かって歩き出す。それだけで、生徒たちの視線が彼女に向いた。なびく黒髪と、堂々とした足取り。自信に満ち溢れていて魅力的だ。彼女は壇上に立ち、なんの迷いもなくチョークを走らせる。教師は、書かれた化学式を見て拍手をした。
「素晴らしい」
シルヴィアは、実技でもその能力を発揮した。足元に輝く薔薇の花、その中央に立つ彼女の神々しさは、見るもの全てを魅了した。彼女の周りには、すぐにひとが集まるようになった。
「シルヴィアって美人だよね、頭もいいし」
「あんな彼女ほしいわー」
「あんたなんか相手にされないわよ」
放課後の教室は、シルヴィアの話題でもちきりだった。かくいうシルヴィアはというと、しきりにダンテに話しかけている。
ダンテはシルヴィアの話を遮るように席を立ち、白衣に手を突っ込んで、さっさと教室を出て行く。シルヴィアは黒い髪をなびかせ、ダンテのあとについて行った。教室は好奇と落胆の声で満たされる。
「なんだ、ダンテ狙いかあ〜」
「当たり前でしょ、あんたなんか相手にされないわよ」
「気になる?」
前の席の女の子に問いかけられ、リオンは思わずうん、と頷いていた。ニコニコとこちらを見る視線に慌てる。
「あ、ちが、その」
「慌てちゃってあやしー」
「シルヴィアって、「奇跡の薔薇」なんだよな」
男子生徒が放った言葉に、リオンは反応する。
「奇跡の、薔薇?」
「そ。植物化した人たちを治したんだって」
「植物化って、花魔術師の身体が自分の花に乗っ取られるやつでしょ?」
「ああ。最近頻発してるみたいだけど、どうも原因は不明らしい。怖いよなー」
リオンはダンテの大叔父のことを思い出していた。あんなふうになる人たちが増えているなんて。呪いとなにか関係があるのだろうか?
席を立ち、図書室へ向かう。図書室に置かれている新聞を読むため閲覧室へ向かうと、ダンテとシルヴィアがいるのが見えた。美男美女の彼らは、どこからどう見てもお似合いだった。
思わず足を止め、柱の影に隠れる。──なんで隠れてるの、私。
柱の影からそっと伺うと、ダンテは新聞を開いて、シルヴィアがそれを覗き込んでいた。会話が聞こえてくる。
「ねえ、ダンテ。何読んでるの?」
「植物化の記事。あんたのことが載ってる。「奇跡の薔薇」なんて、大したあだ名があるんだな」
「ああ……少しは私に興味が出てきた?」
微笑むシルヴィアを、ダンテは横目で見る。
「ああ、興味深いな。そんな力があるのに、今まで話題にならなかったのはなぜか、とか」
「前から奇跡を起こせたわけじゃないわ」
シルヴィアはダンテの肩を撫でて、ぐっ、と身を寄せた。リオンの心臓がどくりと鳴る。いやだ──そう思って、ハッとする。
「ある日、突然植物化を治せるようになったの。きっとあなたに会って、呪いを解くためね」
さらりと黒髪が揺れる。
「こういうの──運命、っていうのかしら?」
ゆっくり近づいてきた唇を、ダンテは新聞で防いだ。
「俺は、運命だとかたまたまだとか、根拠のないことは信じないんだ」
閲覧室を出てきたダンテが、こちらを見て足を止めた。
「リオン。何してるんだ?」
「あ、新聞を読みにきたんだけど……」
「綿毛が新聞を読むとはな」
いつもなら気にならない言葉が、胸に刺さる。
「べつに、いいじゃない。それに私、綿毛じゃないし」
ダンテは手を伸ばし、リオンの髪をくしゃくしゃかき回した。
「う、なに」
彼は口元を緩め、白衣のポケットに手を入れて去っていった。リオンが自分の髪を手櫛でなおしていたら、
「リオンさん」
声をかけられ、振り向く。閲覧室から出たシルヴィアが、じっとこちらを見据えていた。彼女はにこりと笑い、
「いま、いいかしら」
リオンはシルヴィアに連れられて、屋上に来ていた。風が吹いて、リオンの髪を揺らしていく。シルヴィアの漆黒の髪もなびいて、彼女の白い頰を覆っていた。
「あの……話って、何でしょう」
おずおずと尋ねたら、シルヴィアがすっ、と畑を見下ろした。
「この畑、なにかしら」
「あ、私の畑なんです」
「へえ。わざわざ栽培してるの?」
「はい」
リオンは、シルヴィアはなぜ自分を呼び出したのだろう、と困惑していた。話とはなんなのだろう。どうしてリオンをここに連れてきたのだろう。
シルヴィアは野菜を見下ろしながら、
「ねえ、あなたダンテと付き合ってるの?」
「え、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、私に譲ってくれない?」
その言い方は、ひどく引っかかった。
「譲るだなんて、ダンテはものじゃないです」
「いいえ、ダンテはロズウェルの宝。世界で一番美しい花。だから私は、あの人をなんとしても手に入れたいのよ」
シルヴィアは足もとに薔薇を出現させた。
「私と勝負して、リオン。あなたが負けたら、ダンテは私がもらうわ」
──そんな。リオンが薔薇に叶うはずがないのに。後ずさるリオンに、シルヴィアが笑みを浮かべてみせた。
「あら、あなた……まさか怖いの? そんなに怯えて……ダンテのこと、さして好きじゃないのね」
リオンは唇を噛み、足元にたんぽぽを出現させた。
「いくわよ」
シルヴィアは薔薇の蔓をあやつり、リオンに向かって振り下ろす。リオンは両手を掲げ、懸命にそれを防いだ。防御しているだけではダメだ。攻めないと。
たんぽぽの花びらが一斉に浮き上がり、小さな刃のように、シルヴィアに向かって降る。シルヴィアはリオンの懸命の攻撃を、蔓で跳ね除ける。足元に咲いていたたんぽぽの花が散らされ、リオンは地面に転がった。
「っ」
かつ、かつ、と靴音がして、ふっ、と影が落ちる。リオンは恐る恐る顔をあげた。
「なんて弱いのかしら。それでよくダンテの隣に立とうなんて思えるわね」
こちらを見下ろしているシルヴィアの顔は、逆光になってよく見えなかった。リオンはちいさく唇を震わせる──こわい。シルヴィアは蔑むようにこちらを見て、
「ねえ……わかってるの? もしもあなたが呪いを解くことができなかったら、ダンテは植物化して、一生寝たきりなのよ」
リオンはびくりとしてシルヴィアを見上げる。シルヴィアは目を細め、身をかがめてリオンに囁いた。さらさらと揺れた髪。濃い薔薇の匂いがただよう。
「ダンテを諦めなさい。あなたは彼にさわしくないの」
彼女は長い髪をなびかせ、さっさと屋上を出ていった。リオンはふらふら立ち上がり、歩き出す。足や手のひらが、ずきずきと痛くて、血が滲んでいるのがわかった。
なんで、こんな目にあわないといけないんだろう。たんぽぽのくせに、ダンテとかかわったから? 身の程を、わきまえなかったから?
屋上の扉がギイ、と開く音がした。リオンは、ノロノロ顔をあげる。扉の向こう側には、ダンテが立っていた。
「リオン?」
ダンテがこちらに駆けてくる。リオンの膝を見て、眉をしかめた。
「どうした。血が」
「私、ダンテには、ふさわしくないの」
「何言ってるんだ」
「シルヴィアに、呪いを解いてもらって」
「とにかく手当を」
「さわらないで」
リオンが手を払いのけたら、ダンテが瞳を歪めた。ダンテを傷つけた。リオンが弱いからだ。
「……ごめん、なさい。私には、無理だよ。最弱のたんぽぽだもん」
リオンはつぶやくように言って、屋上を出ていった。
その夜、ダンテは帰ってこなかった。




